今日は同性愛の適応度と進化の話をしよう

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画像は両性具有で、パートナーを選ぶことが自動的に異性愛であり同性愛で有り、、、
なんてことは全く考えなくて済む?アフリカマイマイの交尾。クロスカウンターのように相互にベニスが突き立てられている。
産卵数、生存率は落ちるものの自家受精もできるので、完全お一人様セックスも可能です。
と思ったら本種については自家受精不能と専門家の友人から教えてもらいました。訂正いたします。

 少し前に、カトリック教徒の多いアイルランドで、世界初の国民投票による同性婚合法化が賛成多数で決まったというニュース。
アメリカでも連邦最高裁判所は、男性同士や女性同士が結婚する同性婚をすべての州 で認める判断を示し、全米で同性婚が事実上、合法化したと、昨今のニュースが上がっております。

 で、同性婚を社会的に認めることに対して、批判、嫌感情を背景として出てくるヘイトな言説にはこんなのがあります。
曰く「ヒトがなぜ同性愛になるのか、よくわかっていない。同性愛は生物学的に見て病気である。」①
曰く「子孫を残せないのは、生物学的におかしい訳で、自然の摂理に反する。」②
 この手の「生物学的に」とか「自然の摂理」とかいい出す言説はとりあえず、まず、あてにならなりません。「自然」とか「本能」とかいう言葉は、今の時代、専門教育を受けるほど使わなくなります。どこの世界の生物学だと思ったりするわけで、私も以下の「すずめたいちょう」さんによる経験則の例外は見たためしがありません。
「『生物学的に言うと~』とか言い出したやつが生物学を学んでたことを見たことがない!世の中のどこかにはそういうやつもいるんだろうけど、とりあえず私は見たことがない!
 ガンダーラみたいな(違うか)。

 『でも皆さん安心して下さい』、って岡村長之助先生が、「進化論」を否定するための「ミニ人類発見の単行本」に書いておられたけど、生物学的に①と②の言説は生物学的に間違っていますからどうでもいいことですから、生物学的に異常な事態が進んでいるわけではないので、怖がる必要はありませんので、その方面から悩む必要はないので、皆さん、安心して下さい(逆に不安になるか?)。

 さて①の言説は、至近要因(生理、生体としての機構的要因説明)になっているので、究極要因と分けてなぜという問の片方でしか無いのですが、①についてここで詳細に触れるつもりはありません。強いて言うなら、どういう遺伝的、内分泌生理的な資質があるとみたいな研究も当然されており、それは、病気とか異常性とかいうものとは全く別のレイヤーの話です。ただこれも②が否定されていれば、実は本当に言いたいことは②と同じで、行き場を失う屁理屈ではあるので皆さん安心して下さい。
 古典になりつつあるが、この2つの「何故」は、Krebsの進化生態学なら最初の方で出てくる。あえて言えば①が至近要因がらみで②が究極要因がらみ、どちらも存在否定のために架空の「生物学」が登場しています。
 蛇足ですが、生物に関する事象には、いわゆる2つのなぜ(至近・究極要因の2つの視点からの説明)が存在します。とりあえず、医学系、生理系の研究者だと至近要因解明が基本世界であり、至近/究極の区分の存在自体知らなくても仕事が成り立つ方が普通ですから、知らなくても安心して下さい。林学系とかでも割と進化系の仕事に口出ししてくる方に、その区分を聞いてみたら知らなかったりするので安心して下さい。

 ②についてですが、例えば、集団中、同性同士の強固な結びつきが一定の割合で混ざると集団内の軋轢を緩和することに寄与するという文化人類学的な知見があったとして、基本、淘汰圧の結果は個体単位であるため、かなり群淘汰理論の微妙な設定で説明しないと、じゃあ、その形質がなんで集団内で適応の結果存続してきたか、上手く説明できないといけなくなる。

 上手く書き起こすのにはちょっと時間が必要で、あまり自信もないのですが、とりあえず、このパラドクスに関する簡単な説明するに不可欠なポイントとして、以下の二点を上げます。

a) 哺乳類のメジャーグループは、異性愛者とともに両性愛者。経時的両性愛者までが両性愛者に含まれるので、同性愛者、異性愛者の見かけ上のグループにも一定数入る。それ故、同性愛は多くの種で普遍的。経時的両性愛者は、仔を作ってからコミュニティで許され移行するならば、子孫は残せる。嘘だと思ったら織田の信長さんを思いましょう。
 
b) 一定の割合の両性愛個体が存在することで繁殖成功を保証するという適応度に絡む説明とは別に、同性愛個体が一定割合存在すると同性間のパートナーシップが強固になり、繁殖個体群内の軋轢が減少し、個々の適応度も上げる。

 性愛関係まで結んで愛した相手のために命がけで戦うのを理解しない人は、同性愛を理解しない人でもそんなに少なくないような気がするがいかがでしょうか。相利的同性間同盟の結果として思い浮かべるにはいいかもしれません。
 この二点から、多くの動物種で、同性愛が普遍的である意味が説明されるわけです。ただ重要な前提として、別にヒトの社会や人権においては、生物としての適応的な説明なんて、極論すれば最重要課題とするかどうかは絶対的ではありません。このエントリは、「同性愛者は子孫を残せないので、生物学的におかしい訳で、自然の摂理に反する。」みたいな、いつもの「架空の生物学」への反論としての試論であることに留意して欲しいと思います。社会体制的な問題として反論できるのであればすればいいけど、「架空の生物学」を持ちだして批判するならば、こういう話で、論破されることになるというだけです。

 ちなみに同性愛は血縁淘汰で説明できる事例は殆ど無いということだ。で、最近の文化人類学的な膨大なフィールドワークに対して、進化生態学的な検証をした仕事がいくつかあるが、血縁淘汰では、同性愛の進化は説明できないとされている。そういう流れで説明できる事例がまずないということなのだ。
 関連文献は、ちゃんとしたデータベースに当たらなくても、ものすごくたくさんあります。つまみ食いしてもしょうがないのだが、何を読めばいいかと聞かれたら、本来なら、門外(この分野のレフェリードペーパー書いてないという意味)の自分はちょっと困ります。困るけど、シカゴ大学出版による著名な人類学雑誌に載ったこの論文(Kirkpatrick, R. C. 2000. The Evolution of Human Homosexual Behavior. Current Anthropology, Vol. 41(3): 385-413.)ぐらいは、ネット環境が使えれば、だれでも手に入れます。ここでは、同性愛を人間の進化生態学的な視点から見た場合の一つのパラドックスとなる②の問題を取り上げています。素朴な疑問として「なんでだろう?」は、ありだし、当然かなと思います。

 ただ、何を自然と考えるかも、その自然のままがいいかどうかも全く別の問題で、現代社会に生きる人類が何を選び取っていくべきかということについては、慎重に考えるべきだし、自然だから可という考え方は、寧ろ何かを否定するときの詭弁においては便利な言葉です。いわゆる「架空の生物学」と似たような使われ方をしています。多くの場合、「自然だから」そう従うべきだと言い張ってる人の自然の解釈や取捨選択は、浅薄な思いこみ、もしくは、単純にその人に都合の良い自然だったり、自然観だったりします。「ガイアがお前は間違っていると言ってる」みたいなのは、ラノベの主人公なら口にしてもいいかもしれないけど。

 関連して、ドーキンスは、よく誤解されて、遺伝子万能主義、遺伝子運命論の親玉みたいに言われるけれど、彼の理論通り、そういう遺伝子の乗り物的な制約を受けているヒトという存在であったとしても、そのことを知るということは、その呪縛に光を当てることで、ヒトはまだ自由になれるためだと考えるべきなのだと思います。宗教でも運命論でもない、人の行動の自由選択というものは遺伝子とは別にあって、繁殖成功度は限りなく小さくなるけど(共通遺伝子はゼロではないから)、そんなことどうでもよくて養子もらっても何ら問題ないし、知の先にある人の自由意志にはそういう選択もあるよという話。そしてそれは科学無視とは違います。宗教についてだってそれを知り、それに関わる人を敬愛しながら、そこから離れるという選択だって人にはあります。またそれを許すのも宗教のありがたさだと、私の経験からはそう思っています。
 とりあえず、子孫を残せないように見える形質がなぜ、繁殖集団の中に存在していたのかというパラドキシカルな謎は、老舗の学会や科学論文雑誌などで、相当前から科学的に論議されてきているんで、知識のないまま「架空の生物学」で挑んでも、それはちょっと無理ということになります。


追記ー別に知らなくてもいいのですが、欧米での同性愛者への権利の動きの背景において、こういった方面からの考察は、社会学と同等に論議の下敷として、必ず存在するであろうことは理解していた方がいいと思います。人が人の権利を潰しにかかるときの悪行の歴史に対して、それぞれの立場で考えを及ばせる社会においては、人間についての深い考察を支える研究において、必然とも言えるからです。
 それがヒトをして、圧力となり得る知見となる場合も、当然あるわけですが、その先の選択、自由意志をどう考えるかということとセットになった社会では、単純に学問に対して封じ込めを図るみたいな方向は、矛盾しますね。まあ、わたしは自分を育ててくれた学問分野においては、科学「技術」の進歩に対してバランサーとして機能してきた事実もあって、良い思いしかないので、あまりにも楽天的なのかもしれませんが。

追記2ー簡単な結論。
個体群中異性愛者だけではなく同性愛者・両性愛者も特異な異常グループではない。個体の適応度を上げる結果、人を含めた高等脊椎動物個体群の中に同性愛・両性愛は内包されている。
 一般論としては、社会が必ずしも自然主義に従う必要はなく、そこは分けて考えるべきことだが(自然主義の誤謬)、「同性愛は生物学的に異常だから排除されるべき」という理屈は二重の意味で、間違っている。




関連文献による補足は長くなるのでmoreに書きました。

 上記②のヘイトが一点の隙を突いている通り、子を残さない形質がなぜ残ってきたのかという部分がパラドキシカルだという事実は、当然、進化生態学分野でもテーマになっていました。生物個体の適応度は残せる仔の数(≒'繁殖成功度; reproductive sucsess')、究極的には包括適応度(inclusive fittness)など、自分との共通遺伝子がどのくらい残せるかというのが適応の度合い(fittness)として個体群の中で他のそれよりも生き残ることができれば、淘汰の試験にパスしたことになるという近代の進化生態学的知見を前提にしての仕事は沢山あります。
 さて、適応度は繁殖成功によって決められるわけですが、同性愛行動は非繁殖的であるかぎり、適応度は0となり、どうやってそれが個体群の中で生き残ってきたのか、変じゃないのということ指摘に対して、どういうフィールドワークデータと検証が行われてきたか、研究例の一つをご紹介しましょう。

 Kirkpatrickは3つの適応論者的な仮説をレビューしながら、人類学の膨大な文献と比較しました。その結果、同性愛が個体群の中で一定数存在する仮説として、まず否定されたのが血縁淘汰です。膨大な文化人類学的な仕事を検索しても、特定の系統が同性愛のメンバーから提供される仔へのケアにより、より多くの繁殖(成功)を得ているという証拠はほとんどありませんでした。要するに、同性愛個体のパートナーは兄弟姉妹、血縁に縛られることは全くないということで、これは、まあ、検証結果が合って初めて言えることですが、そうだろうなという話。

 2つ目の同性愛が個体群の中で継代的に成立している要因としての仮説は「親による操作説」。両親は仔に対して生殖のタイミング等をコントロールし、そのために同性愛的行動についてしばしば誘導する文化人類学的見地からの観察実例はどうやら多少はある模様。社会性昆虫の不妊カーストなども、ハミルトンの血縁度4分の3仮説が出て、包括適応度による説明が勝利をおさめる前には、「女王による操作仮説」というものが存在しました(ずっと走ってないといけないという軍拡的適応「赤の女王仮説」とは違いますので注意)。

 てなわけで、Kirkpatrickの検証では、同性愛の行動は3つ目の相互利他主義者のための個々の選択から来るという仮説を支持するものが最も強力であるという結論に至っています。

 同性愛は高等動物が持つ利他行動や適応度を飛躍的に上げることにも寄与し、高度な感情が介在する個体の結びつきと同性愛は無縁ではないというものです。故に、ある程度の認知思考能力がある分類群以上でないと同性愛は進化していないということと矛盾しません(同性ペアについては、ペンギンなども有名ですね)。同性間の「同盟」は、相利的、繁殖価(これは単純に子供を作るということだけではなく、生存率を上げ最終的に仔を残す可能性に寄与するもの全てを想定している用語)ことです。同性間での性的な行動は、同性同士の相利的な同盟維持に寄与します。もちろん、愛と憎しみは表裏一体だから、このような「同盟」の暗黒面も当然あるのは前提としてということです。

Kirkpatrickのモデルでは、特定の文化的なシステムの中に同性愛行動が同性同士の結びつきを維持するのに有用であるとする全体を考えます。そして個体における性的な結びつきのレパートリーにおいて同性愛行動が中程度含まれる場合、同性愛は適応的であると結論しています。群淘汰理論と淘汰圧は個体自体にかかるということを矛盾なく考えようとした場合、両性愛者が一定数混ざることを考えると単純ではないのですが、少なくとも同性愛を上手く取り込んだ場合、繁殖集団内で同性個体間での軋轢は減少し、個体の適応度が上がるという話です。配偶者獲得において、個体のコストは減少するからということです。
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Fig. 1. Curves for reproductive success both from sexual
activities and from somatic (survival and maintenance)
activities. 
(詳細はThe Evolution of Human Homosexual Behavior. Current Anthropology, Vol. 41(3): 385-413.を参照)

 ちょっとモデルが簡単すぎるように見えるのは、10年以上前の論文ということもあるので。同性間のパートナーシップを強固にすることと、全てヘテロな配偶者に向かわないことで、繁殖個体群内の軋轢を減少させる結果、そういう形質が個体群内で適応的に進化するということには直ぐにはなりません。しかし、これは上記のa)とのセットで強力な意味を持ちます。
 大脳機能が高く社会的かつ長寿な生物においては、同性愛者が繁殖個体群内で各個体の適応度上昇に寄与してきた進化的な歴史を思えば、寧ろ、ヒトにおいて同性愛が強く排除されてきたという歴史の方が、ごく最近のことなのかもしれない。実際、同性愛は他の社会性を持つ高等哺乳類や鳥類を見ていても排除される傾向はありませんし、観察者が意図的、あるいは無意識に排除してきた傾向はあると思います。
 ヒトに近い所、類人猿を含むヒト以外の霊長類でも、同性との結びつきに同性愛的行為を利用しており、このような結びつきは、更新世の間に、人間の祖先が分布拡大した鍵となっているように見えるみたいな書きぶりになっていますが、この著者は、ヒトの同性愛的な特性の全てが適応の結果であるとも考えてないというところも重要です。
 すなわち、同性愛的な感情や行動の一部については、同性愛による結びつきに加わること(Same-sex Affiliation)で新たに得られた特性と考えているようです。適応万能主義的な説明、要するに同性愛に関するすべての形質は、長期の淘汰圧の結果選択されたものという考え方では、ヒトでの性的行動を完全に説明し切れない部分があり、ヒトのそれは、社会的、歴史的な要因にも強く影響されていると結んでおります。

'Bártová, K. and J. Valentová (2013) Evolutionary Perspective of Same-Sex Sexuality: Homosexuality and Homosociality Revisited. Anthropologie, 50(1): 61–70.' はフランスの1890年からの歴史のある権威ある古人類学雑誌に掲載された論文ですが、、10年以上の学問的進展が、先の論文では荒かった部分を色々補完している印象。基本は、以下の3つについての論考に集約されています。
同性同士の同盟は個体の生存率を上げ、結果的に繁殖することを助ける。
同性愛行動は、同性での相利的(生存価を上げる)同盟の形成を助ける。
時折ある両性愛的行動(注、同性愛ではない両性愛ね)は、実は完全に排他的な同性愛者よりも一般的である。

先の文化における男性「同性愛」の例としてしばしば引用されるものの多くは、実のところはどちらかというと両性愛に分類した方が適切である場合が多いかと。この部分が、実は、a)に関わる重要なポイントですね。かなり前に、レディ・ガガが両性愛者であることをカミングアウトしたニュースが有りました。米社会においても、同性愛同様、偏見を持たれている存在であることがニュースの意味から伝わってきますが、下のModelでは、ヒトを含む高等動物の適応と生存の歴史においては、織り込み済みということになります。あるいは、そのセクシャリティは、鍵と言うべき性質なのかも。
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 図の比率は、どうこう言われる前に書いておくと、実態とは全く関係ありません。仔を残すことができる両性愛者が一定の割合で異性愛者にも同性愛者にも含まれることを示唆するModelを図示したかっただけで、ヒトという種に限定する必要もありません。
 この理論により導き出されるものは、両性愛行動が排他的同性愛よりも広く一般的だという話。これは、異なる文化と異なる歴史的な期間を縦断する多くの研究によって支持されています。この仮定に伴い、多くの社会生活のいくつかの特定の段階(例えば、思春期)でhomosexuallyに振るまい、それ以降はむしろ排他的異性愛に移行する(Herbenick et. al., 2010)。
 さらに、例えば、17世紀の中国などでも、同性愛行動は繁殖の義務がが満たされた場合にのみ、許容されていたみたいなのもある(Eskridge, 1993)。うん、信長さんの話も含め、日本の戦国武将なども同じかもしれない。側室をいっぱい作り跡取りをたくさん産ませた後なら、衆道の道は公認というか必然的に御稚児さんが着いてくるみたいな。オレ、それ見栄でも何でも絶対無理だから、っていう異性愛武将ももちろん居たと思うし、それが大メジャーであっても何ら問題ありません。

追記1ーこの件についてはブックマークからご指摘があり、江戸期の武士の場合は同性愛が先だったそうです。異性愛的な子作りはその後ということですが、ライフタイムスケジュールから考えると、それでも現代人の人生よりは圧縮されているのかもしれません。ただ、天下泰平となり、ある程度余裕ができた故なのか、ちょっとその辺りについて補足するには、私自身知見を増やす必要がありますので、これ以上は書きません。

追記1bー江戸太平記の武士と戦国武将とは社会システムの変化故、区分する必要があるようです。武家におけるホモセクシャルな行為の意味は、江戸の官僚社会になってかなり変わってきており、経時(異性愛、同性愛の順番)についてのパターンに影響が与えられているようです。

 私自身、異性愛者ですが、私も異性愛としている貴方自身も、死ぬまで「覚醒」しない両性愛者である可能性が0としても別に構いません。0ではないとすると、おそらくそういう思考も、個人においてはひょっとして不安になる話になるかもしれませんし、その不安ゆえの排除が過激になってしまう人もおられるかもしれません。でも、皆さん、安心して下さい(こればっかり)。異性愛者であることも同性愛者や両性愛者と同様、もちろん尊重されて当たり前なのですから。

って、気がついたら、アップする予定でなかったのが、自分で仕出かした誤操作から、既に公開されているのをブクマ見てて、初めて知って、ちょっと慌てております。誤字脱字、文体訂正あわわわわ、ああ、もう、エディター妖精の方! お願いします(丸投げ。
 なお、タイトルのセンスが、かなり前なのは、あのハーバード白熱何とかが流行っていた頃に、書き起こした忘備録のテキストがベースになっている故です。

追記2ーネットからPDFにアクセスして読める文献、他にもありますが、ブックマークで教えていただいたのを忘備録として、貼っておきます。


格式高いところのProceedings。内容は同性愛に関するGenetic model。量的形質座位(QTL)など、現代遺伝学をやっていないと、正直ハードルは高いところです。超優生など、基本的な用語の参考としては、ここ(佐賀大学農学部応用生物科学科 動物遺伝育種学 講義テキスト)に端的に説明された用語のまとめがありますが、門外が基礎的な遺伝学の知識で読みこなすに、難しいかなと思います。至近要因関連ですが、非常に重要と思われる仕事ゆえ。というのは、こういった個体が同性愛になるかどうか、至近要因として効いている遺伝子自体が、適応度を上げる遺伝的性質と深く関わっている場合があるから。もちろん、単純に同性同士の性行動では仔をもたらさないので、こっから先のプロセスはちょっとややこしいか。

 Riceらの仕事については、ここに割りと分かりやすい解説がありました。

追記3ー「自然」ということばが、人為との対比で、何らかのバランスをとるための方便的価値というのは分かります。「自然」の価値観と言っているものも、任意に自然だと決めてしまっている人の価値観にすぎないものと、かなり自然に近似したものなど混ざっております。それ故、「自然」の価値の下で多くの人が割を食う話というのは、むしろ簡単に作れます。寧ろそういうものの方がよく目にするなあというのがこのエントリの起点にはあります。人の社会における価値というのも実は規定が難しく、それに対比される「自然」というのも、やはり、自分と人とイメージを合わせるのが難しいなと思いました。
 とりあえず、「生物学的に〜」という話とは別に、「自然」という言葉の扱いについては、もう少し考えてみたいと思います。

追記ー理解を助ける材料になるかわかりませんが、実話を元に、奇跡の名作となった一作。



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by complex_cat | 2015-06-27 18:50 | Oracle of Cat King | Trackback | Comments(0)

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