再起動の始まりに闇はなかった。意識が戻るのと知覚が戻るのと同時だった。死とは、考えたら闇も静寂もない世界なのだなと、疑似死亡体験したみたいな気分になって、その逆をたどってみるとそうなんだなと、そんなことを考えたのを覚えている。
執刀医は、満面の笑みを浮かべてオペが成功したことを私に伝えてきた。ちょっとノリノリだった。手術内容とタイミングに結びつくまでの経緯と判断は、「十分自慢していい」と担当医に言われた。私の私の体内への感覚が十分に及んでいなかったら、そして専門的アドバイスを貰える友人たちとのつながりがなかったら、死亡フラッグはきっちり立っていたかもしれないと思った。さすが今年、おみくじで人生初の大吉が出ただけのことはある。
ここに至るまで、選択の迷いはあったし、その先に越えないと大変なことになる幾つかのハードルが存在したが、無事、手術は成功して戻ってこられた。手術では間に合わない可能性、障害が残って家族に負担をかけながら過ごす残りの人生みたいなエンド、計画していた術式が、開いてみたら通用しない状態で、全く話と違う状態で目が覚めるみたいな確率も低いとは思っていたが、決してゼロではなかった。折しもその手術の横を台風がぶっ飛んでいき、こっちの「島」にも被害が出た。非常電源大丈夫だよねとか、フッと頭をよぎったが、無事に切り抜けられてホッとしている。それ以前に、馬鹿みたいにinsta貼っていたことも直前に見事にやってきた迷走台風も、この綺麗な夕焼け、俺、退院したらもっといい場所で見るんだって思ったことも、死亡フラッグにはならなかった。
私の父親には、私に何かがあれば、こっちに転居する覚悟までさせてしまった。ハイパーウルトラ親不孝だが、最大の親不孝はせずに済んだ。
自分の体に関することは、家族のプラバシーにもなるので、あまり詳細は書けないが、高校時代から懸念していたウィークポイントであった部分、手術前よりは性能は上がったはずであるし、それ故の手術の決断だった。
メンテナンスには今まで以上に注意をしなければならないが、自前の最適パーツが使えたため、最適な術式となった。
ただ、体の深部をいじる必要があったので、サイクロンジョーカーエクストリーム状態みたいに体半分が縦に割られてしまっている。胸骨がばらばらになっているので、癒合するまで、しばし時間がかかるようで、咳やくしゃみはまだ、本気では出来ずそれだけで死ぬる気分になる。ICUを出て、重点管理を抜けて、一般病棟に移りワイフが渡してくれたスマホには、後輩研究者からメールが来ていた。研究の問い合わせだったが、返事に状況を書いて送ったら「あら!? 私も帝王切開だったのでなんとなくわかります。」みたいな文面を見て、何故か笑えてきてしょうがなくて、笑いを抑えるのが大変だった。いででででで。
ICUから抜けて、いきなり力いっぱいのガッツリ飯になったのはちょっと驚いたが、オペの時間も最初は6時間ぐらいと聞かされていたが半分以下だったし、輸血もなしに終わり、ICUに居たのも1日なかったから、体への負担は最少と判断されていたのだろう。
「ええと・・ご飯半分にしてもらえませんか」と言ったら、「ちゃんとカロリー計算されてますから、全部食べてください」と何度も言われた。たしかに全部完食していたが、入院中、体重増減は全くなかった。
本来なら一ヶ月ぐらいは入院する覚悟をしていたが、今どきの趨勢でICU段階から信頼できるPTがついてリハビリが始まり、一週間も立たずにエアロバイクを漕ぎ、予備の負荷試験では歴代最高記録を叩き出して時間切れとなった。これ以上、入院している理由はたしかにあまりないかもしれない。
「だって、指示どおりだとケイデンス60なんですよ、抵抗を上げようが負荷は何時間漕いでも大きくならないですよ」と言いかけたが、いろんな予後、条件、年齢の人がいるから自分はそんな自覚はなくても恵まれている状況なのだと考え直した。そもそも、チャリンコ乗ってなかったら、進行していた違和感に気が付かなかったと思う。
チャリ師匠とこのあたり話していて、エアロバイクでたち漕ぎになるみたいな負荷がかかったら面白いだろうなって話になって、レーパン着てやれば、それってまるでエアギターみたいなおかしさがあるなと思ったので、やっぱり座って漕がないといかんです。笑いすぎて傷口が痛くなるから。キッテルみたいな山岳チャレンジフィニッシュポーズも絶対ダメだ。自分で絵を想像しても笑い死にしてしまう。
術後8日目ぐらいから痛み止めを止めたが、そうしたら夜が熟睡できなくなり、夜だけ痛み止めを飲むことにして、退院前3日前からようやくベッドをフラットにして熟睡することができるようになった。今はむしろ、手術跡周辺の感覚が戻り始めていて、昼間でも、体内から色々疼きが生じていている。
もともと少年期から体は弱く、運動も得意でなかったし、伝説のフィールドワーカーやフィジカルエリートたちに混ざって生きてきたから、フィジカルに強い自覚はまったくないのだが、そうは思わない人が多い。私の体を鍛えて育んでくれたフィールドワークと中国武術に感謝した。
というわけで、一旦、暗闇も静寂もない世界に落ちた後、無事にリブート出来た。リブートできなかった場合、暗闇も静寂もない世界で終わるんだなということに後で気がついた。死んでしまったらどうしようもないとよく言うが、文字通り、暗闇も静寂もない世界に至れば、どうしようもないのだ。
退院して帰宅したらチコが居間で爆睡して待っていた。そのまま彼をひっつかんで、ケージに入れて、定期検診に連れて行った。彼は月イチの処置が遅くなるとそれだけ体に負担が行ってしまう。現在のルーチンが彼のQOLを維持しているわけで、このタイミングで退院できたことに感謝した。流石に、まだ運転はワイフに任せたが、既に運転許可も主治医から取り付けているので、まあ、焦ってドタバタすることは何もないのだ。それでもCTやエコーの像を見せてもらうと、体腔内にオペを受けない限り生じない空壁が存在している。生まれてから一度も外気に晒されたことがない体内内部が、手術により開かれるっていうことはこういうことなのだなと思って、こういうのが消えてしまうぐらいまではちゃんと自重しようと思ったことは良いことだと思う。