温度,天気とも気持ちの良い一日で,耳の尖った子供達も,外でゆったりしてくれる時期でもある。
野生生物保護管理関係のミーティングの後,その流れで飲み会に出て,帰宅したら,チコとはすれ違いでなかなか会えない私に,ワイフが彼の帰宅に関するメモを残してくれていた。最後のログは,帰宅した時,私が付け足した。
チコも,ユッチも,出撃するときにはまっすぐ目的地に向かって移動するので,家周辺でゴロゴロ遊んでいることは少ない。季候の良いこの時期に,私や息子たちが外にいるときに限る。
ナッチは,猫ドアを利用できない「部屋飼い」猫が基本なのだが,時々プチ脱走をやっていて,昨日は脱走中,来客による車が庭に入ってきて,パニックになって喚きながらリビングの網戸に体当たりしてきたそうで,大変だったようだ。
当然,玄関からしか出入りできない。このあたりでゴロゴロするぐらいなら良いのだが,やっぱりちょっと外も探検したらしい。
ナッチの玄関先のゴロゴロは結構ダイナミックで,しつこく繰り返され,本当に気持ちよさそうに見える。
ユッチは,プチ脱走していたときに,何度も捕まって強制送還されていたので,おいそれと,外では軀を触らせなくなってしまった。
この日は,機嫌が良かったらしい。
チコにとって,長男は矢張り庇護者の一人。長男は微妙に触る程度のタッチコミュニケーションでチコに絶対的な信頼感を与えてきた。
私は,少年期,犬が欲しくて欲しくて,生き物嫌いの祖母を,私の押さえ切れぬ感情をみてられなくなった父が説得するなど,結構,渇望感の強い少年期を送ったせいで,そのコリー犬がやってきた日から,犬小屋で眠る少年だった。私と生物の距離を詰めてくれた存在は,少年期においては犬だったのだ。文字通り近所では犬兄ちゃんと呼ばれ,犬の臭いにまみれて,至福の時間だった。そう,当時,犬,特に大型犬を室内で飼うなどという状況は社会通念上ほとんどなかった。
空き地もない住宅地だったので,父も祖母も猫が苦手だったこともあって,猫はとても縁遠い存在だった。母方の祖父は,まともに働きに行くよりは,大量の鈴虫から馬鹿でかいコイ(それも全く品評会向きではない投資的価値無し)や猫まで,色々な生き物を飼いまくる方にエネルギーを注ぎ込むような祖母にいわせると,生き物道楽だったようで,私の生き物馬鹿の血は多分そちらから来ていると思う。
ウチの3人の男子は,生まれたときから空気のように猫の存在を「享受」してきたためなのか個性なのか,まちがってもハグしたがったりして生きている縫いぐるみ扱いしないのだが,全員が見せる猫たちへのその控えめなタッチは,いつ見ても凄いと思う。このあたりは,ワイフの血かと思うが,その私の祖父が,筆でそっと鈴虫を別の飼育瓶に移していた動作が,ふと被さったりする。