COMPLEX CAT:Cat Kick Dragon Fist
2024-02-23T14:53:45+09:00
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Necology(=猫+Ecology) and Nature Photo Essay, Camera classic, Martial arts & etc. 本サイトはhttp://complexcat.exblog.jp/です。画像はクリックすると大きくなります
Excite Blog
双拳の密なるは雨の如く、脆快なること一挂鞭の如し
http://complexcat.exblog.jp/26637355/
2017-02-12T17:53:00+09:00
2017-02-13T21:50:58+09:00
2017-02-12T16:42:18+09:00
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Cat Kick Dragon Fist
次男が「久しぶりに高速で廻して楽しくなるの作りたかった」って言って作ってたgifアニメを借りました。きちんと一発一発発剄しながらこのタイミングで一呼吸で撃ちだせれば、馬賢達老師には勿論及びませんが多少使い物になるかもしれません。下半身が全く動いてないようにみえるけど、暗剄できればやってみるとか。翻子拳の練習用とかにどうぞ。
ずっと中心部を見ていると、異空間に吸い込まれたり....はしないか。
翻子拳の動画がないかなと思って探していたら、ジェット・リーが映画「少林寺」にカンフースターとして登場する前の表演大会冠軍(チャンピョン)の頃の可能性のある動画が出てきた。顔がよくわからないが、彼の別動画の翻子拳を演舞している動画と風格が同じなので、彼であると判断した。
「少林寺」撮影後、実戦系の指導を馬賢達老師から受けて、表現がより実戦的な格闘を目指す前の動画だと思う。老師からの指導体験は彼にとっても相当ショックだったと当時の武術雑誌で呼んだことがあるが、当時、彼の域に到達していた故に学べたことはかなり有ったと思われる。
その後のハリウッドでの活躍や目の肥えた人間を唸らせるような格闘シーンの進化など、アクションスターとしては、むしろ実戦的な用法にコミットできないと本当の意味での迫力ある演技は表現出来ないであろうから、彼にとっては必要なことだったと思う。「全て本物」のコピーでデビューした彼においても、一つのターニングポイントであったのかもしれない。
馬家直伝の通備拳系翻子拳の用法などここにあったりする。初撃を崩さずに受けるだけだと死角から襲いまくる連続攻撃に嵌り、瞬時に後ろから急所を撃たれる。空手を仮想的にしているのは、空手が物凄く強い武術である故。多くの中国武術を実戦想定した場合、リファレンスとしてハードルが物凄く高い故。このあたり分からない人は結構誤解する。
ネット動画時代になって、秘伝であったはずの名だたる老師の映像が出ていたりするが、後継者や門派の維持もふくめ、凄さを開帳して見せてちゃんと評価をしてもらう、あるいは実戦的なエッセンスをキチンと見せて国内外の武術ファンを獲得してセミナー主催といった、ソ連崩壊後のシステマのビジネスモデルみたいな方向に舵を切った部分もあるのかもしれない。
どちらにしても口訣なしやポイントを態と見せない表演など参考にしても体が壊れたりするから、なんでも見せてもらえているわけではない。
と明後日方向につらつらといろいろことを書いているようですが、最初のgif動画は「すごーい!」「たのしー!」「おもしろーい!」で大丈夫なので、どうか楽しんで下さい。
PSー長男に聞いたら、多分、『ジョジョ』の「無駄無駄無駄無駄っ!」と「オラオラオラオラっ!」にかけているらしいとのこと。さすが兄弟である。
それ聞いたら、もう一回すっごく笑える。
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再冒愚ブルース〜破損ー修復記 #10【私的リハビリ記】Born to Run
http://complexcat.exblog.jp/26180534/
2016-09-14T22:39:00+09:00
2020-12-02T15:40:49+09:00
2016-09-09T23:42:09+09:00
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Cat Kick Dragon Fist
土日は平日の負担がどっと出るのか、死んだように寝ているところにチコが張り付いてきて、目が覚める。この外で薄ら汚れたまま帰ってくる猫は、私が一瞬眠りからさめてまどろんでいる状態を逃さない。君みたいにスパっと目は覚めないんだよね。でも、そうなったら、チコには寝たふりは通用しない。
手術した周辺が神経等の機能を回復するに従って、いろいろ疼きだして夜中に魘されて目が覚める。昨晩は、鎖骨をつないでいるチタン製ブレートが骨に埋まってズブズブ沈んでいく夢を見て、それを自分で手で抑えている感触があまりにリアルで、怖くなって飛び起きた。
暫くチャリンコや自動車の運転は手控えている。ちょっと運転したぐらいでは問題を感じないが、とっさにドアを引いたりハンドルを引いたりするときに、自分の鎖骨をかばえる自信がない。そうなればまた逆戻りだ。その状態で事故れば保険も微妙だろう。先週フルサイズのワゴンに載せられ、その重いドアをいつもの調子で閉めようとして、あ、やばいと手を離した。そういうとっさの時の躰の使い方というのが、リハビリ期間中はクセモノだ。
自転車も同様。で、通勤や普段の足については、公共交通機関は別にして、チコに倣うことにした。チコはバスに乗ったり新幹線に乗ったりはしないけれど、つまり徒歩か猫の速歩、あるいは軽いランニングということである。
一日、結構な距離を歩くことになるので、入院中に欲しかったベアフット・ランニングシューズを購入して、もっぱら、それを履いている。流石に、人に合う時とか、フォーマルの場にこのカエルシューズで行けば、着衣はどんな格好でもドン引きされそうなので、普通のシューズは別に用意して下駄箱に放り込んである。
ここでベアフットランニングの流れと私見について書こうとしても、私自身そんなにまとまった知見があるわけではない。取り敢えずベース情報としては、このあたりか。
BORN TO RUN 走るために生まれた ―ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”クリストファー・ マクドゥーガル/NHK出版undefined
入院中に友人のはてこさんがこの本を送ってくれた。彼女のレビューを読んで、ずっと気になっていて・・・・気が付いたら鎖骨を折って入院していた。そして、この本が送られてきた。
思ったより分厚いのに驚いたのだが、3つのテーマでそれぞれ書かれたものを合わせたような構成になってる故の厚み。
一つ目が、故障続きで走ることを断念していた著者、クリストファーがメキシコの銅峡谷(バランカス・デル・コブレ)で、伝説のカバーヨ・ブランコという求道的(常識的に見れば、頭おかしいとしか言いようが無いレベル)なランニングマンを見つけ出し、彼、カバーヨが魅入られた伝説の“走る民族”タラウマラ族とその長距離山岳地帯を走り抜ける秘術に遭遇するまでの話。
あたかも野生動物の生き方のような秘教的でストイックな価値観を生きるカバーヨ・ブランコ(本名Micah True )。既に2012年にトレイルランニング中に事故死、享年58歳、故人となっている(事故の経緯については実際のところはわからない)。彼がたどり着くべくしてたどり着いたタラウマラ族は、最低限の西洋文明社会との接触をベースに、今も蜃気楼のような隠れ里のような集落で暮らす(という話になっている)。タラウマラ族に親交を許された数少ない人間であるカバーヨ・ブランコの半生とその正体は、最後の最後で明かされる。
二つ目は、先端テクノロジーで武装したランニングシューズを開発できるメーカーであってもランナーの足を破壊しないランニングシューズを作り出すことが出来ない、現代の病、ランニング障害というスポーツテクノロジーの矛盾と謎を紐解くことで、ヒトは本来どんな行動生態に適応した動物であるかを解明しようという学際的な試み、魅惑的な仮説の話。
実際に、足を故障してランニングを諦めた普通のランナーであった著者が、Runningの世界においてリア・ランディング(踵、もしくは足底の後ろ1/3で接地)ランからのパラダイムシフトを引き起こした、バイオメカニクス的アプローチからたどり着いたベアフットのフォア・ランディングラン(足の足底前部1/2部分で接地)の秘密が提示される。そしてその足を壊さず驚異的な距離を走ることを可能としたランニング技術が、ヒトという哺乳類が本来、どのように獲物を狩る能力を適応してきたかという進化生態学知見からのアプローチと符合するかという話。ヒトの足や脛骨まわりの解剖学的知見と、ヒトが長距離走破適応型の哺乳類である必然を示した研究者の仮説に著者がたどり着くまでの章はとてもエキサイティングだ。ここでは、読み手にも頑張れば関連研究者と関連文献の検証から、ある程度の真偽を推察しようという試みが可能だが、英語圏Wikipediaにある'Persistence hunting'(「持久狩猟」)と'Endurance running hypothesis'(ヒトが「長距離走破適応仮説」の狩猟を可能とする種であるという仮説)についてみると、仮説の矛盾は無いわけではない。ヒトはどんな哺乳類よりも、長距離、丸一日でも丸二日でも連続して走ることができ、それによる捕食行動に適応した生物であるという仮説検証の部分は、ともかく物凄く魅惑的ではある。。
実際に、私も動画資料などを見てリア・ランディングを試行錯誤しながら走ってみると、ランディングの直前に接地部分の対地速度を最小化する方法は、ゆっくり走ろうとしてもむしろ効率が良くて速度が落ちないということに気がついた。衝撃が減るのでその分、前に進むしかなくなる。チコたち猫の運足も、考えてみれば、肉球への擦過ダメージや衝撃を最小限にする場合のやり方になっていると思うし、それとも通じるだろう。
最後のパートは、長距離山岳トレールランニング技術を身につけたウルトラランナー、スコットジュレクを始め、“ベアフット”・テッド、ジェン・シェルトンなど刺客とされたランナーたちとタラウマラ族との壮絶な戦いを描いた章だ。タラウマラ族のトレイルランニング技術にかぎらず、本来、ヒトの耐久走破能力が、性差、年齢差の生じ難い特性だということを実地で体現している。特に、タラウマラ族を最も追い詰める最初のランナーが女性アスリートであるジェン・シェルトンだったという部分もとても興味深い。なお、マラソンのような多少の起伏があろうが基本、街中ターマックかトラックのランニングで、40km程度(!)の距離だと、記録の性差は男子でデニス・キプルト・キメットの2時間02分57秒、女子でポーラ・ラドクリフの2時間15分25秒とその差、12分28秒。不整地で距離が伸びれば、むしろなくなる可能性だって無いとも言えない。
友人に私より遥かに年長で、地下足袋で屋久島の山岳地帯をひょいひょい移動する夫婦がいる。奥さんの方は私の高校の先輩だが、二人共タフな上に、あの薄い地下足袋で足が痛くないのかと普通は思う。林業関係者にも地下足袋が標準の人が少なくない。ベアフットで、足に負担をかけないで山岳地帯をトレールする技術が身についている。そうやって考えると薄いサンダルで山岳地帯を100km以上を走るベアフット・ランニングってそんなに突拍子もない話ではないような気がしてくる。
そして技術面の話で言えば、ただのランニングではなく昼夜連続してフィールドを走り抜けるための飲用のための採水など、サバイバル技術までに及ぶトレールランニング技術を駆使しての死闘の内容は、単純に競技者の競争的な話ばかりではなく、相互に競技者を守るタラウマラ族の慈愛に満ちた場面が何度も登場する。本書がニューエイジ的な文脈でも支持を受けたのがよく分かる。
この周辺の話は、こちらの分野で著名となった写真家、Luis Escobarによる魅惑的なアスリートや大会の写真を含む詳細なアーティクル(邦訳版)を読んだ方が早いだろう。また、この本についての私の基本的な距離のとり方において、「この本の底流にあるニューエイジ的な要素が無視できないほど濃厚なのです。」と書かれたこの方の書評に近いものがある。なんとなれば、この世界はフィクションを事実として喧伝して売るニューエイジ商売にやられすぎてきたのだ。躰に関わることであれば、特に慎重に行かねばならない。それでも実地検証可能な材料が散りばめられていて、ランニング愛好シーンにはここまで多大な影響を与えてきていることは確かではある。
ちなみに、以下の「パパラギ」、「リトル・トリー」、「ミュータントメッセージ」などの著作は、大ベストセラーで売れまくった後から、完全な捏造と言っても良いものだということが明らかになっている(あるいは、著者が実際の当事者から色々矛盾を指摘されたりして、耐えられなくなってすいませんフィクションでしたとバラしたか)。その時そのタイミングで読んで、真実を示しすものとそのまま受け取り、凄く感動した人も少なくないだろう。偽史やニセ科学と同じで、そういった事実がなかったということは、矛盾を沢山指摘しても、特に支持者に対してそんなに簡単に証明することは出来ない。まだ、完全に否定されたその先には、どんな出鱈目であったとしてもとても興味深いストーリーだし良い寓話だ、書いた人間が間違っていても作品は悪くない、どこかに真実を含んでいるのだろう、みたいな擁護が必ず発生する。それを否定するのは容易ではない。最初からフィクションですってやれない行為自体が狡猾であるという所と偽りの明後日の話で実際に存在する人達の名誉を守れるわけがないし、検証からフィクションならまともな情報としては遠ざかるだけ。最後には、捏造の楼閣の上では、フィクションで儲ける作家と出版社以外は誰も得しないと思う。
パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 (SB文庫)エーリッヒ・ショイルマン,Erich Scheurmann/SBクリエイティブundefined
リトル・トリーフォレスト・カーター/めるくまーるundefined
ミュータント・メッセージマルロ モーガン/角川書店undefined
Mutant Message Down UnderMarlo Morgan/Harper Perennialundefined
こういった話は、これまであった売上のためのニューエイジエッセンスや「高貴な野蛮(noble savage」と呼ばれる商業路線を狙った捏造本の数々を見れば、ある程度は差し引いたり捏造が含まれるなんてこともある。「高貴な野蛮」とは 自然礼賛および、同時代の文明批判、ギリシャ・ローマのお手本からの脱却、といった流行を利用し、文明化された西欧人が失ってしまった様々な美徳を未開社会の人たちが持っていることを称揚するといったシロモノで、プリミティブな民族にキリスト教で言うところの無原罪を見るみたいなのは、割と古くからあるネタである。この構造路線を使って作られたベストセラーは、何度も現れてくる。で、一通り売りまくった後、捏造がバレてテヘペロで終る。
ただ、Born to RUNについては、実際に3つめの物語にあるような、実践的な走りや大会の記録や存在に繋がるもので、このあたりは、検証が簡単ではない捏造本とは一線を画すものだ。何しろ、「だったら走って見せてみろ」に対して「はいよ。走ってみせるよ」みたいなすさまじい距離距離の大会は、実際に開催されている。面白いのは、スポーツメーカーではなく、パタゴニア(大した額ではなかったがシー・シェパードをフォローしていて少し騒動となった)などのアウトドアメーカーがむしろそれをサポートしているという所。
私自身、「高貴な野蛮」補正というのは、結構慎重に見ていないと罠にハマる場合があると感じたことがある。あるときに奄美大島でシシサミットというイノシシの研究者や獣害対策関係者など集まったフォーラムが開催されて、そこに台湾の狩猟民族がゲストに招かれていた。
「日本で鳥獣被害が起きている理由がわかりません。肉の塊が向こうから歩いてきてくれるのに。」
「最も優れた狩猟者は、巧みに獲物を捕獲できるものか、上手く公平に獲物を分配できるものか、掟を守るものか。答えは最後の狩猟者です。」
「一人の狩猟者が捕獲できる獲物の数は決まっています。でもそれは貸し借りできる。」「奥さんが妊娠中は猟は禁じられる。」などなど。局所の資源を捕獲慣れ個体の発生を極小化しながら利用していくための知恵とは、そういうものであることは確かだと思う話がドンドン溢れてきた。どれも私のような感動性痴呆症の人間は「おおー」と思うような話で、また、タイミングよく聴衆も笑わしてもらえる。それでも、話慣れているのが私にもよく分かった。
その後、先輩研究者と一緒に飲んでいたら、彼は私にちゃんと釘を差してくれた。彼等が海外からお呼びがかかり、色々なところに呼ばれて、彼等が提示する話の中で、ウケる話とそうでない話の選別が進んで、これは、ウケるツボみたいなものをはっきり理解して話しているという状況にある結果だと話してくれた。彼等の言葉の真偽を疑うわけではない。捏造や虚偽ではなくても、先進国の聴衆の前で話すことに慣れれば慣れるほど、「高貴な野蛮」の構造を持った話というのは、洗煉されながら自動的に強化されていくのだとことは知っておく必要がある。事実という抑制されるタガを持たない当事者でもない人間が、ウケることがそのままビジネスに直結する状況にあって、誘惑に負けずにフィクションを膨らませてるのを我慢するのは不可能だろう。トンデモの主催者の話が、最初よりもドンドントンデモ度が上がり、強固な信者さん以外、暴走してすぐバレるような話をどんどんするようになるのは、最初に毒りんごに手を出してしまった人間である故、必然なのだ。
でも予備知識無くていきなり読めばと魅力的な話と感じる人は少なく無いだろう。著者にとっての某かの理想が描かれていて、その力は決して弱くないのだ。
ついでに、ちょっといろいろ調べる内に思い出した書籍。こちらはタイトルみればマラソンの話限定と読み違えそうだが、長距離ランの話だ。不整地をサバイバル技術を含め100km以上のトレールランニングを考えていくと、基本ターマック(舗装路)かトラックを走る40km程度(!)のマラソン射程内での分析の延長では限界があって、この本にはそれ以上のものが含まれている。特に今のマラソンは、超高速で走る絶対スピードランニング技術が必須で、短距離走のような様相を示しているからなおさらかも知れない。
42.195kmの科学 マラソン「つま先着地」vs「かかと着地」 (角川oneテーマ21)NHKスペシャル取材班/角川書店(角川グループパブリッシング)undefined
「長距離走破と生物学」となると、バーンド・ハインリッチを思い出す。私が「ウルトラマラソン」など尋常でない距離のランニング競技の存在を知ったのは、彼の邦訳本のどちらかのあとがきだったと思う。ハーバード大進化論総合学説の旗手であったエルンスト・マイヤー の薫陶も受けたバーンド・ハインリッチはバーモント大学の動物学、生物学分野の教授であると同時に最強の100kmウルトラマラソンランナーでもあった。マスターズ部門では世界記録も叩きだした。
ワタリガラスの謎バーンド ハインリッチ /どうぶつ社null
ヤナギランの花咲く野辺で―昆虫学者のフィールドノートベルンド・ハインリッチ /どうぶつ社null
これらはワタリガラスが餌となる動物の死体を見つけた時に、なぜ分前が減るのに、仲間を呼び寄せるのか?という疑問を解き明かしていったり、熱電対で昆虫の体温を測りまくったりする、彼なりの行動生態学のアプローチを示したスリリングな名著だが、今、アマゾンで値段を確認したら、当然古本屋さんの出品しか無いのだが、「ワタリガラス〜」の方は、なぜだが古本が全て12,000円を超えていた。プレミアムが着くとは思えないので、ええ〜???!!!ってなった。考えたら、出版元であるどうぶつ社は活動を停止している。リクエストが多ければ復刻される可能性はある。私にとっては、ワインハウゼンの猫本よりこちらの方がずっと大切な本ではある。
で、ついでにこの本である。独断的で相互に十分関連付けられてない思考が散りばめられてるけれど、情熱的で、魅力的で興味深く、奇特な人である彼は、不思議なインスピレーションを与えるとあちらのレビューにある。そんなぶっ飛んだフィジカルエリートの彼も'Endurance running hypothesis'について、早い段階で考えていたようだ。
Why We Run: A Natural HistoryBernd Heinrich/Eccoundefined
注意しなければいけないのは、邦訳本のこっちは、"Why we run?"の邦訳ではなく、それ以前に出版されていた"Racing the antelope what animals can teach us about running and life"の邦訳版。前者は後者に生物学的なものを加えたものであり、肝心の加筆された部分は全く含まれていない。どういう経緯があったのかわからないが、結果的に混乱する上に、訳者、出版社はハインリッチがやって欲しくないことをやってしまっている。
人はなぜ走るのかベルンド ハインリッチ/清流出版undefined
ベアフット・ランニングの夢とサイクルトレーナーを夢想することが、退院するまでの焦る気持ちを楽にしてくれた。取り敢えず、どちらも安く手に入れることができて、ゆっくり始めている。想像以上に体がなまっているのを思い知らされて、始動はゆっくり行くしか無い状況。
病院までベアフットランニングしたらまだ早いって叱られてから、歩くようにしているが、その前に、耐えられないほどの筋肉痛が襲ってきた(当たり前である)。スタッフの一人に「お医者さんにちゃんと訊いて走ろうね。」って言われたので、「だって、貴女の息子さんだって、だいたい言うこと聞かんでしょう。男の子だったらそんなもんすよ」って言ったら「危ない危ない、納得するところだった」って言われて余計、怒られた。
まだ、私の場合、本気で練習できないし、折れた鎖骨に負担が掛からないように手放しで漕ぐ必要があるが、結果的に26インチのママチャリライクGIOSのスタッガードフレームクロスバイクをサイクルトレーナーにセッティングしてかなり具合が良い。最初は700cのMeridaのクロスバイクをセッティングしようかとと思っていたが、末っ子も含めてみんな、面白がって乗る状況になったので、こちらの方がシートが広くてエアロバイクみたいにどかっと座って漕いでもお尻が痛くなりにくいので、彼等には良いかなと思う。とは言っても、チャリに慣れていて体力のある末っ子は、立ち漕ぎ全開で漕いだりしていた。Giantのこのモデルは比較的安価なサイクルトレーナーだが、音も静かな方だと思う。
気がついたら、我が家の誰かが思い出したように漕いでいる。息子たちはどちらかと言うと全員インドア派なので、誰にもで遇わず、こっそり躰鍛えられる方が性に合っているようだ。
サイクルトレーナーは、もっと抵抗が大きいものと思っていたのだが、滑らかに高速回転する。しかしながらケイデンス90rpmって相当きつい。別に競輪選手になるわけではないので、これで20分位漕げれば、そんなに恥はかかないだろうッて感じのトレーニングにはなるがとても無理。♩=120のKenny Loginsの'Danger Zone 'のテンポ1/2で走ると60rpmだから、最初はそれで30分〜1時間ぐらい漕ぐあたりから。病院ですっかり筋肉がなまってしまって、まだ着替えも、完全には自分一人では出来ない。回復は遅い。いきなりは我慢して、まあ、ぼちぼち行くことにする。
追記-さすがインスタ探すとこのランニングのパラダイスシフトについてのアカウントがいくつか見つかる。わかりやすい動画や図解もたくさんあるので参考にしやすい。
あと、最近の研究で、人類には地磁気を感じる能力があることが明らかになったが、これなどは長距離移動する動物には必然の機能なので、上記の説を強化することになりそうだ。
追記ー平地ではないフィールドでの長距離走走破能力に男女差がないという知見は、この事実を裏付けるものとも考えられる。先史時代は女性も狩りをしていた。9000年前の女性ハンターの墓が発見され「男性が狩り」の定説が覆る可能性(ペルー)
色々失礼ながらカラパイアかぁ?!という人がいそうなので、こちらが原著論文。狩猟については女性が男性と同等かそれ以上にやっていたという仮設は、検索すると2014年ぐらいから邦文記事でも度々紹介されている。
ご参考までに。
追記2-末っ子が、フィジカルエリートの友人に囲まれている状況にある。彼自体はスポーツ関係の部活はやっていない。でも、各種スポーツを得意とする友人たちからは、彼の取り組み方の真摯さや楽しさもあっていろいろ教えてもらっているようだ。ちょっと前はバレーボールだった。最近の回では陸上部の友人からのランニング技術があって、彼は結果的に友人からフォアフット・ランディング・ランを教えられ、見事に自分のものにしたらしい。「なんか、何も考えなくてもフォームを変えたらスピードが乗ってしまってすごく走れてしまった」そうで、我が身で実地検証が既に終わっていて大したものだなと感じた。 なので、そういう成長段階に既に立ってるのだなとこのエントリを、読ませたら、頷きながら読んでいた。自分の息子がこれを読んで理解してくれるまで成長したということ自体、ちょっと嬉しかった。
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神秘体験
http://complexcat.exblog.jp/24025112/
2015-02-22T22:21:00+09:00
2023-06-25T10:04:13+09:00
2015-01-18T17:51:00+09:00
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Cat Kick Dragon Fist
かなり昔の話だが、まだ大学院生だった頃、友人から「そっちに居る霊能者におふくろがハマっている。色々心配なのだが、どんな相手かなにかわからないか?」と言われたので、当時、好奇心だけで生きていた私は、何のリスクも感じず速攻でそこを訪ねてみた。まあ、単純すぎたのだなと今は思う。通っていた道場も、微妙な領域の人の出入りには事欠かなかったし、霊山にあった大学の研究所の常駐の先生は、退官直前、新興宗教に嵌っていて、私が行くと週末はいつも里に下りてそこで駐車場整理しているみたいな状況で、自分を破滅させる可能性のある領域とは、あまり思っていなかったのかもしれない。ある意味でオウム以前の話。 電話をしてドアをくぐった瞬間その霊能おばさまは警戒心を露わにしていた。あとで話を聞くと、それは意外な理由であった。入ってきた瞬間「同業者」だと思ったらしい。私が何かを発散させていたのか、特に年齢不詳で怪しい雰囲気があったからか、本人にはよくわからない。
で、文句を言われることには「あんた、なにかやってるでしょう。」だった。「普通はその人が私の前に立つとその人の情報が私の中に流れ込んでくる。だけどあんたからは何も見えない。空っぽだ。」「今は、キリストさんもお釈迦さんも何もわからなくなっている時代に入り込んでいるからしょうがない。」詩的表現じゃないのだろうと思ったが、要するにシールドされて霊能者から正体が見えない存在だという。 それ故、同業者ゆえの霊的シールド(?)を張っているのかと思って彼女が反応したということであった。もしかして「オレSUGEEEEE!」状態とかんがえるべきなのか?
もうひとつ、今の時代は、神様が機能停止している神無しフェイズにあると言いたいのかなと言葉の意味を漫然と考えた。「ええと、中国武術を少々やっとります。全然、遊びのレベルですけど。」「ああ、それだそれ。全く余計なことをしてるものだ。」また叱られた。彼女によると、別に武術系でなくてもスポーツは魂を見えなくしてしまうのでろくなものじゃないということらしい。皆、何もせずにゴロゴロしていると、魂がシールドされなくて良い状況が保てるそうです。凄い真理だった。
『RiN』 ハロルド作石 著(別冊少年マガジン2015年3月号, pp.316-317)
彼女が言いたかったことは、多分、このコミックでも描かれている「こういうこと」なのだろうなと思うが、当時は意味がよくわからなかった。ちなみに、私には霊能力どころか、人魂、枕元、予知夢、UFOその他の神秘体験等、ほとんどと言ってよいほど経験がない。極めてオカルト的神秘体験皆無の凡人である。
金縛りはあるが、大脳系が覚醒しても、運動野が上手く目覚めてない状態みたいなのだなと思って、随意運動と不随意運動の両方の領域である、まばたきや呼吸に意識を向けると、その状態から抜け出せれるのを試したりして、実際、多少時間が掛かるが、パニックに陥る前に、なんとかなるのを何度も実感して、そういう状態なのだなと思っておしまい。当然、上から老女が乗っかかってきたり、ということはない。どっちにしても、寝ている私の上は、猫がディフェンスしている。
「わかった、同業じゃないのなら、方法がある。」といったと思うと、彼女は深呼吸して「ふっふっふっふー」とラマーズ法のような不思議なリズムを刻みながら息を吐きだした。ちなみになんとなく、近代太極拳最強の達人、陳発科老師の姪御さん(『拳児』でもすごく意地悪なおばあちゃんとして登場。原作者の松田サン、陳家溝でなんかあったのかなと思ったくらい。)に似ていたような気がした。
その不思議な呼吸を繰り返すこと数分。「よし、ようやく見えてきた。なんにも見えない空っぽの阿呆だったのから、ずいぶんマシにしてあげた。」喜んでいいいのか、よく分からなかったけれど、同業者候補ではなく、多少は普通の人間に近づいたらしい。もちろんここに入る前と同じ自分で、魂に何らかの状態変化が生じていると言われても、何の自覚症状もない。あたりまえか。
その後、色々雑談して(大部分は彼女の今の「本当の仕事」の説明)、ついでに私の運命を教えてくれるというので訊いてみたら「あんた、最強の男になりたがっている。だからそうなる。益体もないが、本人がそうなりたいと思っているのだからしょうがない。まったくもう。」とまた叱られた。ええとバキか? バキのことか? よくわかりらなかった。地球征服しちゃったりする気はないし、何の話だろうか?と当時思ったが、これも未だにわからない。とりあえず、まだ、天下一武道会に出たり、ショッカーとかは作ってない。少年期、国際救助隊サンダーバードみたいなのは作りたいという野望は持っていたけど。
「あんたの周りは霊は何も寄ってこない。」「魂がうるさいから」とも言われた。歩く魔除けか? 好きな話なら、許されれば、一晩中話したりしているから、なんとなく分からんでもないが。これも喜んでいいのだと、自分的には解釈した。そうか、神秘体験皆無なのには理由があったのか。
「霊が寄ってこない」 魂が煩いから。
彼女の本当の仕事の話だが、各地に封じ込められている神を開放するために、オーストラリアに行ったり東北に行ったりしているらしい。この発言と行動は、以前NHK「驚異の人体シリーズ〜脳」で、統合失調症と同じ脳波の状態(おそらく変性意識状態をいう解釈っぽかった)で普通に話をしているという沖縄のユタが、統合失調症状態にあった時に神様が封じ込められていてそれを開放していないことをずっと謝り続けるような意識状態になっていたと独白するシーンが有ったが、それと全く同じだった。同じ頃、武術系の師匠が、「いやー妙なおばさんに出逢ってな」な、と話してくれた霊感商売の女性も全く同じ行動原理で動いていて(あるいは動いているという話をする)、神秘主義者において非常に興味深い何らかの共通タイプみたいなのだが、なぜそういう発想と行動原理になるのか、私にはこの件について分析する知識と能力はないのでこれはこれでおしまい。
ちなみに件の霊能おばさまに入れ込んだ友人の母上は、程なくして離れられたのだが、後日「あの方は『アウト・オン・ア・リム』を書いたシャーリー・マクレーン(ヒッチコックの映画にも出ていた米女優)のような経験をしてあのようになられた。」とおっしゃっていて、「ただの平凡な女性が、とある神秘体験をしてその結果『覚醒』する」エポック的なものがあの著作にはあった。要するにシャーリー・マクレーンの手記は、あの世代で、オカルト的な人生を歩んでいる人にとっては、一つの「成功モデル」として流布されていたのかもしれないなと思ったりした。
友人には「まあトンデモなく強引でも悪質でもなかったし(実際には、友人は家族に降りかかった不幸についてかなり色々霊障的なことを言われて相当怒っていたが、私は当時、そのことを知らなかった)、見た目金にも執着してない人みたいだ。母上、離れた方がいいと思うけど、差し迫ってやばいかといえば微妙かも」と伝えたら、友人は了解していた。その時、その友人の祖父が祈祷師で、結構狐突き落としなどもやっておられたらしく、そっちは民俗学的なお話の材料なのだが、件の霊能おばさまは、実はその祖父上のかつての弟子だったという話を初めて知った。その後、霊能おばさまは、まだご健在なのか、その弟子の方が育ってどこかで活動しているのかわからない。他の霊能師の方々も、一瞬私を見て、霊能シールドを張った同業者だと思うのだろうか。それならそれで、なんらかの再現性があってなかなか興味深いなと思うのだけれど。
ということで、私自身、今日まで生きてきて神秘体験は皆無ですが、ちゃんと「理由」があるらしい。私にとっては、西表島の山中で真夜中にイリオモテヤマネコに出会った、チコが我が家に辿り着いた、亡くなったコウチンを送るような鳴き声を、その墓に向かってあげていた、そういう瞬間が神秘だということで、霊は寄ってこないが猫は寄ってくる体質のようで。非常にありがたい。当時の予言には猫のねの字も含まれていなかった。あれば、結構評価高かったのだが。
以前、義母の知り合いのユタからの伝言を受けたことがあって、「事故に気をつけて」と言われた年にジタンを失ったのは辛かった。私の身代わりだったとは思っていないけれど、以来、そういう話は伺ったりしないようにして、おみくじぐらいにして済ませている。
正月もとっくに過ぎたが、今年は確か中吉だったような。大吉じゃないなと思ったが、それでも、今、チコが元気を取り戻して、最も難易度が高かった野外実験も無事終了して、とりあえず、まあまあの運勢なような気がしてきた。
とりあえず予言ぽいものを考えれば、我が家族は猫とともに暮らすだろう。ちょっと先の大学受験の選択肢で、もしもこの家を出ることになったら、自分にべったりのユッチはどうしたらいいだろうと、長男が悩んだりしているから、きっと間違いはない。
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剛体化と柔体化 #2〜発勁と勁道のモデル
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2011-08-02T22:02:00+09:00
2011-09-26T07:47:53+09:00
2011-07-30T23:00:46+09:00
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Cat Kick Dragon Fist
前回エントリ「剛体化と柔体化 #1」から,かなり間が空いてしまいました。今回,ここでは,発勁と勁道についてのモデルを考えながら剛体化と柔体化の意味とその制御のタイミングについて考えてみましょう。
あんまりイラストに自信がないので,これまた,あんまり自信のない樹脂粘土を使っての3Dモデル。え?人形(ひとがた)でなくて,猫じゃないかって? いえね,人形のものも作るの苦手なんで^^; もちろんうちの息子たちが作ったものではありません。彼らだったらもっといいものを作るでしょうが,好いおっさんが作ってこのレベルです。リアリティはありませんが,味だけはあるでしょう。ごめんなさいごめんなさい。
双方,対峙するはニャン拳の使い手が二匹。太気拳のような這(はい)の構え。
さて発勁ですが,確かに発勁で打たれると飛ばされます。最初にプロテクターなければ致命的な怪我を負うか,壊れますので,発勁はプロテクターなしで受けたことはありませんが,その後,自分の体が地面から引っこ抜かれるように吹っ飛んでいくエネルギーは,どんな突き技,蹴り技でも考えにくいタイプのものです。
師が「ほい!」という掛け声のもとにあっさり打ち出した拳は,二重のプロテクターを貫き,その瞬間,飛ばされることを予想して,それが来たら蹴り技ででも反撃してやろうと思っていた私の躰を死に体に変えて床から引っこ抜きました。そして私の躰は,暴力的な飛ばされ方をした結果,数メートル後ろにおいてあったソファーの上に頭から落下しました。多分,師の拳はそれでも加減がなされていて,完全発勁ではなかったと感じました。発勁の場合は打たれたことがあるゆえに,もしも技を拝見できたら,残念ながらそれ違いますっていうのは分かる場合もあります。師の門派はここにはかけませんが,武技の個人的なお付き合いの中ではお話させていただいております。
逆毛立つ衝撃を受けながら,接触時間がものすごく長い感じがしました。はっきり言って私が飛ばされるのに合わせて,師の体が高速で着いてくるみたいな感じ。 ここで,人間の体を使って最大威力の加撃をどうやったら効率的に相手に加えられるかということを考えてみましょう。
人間の肉体を武器に変え,それを相手にぶつける,そんなに難しいことではないような気がします。人の体重50〜60kgの体重と同じ重さのハンマーを振り上げ高速でぶち当てたらどうなるか。素材にもよるし,どのようにどれだけ加速するかという問題は小さくはないのですが,ともかくそう考えれば,ものすごい加撃をあたえるであろうとことは,なんとなく想像できます。で,問題は誰がどのようにこのハンマーを高速で振り回すかということです。振り回されるハンマーは,この思考実験では本人自身の躰ということになるので。
まあ,ハンマーの形はちょっと極端だとして,猫の形をした水袋みたいなものが高速で振り回されたとして,それでぶちのめされたらというようにちょっと修正してみましょう。これは効きそうです。これはフライングボディプレスみたいな重力で仕事させるとしたらものすごくジャンプして相当高いところから降ってこないとダメでしょうし,やはり相手の急所に点として攻撃しないとぶつかるまで急所全体を晒すみたいな技はありえないわけです。
ちょっと話がそれますが,体当たりというのは,単純ですが,ものすごく威力を持った技です。相撲の立会いでの両者に掛かる衝撃が数百kg〜1tに達するというデータもあったかと思いますし,アメフトのショルダーアタックは,まともに喰らえばプロレスラーでも簡単に KOされるというのは,結構知られるところです。試割りで杉板をぶち割る方法で,一番簡単なのは,拳を鍛えておくのは前提として,腕を前に出して握りこぶしを握り,そのまま走って突進し,最高速度に達するぐらいで杉板に当てることです。要するにパンチの格好を固定したままの体当たり。
問題は加速するために距離を取らねばならないし,加速に時間がかかるので,相手に近距離から瞬時にぶち当てることができないため,武術として機能させにくい。相撲の技術で達成されるような距離が限界で,それも相手に変わられたら(身を躱されたら)自爆技になりるか,連続攻撃ができないので,不発に終わります。で,もう少し近距離から瞬時に,高速ダッシュの最高速度と同じ運動量を持たせられるような技法が中国武術(特に八極拳系)や他の格闘技にも存在しますが,そういった靠撃は体当たり的に見えますが,そんな単純ではありません。加撃に使っているのが肩から背中であるというだけで,実は一般的な拳擊と理屈は同じです。「至近距離からの突進」みたいに書いているテキストは,八極拳の勁道や術理を理解していません。だったら,相手に躰くっつけたまま距離0で突進してみてください。ただのおしくらまんじゅう以上の威力は出ないはずです。それって寸勁が使える中国武術が本当はイメージできないからだろうってな話です。
あ,ちょっと話がそれてしまいました。さて,瞬時に加速して高速で全体重をぶつけるみたいな技法は,ここまで述べてきたように大きな威力を生み出せる可能性があるのですが,加速分の距離をとって,ダッシュして体ごと体当たりというのは,一発でおしまいで,まあ,自爆技になりやすいので,武術としての要件を備えているかというと,かなり限定的です。誤解を恐れずにいうならば,必要な方法は,瞬時に,相手との距離がほとんどない状態でも,好きなタイミングで制限あるものの,連続的に,同じダッシュで最高速度に達するかそれ以上の速度での体当たりを達成する技法が勁道を使った打ち方,発勁ということになるでしょう。
例えば,ドロップキックのような飛び蹴りしてもそこで踏み切る速度でしか躰をぶつけることができないので,実は非効率的です。基本的に踏切時の速さですが,ベースボールでもスライディングというのは加速ができない状態を作るので,速度的には踏み切った直後で頭打ちで,格闘技的な要素で守備を圧迫したりすり抜けてタッチする技を無視すれば,滑り込まず走り抜けろということになります。
つまりしつこいようですが,武術的な距離では,スライディング,フライングボディアタック,ドロップキックという形の踏み切り型の「体当たり」というのは加速にしても力積にしても限界があって,また相手の急所に誘導ミサイルのように加撃できる突きや蹴りに比べると,自由度や加撃を外された後のリスクも背負ってしまう弱点を持っています。要するに連続攻撃はできない。また,胴回し蹴りのような高速で回転する空中回転浴びせ蹴りか踵蹴りで,加速空間を稼ぐみたいな方法も,倒れた相手に加撃できるルールだとやっぱり限界はありそうだし,そもそも人を何メートルも飛ばすほどのエネルギーを生み出すのは難しそうです。
今回は,陳氏太極拳の勁道(発勁のための力の生み出し方をしたときの体内でそれを作り出す道筋,勁の流れ)とそれによる発勁を例にとってみたいと思います。八極拳のそれでも,類似の部分がないわけではありませんが,はっきり言えば勁道は違います。究極のヤラレ役経験は役には立ちます。
で,次に考えてみたいモデルは,鞭モデルです。鞭自体はここで戦っているにゃん拳の使い手と同じ質量を持っています。鞭モデルでは,最初に躰全体と比べると遥かに質量の小さな部分を,それゆえに小さく高速で動かすことで連続的に力が伝達され,先端では超高速で相手に加撃を加えます。ただし,先端は音速を超えたり,痛かったり肉は裂けますが,相手を吹っ飛ばす程のエネルギーを持っていません。最終的な可動部分は軽いから。逆にそれ故に,その最初に稼動された部分の質量よりも遥かに小さな部分に力が伝達されて,高速で相手を襲うわけですね。
ブルース・リーが中国武術の拳は「鞭」で空手は「鉄の棒」だといったセリフから誤解されていますが,これはそれぞれの武技の特性ではなく,そういう使い方として使われ得る場合もあると考えたほうが好いと思います。古式の空手の戦闘理論は,実際のところ中国武術でないと言えない部分はないと言えますし,棒の手みたいな使い方は別にあるにしても,基本は王道の拳。
そう,求められるべきモデルは体当たりなので,鞭の先端がぴしゃンと当たっておしまいということでは叶いません。痛いし,肉は裂けるかもしれませんが,相手が筋肉の鎧で固めていてそれを撃ちぬいたりということはちょっと難しいかもしれません。
で,さらに進化させた鞭型水袋モデルというのを考えます。高速で複雑な動きをしながら相手に加撃を与えた鞭の先端は,相手の加撃点にそのまま固定されて,その後,鞭全体の質量が更にその過激点に向かってぶつかってくる,そんなイメージです。人間の体が水袋みたいなもので,剛体,柔体を変化させられるというところで,鞭の先端は相手にめり込みますが,これは鍛えられた拳だとすると,実際の鞭の先に固いものがくっついていると考えたほうがいいかもしれません。ただ,掌打などを考えるともっと複雑ですね。で,その後,高速でぶつけられる水袋のごとく本体の質量全体が襲ってくるみたいな状況。
中国武術の打撃が,「まず殺し」その後圧倒的な運動量により「飛ばす」と言われるのは,実際に発勁で打たれると,ものすごく接触時間が長いのです。剛体化は,水袋的な鞭が一本の槍に変化する最後のタイミングなされるならば,絶妙のタイミングということになり得るかと思われます。
で,目指すべくはこの鞭型モデルによる力の伝達と更に体重全体そのものを体の中に鞭を作るということです。
太極拳系の套路ではある段階になるとブルブルと,あんた痛風か,それとも蟲でも湧いたんか?というようなくらい,拳の先端をものすごく複雑にプルプル震わせて拳を撃ち出す動作を行います。なんであんな動きをするのか,意味も機能もさっぱり分からんわけですね。普通の打突を想定していたら。あれは,勁道が出来上がったら必然なんですよ。
勁道の開発とは,体の中の力の伝達経路をムダのない一つの鞭の動きとして作り替えていくということです。そして,その鞭の作り方,力の伝達増幅のための躰を連動させた結果の動き方自体は門派によって異なります。いわゆる勁道が違うというやつです。腕を,躰を鞭のように使うではなく文字通り鞭に体の中をうねらせるように使っていく,そしてそれが相手に接触した後は,拳足や肘や鞏はその先端部分の作用点でしか無いわけで,それだけは終わらない,高速で躰のモーメントがすべて相手に向かって投げ出され,という打撃を可能とするための動きが終局的には求められるものとなります。太極拳の場合は纏絲勁と言われるように体内に複雑な大蛇がうねるようなねじ巻き型の伝達経路を創り上げるわけですが,このねじ巻き型のうねりを練り上げていく過程においても,最初はゆっくりと大きくうねるようにムチを振り回すのを,高速でコンパクトに振り打つような段階的な勁道の使い方の変化も求められねばなりません。それは,少しでも短時間で小さなうねりで済むように勁道を徐々に変えながら,威力を上げていかなければ戦えないから。初心者には鞭をコンパクトに振るのは無理です。まず威力を出せるように一定のリズムで大きくゆっくり振る。おもいっきり大きくサンドバックを揺らせばいいわけではないので,大きく降っていた鞭が,やがて殆ど無駄な振幅をせずに一本の棒のように相手を襲っていくように作り替えていかねばなりません。
最後に,自らの「全ての重さ」が武器になることの凄さは良いとして,この変幻自在の重心の移動変形を繰り返すムチを「振り回す者」はどこに存在するかということの謎がここまでのモデルでは残ります。これは,まずは足裏が発動の端緒になっていて,地球という質量が途方も無いものとの接地面を強化することで,まあ,地球にスライム型の鞭を振り回してもらう(ような動き)ということが回答になります。
相手は自分に飛んで来る時は細く鋭く,そして接触した途端にスライムのように前質量がふくれあがって襲ってくる鞭を振るう地球の質量を持った巨人の攻撃を受けるわけです。当然強い踏み出し,強い震脚による地球との反発によりその投げ出し方は威力を増しますし,地球への固定,一体化も強くなり,威力も上がるということになります。あなたの体重が40kgだとして,固く鍛えた拳が先端についた重さ40kgの水袋がぶつけられることになるわけです。
極論すると打突系の技は皆,体重が乗ってくる,すなわち腕だけが飛んで来るわけではなく,体重がそれに乗って威力をなすわけで,そのためのフットワークや体重移動が重要なのはボクシングだろうと空手だろうと同じことですし,体重が上がれば,パンチの威力が増すというのは,実際にそういう事で,腕の重さや筋肉量が増えることによるということではないわけです。それでも密着した状態で距離0の状態から打ち出せるのは,加撃ポイントから最も遠い打撃者の足裏から発動した力が,加速,威力を上げるべく勁道を通って相手に撃ち込まれる事によるわけで,運用としてはかなり極端です。ただ,そこまではいかないもののボクシングでもショートパンチは使われるし,実際にボクシングの勁道というものは人により微妙に違いながらも,やっぱり存在することは確かです。空手にいたっては,古式の戦闘理論を検証するほど,誤解を恐れずに言えば,中国武術そのものであることを再認識せざるをえないものであり,やはりそれに特有の勁道も寸勁も元々あるわけです。
ちなみに纏絲勁についての参考資料としては「陳氏太極拳図説」が最古の資料となるわけですが,陳氏十六世陳鑫及び,その周辺のイラスト作成能力がもうちょっとあれば,といつもそれを眺めながら思うのですが,秘伝がそのまま開示されているわけではなく肝心の部分は隠されたりしているので,まあどちらでもいいことなのかもしれません。
松田隆智原作・藤原芳秀作画「拳児」より。
今回は一種の纏絲勁(陳氏のそれとはモデルで説明する以上,実際には同じ意味ではありません)で説明をしましたが,中国政府が軍事技術としての格闘技におけるコアテクノロジーとして,完全軍事機密として政府の管理下にあるとされる門派の中に,陳氏太極拳は入っていなかったと,そのリストを見た師がおっしゃっていました。そのことが何を意味するか,まあ,優れた武技は大陸にも色々あるということです。]]>
剛体化と柔体化 #1
http://complexcat.exblog.jp/15229892/
2011-04-18T08:03:00+09:00
2011-04-18T13:51:18+09:00
2011-04-10T18:51:28+09:00
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Cat Kick Dragon Fist
毛布に足突っ張ったりするこの寝姿は,猫と暮らしたことのある人ならご存知だと思いますが、彼らに取っては,かなり小さいときに学ぶ基本フォーム,一種の反射にもにた親に運ばれやすい姿形ですね。
多くの哺乳類で,特に肉食獣やノネズミ類の仔が,母親に銜えられ運ばれるとき,一種の反射のように取る姿形かと思えます。実際,底足反射やバビンスキー反射みたいに,仔が親のケアや銜えられての移動に対応した姿形です。親にキャリング冴える動物では,仔の背中〜首筋を掴んだときに,これが消失する日齢が割とはっきり観察されるのですが,そのXdayが親の育児と仔の成長と発育の生活史とリンクしているところが,また興味深いのです。
仔を持ち運ぶ側の親としては,仔がぶらぶら重心が定まらない水袋のように脱力されるよりは,コンパクトかつ重心が移動しないような剛体化してくれた方が疲労も少ないはずだから、この姿形は理にかなっていると思います。要するに仔の側も,親のキャリングに協力しているという話。
甲野善紀氏による古武術の介護応用ですが、持ち上げようとする相手が水袋にならないようにするというところがポイントです。
具体的には,水袋の一部分に強い力をかけない(重心が移動するから),重心が下がらないように,遮断する=そこより下に重心が広がり暴れないような支点を作る(太ももに載せる)。そして重心がまっすぐ下にかかるように誘導する,相手より自分の方の重心を低くする,など。車いすの人が,気を失っている(柔体化している)と,この作業は出来ないので、実際,子猫と同じように介助する側に対しての効果的な協力を,車いす側の人から引き出すための手順とも言えます。完全に柔体になってしまった人をこのように扱うのは,無理です。
例えば、太極拳における抜重,脱力は,相手が数十キロの水袋を持ち上げねばならないような力の出し方に誘導するように体を変化させることによって、相手を崩したりこちらへ及ぼそうとする力を無効化したりします。太極拳で云うところの『捨己従人』は,剛体化の逆をやるわけです。合気道などのデモでも持ち上がらない体みたいなのを子供に教えると,結構素直にそうしてくれて上手く行く,大人は半端に疑うので剛体が中途半端に残るので失敗しやすいと,私が学生のときに植芝盛平翁の印可を受けられた方からお話を伺ったことがあります。
次回は,発勁,寸勁のメカニズムと密接な柔体のモデル,水袋モデルとその発展モデル(鞭型の水袋)を考えてみましょう。]]>
仰臥からの脱出(Ground escape)〜中国武術になぜ寝技はないか
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2009-09-25T22:51:00+09:00
2010-10-21T20:07:10+09:00
2009-07-19T17:25:26+09:00
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Cat Kick Dragon Fist
この‘Cat Kick Dragon Fist’カテゴリは,基本的な護身テクニックについて書いたり,思いつきの武術論考を書き散らしておりますが、しばらくこのカテゴリ書いていませんでした。私が信頼すると同時に過分にも評価もしていただいている武術への造詣が深い方がネットを休まれているので,その間,このカテゴリーを書くのも何となく控えておりました。あと,もう一つ,特に護身分野の話はいろいろ迷いが出てきておりまして,エントリ・テーマとしてはいくつか持ちえながら,忙しさもあって中断しておりました。
迷いというのは,誰もいやな思いをしない世の中を真に求めるならば,こういう護身的エントリの意味が果たしてどのくらいあるのかなという気がしてしょうがないわけです。世の中,騎虎の勢いで痴漢や暴漢と殴り合いをする方がはるかに簡単な場合もあって,そうじゃない社会的な動きの中で勇気を持つことやそのための努力,戦い方のほうが何倍も難しく,重要なのだということが,私自身分かってしまっているからだと思います。
また,護身術論は,こういう暴力に対してはこうやって抗え,脱出しろと云うそれを使えない人は,やられてもしょうがない的な空気を生み出す危険性もあります。それが暴力被害者にとっては新たな自己責任的な圧力に成り得るというのを感じるので,格闘ノウハウについてのテキストは,存在そのものが屡々傲慢な暴力に成り得ます。
それでも,この分野は,終局的には自分の子供達を含め誰かに役に立つ技術として積み上げていきたいと考えている私のライフワークであり,書くことは思考を発展させることの手助けになるので、私の稚拙な関連論考であっても,少しは先に進める手がかりになると思ってちょっと書いてみます。 私は自分の愛する人たちが武技を使って暴力常習者と戦っているシーンを想像しただけで,絶望的な気分になり吐き気がしてくるヘタレなので,基本,この分野については大いなる自己矛盾を抱えていることも,この際,告白しておきます。
さて,今回のお題目は仰臥状態で襲われた時の対処法ということです。考える中で、中国武術には,基本的に寝技で相手を仕留める戦闘技術がほとんどありません。地に固定した後決めるのを例外として,皆無と言っても良いと思います。関節技も立ったまま極めるか、相手が地に倒れた時には勝敗は決していることになっています。上の動画にある地躺拳は地に伏して戦う武術と誤解されるようですが,地を転げ回るような拳や蹴りは基本的に立っている相手に対しての攻撃であり、寝ている相手を攻撃する技ではありません。また,このような門派の戦略は,仮想敵となる相手が寝ているものを対象にはしていない立ち技を使ってくるのが前提だから成り立つわけです。
カムイ外伝の一エピソードに,行方不明となっている剣客である父を捜す少年の話が出てきますが、その父親が振るう剣は,秘剣「草薙地舞の太刀」。地を転がりながら相手の足を切り落とし下からの突きなど繰り出されるもので,これも地に伏して襲ってくる相手を想定した剣は無いという剣技の盲点から生まれた剣術ということになっています。
地躺拳のような門派に寝技を仕掛けたらどうなるかなとちょっと考えたりするのも面白いのですが、何故に中国武術には寝技が無いのでしょうか。
いくつか理由を考えてみましょう。
1)武器を持った集団戦闘において寝技は自殺技にしかならない。倒れた相手にまだ戦闘能力が残っていたとしても,上から太刀なり武器を振り下ろせば勝敗は決する。相手が小刀でも持っていたら、あるいは,組み付いている背中にいきなり別の敵から襲われるリスクを冒してまで,組み付いて仕留めるという発想は生まれなかった。
今でも自らが倒れ込んでしかける技を「捨て身技」と言いますが,武器を持った複数の敵と対峙しているという前提だと,自分が地に伏せる状態で戦うことを想定するというのは,前提条件如何によっては「全く実戦的ではない」ことになるわけです。
2)相手が地に倒れた場合は、既に打突系の加激か,固い地面を利用したことによるダメージを与えられていることが前提なので,畳の上での戦闘のように衝撃を受け身で吸収しながら寝技に移行するという戦闘法を発想しない方が自然。
倒れている状態は,既に勝負が決していると考えるべきで,これは兵器術による戦闘では顕著なはずです。
3)無手の寝技で相手を仕留めるという発想は,畳の上の戦闘で優劣を決するという柔術に顕著だが、無手の技で御前試合や講道館柔道の黎明期などでの「試合」形式の中で生まれた実戦性と考えるべきである。
格闘技の天才であった初代タイガーマスクこと佐山聡氏は,グレーシー柔術が脚光を浴びているその時に,掣圏真陰流という市街地戦を想定した格闘技というか武技を「開発」されました。
不世出の格闘技の天才であるだけではなくその発想は20年は早いと言われてきた氏の慧眼通りかと思います。前進は「掣圏道」と呼ばれていた時代に,それを検討する機会があったのですが、グレーシー柔術が想定する戦いは条件的実戦性であると読みとった氏は,上記の何でも想定した場合の寝技の瑕疵を述べておられました。「掣圏道」という言葉は,言語感覚に優れた氏がジークンドー(截拳道)からインスパイアしたのではないかと,私は想像しています。
国粋的な思想や直球の発言などから格闘技界にあってその実力を知られながら氏の取り扱いは複雑なようです。またあれだけ嫌っていたタイガーマスクのマスクを被り,タイガーマスクであったことを流派のプロモーションに使われています。古武術的な流派の命名変更も氏のUWF時代からのマーケティング感覚を思い出したりしてしまいました。僭越ながら苦労されているのではないかなと,逆に感じてしまいました。武技は究極には心法と一体化するので,精神世界とのリンクはより強力になっていく部分がありますが,ここでは技術的な面だけに眼を向けたいと思います。
興味深いのは,「ロシアンフック」の命名者である氏との関係の深さか,掣圏真陰流にはロシアの格闘家も多く参加していることです。そちらからSystema的なロシア古武術の戦闘法や発想も流れ込んできていることが容易に推察されます。Systemaでも柔術的な寝技のテクニックは研究されていますが、例えば武器を持った集団戦闘技術を母体とする「実戦」において柔術的な寝技による制圧方法は絶対的ではないことに,氏はとっくに気がつかれていたのでしょう。寝技は瞬時に仕留められなければ,自殺技であるし,Systemaのように自在に床を移動して転げ回る技術がないと自らを窮地に追い込むことになります。
同様に日本の古武術においても,急所打ちなどの当て身技と地に叩き付ける投げ技,倒し技が基本であり,柔術的な技がそこから抽出,進化したのは,先に述べたように,刀剣を使った戦乱の時代が終わり,無手による畳の上での「実戦的な」実験が試行された後かと思います。特に座位の技などは,刀を帯びたり抜刀出来ない城の深部などでの警護などで研究された技が基本であると考えられます。合気道に,仰臥した状態で襲われた場合の対処法があるか確認したことがありますが,基本的には無いようです。大人数を相手取ることまで想定された武技なので,位置取りなども重要で,戦闘理論の中には寝技はないと考えて良いようです。
ただ,できないということではなく,開祖は高熱を出し,いよいよ死期が迫ったときに,いきなりむっくり起きだして「おい,稽古するぞ!」と言い出されたので,高弟の方々があわてて寝床に押さえつけようとしたら,全部跳ね飛ばされたという逸話が伝わっています。「亡くなる直前が最強になる」と公言されていた不世出の達人における一つの伝説ですが。
中国ではそのような畳の上での戦闘の必要性が生じることも無かったので、この寝技がないという特性は,古代中国拳法系では更に強いかもしれません。草原の上ならともかく,平和な時代になり武器携帯が一般的ではない無手の時代になっても,1対1の「試合」形式の殺し合いでも,寝技でしとめるという状況はあまり生まれなかったと考えてよいかもしれません。また多くの中国武術の基本は兵器術をベースにしております。あの太極拳や八極拳ですら,槍術を祖として発展してきた成分も強く,それは,槍が「芸中の王」なればこそ。そのあたりの術理の連続性からも,完全な寝技というのは,各門派の戦闘術のバリエーションとして生じなかったのかもしれません。
カムイ外伝 (6) (小学館文庫)白土 三平 / 小学館
しかし,中国武術修行者に関わらず,護身術的な運用としては,,孤立無援で武器も持たず地に伏したままの状態で襲われたらどうするかという問題は残ります。寝込みを襲われたときの対処とか,護身術として考えるならば,むしろ基本中の基本かと思います。
まともな人であるほど寝込みを教われるなんてのは,想像したくない状況かなと思います。とある流派の世界大会入賞の実力がありながら道場破りばかりやっておられた方の話では,毎晩,どうされていたかというと,包丁抱いて寝ておられたそうです。結果的にそれを使わず,部屋に押し込まれて襲われたのも全て返り討ちにされたそうで,よくやるよなぁと感心したものですが,このエピソードで申し上げたいことは,準備なしに襲われて寝技に持ち込まれた場合の安直且つ効果的な反撃方は,やっぱり武器を使うことだよという実も蓋もない事実の裏返しで,いかに武器を持っている相手に寝技を仕掛けることが危ういかというお話です。バットでいきなり寝ている顔面を打ち下ろすか,飛び道具で離れたところから襲った方が遙かに実戦的で効果的です。ああ,怖い。だから,寝技の実戦性やバリートードというのは,寧ろ立ち技などよりも,相手が武器を持っていない状態が保証されているという条件付きなのです。
ただ,相手が無手なら,基本的な方法を覚えていたら,ある程度寝技は,不利な仰臥からの起死回生の護身術になりえる状況もあるかと思います。ちょっと幾つかベーシックな仰臥で襲われた場合のサバイバル技術に関する動画を見てみます。
ここのSystema派生のマーシャルアーツでは,柔術的なマウントを獲られた状況からの脱出の基礎を示しています。甲は膝でマウントしている乙を前に崩すそのときに,ひじを閉めて前に移動できないようにフックするあたりが味噌です。あとは前に崩して,片手を引き込んで横に倒す。とまぁ,基本ですね。
発展形はこちら。グレーシー柔術などの流れと収斂現象を起こしています。サンボやそのあたりも技の交換があると思いますので,このあたりは,逆に何がオリジナルか私ごとき似は判断がつきかねます。
SYSTEMAの基本戦闘技術にも,多様な寝技の体系があります,護身術的な用法としてだけではなく,柔術的なロシアの誇る武術としてコンバット・サンボにおいては,速やかにテイクダウンを奪うとともに,膝やひじ足首などの間接を一瞬に破壊する戦闘法が基本になっています。これは,近代戦においては,兵士の戦闘能力を奪うことを第一目的としていて,リアルタイムで参戦できなくなる人間を生死関係なく増やすという「効率」の戦闘でもあるからです。小径の弾丸を大量に吐き出す現代的な突撃銃と同じ発想です。
競技化されてもいますので,寝技での間接の取り合いみたいな攻防が続くわけですが,それは柔道などでも見られる延々と続く寝技と同じ,同じ技の熟達者同士の攻防の結果であり,それが実戦的且つ現実的な戦闘法であると考えると,少し不思議な話になるのと同じです。
倒された状態で複数の敵に襲われたときにも対応できるようにするSystemaの基礎トレーニング。マウントされて殴られても,立ち技のときと受けや崩しは同じ戦闘理論の延長と考えて良いでしょう。銃を持った相手に対しても,銃の持ち手の外側方向に転がるというのがFBIなどで教えられていますが,それが理屈どおりにできるためには,このように自在に転がる体術のための基礎トレーニングは欠かせません。
倒れたままでも,打突の流し方やパンチの打ち方など,Systemaの術理のままの技を使えるトレーニングと,相手のコントロールの仕方が特徴的ですが,これも相手が寝技に移行するとしてもそのアプローチの立ち位置を前提とした対応。いわゆる寝技の応酬とかとは違っていて,むしろ中国武術的な戦闘法の範疇と考えることができて,大変興味深いです。
まぁ,今のアルティメットな格闘技のプロ選手などでは,このようなディフェンスで簡単にしのげるようなレベルの攻撃ではないので,そっち方面の経験者に襲われない限りといった方が良いと思います。競技格闘技の熟達者は,決して古武術や軍隊格闘技術で簡単に対応できるなんてこともありません。最初から相手が素人だと,ハードルを下げて護身術を考えたほうが,楽なのですが,自分の経験からあまりそのようには考えたりできないものですから。
中級者編。昔,他流派(一応打突系)との試合で,なんと予想してなかったタックルを食らったので,偶然ですが,この首へのサブミッションを使って仕留めたことがあります。このときも,師からは身体能力は低いのに,不思議な格闘センスがあると誉めてもらいました。運のよい男。
この際だからいろいろ貼っておきます。地躺拳とは,ぜんぜん風格も方向性が違いますが,銃,ナイフなども想定した,Systemaは商売になるので,亜流がたくさん派生してよく分からなくなっていますが,一応それ流のグランドでの交わし方の初心者向けベーシック。
この状態にまで追い込まれたら,よほど心法を鍛えてないと,経験者でもパニックになるのは必須なので,画に描いた餅になりやすいですけれど。伏臥の状態でナイフで襲われた時の基本は,多くの戦闘技術では,相手のナイフ攻撃が死角になるような流れからトラッピング、重心誘導からマウントポジションを崩して,奪刀,その凶器で逆に相手を絶命させるとなっています。こういうのもリーチで不利な小柄な男性や女性が使うのは簡単ではないのですが、さらにフィニッシュの部分は,平和な時代,法治国家でなくても,殺人者といえども相手にナイフで怪我させるということでは,究極の護身術には使えないので、悶絶させてその場を逃げるか,完全に制圧して警察を呼ぶまでの作業ができて初めて意味を持ちます。陳家太極拳の名家に生まれた女性が,二人の暴漢に襲われて,思わず発勁して絶命させてしまい,その直後から,精神を病んでしまったという話もあります。護身技術の運用に際しては,軍隊格闘技術だけではなく,後で訴訟騒ぎや自らが加害者にならぬよう,逮捕術的な技術を持っておく必要があります。
合気道の開祖である植芝盛平翁が,相手を傷つけずに制するを武技における終着点にされたことは,達人故の理想論でもなんでもなく,現代に生きる武術としての究極的な解であると感じ入る次第です。
これ以降の話は,実際に暴力を受けた方にとってはフラッシュバックが生じる可能性もありますので,読まれる場合は御注意ください。
私は,ベランダ越しに暴漢に侵入され,未明,布団で爆睡しているところを襲われたことがありますが、寝技に持ち込まれる前に,跳ね起きて仕留めることができたのは,当時の自分の武技のレベルを考えると運がよかったと思います。襲う直前に相手が「かわつるみ」などといういたらんまねをやっていたおかげで,妙な気配を発してくれたおかげで一瞬で目が覚めて,先手を取ることができたわけです。まぁ一瞬で,といっても賊が自分の部屋に侵入していて自慰行為をしているのを理解するのに1秒弱,どう見ても,自分を性暴力の対象としよとしているのだと判断するまでに多分,数秒は時間がかかったと思います。,相手がじりっと動き出すその瞬間には蹴り込んで先とることができましたが,当時の私は,身長171cm,体重54kg程度,鍛えてはいましたが,あんまり筋肉がつかないタイプで,先輩の彼女とよく間違えられたりしました。無論,このときは,女性と間違えられたわけではありません。
そこでいきなりマウントポジション取られて殴りつけられていたら,あるいは身動きできないように制圧されて,あるいはいきなり凶器で襲われていたら,ほとんど対応は不可能だったでしょう。どうにでも完全に無防備な私を襲えると踏んだところが,相手のミスであったようですが。この手の輩は,こちらが気がついて被害者的に振舞うと,凶暴化する可能性もあるので,もしも余裕があるのならば,冷静に対等の立場で話をするか,あるいはいきなり全開であたるか,どちらかの選択しかないとというのが基本だと思います。私は若かったので,性的暴力対象とされたことに立腹して,後者を選んでしまいましたが,今ならそうしなかった可能性も考えたりしています。
中国武術的には,仰向けうつぶせ,どの状態からでも脚を振り回して蹴りをぶち込んでそのまま立ち上がり,攻撃を作る流れというのは普通にあります。寝込んだ状態から私の横に居た暴漢に蹴りをぶち込んだときは,相手はまるで被害者は自分みたいに悲鳴を上げたわけで,全く失礼な話でした。
武術修行は,単位ハードウェアとその制御だけの問題だけではなく,こういう入力があったときに,迎撃の流れにすぐ入れるという意味での,ソフトが快適に走るなというような効果も大きいのです。
横にひざまずいて身を乗り出しかけた男のコメカミに,寝ている状態からの回し蹴り,でそのまま脚を振り上げてヘッドスプリングで跳ね起きて,武器を持ってたら出される前にしとめようとそのまま飛び込みスライドして飛び道具の後ろ蹴りを臍の握り拳一つ分下に入れました。腹や顔面など蹴らない。手加減したら戦闘停止になってくれないから。ただ,相手が衝撃で失禁したりするので,後の掃除が大変です。
この流れは,後で師匠の前で見せて検証する羽目になりましたが,「まぁいいんじゃないの。動けただけで及第点。最初の先制の蹴りはわざわざポイント外してる。」といわれました。相手が有段者で目録以上の腕か武器を飲んでいたら,私の技は全然問題にもならなかった,ウェイトのある格闘技経験者だったら,進入された時点で終わってたね,だそうでした。きびしーけど,そういう論理的な検証をやってもらえたおかげで,自分自身のリハビリになったと思われ,この件に関してはトラウマよろしく後で寝込みを襲われる夢を見るたびに返り討ちにしていて,起きたら汗かいていたというのは5回に1回ぐらい。後は全部夢の中でも私の勝ちで返り討ち。どうやら,メンタルな問題にはならなかった気がします。
で,おかしかったのがこのときのどたばたと相手の悲鳴と私の気合を聞いていた下の部屋に居た大家さんが,朝になっても出てこなかったこと。私の方から,時間も回って大家さんのところに報告しに行ったときに分かったのですが,上の部屋に賊が侵入したか何かで,悲鳴からあの部屋の青年は殺されたか無事ではすまなかったろうと,怖くて動けなかったそうです。特にその獣のような声を聞いて心臓の調子が悪くなって寝ていたと,あっけらかんと淡々と話されるので,私としては,わははは,その悲鳴は,襲ってきた相手のものでして,獣みたいな声は自分です,びっくりさせてすいません,と説明して間抜けに笑うしかなかったのですが。昔から,助けを呼びたかったら「火事だー」と叫べというのは,本当なんだなと思いました。
私の一番の失敗は,自分の稚拙な技で戦えると踏んで,最初から最後まで助けを呼ばなかったこと。いや,必死だったんで,忘れていただけなのですが,自分の息子が同じ話をしたら,そうやって叱ると思います。
襲ってきた暴漢の方は,手加減など全然した覚えがなかったので,こっちもなんか後ろめたくて,若気の至りかおかしな話,結果的に警察沙汰にせず(あとで大家さんが読んだのでいろいろ聞かれましたが),で,本人の治療費も勿論相手持ち,そのアパートの住人だったことが分かって,数日後には逃げるように出て行きましたが,その前に見事なマスクメロンが半ダース私のところに届けられていました。お詫びということなんだろうけれど,性的対象と見られて襲われた方としては,少々ゲンが悪いんで,大学の研究室に持っていって,事務の仲良かったお姉さんに「寝込みをおっさんに襲われてぶちのめしたらそのおっさんからもらった。」と小学生みたいな説明をしたら,彼女も豪傑で「・・・おー,c_C君,無事でよかったね!・・・私好きなんでいいよ,置いてきな。後で切って◎◎先生たちと一緒に食べよう。」と,ナイーブな世界とはおよそ縁遠い,そのこだわりの無さに,救われました。その後この話は,一部学内関係者の間に伝言ゲーム的に知れ渡ることになったりしたのですが,後日,悪友に「おーい,c_C,おまえ,おっさんに襲われてお礼にメロン貰ったってホントや?」と言われたときには,「ああ,ははは,そうだよ。」とやっぱり間抜けにも一緒に笑ってしまいました。「お詫び」が「お礼」になってるし,「中略」されるとひどいもんですな。
まとめ
技で対応できるかどうかについては,保障できません。恥ずかしながら自分も運がよかっただけ。生還できる確率を上げられるかどうかというレベルということを前提に。
・迎撃は凶器を出したりマウントとられる前に。武術のトレーニングは異常事態感知に役に立つ・・・こともある。
・立ち位置の相手なら,足元や着地点を読んで蹴り飛ばして崩す。
・既に床に張っている状態なら頚部への蹴り。顔面なら鼻の下から鼻にかけて,あるいはのど等を狙う。
・跳ね起きる,転げまわる対術は危機回避に必須。後者の基本練習はそんなに難しくない。ヘッドスプリングは,布団をたくさん重ねておいたところに半身を乗っけて脚から飛び降り立つ練習をして,だんだん布団を減らしていくと上方に蹴り出すコツが分かって割と習得可能。
・マウントされてもあわてない,柔術やレスリング経験者でなければ,崩すのは練習次第でそんなに難しくない。
・相手の腰がシフトできないようにして重心を前方斜めに片腕を引き込んで。その後,捕まれないように蹴りまくって脱出。アメリカのサバイバーのためのプログラムでは,結果的にそうなってる。
・マウントされての打撃については,素人の単純なものなら防ぐ方法はある。ついでに重心を崩してマウントから脱出。
・脱出には下腹部に蹴りを,急所に当たらなくても臍より下腹。頭部より頚部。
・あるいは顔が迫ってきたところで顔面に頭突き。これも先制が必須。
・助けを呼ぶときは「火事だ~。」人が出てくれば相手も浮き足立つ。
・このシチュエーションなら,少々のことをやっても過剰防衛にならないとか不鮮明。護身術の正解はあってないようなもの。アクシデントも含め事後の問題はいろいろ発生する可能性があるが,最終的にはまず,自分が窮地を無事脱出することが先決だと考えるしかない。
・終局的には,治安のよい社会を得るための個々の市民の意識改革や社会努力に勝る護身術はありません。レイプ被害など,そういう戦い方をしている方を支えるのも一つの戦い方です。
ちなみに、どうやらここは人気?猫ブロガー(笑)の猫馬鹿ブログwらしいのですが、それなりに御評価いただいた武術系エントリは、以下のものがあります。ご興味のある方は覗いてみてください。
■フェンシング,もし戦わば
エントリ内,リンク先の質問コーナーに上がっていた内容で,なぜか中国武術だけが無手という条件みたいで変なのですが,これは一般に知られる中国武術が兵器術としての面を認識されていないことによる矛盾かなと思います。剛猛な陳家太極拳も八極拳も原型は槍術を主体とする武技です。戦乱の時代に発生した中国武術の原型は,無手ではありません。
回答を読んで、失礼ながら,あまりそれぞれの武術に精通していて書かれているように見えなかったので,自分なりに思考実験による仮想ファイトを考えてみました。
■近接格闘術と詠春と女性警備員
導入は女性警備員に対する男性からの「女が戦えるはずがない」という発言を読んで起こしたエントリです。これは女性が使える武技こそ,実は,レフパワー要素(ちょっと簡単に説明しがたい難いのですが,まぁ単なる馬鹿力みたいなものがラフ・パワーでそれに対する精緻な筋肉の運用による力のこと)が多く、技に優れた優れた武技なのではないかという,私の武術上の方法論の一つに関わる問題です。
ゲーム世界で大流行の近接格闘技のベースが南派の中国武術にあることをベースに,少し書いてみました。
最近は,空手の有段者でもある女性が車上狙いを取り押さえた話がありましたが,彼女が得意の空手技を使わず,柔道技を選んで多分細心の注意で取り押さえたのですが,記事の書き方もあって,そんな技かけたら下手すると死ぬぞとかいろいろ云われてしまう状況を見て,反撃する,取り押さえるという選択は,今時どうあっても批判されてしまうリスクがあるのだと,改めて認識しました。巴投げは横に投げ捨てるようにすれば,頭部や首へのダメージのリスクは下げられるので,殺人技として使わない工夫は可能だと思いますが,その場の状況判断なので,外部の人間には分からないのですが。暴力に抗する力があっても,終局的な護身はとても難しいなと感じた話です。
急所を軽く撫でて倒しても,刑事事件になった状況で,相手がEDになったとか言い出しかねませんし,こっちの情報を全部ネットに上げるなどの嫌がらせなど二次被害も考えざるをえないというところで,大変です。ただ,致命的な状況からの脱出や無事に家族の元に帰るということを優先するならば,覚悟せざるを得ないことも確かです。
■Van HalenのPVで学ぶ北派中国武術基礎腿法
これは,ちょっと息抜きみたいなエントリ。かなり古いロックの名曲ですが,これについて、この論を言い出すものを見たことがなかったので,フィジカル・エリート・ロッカー,デイブ・リー・ロスが学んでいた中国武術も含めて,楽しくかけたエントリです。
■剣術と近代剣道
下手な横好き,無手の技ばかりで兵器術,特に剣技はそんなに詳しくないのに,フェンシングの話に次いで,再びあげてしまった論考。
追記-忘れていましたが,襲ってきた男の顔を,小さなチビ電球の明かりではほとんど識別できませんでしたが,双眸の黒いしみみたいな黒さは覚えています。顔見るより先にけりをぶち込んだので,十分に観察しなかったという,悪い癖が出ています。このあたりもセキュリティ的に失点だけれど,通常,暴力被害者が何にも覚えていなくても,私は無理からぬことだと思います。
ただ,一瞬,私が起き上がって構えたのに,構え返したため,武道経験者だと判断したことも書いていて,思い出しました。いろいろ忘れている。ぶちのめした後で観察したら,思ったよりも小さな男だったというのも,やはり,いろいろ精神的に,こういう意識状態のときは,当てにならないなと思いました。
追記2-この後,自衛論による被害者たたきを,ネットで目にするようになり,嫌な方向に予想が当たって暗澹たる思いでいろいろあちこちのブックマークに書きました。
私自身,人に会うたびに戦闘シュミを無意識にやってしまうような人間ですが,まことに失礼ながらこの人に襲われたら終わっていたな,という戦闘能力の高い人の方が少なくないのです。当たり前の話ですが。
また,護身術は,自分が襲われる確率を低めるという意味で効果があるわけですが,あくまで確率的防御であることと,襲う側から言えば,ゴルゴ13のように絶対に隙を作らない人はいるはずもないので(普段からそうやってふるまったら病気ですな)もっと襲いやすいタイミングを待つか,他のより襲いやすい隙を作らざるを得ない人を襲えば良いということになり,社会的には防犯の徹底で窃盗や強盗などの回避できる話と同じように考えるのは,筋が違うように思っています。社会的な治安と云うことでは返って後退することが心配になります。]]>
剣術と近代剣道
http://complexcat.exblog.jp/10139034/
2009-01-04T13:43:00+09:00
2024-02-23T14:53:45+09:00
2009-01-04T13:44:20+09:00
complex_cat
Cat Kick Dragon Fist
まず,最初にお断りしておくべきとして,画像はエントリテキストとは関係ありません。というのはおいておいて,何が言いたいかと申しますと,私は日本刀に関しては素人だということです。また剣道は経験者レベルということでたいしたことはありません。学んできた武技は無手の技と刃のない兵器術が基本の人間なので,この思考実験においては基本的には十分に適正な資格を持つものではないと思っております。ただ,実戦的兵器術と試合形式の競技と云うことについて,中国の武技を学んだ視点から少し考えてみたいと思ってこのエントリを上げました。
まず,設問として
「本当に竹刀を使った剣術と、真剣を使う剣術は方法論として全く違うものなんでしょうか? 刀の握りや体の使い方が本当に全く違うんでしょうか?
私自身としては、竹刀と真剣という道具による若干の違いはあるにせよ、それらが全く違う剣術であるとは思えないし共通する力学が働いていると考えてますがどうでしょうか?」
というものがありまして,これを第一の設問としまして,これに対するTAKESANさんの答え。
結局答えは出なかった
非常にありがたいまとめです。もの凄く整理されていると思います。
ここで,TAKESANさんのエントリーでは,この設問の内容に対して,
「考えるべきポイントとしては、そのように発達してきた現代剣道の体系が、実際に真剣を扱う方法として高度に機能するか、という所でしょうね。」
という具合に,どちらが優れているかという形に置き換えることで,答えを導き出すアプローチをされています。竹刀剣道の武道体系が,古流の剣術に対峙できるものであるかということにおいて,或いは,動かないものを据え物切りにする居合道などが近代剣道の高段者と対峙したら,どちらが本当に強いのか優劣を考えることで,竹刀剣道の実戦性について考えてみようと云うわけです。これを第二の設問と致します。 先ずどちらが強いかという修整された設問に対しての考え方ですが,先に結論めいたことを書けば,武技というものをどう捉えるかによるのですが,構造的に答えが出ないの設問ではないかと思われるのです。勿論,日本刀の据え物切りをやっていた人が,人を襲って,その時に剣道経験者が真剣を同様に持って対抗したらどうなるのとか云うような,設問とその結果としての答えが存在しないわけではありません。しかし前提として考えるべき条件があまりにも多くて,どれもパラメーターをきっちり決めてしまわないと結果は分かりにくいですし,またそれぞれのパラメータも類別的,良くて順位変数レベルです。従って,パラメータ自体が非常に任意的になりますし,結果も各パラメータを決めた場合に導き出される一つの結果にしか過ぎないということは明らかです。で,このタイプの質問をされる方の場合,どっちも達人だったとしたら?とか仰るわけです。そもそも思考実験としても非常に曖昧な話なのですね。
「実戦」と限定しているような場合も,化学で云う理想気体みたいなものは想定できません。どの時点を勝敗における勝ちという風に定義するかという問題もありますね。実戦であっても暗黙のルールの規定が全くないわけではないと思います。
二人剣を持たせて対峙させて,最後に立っていた方が勝ちという風に決めても,実際のところ,定義は難しいかなと思ったりします。
兵器術は通常は試合形式で研鑽することが難しいわけでして,鎖鎌など,試合が存在しません。当たり前ですが,危険すぎます。私の師は,無理だな。どっちか死ぬからと言っておられました。
竹刀と防具というものを開発した近代剣道は,非常に大したものだと思います。一方で日本刀を用いた剣術と剣道は不可分なところもあると私は感じていますし,タイガー森のことを調べたときに,あの時代の剣道家は,幸か不幸か日本刀による「実戦」も経験していることを感じました。勿論相手は日本刀ではないのですが。そういう方達にとっては,それぞれが自身の練習の体系の一部なので,そもそも一つの練習体系における強さを相互対抗的行為で比べること自体,無意味だということになるわけですし,この問題を己に問うて,何のために剣をやるのか,どのような強さを求めるのかという問題にも関わるところかなと思います。まあそういうところまでを考えてしまうと,話が霧散していってしまうので,純粋に,勝敗のレベルで考えておく方が無難かと思いますが,結果的に矢張り答えは出ないというのが,フェンシングの実戦性における強さについて検討したと時と同様の感覚を持ちました。結局「人による」ということになるかと思います。
究極的なレベルを考えると,技の強さ,優劣では無くその人自身の内部に結果が帰結するというのは,変な精神論を振り回すつもりでなくてもそれが答えになってしまうというのは,今よりも生き死ににおける選択の致命的な結果を引き起こす状況において,古今東西の武術家がたどりついた一つの結論ではないのでしょうか。
この問題は,古流武術が試合形式で徹底的に鍛えられたアスリートの前に簡単に粉砕される状況と,格闘技のエリート・アスリートが,真の達人の前で刃が立たないことが実際にあるという,二つの矛盾をも想起させます。両者の検証と成り得るケースも,非常に少なく,且つ伝聞情報が多いと言うこともあって,更に誤解が生じているような気がします。また,剣道的な戦闘スタイルには,噛み合って,且つ有効な古流剣術があるかも知れませんしその逆もありそうです。
このことは,通備門の苗刀と竹刀との試合を見て感じました。倭寇,華やかかりし頃,中国の刀術が全く刃が立たず,その圧倒的な強さから大陸の馬家(通備門の本家,大陸一の高手との誉れ高き馬賢達老師を生んだ名門)がその戦闘ノウハウを導入,研究して体系化したものが苗刀で,反りの少ない古式の長刀術ですが,これは,当時の苗刀がカモとして屠ってきたのはリーチや切れ味や速度に劣る中国刀,双剣,あるいは,リーチはそれなりに稼げても,軌道が単純で,寧ろ裁断的な機能は劣る中国の長剣ですので,日本刀から発達した剣道は,苗刀においても簡単な相手ではないのではと思いました。
この場合も剣道との試合形式としてルールの中で,対長刀(なぎなた)の試合と同様「脛」を入れるようにモディファイされています。
ちなみに,私事ですが,上記の日本人で正式に馬老師に拝師された修行者の方は,私のワイフのよく知る関係者です。平和な時代になって,古流とはある意味失われたオーパーツのようなものであって,この問題の答えに関わる部分は,既に「再現」できないのかも知れませんね。
通備門系の通備,八極,翻子拳においては,この苗刀の動きと全く矛盾のない同じ勁道と理合を使っており,戦闘が無手であろうが,他の兵器術によるものであろうが組み込まれているものは全てが不可分であるということを意味しています。
私は苗刀を習ったことはありませんが,次の練習風景を見ていて,びっくりしましたというか,当たり前なのですが,全く自分の習ったものが無手であるにもかかわらず理合がそのまま理解できたからです。
だから,第二の設問は,中国武術的に云えば,八極に伝わる兵器術に熟達した人間と苗刀の試合巧者ととどちらが強いかという話をもしも馬家の老師にお尋ねするのと同じような意味を持つのではないかと感じた次第です。
即ち,「貴方の武の完成のために,貴方はどちらも学びなさい。それぞれが貴方が武を学ぶための一つの体系であるわけで,どちらが強いか? そんなことは意味がないことです。」ということになるかと思います。そもそも同じ剣という武から生まれたもの同士ですので,終局的には両者をよく学ぶのが当たり前であって,それぞれが派生した先に,一つの武道,武芸として一大勢力になっていようがいまいが,終局的な武を学ぶ意味において,強いか弱いかは,関係のないことではないかと思うわけです。
そして,どちらが強いか弱いかを問うことはは,そのまま,フェンシングと日本剣術と中国武術の優劣について述べた話と同じ結果になるものと考えられます。
少し脱線しますが,全盛期,大陸一の高手(達人)の誉れ高き馬賢達老師の通備門のレクチャー風景などを。一呼吸で7発をたたき込む高速の連続発勁を伴う独特の戦闘技術の片鱗をご覧下さい。
ときどきニコニコに上がっている中国武術関係の動画を見慣れていると,分かりにくいし体系化された情報ではないように見えますが,実はこちらの方が何百倍も情報を含んでいますし,実はやってみると分かるのですが,非常に体系化された情報そのままで大サービスの練習内容が披瀝されています。ただ,口訣が示されないと,意味を持たないかも知れませんが,読み取れる方は読み取られるでしょう。
本当はこういうの出されると,弱っちゃうのですが時代は変わりました。
でここで第二の設問的に,ボクシングとどっちが強いのと云うことを考えたとしましょう。そうなると,一応手業だけとして,点決(抜き手)を眼窩に入れるのとか,急所へのダウンブロー,死角に回り込んでの背中や肛門への攻撃とかルールに入れるの入れないの?となるわけですが,「それが使えないと技の凄さの一部も見れないよ。でもいいよ,なしね。それからリングの上でやるのそこらの路上?・・・」という具合に,やっぱり一定のルール決めをしてそのルールの中での優劣を決めることは,たとえて云えば,似ているからと云って,オセロ版の上でチェスと将棋の駒を置いて勝負をするような問題を含むと云うことになります。男の子的な単純な答えの見つけ方を求める素朴な質問ですが,実際にはなかなか大変なのです。
勿論,飲み屋で女の子の取り合いになって,そこで,経験年数が同じのボクサーと酔拳の拳士が戦ったら?なんて設定は可能ですが,それで答えが出たとして,誰にとって意味のある答えになるのか少々微妙ではあります。
さて,第一の設問に戻りますが。近代剣道は,日本刀における兵器術である剣術から派生した武道の体系ですが,確かにそれは独自の進化を遂げております。その枠の中での試合を考えた場合,確かに真剣そのものを考える必要はない武道,競技の体系です。
そして,真剣の運用においては,矢張り独特のノウハウが必要であり,それは近代剣道がその部分と乖離した側面を持つ一方で,共通祖先としては同じものから出ているものであります。
中国武術の場合,無手の術と兵器術との間の乖離は,日本武術ほど無いことが前提となっています。太極拳が剣を持てば太極剣術で槍を持てば太極槍術。八極なども同様ですし,武技の種類もお見せしたとおり「日本刀」術の原型まで含まれたりしています。もっと言えば,そもそも太極拳も八極拳も槍術で有名な武技であったわけで,理合にはこれらの兵器術の運用が深く関わっております。
一方の日本剣道の場合は,試合形式という優劣を決めるシステムが進みすぎたことにより,真剣運用技術の一練習体系であったものから,古式剣術との間の乖離が進んだと考えても良いのかも知れません。ただし,乖離を目的にしていたわけではありませんし,敗戦までは,剣道といっても飽くまで実戦での白兵戦をも想定していない練習体系ではなかったはずです。いや,今も,中学校の体育の授業で行われるそれはおいておいて,実際にそういう文化は生き残っているでしょう。
ここでTAKESANさんはこの思考実験の鍵として「重要なのは、真剣と模擬刀の断絶」と書いておられます。近代剣道は竹刀(或いは木刀)による日本刀での戦闘シミュレーションでありながら,真剣と模擬刀との断絶が激しすぎて,模擬刀でのシミュレーションが意味をなさない部分が多すぎると言うことかなと思います。破壊力は竹刀程度で,重さや形状は限りなく日本刀に近い模擬刀があれば,もう少し試合体系も真剣同士の戦いに似てくるでしょうか。いや加撃の評価をいじらないといませんので,矢張り難しそうです。中国武術での兵器の運用法は,基本突いたり打ったりという使い方で,それは無手でも同じ。兵器は手の延長と考えますので,それほど精緻な使い方を要求されない面があります。日本刀は,刃物としては精緻なハイテク兵器故,その破壊力においては,運用において,より要求レベルが高いとも考えられますが,一方で振り回したらある程度の仕事はしてくれてしまう恐ろしいものという側面もあります。
居合いなどによる真剣の経験がありませんので,ここについては,憶測以上の話は私は出来ないのですが,刃筋の立て方については制約があるものの,苗刀的な練習体系として可能と見ることができれば,過剰に扱いにくい兵器とするのも危険と考えられます。一方で,精緻な日本刀の威力を究極まで引き出すノウハウが古流の剣術にはあったと考えても間違いではないと思われます。
また,ここのドイツの伝統実戦剣術の模擬試合の動画がありますが,驚くべきことに柳生真影流に似た相手の腕を封じて首を突き刺すような,一種の収斂現象みたいな技も入っています。これを見て思ったこととは,兵器自体が強力であるために,実戦的な運用において,剣道技では考えられないような技が沢山あるのではということです。TAKESANさんも書いておられましたが甲冑を着けているかいないかで,使える技のパターンは制約を受けたり受けなかったりします。何が実戦での強さを決める前提として相応しいのかという問題は何処にあっても必ずついて回ります。
ドイツ剣術の動画は,youtubeには他にもかなりあるのですが,非常にこの問題を考えるのに役に立つと思いました。それは,合気道や中国武術だけを見ていても技の実戦性や運用においては謎であった部分が,システマを見て氷解したのと似ています。とりあえず,この段階においては練習体系において見せているものが実戦的で,秘匿していないのです。日本の古流の剣術は,奥義を不特定の人間に盗まれることを特に嫌って,中国武術と同様に情報戦対応している部分があるような気がします。そして,技が高度になりすぎたため,達人クラスでしか理解できないよう戦いのダイナミクスを消した形でのエッセンスだけが型で示されているのではと思うようになりました。こういう運用が古流の剣術に隠されているとすると,話はもっとややこしくなりますし,実際のところ,このドイツ剣術と不用意に真剣で対峙してやってみようかという剣道家は,そんなにはおられないかと思います。
古流の剣術も通常開示されている型や修練の方法に関する情報だけで,その実戦性を判断すること自体が,また一つ大きな勘違いを犯すのではないかと云うことです。これは,古流の空手などを見ていて,戦闘理論が全然K-1などと違うのと似た部分があります。少なくとも模擬刀を使った近代剣道におけるの真剣のシミュレーションレベルが甚だ中途半端であると云うことも,また確かなようです。
というわけで,どのようにこれに関わり取り組むかという問題に帰結するし,必ずしも乖離する必要も必然性もないのではないかというのが,中国武術的な視点から見た結論です。もちろん,乖離しても悪いというわけではありませんが。そしてそれは,修行者の考え方と取組方で決まるのではないかと,私は考えるのですがいかがでしょうか。
それ故,古流剣術と近代剣道の修行者が分離できるとして,それぞれが学んでいる体系を見てその人の力量や技の限界を見るということは,かなり,失礼な話ではないかと逆に思うのです。
空手と中国武術とやってどっちが強いの,という設問がときどきありますが,私がこの質問を受けた場合には,どの空手?と聞かないと先ずいけないと云うくらい,K-1的正道会館的空手と古式のそれとの間には,深い断絶があるのと同様,古流の剣術も単層的ではない世界だと思います。
甚だ,消化不良ですが,とりあえず,こう申し上げておくしかないような。
武は人,人あるは心。
追記ー猫左衛門さんから示唆に富んだコメントを頂きました。以下の通りです。
猫左衛門 at 2009-01-06 10:06 x
はじめまして。
面白い話題なので、ひとつコメントを。
私の設問に対する答えは、両者は全く異なる、です。
私は古流を学んでおりまして、道場には剣道の高段者が大勢いるのですが、
彼らは、両方を使い分け、両立させなければならないといいます。
私が見るに、剣道の技術、理論は日本刀による戦闘には危険すぎると
判断せざるを得ないし、古流の技術を習得しても剣道の試合には通用し難いと思います。
一般的な例をあげれば、古流の技術論は五輪書にあるとおりです。
現代剣道とは全く異なります。
また、一口に古流といっても、レベルに違いがありますし、そのほとんどが
看板だけと云われても仕方ないでしょう。
長年この世界を見続けて、そう思います
このなんとも未熟な論考がお目に留まったようで,とても嬉しく感じます。剣術修行経験者としてのお立場より貴重なコメントを頂き,誠に有り難たいことです。
両方を学ばれるのを常とされている方々が,別の武芸として剣道と剣術を納める努力をされているのが一般的と云うことですね。なるほど,それが答えだとしても,おかしくないと思いましたので,私自身もかなり慎重に書いたつもりですがやはり経験者の言葉は重いと思いました。
中国武術における兵器術というのは,刀や剣はあるものの,多くが,斬殺というよりは,刺殺と撲殺にある意味特化した使い方になっているのではと思いました。甲冑を着けた相手なら,そういう使い方になると思いますし,戦国時代の剣術と江戸時代の剣術との乖離のようなものもあって,中国武術の兵器術は前者の要素が強いのではと思ったりしました。で,平和な時代になっても帯刀する文化により,剣術は決闘技術としてより洗練されていったのではとか,いろいろ考えましたが,これ以上は,現状では私に知識が不足しております。
中国の剣自身のテクノロジーについても少し調べる必要がありますが,日本刀は刀身を硬化させて撓りを消していったのに対して,中国の剣は撓りは消しませんでした。槍なども日中で同様の違いがあります。中国槍術の運用には槍におけるしなりは欠かすことが出来ません。しかし,剣においては,誘導ミサイルのような軌跡を描く纏絲勁を生かすためにはしなりに意味があるかどうかは,かなり,究極的な運用をしないと難しいかなと思います。このあたり,刃物が苦手な私にとっての兵器術に関する話なので,少し人の助けが居ると思っています。
関連エントリ
フェンシングもし戦わば
近接格闘術と詠春と女性警備員]]>
2008年‘Cat Kick, Dragon Fist ’猫拳龍腿カテゴリ
http://complexcat.exblog.jp/10116718/
2008-12-31T22:25:00+09:00
2023-09-26T17:17:16+09:00
2008-12-31T01:36:15+09:00
complex_cat
Cat Kick Dragon Fist
今年は,武術カテゴリー4年目にして少し,書きためることが出来ました。これはTAKESANさんの武術エントリからの刺激,情報も大きかったと思います。深くお礼を申し上げます。ちなみに,科学論をやっておられる方は,結構武技に精通した方が少なくないと思っています。
別に,自分のベストランキングをあちこちにTBするつもりからではなく,ここを読みにこられた人への案内サービスのつもりです。エキサイトはアクセスの多かった記事のランキングとか,関連エントリのピックアップを自動でやってくれないので,人力でということです。
■近接格闘術と詠春と女性警備員
導入は女性警備員に対する男性からの「女が戦えるはずがない」という発言を読んで起こしたエントリです。これは女性が使える武技こそ,実は,レフパワー要素(ちょっと簡単に説明しがたい難いのですが,まぁ単なる馬鹿力みたいなものがラフ・パワーでそれに対する精緻な筋肉の運用による力のこと)が多く、技に優れた優れた武技なのではないかという,私の武術上の方法論の一つに関わる問題です。
ゲーム世界で大流行の近接格闘技のベースが南派の中国武術にあることをベースに,少し書いてみました。
■フェンシング,もし戦わば
リンク先の質問コーナーに上がっていた内容で,なぜか中国武術だけが無手という条件みたいで変なのですが,これは一般に知られる中国武術が兵器術としての面を認識されていないことによる矛盾かなと思います。剛猛な陳家太極拳も八極拳も原型は槍術を主体とする武技です。戦乱の時代に発生した中国武術の原型は,無手ではありません。
回答を読んで、失礼ながら,あまりそれぞれの武術に精通していて書かれているように見えなかったので,自分なりに思考実験による仮想ファイトを考えてみました。コメントは,私の影のスーパー・エディターのA氏以外からは付かなかったけれど,例外的にTAKESANさんからブックマークで評価していただいたのがとてもうれしかったので,それで良しとしています。
■Van HalenのPVで学ぶ北派中国武術基礎腿法
これは,ちょっと息抜きみたいなエントリ。かなり古いロックの名曲ですが,これについて、この論を言い出すものを見たことがなかったので,フィジカルロッカー,デイブ・リー・ロスが学んでいた中国武術も含めて,楽しくかけたエントリです。
その他,このカテゴリーには,筋力や戦闘にハンディを持った人,即ち女性や子供の使える武技,護身技術を考えることで,「使える」技そのものを検討しなおすというライフテーマにおいて,少しだけ記事を増やすことが出来た。TAKESANさんというニセ科学にも強く武術にも精通されている仮想ブログ横町上の知己も得られて,2008年,一つの成果です。個人ブログなので、来年も,まぁ,ちんたら書いていくだけですが。
猫&ネーチャー・フォト・エッセイ・ブログとしてスタートしたときから,こんな話も一緒にやろうなんてことを考えること自体が,もの凄い天の邪鬼な人間なのですが,つぼにはまる人の中には,一度読んだら離れられない不思議な魅力があると過分な評価を下さる方もおいでなので,そのまま続けようと思っております。
武技に興味を覚えるようになったことについて,理由を聞かれたことはないけれど,単に私が横紙破りで,変な子供だったからだと思います。でも当時の私は,自分がそのような技に興味を持っているなどということは、恥ずかしくて表現できなかった。ほとんど隠れるようにという世界の部分で、高校に入るまで,直接的な師には遇うことはありませんでした。
私が今のワイフと一緒になる前に付き合った女性のうち,二人はたまたまですが,性暴力の被害者で,それも、一人の方は逃れようのないもので,その場に私が居ても担いで走って逃げるぐらいしか何もできないと思ったくらい悲惨な状況の被害者でした。私自身も,男に性暴力の対象者として襲われた希有な経験がありますが,それらのことが切っ掛けだったわけではなく,その前から,カムイの飯綱落としの練習をするようなやっぱり変な子供。
学生時代、実際に「多少心得があった」御陰で,返り討ちにして男性レイプサバイバー以前で終わったわけですが,男が男の毒牙に掛かる場合,被害者の落ち度は,どう考えても想定しにくくて回避は事実上無理なので,自己責任論は昔から嫌いです。そういうことを言い出す奴はその瞬間に金的を蹴られたらどうなんだろうと思っています。で,そういう無礼な話を浅い知識で相手がどういう直情型の人間か知らずにいきなりして,蹴られることすら想定しなかったお前が悪いと言われたら。と,これは私以上に過激だった師匠の受け売り。
何にせよ当時の幼稚な蹴り技だったけど相手の邪な欲望を潰せて良かったと思っています。けれどもこの話は相手が凶器を持っていたり,空手の有段者でも,サブミッションの達人でもなかったので,武勇伝でもなんでもないけれど,一応,極真系の海外で活躍されていた結構な高段者の方にずっと後になって話す機会がありましたが、褒めて貰えたので手順は大筋では間違っていなかったと思います。以来,異常時にはちゃんと気配で目が覚めるという感は取れてると自らを信じることにして安眠しています。しばらくは数年に1回ぐらいの頻度で襲われたときのことを夢で見たりしましたが,その後,もっととんでもない目にあったりして,私の人生という地層の奥深く埋没していきました。毎回,夢の中でも返り討ちにしているので(というか完全にやられた先の状況は自分の想像力を越えているから具体化できないからでしょう),トラウマにはならず,克服されているのだろうと思っています。
この話については,結果的に相手を怪我させた加害者になったわけです。何しろ,相手をこの世から消してやるつもりで蹴ったので。あ,殺意とは言いません。稽古などではそういうコントロールされた狂気は普通だったりします。じゃないとこっちが殺されかねないから。余り楽しい思い出ではないので,そのうちまとまった話として,このブログに書こうなどとは,今は思っていません。あちこち断片的におちゃらけで書いているので,勝手に見つけて拾い読みしてください。
試合やスポーツアスリート的な世界とは,昔から無縁なので,護身を目的とするもので,ともかく,死なないことが最も重要な課題で目的。西原さんの友人,「毎日かあさん」に出てくる5人の息子さんを持つ麦ちゃん家の家訓「誰も死なない」が,私の武技の究極の目的で,達人になる必要はないと思っております。いや,今時,すぐに凶器振り回して殺そうとしたりするので、そのレベルを想定すること自体がかなり大変なのですが。
毎日かあさん 5 黒潮家族編西原 理恵子 / 毎日新聞社
ということで,次男には,なぜか本人が気に入ったこともあって,套路と推手と,少しずつ教え始めています。システマを研究し直して陳家の二路を再度見直して,それが,太極拳と八極拳における私の欠損部分の一部を上手く繋いでくれましたた。私の師のことを思うと,その辺に書き散らせることでないのだけれども,子供達が学ぶ前に飽きてしまわなければ,伝えようかなと思っています。
今年の初め,彼を虐めたり,嘘をついておとしめたり、暴力を振るってきたクラスメイトは,今時の話らしく女の子だったので,金玉蹴飛ばせと教えるのが使えない(厳密に言えば会陰と肛門を繋いだ線のど真ん中の部分は爪先で蹴ることで急所の扱いだけど)ので,本当に「やれやれだぜ」なんです。でも,今時の訴訟リスクやDVでも遠慮ない女性の手による暴力が存在する時代なので,いずれにせよ,本気で護身がどうたらこうたらと言うなら,武技における「正しい技」を選択することで,自分も相手も怪我をさせないということが重要かなと思います。
崩しや化勁は暴力を振るっているという実体からかなりソフィティスケイトされているので,出来ればそういう技を使えることが理想かなと思います。自分が歳を取ったこともあるかも知れません。
それでも,暴力のレベルが上がれば,そんなことは言ってられないし,今年,リクエストにより私の製作したオリジナルの暗器をお渡しした女性が,二人おいでになります。今の日本を見ていると,いざとなれば,それを使う覚悟もいるかも知れないなと思うこともあります。いや,凶悪犯罪自体は減っているはずなんでこういう勝手なストーリーは良くないと思うのですが,行き場を失った悲しみや怒りが膨らみつつあるように感じる年の瀬です。]]>
近接格闘術と詠春と女性警備員
http://complexcat.exblog.jp/9626606/
2008-10-05T21:19:00+09:00
2016-12-29T08:51:48+09:00
2008-10-05T00:16:43+09:00
complex_cat
Cat Kick Dragon Fist
例によってTAKESANさんのエントリからインスパイアされ,近接格闘術(Close Quarters Combat)のデモで使えそうなものをいくつかを視聴していると,どう見ても詠春拳の流れを汲むものが多いけど,まさかねと思っていたのは,私の勉強不足でした。
ちなみにこのプロモは,擬音など入れてやり過ぎ。ゲイマー系からの生徒さんでも狙っているのか,こういうのもあり何でしょうね。勝手に生徒さんの方が裏返しになったり,ひっくり返るのが多いので,まぁ,分かりやすいといえば,分かりやすいです。
CQCに使われている手の技は,多くはダン・イノセントからの流れだと思いますが,彼は詠春拳からジークンドーを組み立てたブルース・リーの技術の直接的な伝承者です。Systemaの手の技も似た部分がありますが収斂現象を感じます。太極拳とは全く風格が異なりますが,基本術理には共通性を感じます。超接近戦を旨とするため,勁道が異なりますが,寸勁が存在することは他の中国武術と何ら変わることはありません。
関係ビデオを見ていくと,ちゃんと詠春拳とタイトルを入れたものがあります。そして,手業からの絡みからサブミッションへの流れが非常に上手くできています。
マスターの聴勁は巧みで,最後の方は見てもいませんね。目隠ししてもこの人はちゃんと戦えます。システマとは勁道が異なりますが,戦闘理論の一部は極めて近いですね。
詠春拳の特性は,ありとあらゆる格闘技に対して,現在も浸透,融合中という特異な性格を持っていることで,陳家太極拳や八極拳,形意拳など,完成型とされる伝統芸的な門派とは全く異なるものです。黐手(li・shou;リーショウ)と呼ばれる,お互いの腕を接触した状態で自由攻防する練習は,太極拳の推手(tui・shou),伝統的剛柔流空手の「カキエ」(上の動画参照)などと相同的ですが,詠春拳はサブミッションや寝技に繋げる形で柔軟に他の近代格闘術を取り入れてきたがゆえに,世界中のマーシャル・アーツ=軍隊用白兵戦のコア・テクノロジーとしての近接格闘術に影響を与えるほど隆盛を誇っているようで,かつてブルース・リーの見せた黐手と比べても,現在の詠春拳のそれは,もはや別物と言って良いでしょう。
太極拳の推手については,陳家の嫡男,18世陳小旺老師がやや本気になって形意拳の方と組んだ映像がここにあります。
追記ーリンク切れなので、別の老師の指導動画を貼っておきます。ショーアップされた番組ですが、19世嫡男の技は本物ですので、問題ないでしょう。完全にリミッター外した秘伝技が見られるわけではありまえんので、あくまで参考ですけど。ちょっと老いられたなとは思いました。
リンク切れましたが、本来お店使用とした動画の牛のような迫力の方が19世です。勿論,推手もいろんな段階があって,ここにあるのはバーリトォードではありません。私はやらされましたが,実践的な格闘術を前提とした場合,顔面,目突きや首がらみの推手練習をしていない限り,通常の太極拳的戦闘練習では対応できません。喉を突いたり掴んだり,指を目の中に突っ込むのありの推手がどんなに恐ろしいものか。相手の腕をロストしてしまうと,次にどのような攻撃に使われるか不確定要素が増えてしまい,反射神経に頼る攻防になるため,相手の手に粘着したままというのが基本です。打つときも相手の腕に添って勁を放てば,相手に取ってのラッキーなカウンターパンチを貰うリスクは最小化できます。確かに,そういうのずっとやっていると,聴勁は鍛えられます。剣道二段の青年に,無手の技を教えてと請われて,少しレクチャーしたことがありましたが,つばぜり合いや竹刀捌きと共通点が多いらしく,頷きながら,非常に彼のみ込みが良かったのを覚えています。試しに私の腹に彼の拳を振れさせておいて突かせましたが,何度突かせても外すなんてことが出来るところも一応見せて,尊敬を勝ち取りました。勿論,ナイフを使ってそれが出来るならば,今頃道場を抱えておりますので,飽くまで隠し芸,おひねり芸レベルですが。
動画でも肘法が多用されていますが,推手における相手のトレースを切る方法として最もシンプルで効果的なのは肘方を使うことです。近代太極拳最強の達人であった17世陳発科老師の関門弟子,馮志強老師も肘方だけで教本を書いておられますが,実戦において肘方が効果的なのは,威力があることもありますが,聴勁・化勁を駆使して王道的拳による接近戦を戦える相手には,必須だからだと思います。
追記ーリンク切れ直そうと久しぶりに関連動画見ていたら、近代太極拳最強の達人17世陳発科の関門弟子馮志強老師来日時のfor biginersみたいなデモがありました。かなり古そう。
後,偏見が横行していますが,日本の空手って,武技の中では相当強いんですよ,本当に。
ちなみに,別サイトで,女性警備員の戦闘能力の話がありました。これは土俵に突撃した女性や,現役警官の万引き犯などに後れを取った女性警備員のニュースがあって,女性警備員なんてのは単なる飾りで,女性にはそういった仕事は物理的に出来ないというような話をされる方がお出でになったわけです。私も平均値を考えたら,女性が男性よりも格闘向きであるとは思いませんが,多くの男性だって格闘向きだなんてことはやっぱり言えないと思います。
ここで,詠春拳の話です。詠春拳の開祖は,その名前が指し示すとおり,厳詠春という女性だと言われています。勿論,諸説有って伝説の域を出ないのですが,女性が創始したマーシャル・アーツだということがまた門派においてもネガティブ・イメージとならず,寧ろ誇としている故の伝説かと思います。強いものは男女関係なく強いという,偏見や先入観を捨て,良いものはどん欲に取り入れていく門派の特性と符合しています。そして,それが「女が作った武術」など使えないなんていうような偏見とは真逆で,様々な軍隊における近接格闘術のベースとして研究されている,何と武技とは楽しい世界ではないでしょうか。
女性の場合,筋力については,十分に鍛えれば,格闘可能になるのは男性同様ですし。乳房があるために,特にナイフなどを使用した格闘術では明確なハンディキャップがありますが(詳しくは書けませんが,一定の攻撃方向からのディフェンスの問題です),これは,金的という急所を脚の間にぶら下げているという男性のハンディキャップに比べたら大したことはないのではと,私は思っています。
まぁ,今時,金的けっ飛ばせば,PTSDだのEDになっただの,喚く男が多いでしょうから,覚悟が要りますが。
追記ー能力をどの時点で決めるかということについては,単純ではありませんが,男女差よりも,訓練や経験などによる差が大きいものだということを示すお話。良くできた話だと思のですが,元のソースはこちらのようです。
銀行強盗に気づいた華奢なウエイトレスが店から飛び出し、銃もないのに犯人の背後から「動くな!撃つぞ」と命令
コメントについてはいかにも今風な批判が付いています。ごもっともなので,警察だと思いこませるというテクニックが更に必要だったかも知れませんが,それくらい警察は意にも介さないと思いますが。日本ではしないのか? お目こぼしなんていえば,この女性に失礼な,勇敢で社会正義的な行為です。それと,もともとプロであったことから,素人の計算無しの蛮勇とは区別されるべきです。
例えば,暴漢に襲われた女性が,例えば「ほら,警察が来た!」という風に叫んでも,虚偽の申告になるのかと考えれば,犯人逮捕協力と自分の安全を確保するために警官を名乗ることを非難するコンプライアンス原理主義社会が当たり前だと思うのは,少し異常です。
諸外国と比べて日本人の判断能力や生きていくためのダイナミクスが疲弊しているからでなければいいのですが。
追記ー
TAKESANさんより,ブックマークコメントをいただきました。いつも勉強になります。
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Self-defense for Women #2 ‘Choke Escape’
http://complexcat.exblog.jp/9579470/
2008-09-26T22:02:00+09:00
2017-06-14T14:07:34+09:00
2008-09-27T17:37:20+09:00
complex_cat
Cat Kick Dragon Fist
こちらのエントリにいただいたまるさんのコメントを読んでいて,落ち込ませてしまってはいけないなと思ったのと,その恐怖感が過去経験からリアルだということで,もう少し簡単な方法を検証してみました。いわゆる,後ろを取られて襲われた場合の対処法です。
襲う方の反応や本気度によって,こういうのは結構使えたり使えなかったりするので,この技も微妙な部分は勿論含みますが,いろいろ見た中では,シンプルで,初級?の暴漢には使えるかなと。Women's Self Defense for Rear Assaults : Women's Self Defense Choke Escape Turn (こちらの方の動画は,直接埋め込めないようになっていますので画像はスティルのみで,ここをリンク)
ポイントは二つ,いや三つ。
1)どちらの腕で締められているか,締めてきている相手の腕の肘が右手に触れば右腕と瞬時に判断。
2)手ほどきと同じなのですが,後ろから締められている自分の位置を,相手を相手の腕の反対側の位置に置くようにステップして,自分の頭の側面部を相手の胸に押しつけて支点としながら時計方向に体軸と一緒に頭を90度回転。
この動画では使われていませんが,相手が思いっきり力を出してきている場合,或いは後ろに引きずられるほどの状況に既に陥ってしまった場合は,締められてきている腕に両腕でぶら下がるようにすると一瞬ですが弛みやすいです。相手は,襲った人間を支える方に力を使わなければならなくなりますから。飽くまで崩す効果があるのは一瞬です。この脱力するというのは,合気道でも教えておられるようですし,太極拳の捨己従人などの技術でも被ります。下手な力を出して抵抗せず,いきなり脱力すると,襲った相手をホールドするために使う力に一瞬齟齬が生じます。意識的に「死体」いや,言葉が悪いので,「水袋」になった瞬間,相手はその瞬間,体勢を変えなければあなたを持ち上げられなくなります。そこに絡んだ腕を外すスキが生じるということです。
3)バックステップして絡んでいる相手の腕を外すときに,相手の腕を掴んだままでいれば,そのままサブミッションが掛かります。相手の危険度が高ければ,そのまま地に押しつけて,しっかりダメージを与えるというのは重要なポイントです。そうしないと,もう一度「問題を解く」はめになり非効率的でリスキーです。1回外されると,相手は精神的に手負いになるわけで,そこで諦めてくれない場合のその相手は,ずっと危険な相手になります。
この女性インストラクターの方の動画はいくつか見た内で,信頼できるテクニックになっているようです。相手が締めるもう片方の手でこちらの後頭部を押さえてくる,いわゆる裸締めの基本で締められた場合,中級暴漢対策です(こちらの方の動画は,直接埋め込めないようになっていますので画像はスティルのみで,ここをリンク)。相手の膝の下の急所に肘をこつんと当てるシンプルな技です。勿論,プロのサブミッション・アーティストが決めたら,こんなことする間もないことだけは付け加えておきます。私も少し教わっただけで,この技だけは人よりは簡単に決めることが出来るようになりました。武技や格闘技を使って,女性を襲うような人間は,最悪の存在だということで,実際,余り表には出てきませんが,某名門門派の闇の歴史の中や,そこまで行かなくても小物の格闘家や中国武術家など,ときどき出現するので,油断なりません。 アメリカにおける女性護身術インストラクターの多くは,Rape surviverの場合が少なくないそうで,べらぼうなモチベーションにより肉体を鍛え上げたりしておられますので,日本人の平均的な女性がそのまま使えると考えると齟齬が生じます。実際に「技は力の中にあり」のレベルなので。もう少したおやかな女性が技でというのを探しておりますが簡単には見つかりませんね。
さて,動画のポイントは,背後から首を襲われた場合の対処の仕方として,腕ほどきの方向に動きながら,金的を含む急所に効果的な打撃を加えながらやると,仕事が楽だということです。
こちらも,これに関連して参考としますが,実際は,鵜呑みにすると一寸危ない動画です。相手の足の後ろにステップバックする部分だけ参考にされて下さい。
この場合,完全に相手の腕を外してから倒していないので,首を絞められながら相手が倒れるまま一緒に引き倒されていなければおかしい,悪い例です。YouTubeに数多あるセルフ・ディフェンス教室の動画は,女性に「自信」を持たせるためか,営業サービスなのか露骨にやられてあげている例がほとんどで,私が,一番最初にSystemaの画を出したのは,それを嫌ったためです。こんなの信じたら,お嬢さん,あなた,死ぬよ,というのが沢山あります。
一つ目のポイントは,例えば両腕で締めてきた場合,相手は最初の瞬間だけ,無防備であるということ,最も近い距離の急所(喉)に一本拳か抜き手,或いは仲立ち一本拳を入れる用になっていますが,相手が本気で力を出す前に対処しないといけないということ。だから,頭で知っていても,瞬時に勝手に動かないと効力は発揮できません。
‘self defense’‘choke’,「護身術」「後ろから首」で検索するといろいろ引っかかってきますが,この世界,ある意味トンデモ技の巣窟というか,こんなの使える方法として教えているのならもの凄く危険だなと思ったりする動画がかなりあります。どれとは言いませんが,自分も相手も激しく動き回っている状況において,本気で自分を襲うような相手に耳を掴んで相手を制する技というのは私の経験からいうと無理だと思います。髪の毛毎わしづかみにするか,相手の耳の位置はリードにして,目の中に親指を押し込む方がずっと確実です。それと相手の小指と薬指の間にこちらの手を潜り込ませると,小指を掴んで,ある方法を持って折るか脱臼させるなど,危険度によって迅速に決断して実行する必要があります。後ろから本気で力を出されて裸締め食らったら,男性でも剛法や急所攻撃を使わずに抵抗するのはかなり大変ですが,一方で,きちっとした絞め技の修練を積んだ経験がない暴漢の場合,漬け込む余地は結構あります。逆に言えば,暴漢がサブミッションのトレーニングを受けている場合,回避率は下がり,危険度は上がりますが,このあたりの見極めをする余裕がない場合は,最初から思いっきり行くしかありません。勿論,見極めるにはそれ相応のリスクが掛かります。
逆に言えば背後からいきなり襲われた場合,暴力行為の危険度が高いので,それ相応の手段を使っても過剰防衛にはなりにくいでしょう。
飽くまで上手く行ったときの初歩的な剛法。後ろ蹴りは,実際の男性相手に繰り返し練習しないとどう当てれば効くのか分からないため,使い物になりません。一日,百本単位,それを続けて数ヶ月。ある意味最も短期的に使えるようになる方法です。
金的への打撃について,イメージが出来ない女性に対して,この真面目にアホな実験映像は,かなり参考になると思います。蹴り上げなくても正面からゆらしてもいいのですよ。
こういう動画メディアを利用した恐らく黎明期の女性における護身術の貴重な映像。女性のメイクや雰囲気が本当に1930年代。いかん,レトロな雰囲気に惹かれて話が逸れてしまいました。
最後にYouTubeでは,the Self Defense Woman(女性自衛官じゃないよ) ことMs Lu Parkerのプロモーションもの。この人は,結構有名らしく,軍隊戦闘術の応用技のように拝察しました。でも,Systemaの完成型とか見ていると,技の質はまだまだ力の技です。女性であるほど,高い技量がないと,力で対抗したらやられると私は思っています。基本的に,筋力つけてラフ・パワーで戦うというのがアメリカン・スタイルでは一般的です。
ところで彼女の護身術の動画において重要なポイントについてのテロップが出てきます。何だろうと思ってみると。
・常識を働かせよう。-Use common sense -自ら危険な場所や時間帯に動いたりしないってことでしょうね。知人の格闘家には,退屈すると危なそうなところに行って,俺を襲え,襲ってくれってのがいましたけど,襲う方も常識を働かせていると思いますので,どのくらい意味があるかという問題。
・周囲に気を配ろう。-Be aware of surroundings -挙動不審にならないように。目立つと逆にカモになっちゃいます。いつも壁を背にする女性とか利き腕を預けない女性とか,ギャグにならないようなバランスが必要です。護身は具体的なアドバイスを出せと言うとそういう話を本気でされる方もお出でですが,多分想像力の欠如かと思います。それ自体がギャグかも知れませんね。
・本能を磨こう。-Listen to instincts- 猫に学んだらよさそうです。チコに学んだ長男は,実際空手を喧嘩に使うことを止められていましたが,空手を使ってくるいじめっ子に対して,チコから学んだ技で反撃して身を守ると同時に,相手を引かせたことがありました。相手も驚いたみたいです。
とまぁ,極めて常識的な話が出てくるあたり,混ぜっ返したくなります。銃社会でなくても,絶対的な窮地に陥ったら技で切り抜けられないことの方が多いと思いますから至極当然だと思いますが,普通リスクを感じる状況では,女性なら本能云々はともかく(といっても襲われる経験の多い方は,そっちの勘はよく働くという話です),改めて講釈すれば馬鹿にするなと叱られますね。
最後に,戦闘術で危機的状況を切り抜けた後必要になる護身技術の最後は,「逃走術」だということをお忘れ無く。安全なところまで逃げる。あるいは助けを呼んで,保護してもらう。そこまでをゴールだと認識しておかねばなりません。
私がアパートの一室で寝込みを襲われたとき,師の雷声(発勁時の気合い)を真似た声とともに相手を蹴りこんだので,その声を聞きつけて階下に住まわれていた大家さんは,「多分,上の青年の部屋に賊が侵入して,下手すると殺されちゃったかもと思って(汗)」怖くて夜が明けて周りが通勤時間になるまで動けなかったと後で話してくれました。人が居られるところまで逃げても,安心してはいけません。ちゃんと自分の身柄を保護して盛られる状況までをゴールと考えて,そこまで全力で逃げでもなんでも,たどり着くことが肝心です。
で,見て見ぬ不利をする社会や,女性への暴力に対して感度の鈍い社会では,人の沢山居るところに逃げ込んでも誰が助けてくれるのかという問題があって,そこで意味をなさなくなります。不思議なことに,サポートを男性に頼むとかいうオプションは,自衛を説かれる方から普通に出てくるのですが,自分が護身の最後のフェイズである「戦闘」に巻き込まれても,格闘術的にも,法的にも安全に始末が出来るのか,その辺りちゃんと考えているのかなという問題もあります。
自分が隣人愛レベルで戦うなんてことは端ッから想定されていないのでなければ宜しいかと思います。
追記ーTAKESANさんがこのテーマ,エントリにしてくださったようです。合気道的アプローチによる解法として,自分も相手も怪我をしないという理想型において,私がご紹介した動画よりもある意味大変参考になります。
斉藤先生の神技を見ていると,YouTubeの「護身術マスター」に多いラフな力に頼る技の限界を知らされます。]]>
Self-defense for Women
http://complexcat.exblog.jp/9567628/
2008-09-25T19:08:00+09:00
2008-10-06T11:41:30+09:00
2008-09-25T19:08:57+09:00
complex_cat
Cat Kick Dragon Fist
丁度,TAKESANさんの良いエントリを拝見しましたので,女性における護身術について,少し考えてみたいと思います。大学時代に,師による女性を対象とした護身術フォーラムの手伝いをしたことがあります。女性でも男性並みの体力をお持ちの方もお出でですが,そうでない場合が矢張り普通でしてその場合,多くは「技」を機能させるのは困難で,まずは,最低限の基礎体力を付けてもらってから,力の抜き方(といっても必要な筋肉だけに効率よく仕事させると言うこと)を教えるというプロセスにならざるをえないのを実感しました。男でも自分を襲おうというような人間を倒すのは,簡単ではないので,実際致し方ないのです。
もしも「女性が使える」護身の技を本当に上手く構築できるのならば,それは力に頼って相手に且つ粗暴な技よりも,現実的で役に立つスキルだと思います。でも,これは本当に難しいですね。YouTubeにその手のアメリカの護身術教室の宣伝動画が山のように載ってますが,どれも,逆に危ういなぁと思ってしまいます。なんだかお互いテレながら,料理教室みたいな雰囲気の動画ばかり。上のものは,金蹴り練習などやっておられますが,いわゆる女性のための護身術教室ってのは,良くも悪くもこういう雰囲気のものが多いです。
Rape surviverのためのカウンセリング・プログラムや戦闘技術で知られるRape Aggression Defenseは,流石に,もう一寸緊張した雰囲気が流れています。模擬戦闘とはいえ,本気で力を出して襲う防具に身を固めたボランティア青年をボコボコにするのは,この動画の通り,かなり実践的でそれなりに考えられているのですが,やはり,実戦とは一寸違うなと感じざるをえません。ワイフがもしもこういうのに行きたいといったら,一寸迷います。彼女は,私が結婚する前は,私よりも強い私の後輩に,通備門系八極拳の低空の蹴りを習ってずっと練習しておりました。軌道はかなり危険なところに飛んでくる蹴りです。子供を三人産んだ今は使えるか,一寸怪しいですけど。
これらのプログラムより,あれをもう一度練習した方が良いと思っています。あれは,確かに人を倒せる技でした。
戦闘能力を感じさせてくれた女性インストラクターの動画が,上のもので,このブログでは既出です。ロシアの誇るSystemaの対ナイフテクニックですが,武術的には,初歩の初歩を教えている状況なので,そんなにレベルの高いものではありません。それでも,男性に混じりサブでインストラクターを務める女性はちゃんと眼法も出来ていて,一種独特のネコ科肉食獣の光を放っています。それなりの修羅場は知っていそう。 先ほどのRADのプログラムでの動画はいくつかYouTubeにアップされていますが,それらと比べて,このシステマ・ウーマンのレベルの高さは圧倒的です。 最近,女性を不良外国人から救おうとした男性が,相手に怪我をさせて6年の実刑判決の判例がありました。この例を見ても剛法だけではなく柔法も知らないと,真の意味での法治国家における護身術にはならないという気がします。手加減していても,顔面とかに剛法を使った攻撃技を行うと,「思わず投げ飛ばしてやりました」という弁解に比べると。「思わず殴りました」という弁解は,結果的に警察の心象に悪く働くことが多いと思います。また,急所をやんわりと蹴ってもPTSDになったと逆に訴訟されたりするリスクもあります。そういう意味では,今時護身術はやっかいな問題を含んでいます。私はベランダ越しに暴漢に侵入されて寝込みを襲われたときに,手加減するというか考える余裕が無くて,こめかみと下腹部に蹴りをぶち込みましたが,手加減になっていなかったと思いました。下腹部に入った蹴りは,そこに走っている血管やリンパを傷つけられる深さまで「入った」,とても「嫌な感触」が今でも残っています。一定の打ち方で打ったり蹴ったりすると,内蔵の奥まで「ぬるり」と入る,知っている人だけに分かるあの打人感覚です。
だからその相手はある意味で「良い人」だったから,後で揉めずに済んだのかなと思ったりしました。隙あらば,私に仕返しするようなことは考えず,ご迷惑をかけましたと,犯人氏からは,あとでマスクメロンまで貰ってしまいましたが,私はそれを当たり前だとも思いませんでした。結果的に運が良かったと思いました。
暴力系のストーカーだったら,1回勝ったからといって,終わりになりませんで,その後からが面倒になる場合だってあります。相手を傷つけずに制するというのは,一見非現実的な理想のようで,実は,身を守るためには,絶対にそこを目指さないと危ないと思って稽古に励むべきでしょうね。手加減する余裕のない局面はそれはそれとして。
何処までから過剰防衛なのか,非常にデリケートな問題だと思います。私の師の場合,家に逃げ帰って,刃物を持ってもう一度現れたりしないようにするレベルまでは,過剰防衛とは考えたりしませんでした。状況や相手によっては,二度と会いたくないと思わせるレベルでなければ,ずっとトラブルを抱え込むことだってあります。逆に相手が報復に来なくなるまで何度も何度も返り討ちにした人のお話を知っています。某流派世界大会2位の方で,そこに至ったいきさつについては,ご本人にもどうやら責任があるようでしたが,普通の人だったら精神的に参って最後にはやられていたかも。
護身,正当防衛といえども,相手に手を出すというのは,場合によっては,余計な縁も出来るわけで,そういうことまで考えての護身術だと思っています。正解はないと思いますが,相手を傷つけないようにするというのは,矢張り基本かもしれませんが,それも,その場の判断で行くしかありません。
普通の女性は,自分が相手に怪我をさせること自体にも恐怖されます。人を怪我させるよりは,自分が結果的に酷い眼にあった方が,まだ良かったと思われたり,相手を傷つけたこと自信で精神が危うくなったりするのは普通です。だから,身を守る場合,機械的に,最後の極めまでの流れを身につけて貰うしかない場合が多いのです。通用するかしないか,そこまでやって後で考えよう。途中で相手に手加減できる余裕が出来たらそれも良しって。でも,私が強く感じるのは,そもそも女性を襲おうという人間に手加減すると云うことが,結果的に呼び寄せるリスクも,知っておくべきだと思います。極論するならば,過剰防衛かそうでないかなどというものは,非当事者による結果論で,なんとでも言える人のある意味,傲慢で勝手な言葉だと思います。
コミック「拳児」において,陳家溝を訪れた拳児が大極拳の学校を見学して、そこにいた 清と呼ばれる老女に非常に厳しいことを云われるシーンがありますが,そのモデルになられた女性は,娘時代,暴漢に襲われ,思わず発勁で打ち倒した後,精神を少し病まれたと伺っております。暴漢は彼女の発勁を食らって即死しており,彼女はその直後に行方不明。夜の闇の中を村人が総出で探したら,井戸の中で震えていたということでした。
この話は,とても象徴的で,高い武技を持っていたとしても,人を決定的に壊してしまうと人は大きなショックを受けます。特に女性の場合,それよりは,自分が傷ついた方がマシだと考えるのは,寧ろ普通だと思います。護身術のモチベーションを持っていただくには,自分も相手も傷つかないというレベルを,目指すしかないのかなと思ったりしますが,これは,短期的に手に入ることはあり得ないので,護身術という短期的に身につけるのが善とされるスキルから考えると矛盾します。
心法と乖離して成り立つ武技はありません。護身術は下手すると,自分も相手も最悪の傷つけかたをするわけで技とメンタルな部分どのように教えるべきか,理解するべきかそれが最も重要だと思います。
そういう話もあって,護身術は,いろいろなリスクを含みます。そのリスクを軽減する鍵は,化勁と柔法だと私は思っています。ますますハードルは高くなりますが,それが最善だと,合気道の開祖も考えられていたのではないでしょうか。近代太極拳最強の達人であられた陳家の17世,陳発科老師は,全ての試武で相手を打ち破りながら,無敗。それでいて相手に怪我をさせたり恥をかかせたりしなかったという恐るべき至高の武術レベルで知られております。武技において誰も傷つけない,敵を作る必要がないレベルにあるというのは究極の護身術かもしれません。
実は,自分が習った技の化勁や柔法への展開については,全く感が取れていなかったのですが,こちらへお邪魔するようになって,いろいろ情報交換していただいている内に,当時解読できなかった師の教えが,パズルのようにするすると填りつつあって,今は柔法への展開を考えるのが楽しくて,自分でも驚いています。]]>
フェンシング,もし戦わば
http://complexcat.exblog.jp/9372462/
2008-09-01T21:59:00+09:00
2019-07-16T14:05:01+09:00
2008-08-26T19:42:35+09:00
complex_cat
Cat Kick Dragon Fist
日本の剣術の達人と、西洋のフェンシングの達人と、中国武術の達人が、それぞれ真剣で戦った場合に、誰が一番強いでしょう?また一番弱いのは誰でしょうか?
猛獣もし戦わばのようにこういう質問が成り立つと思っておられるようですが,質問者が前提条件についての問題を十分理解されているとは思えないのです。しかし思考実験としては,面白い部分もあるので,乏しい知識を総合してみます。 まず,日本刀の中国武技に対するアドバンテイジを示す歴史的事実について。
中国武術で,大陸一の高手の評価も得たことがある達人を産んだ馬家(まーちゃ)には,苗刀という武器術が伝わっています。これは日本起源の和冦の太刀が伝わったもので,そりのない長い太刀です。当時中国の剣や刀が全く歯が立たず,白兵戦のコアテクノロジーとして日本から中国に秘術として導入されたものです。今の日本の剣術とは違い原初的な技も多く,又,一方で江戸以降作られることがなかった業物が基本というところで,単なる円錐形の先の尖った中国の剣や振り回すことでダメージを与える中国の刀に対して日本刀という武器自身がいかに優秀だったかと思います。その系譜である日本剣術はそれだけすぐれたハイテク兵器を使った武器術だと思います。
一方で,戦前の剣道の訓練を受けた当時剣道四段、居合四段の故沢井健一先生が木刀を持ってしても,国手(ゴッドハンドみたいな称号です),意拳の達人,王向斉老師の持つ短い棒にどのような打ち込みもかわされ,その武技の高さに一週間におよぶ請願の末,弟子入りされたという話はあまりに有名です。超達人級の組み合わせを考えるのは非常に困難ですが,そうなると,学んでいる武技の優劣ではないかも知れないと察しが付きます。それだけ,どちらの武技も頂上は高いと考えた方が良いので,達人同士の勝敗を考えれば考えるほど,中国武術(武器術)VS日本武術で武技の優劣を語るのは,難しくなります。
ちなみに,日本の槍は強力な武ですが,中国の纏糸を用いた運用は通常の槍術には出てきませんで,芸中の王とされる中国槍術のアドバンテイジを述べる方もおいでです。化勁(くずし)につらなる日本武術の精緻さは実際の達人の動きには明確ですが,その点において精緻な動きは日本の槍よりも中国の槍術に分がありそうです。
さて,一方のフェンシングですが,独自にヨーロッパで進化したように見えて,源流では元帝国との交錯も有るわけで,このあたり,武術や武技というのは,案外,古代〜中世〜近代の人の流れの中で,様々に影響し合っていますので,長所などは導入されたりしています。あるいは,人の生き死に関わる戦闘時における勝って生き残るノウハウとしては収斂現象が生じていてもおかしくないので,近代以降が独自に進化を遂げていたとしても,源流をたどると,それぞれを単純に別物と考えるを本質を見誤る可能性もあります。ロシア特殊部隊が誇る格闘術システマも大陸の古武術を再統合したものですが,槍術なんかも伝わっています。一見,もっさりしていますが,御殿手の箒術を見たときと同じ感想を持ちました。
戦闘理論は太極拳や八卦掌などと通じるものがあります。どれもマーシャルアーツなので当たり前なんですが,風格が違うので,知識がない人は多分,別の武術としてみてしまうでしょう。
この動画への書き込み,ロシアのものに対する特に米国民の対抗意識が多分に働いているようです。残酷,暴力的だと通知されたようで,年令認証のチェックが入るようになってしまいました。私などハリウッド映画と同等だと思いますし,バックのEvanescenceの曲も好きなので,音楽の方でも楽しんでしまいますが。
御殿手も見られます。何でもかんでもというわけではありませんで,武技の収斂現象に興味を持っています。異なるアプローチで同じ戦闘スタイルにたどり着いた場合,そこには,武術の真実があると思っておりますので,貼っておきます(すいません、既にリンク先消滅)。
話を最初の質問の解答に戻しますが,フェンシングは軌道が纏糸を描いて的に誘導されるミサイルのような精緻なもので,これはフレキシブルなフルーレではその使い方は顕著です。いきなりやれば,剣術の達人としてもやりにくい相手でしょうが致命傷を与える前にすぐれたハイテク武器である日本刀の一太刀を受けたりかわせるかというとかなり難しいかも知れません。更に実践的なエペもしかり,心臓か首,目といった急所を貫く速度は圧倒的で,それが決まるかどうかが勝敗の分かれ目でしょう。切ることの出来るサーブルについても,最大105cm(刺身最大88cm),重さ500gとなっていますから,日本刀の太刀を防ぐには役不足です。防禦技術は剣先をそらしてやるという技術に特化しておりますが,切り結んだりするような用法を使わずに急所に過激を加えられるレベルでないと重い日本刀を処理できません。一方で,日本刀を構える籠手を狙って簡単に切り刻めると思っている方も多いようですが,剣道有段者の籠手が簡単に突けると思ったらやってみると良いでしょう(すいません、既にリンク先消滅)。
それでも,頭の中で選手の動きを見てシュミレーションしてみましたが,通常の道場剣法ではあれほどのフレキシブルな軌道を持った高速の突きは簡単には処理できないでしょう。達人クラスでは,「左目」とか「首」とか言ったところを攻撃しても,その辺の棒振り剣法では避けられないでしょう。直線的動きであっても本当の武技の動きでは見切れるわけではありません。
ここで,戦前の日本剣道の最高峰の達人でありながら,アメリカでフェンシングでもNo.1のスーパースターとなった森虎雄先生の存在が,いろいろなものを示唆してくださいます。
突き技に加えて切り技もあるサーブルが得意であったとされるタイガー・モリですが,これは,剣道の理合をそのまま最少の修正の元に応用したら,当時のアメリカ・フェンシング界でも無敵であったということで,当時の日本剣道界の達人が,サーブルを手に取ればどうなったかという思考実験が,現実化してしまった特異な例です。結論として,日本剣術のレベルの高さというものに慄然とします。
タイガー・モリと呼ばれた男―幻の剣士・森寅雄の生涯
早瀬 利之 / / スキージャーナル
ISBN : 4789920399
一方中国武術的な剣とは特に長拳系の技とは類似性が高いので,中国武術の方がフェンシングを上手く処理できるような気もしますが,あそこまで極端な武器は中国武術でも想定していないとは思います。この場合,双剣ではなくいわゆる太極剣のような両手で扱う剣を考えたとして,日本刀よりアドバンテイジがあるとはとうてい思えないところです。フルーレで背中を襲う技は,まるで三節棍ですから。実際に人を切り裂き突き通せる兵器を遣った場合,それであらゆる状況を想定して戦闘するノウハウを持った武術家は,今の時代,ほとんどおいでになりません。練習すれば,人殺しちゃいますから。そのイメージを実現するのは無理だとするとどこかで妥協点を考えねばなりません。
結論,
それぞれが,完成された武技なので,想定される対峙する達人のレベルにより勝敗が決定される成分が大きく,3つの武技における兵器術(これ中国武術的な言い回しです)の優劣というのは決まらない。人によって決まる。
達人の前提条件は,僅かな対峙の場面から相手の技を見切ることですから,この学習能力もずいぶん勝敗に絡んでくると思います。∞とすると,それぞれが相手に後れをとる理由はないかも知れません。フェンシングを基準に考えると,あの誘導ミサイルのように飛んでくる切っ先のコースを変えて自分の攻撃のみを当てるということについて,紙一重の技です。日本刀を仮想敵とする日本剣術については,かなり戦闘法を即座にモディファイして対応できる能力とその効果いかんでしょう。そして,フェンシングの武器やテクニックは数キログラムもある鉄も切れる日本刀を受け流すようには出来ていませんのでこれも即座にずれを修正して別の戦闘戦略で対応できる達人であれば,きわどい勝負になるかも知れませんが,現実的にそんな人が居るかというと少々疑問です。タイガー・モリですら,驚異的な順応能力とベースとなる圧倒的な剣技があっても初回は,それほど当時レベルが高かったとは言えないフェンシングクラブの幹部とやって完敗しています。勿論,相手がサーブルの切れる奴,森先生が日本刀の真剣で命をかけた試合であったらその剣が後れを取ったとは思いません。戦前の実戦経験がある方なので,満州では軍刀で実戦を経験されておられます。戦前の剣道家なら真剣との技術の乖離は埋めるべく,されているのは前提条件です。
他に,例えば居合道,示現流などでは,また,戦闘理論が違いますし,ファンシングや中国武術系でも,寧ろ,独自発達したこういった日本剣術の実戦性には手を焼くはずです。初めて対峙したら,最高の武術的段階に達していない限り,対処するのは容易ではないと思います。
ちなみに森寅雄先生の剣道は,千葉周作直系で,剣術としてはエリート中のエリートですが,それでも,一定のルールで試合すれば,当初はフェンシング相手にせずにというわけにはいかなかったわけです。だから,双方において生死が決するまでの僅かなチャンスで,対峙した相手の武技の知識や手合わせした経験があるのか無いのか,また,技を見きれるかどうかと云う問題は勝敗に対しては大きいかと思います。
円圏と纏糸的な特性を持つフェンシングの理合とフレキシブルな剣を考えるとあれは,剣に中国槍(何度も申し上げますが芸中の王)や軟兵器,飛び道具の長所を持たせたようなものなので,中国武術的にも,同等品だと思います。唯一の短所は,急所に入らなければ,完全な致命傷にはならないということぐらいでしょうか。これは,勝敗が決すればいいタイマン用の武器であって,一撃必殺の殺傷能力を追い求めたという武器ではないのですが,破壊力は落ちても大きな問題にならならなかったからでしょう。日本刀が武器として強力なのは,なんと言ってもその部分です。一方で,フェンシングの攻撃技に対して,森先生の崩しや後の先などの技は,当時にあっては完全に通用して相手を凌駕しておられます。変幻自在のフェンシングの攻撃技であっても,高次レベルであれば,日本剣術の理合で,問題なく対応できるのです。ただ,今は,分かりません。その術理は,フェンシング界に当然のごとく吸収されているでしょうから。武技とは優れた相手に一度でも見せた場合,永遠に通用するものではないからです。
仮にシミュレーションで対峙する闘技者のレベルを現実的なレベルに下げていくと,各自の持つ技量と戦闘のための戦略のようなものが勝敗を分ける可能性がある。その場合,致命傷をより先に与えて致命傷を蓄積できるかについては,フェンシングはかなり強力かも知れません。しかし,踏み込んでの突き技というのに慣れていること,日本刀をそれなりに使いこなせることという条件があれば,後れを取るとは簡単には思えませんし,実際に,明治時代に,旧日本軍の武術としての存続をかけて行ったフェンシングとの試合では,日本剣道が勝っています。
でも,その頃と比べてフェンシングも進化していると思います。ただ,実戦性というところのフェンシングの一流派というのは,第一次世界大戦後は衰退しています。欧米の軍隊格闘技では,寧ろその系譜は,ナイフ格闘術に移行しているようです。武技の複雑なところは,実践的でないスポーツとしての進化が,意味があったり,全くなかったり,これも簡単ではないということもあります。
早瀬氏の描いた上述の「タイガー・モリ」の生涯をベースにして作られたTV番組。
流れを追っていますし,脚色は少ない方。森虎雄5段(戦前なので,現在では7段と同等とのこと)の得意とした恐るべき突き技が,何らぶれなく入る剣道の試合の貴重な映像もあります。
ちなみに,不世出の美剣士の波乱の生涯は,各方面に影響を与えていて,勇猛果敢で日系アメリカ人の名誉回復に大きく寄与した二世部隊の戦闘技術においても,彼の指導が背後にあったようです(すいません、既にリンク先消滅)。
二世部隊物語―The 442nd regimental combat team+the 100th infantry battalion (1) (ホーム社漫画文庫)
望月 三起也 / / ホーム社
ISBN : 4834271919
442部隊の勇猛果敢さについては,私が少年期,最も愛したコミックの一つである望月三起也氏の名作で知ることが出来ます。まぁ,ドキュメンタリーではないので,内容はMangaであって,ちょっとばかり違いますけど。
人あるは心 武技の優劣を形により競うは滑稽の極み
武技も最初に形ありて 終わりには形なきものにて勝敗が決す
それが,私の結論です。柳生真影流が何処に無敗の剣を求めたのかというような話になっていきますね。意拳の国手の技についても,形があれば,当時にあって沢井先生ご自身がなぜ破れたのか,その理屈を理解できたはずですが,そうではありませんでした。そのこと自体,大変な話です。
とりあえず,戦わなければならない状況で,エモノが転がっていたら,私の場合,日本刀は使いこなせない,自分の足を切るのが関の山だと思っていますので,手を出せません。サーブルは機会があれば,一度手にして(持ってちょこっと振ったことはあります),いろいろ研究したいと思います。純粋に武器術として。困ったおっさんです。
それでも,やっぱり,棍か杖か。刃の付いていない長兵器を手に取ると思います。
実は,刃物,余り好きじゃないんですよ。
「どんなに日本刀が凄くても竹箒には敵わないよ。」(本部御殿手第12代宗家上原清吉翁の言葉 )
これ,マジですからね。竹箒も良いかも。
私の手元にある上述の著作は,巣鴨学院の関係者に配られたものです。森先生の母校ですね。OBでしょうけれど,古本屋に売ってくれて有り難う。印入りでしたので,二束三文でした。
ここ,笑うところかな。
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気の体感方法と諸問題1
http://complexcat.exblog.jp/8989256/
2008-07-07T22:47:00+09:00
2009-03-23T19:12:07+09:00
2008-07-07T18:48:42+09:00
complex_cat
Cat Kick Dragon Fist
TAKESANさんのエントリへのコメントの流れから気の体感方法について,書き起こそうと思いました。私自身,これを神秘体験だと思ってないのです。なぜかって,神秘と決める以前に,まだ検証する余地があまりにも沢山あるからです。でも,多くの人が,例えば「波動」とかを用いた危うい商売をやっている人たちにとっては,「気功」というのは,見かけ非常に関連領域としては近いようで,詐欺行為を行うには良いツールになり得るのと思います。魔法使いだと見せかける人たちに対しての防衛術ネタとしては,こちらの土俵の上で,少しずつ披瀝しておくことは,有意義だと思っています。反疑似科学批判論者たちは,疑似科学批判する人たちが,自分たちが知っている深い世界を知らないからだというロジックを使いたがりますから。
また,それが真に不可思議なものであったとしても,神秘体験可能なことと,その団体組織製品の価値とは全く関係ないどころか,逆にそれを売り物にするような輩の方が自らが危ないと喧伝しているようなものだということは知っておかなければなりません。
それでは,とりあえず,以下は初歩的な発気の方法です。 いきなり微妙な話になりますが,気の発動トレーニングについてです。簡単な発気の手順といったらよいかも知れません。導引という言葉で体内で気を動かすトレーニングのことを言いますが,これは発気の方法です。
科学ブログでランキングトップの座をディフェンディングされているg-hopさんのブログで,一度,この境界領域的な「気」を扱った生命科学分野の論文紹介がありました。ぎりぎりネタなのかどうなのか,g-hopさんにとっても悩ましいレベルのお話なのですが,今回,気を体感する方法を書かねばと思っていて,そこで,いつもの私の冗長なコメントとg-hopさんのやりとりで既に書き散らしていたのを思い出しました。
エキサイトの検索はへたれで,全く役に立たないので,ググって見つけました。
引用します。
Commented by complex_cat at 2007-01-04 14:52 x
またまた,過去の鉱脈発見。過去ログ・レイダースでございます。
失礼ながら,再びTB失礼いたします。
ウン十年前は,まともな科学雑誌も,お茶目をしていたという話です。ちょっと工作すれば,あなたのサイキック能力を検証できます。
これは,過去記事のψモーターのエントリーからのTBについて申し上げている部分で,気とは直接関係ありません。情報リテラシーなど今よりもずっと酷いと思われる時代,偽科学に引っかかった科学雑誌のお話です。
気は,武術関係逃げられないようでいて,まともな師は,一切言及しません。反射神経を超えた反応みたいなものを見せられたりしますし,驚くことは多々ありますが,飽くまで武術は物理法則,身体コントロールの分野のみで弟子を導きます。いや,例外もおられましたが,これは,一種の同調能力なので,物理的に影響を与えるなんてできない話です。
これは,私の最初の師が懇意にされていた新軀道の青木先生の弟子を使った稽古における遠当ての術で,脳波がシンクロして倒れちゃうと云うやつです。脳波云々は,多分ソース無しで喧伝されているだけだったかも。興味深いけれど武術的には全くもって関係ない技ではあると青木先生も仰ってます。
以下に,気を体感する方法です。少し文章を弄りました。
私だって,相手の掌との間に,蒟蒻のような粘りけのある物体があたかもあるような感覚を感じることが出来ます(これ,普通にやっていると誰でも分かります)。目をつぶっても押したり引いたりが分かるのですが,熱線感知を物理的な圧力と勘違いするのか,十分検証なしでは,だから何なのという感じです。少なくとも,マスコミでの扱いは,痒いところに全然手が届かず,一度NHKでもやった気の特集番組は,今のマジックショーレベル以下でした。
普通に「内家拳でも外家拳でも練習」やっていると感じるようになるという意味です。私は出来ませんが,日本古武道でも空手でもいけるかも。マスコミで気を扱った事例としては今から20年近く前にNHKが少しオーバーランした経緯がありますが,その時もいわゆるヒーラーとしての気功師ばかり扱っていて,強力で迅速な「発気」を可能とすると言われている武術気功については,概念も情報も持ってなかったのでしょうね。全くスルーでした。
「気」は気のせいレベルの感覚ではなく,物理的圧力として感じることが出来ます。少なくともそっち系の同調圧力とは無縁の私の場合,物理的圧力として感じることができずに「なんか温かいですぅ」なんてレベルだったら,最初から気にしてません。そう,気だとは思っていません。人間は生きている限り熱線を出してますから。ただ,その熱線感知を,物理的圧力と誤認する仕掛けがもしかしたらあるのではないかというレベルで止まってます。いわゆる眩しいという視覚情報を鼻腔への刺激と脳が勘違いしてくしゃみが出るとか五感における錯覚というのは,私たちの体においては普通に存在するのですから。目に見えない蒟蒻状のものを掌の間に感じるからと言って,直ぐに神秘体験にしてしまっては,危ういですし,魅惑的な体験ならば,なおさら,そういう拙速なカテゴライズはモッタイナイですね。
Commented by g-hop at 2007-01-05 15:28
complex_catさん
過去ログの発掘ありがとうございます。じゃんじゃん掘ってあげてください。この論文は偶然見つけたのですが、すごく印象に残っています。本当に色々なラボで追試していただきたいものです。
手のひらの間のコンニャク状の感覚ってどうやったら感じさせられるでしょう? 文章では説明不可能ですか?
Commented by complex_cat at 2007-01-07 23:23 x
ええと,時間があるときに整理して書いてみます。簡単に書けば,1)対向した両手の五指を曲げてゴムチューブで相互に繋いだ感覚を持って,指の腹を着けないように僅かにすりあわせるように数十秒緩やかに回転させる。2)手の指を伸ばしながら,そのゴムチューブをそおっと千切るイメージで指を揃えて伸ばす,千切られたゴムチューブが手のひらの間に落ちてくるのを手のひらで挟み込むようにする(するとそこに目に見えない蒟蒻が・・・あるはず)。
これを,站椿と呼ばれる,立禅の姿勢のまま行う。てなところです。飲んだ席でやって数人が,あれッ?と感じたりしてました。
「気」と呼ばれるものの体感が,何なのか,感じているいるから存在するなどと云うレベルの話ではどうしようもないという立場を取っているので,そこから話が進めるのは容易でないことも確かです。また,日本古武術における「気」は,中国武術の「気」と「勁」の両者が混ざっております。長くなるので,別の機会に。
私は,地磁気の流れに対する感知能力についてのJ. Mamm.の論文が印象に残っています(対象哺乳類はPeromyscusだったと思うのですが・・・忘れました)。ほんまかいなという意味で。その後,その分野の研究の続報,傍流についての論文は見たことがありません。
結局,その後も整理するのが面倒になったのですよね。それ故の人様のブログに描いたコメントのやりとりの引用です。というか書き直してもこれ以上の説明はテキストでは無理かなと思ったりしております。
ちなみに,これは,私が自分で発見したものではなく,中国武術のサークル(一応,私が主催者,代表だった)のそっち系の感覚が当たり前という後輩が,套路(型練習)をやった後,なにげに教えてくれたものです。
「お,c_Cさんも出てますね。流石,結構強いよ,ほら。」
と手を翳してきた瞬間,
「(なに?)」と自分の手にじわっと磁石のSN極が反発するようなぐねぐねした感覚を知らしめられて,思わずどきっとしたら,
「あれ,知らなかったんですか?」
「うん。これ・・・気だよね。やっぱし。」
「ですよ。套路で気を練った後は強力に感じますけど,直ぐに消えちゃいますね。」「あ,消えかかってる。消えそう。」
「講義中でもごねごね鍛えながら手の中で廻して鍛えてますけど,レポートの話とかに集中したら一瞬で消えます。」
「そうなの? 俺,初体験。」
「え〜?中武の主将ともあろう方が?」
「だって,俺,神秘体験無縁だもん(言い訳になってない)。まともな瞑想の本にも変な体験したら直ぐに忘れろって描いてあるし,そっち系の才能は俺,無縁だし,皆無だ。(多少パニックになっているような物言いですが,いつもこんなものなので。)」
「站椿とか,攬雀尾とか,健康太極拳やっている人でも気のでかいボールを本当に感じてやってる人多いですよ。」
「そうなの。俺そっち系は苦手だから。実際にぶん殴ったり殴られたりするのしか分からん。」
「うちで太極一番まともに習っている人c_Cさんだけでしょ?(当時既に,サークルの主要武術は,指導を頂く師が代わることにより八極拳系に大きくシフトしつつあった) 困るなぁ。」
「俺の老架の小架だから。」
ちなみに老架とは,より古式の型をそれより後の新式=新架に対して使う言葉。まぁ古来の型としてよいでしょう。小架というのは,練功を重視したスタンスの広い型=大架に対して,より実践的な使用を目的とした狭いスタンスによる型;当時,日本では,ほとんど知られていなかったより実戦型の陳式を習っていたと言いたいだけで言い訳になってない。
「聴勁とかで感じません? 気が分からないで聴勁できないでしょ?」
これは,ちょっと言い過ぎ。聴勁とは相手の攻撃を読む能力。畳半畳内で連続して受け身の取れる古武術の達人の聴勁を見せて貰ったことがありましたが,かならずしも気で説明する必要はないのでした。その方は何度どんなタイミングで拳を出しても全部,簡単に外していましたが,師によればタネはあるということでした。
「あれは,俺の場合皮膚感覚以上のレベルにないもん(このあたりでどっちが主将か分からない)。分かる気があるときもあるけど,気のせいだと・・・」
「そうじゃなくて,「気」のせいですよ。」
「そうかぁ。」
追記ー後輩の功夫は,私より上で,一度だけ,かなり本気で何でもありの組み手をやったときに,彼の某実践系中国武術の蹴りは,空手系の回し蹴りとかとはぜんぜん異なる軌道を描いて私の左あばら骨二本をへし折りました。で,試武の二本目は私の独立歩から繰り出す大好きな密着したままのアッパーカット風の抜き手で彼ののど笛に突き刺さって,1勝1敗。これは,これ以上やると,多分,どちらかが入院する羽目になるなと思って,止めました。
思い出して書いていますが,多分この会話のすぐ後におっぱじめた記憶があります。なにか,感応しちゃっていきなり始まってしまった。直後に彼は就職試験,私は博士後期家庭の院試験があって,それなりに困ったものです。馬鹿? 馬鹿です。
ともあれ,今でも,套路で内気を練ると調子の良いときは30cmぐらいのでかいボールを挟んだような感覚が得られます。人の体の悪いところにさっと手がいくとか,鍼灸治療やっている人はごく当たり前。そういった感覚があることも確かです。
Commented by g-hop at 2007-01-09 12:49
complex_catさん
ご教示ありがとうございました。一生懸命やってみましたが、できませんでした。何か間違っているのかも知れません。呑むとわかりやすくなるのかも知れませんから今度軽く呑んでやってみようと思います。
Commented by complex_cat at 2007-01-09 13:53 x
書き忘れましたが,感覚部位は,掌と書きましたが,正確には五指のの付け根当たりです。
Commented by g-hop at 2007-01-09 18:04
complex_catさん
多分、ゴムチューブで相互に繋いだ感覚というのが私には上手くできていないのだと思うのですよ。ゴムチューブで特訓しなければなりませんかね。
Commented by complex_cat at 2007-01-10 15:27 x
あまり書くと芸風が変わりますので(笑)
ゴムチューブは,多分助けにならないと思います。
聴勁といって,相手の力の発動を読むトレーニングとか,いろいろありますが,結果としてこのような感覚が着いてくるところしか経験がないので,これを感じられることを目的としてやったことはほとんどないのですよ。仰るとおり,飲み会の座興でなんか見せてみろと言われたときのものです。私のはへなちょこですが,拳については,練習も人に見せることを師に禁止されております。
Commented by g-hop at 2007-01-10 18:14
complex_catさん
コメントありがとうございます。わかりました。難しそうなので諦めます。ゴムチューブはまだ買っていなかったのでよかったです(笑)。
ゴムチューブ・イメージによる誘導は,経験上一番,認識して貰える確率が高いので,使っていますが,最適解ではないと思います。ここで把握までコムチューブで繋がっているとイメージすることが重要で現物のゴムチューブを使えば,余計なノイズになるだけで返って出来ないでしょう。
さてこの気を感じられるようになった状態の人の掌に対して,同じくその状態の私の掌を合わせていきます。同じように二人の掌の間に「蒟蒻」が感じられます。
ただ,ここで「熱い」熱線を強力に感じる人が居たり,指先がぴりぴりするとか,私の掌の方から「風が吹いてくる」と表現された人が居たり,認知するものに対しては,結構なぶれやレベルの違いのような現象が存在します。同じものを一緒に感知していても生じるところで,実は,認知能力によって違いが生じるということは,ある「幽霊」が別の人にはバットマンに見えたり,スパイダーマンに見えたり,単なる風による揺らぎだったりというわけで,共通認識に基づく客観的存在とは,違うのではと云う気がするでしょう。
この時点で,掌からの放射される熱線に対するなんらかの誤認識が生じている可能性を私は感じましたが,これについては,結論が出てきません。というか,結論まで明確な実験的道筋としては,中途半端なものしか提示できない。それは,その存在がグレーゾーンだからというわけではなく,前処理やデータをどうパラメトリックにしていくかという作業手順がかなり煩雑でやっかいだということに尽きると思います。それで論文書いている分野ならやりますけど,サンプルを揃えるだけでも作業は半端ではありません。
足の裏などはかなりの放熱をしている場合に手を近づけても同様の感覚が得られますが,軀の部位によって余り押し返してくる力に違いを感じないときとそうでないときがあるのです。
また,掌の間に空気が存在して,押した場合その大気の感覚を感じているというわけではありません。それだったら,木の板でもなんだって同じような感覚が生じないといけないのですが,同様の感覚は絶対にありません。また回転する扇風機の前で掌を合わせても,そのグニャグニャを感じることが出来るので,大気の流れか何かを誤認識しているるわけではないようです。可能性としてはラジエーションですね。正直申し上げれば,そっち系の興味はあんまり持てなかった朴念仁なので,気と言ってもその辺りだろうと,文字通り気のせいで私は済ませてきたのです。それで,襲いつつある凶刃から身が守れるわけでは無さそうですし,相手も吹っ飛んでくれたりしませんから。凶悪犯に掌をかざせば,「温か〜い」と気持ちよーくなって,その場に寝てくれるならば使い道はあるかも知れませんけど,正直,そんなものに時間を割いているどころではなかったのでした。
猫が感じるかなと思って掌を近づけてみたりしますが,彼らは,気流の動きの変化を敏感に感じるので,ノイズ無く実験をするのは扇風機実験を美味くアレンジするしかないかも知れません。また,私と同様にグネグネ感が強力に安定して出る人には,二人の師か一緒に練習していた後輩以外には出遭ったことがないので,現時点では,十分な検証実験を諦めています。勿論,結論を出すべき状況となれば,それこそTVで扱うような半端な実験は問題外だと思っています。
バナナに発気して,腐るのが遅くなるか試す気もありません。そもそもそういう過程や仮説を立てるべきメカニズムや正体に関する材料がないから,やる意義を感じないのです。園芸業者が花を大きく咲かせるために気を当てるようなポーズをして花をなで回すという話を聞いたことがありますが,実際には特に植物は多様な物理的刺激によりエチレンが放出されて個体の状態が変わるのを植物生理学の実験で見て知っているので,「発気」による効果検証が一筋縄でいかないのを理解しているつもりです。哺乳類なんぞ,飼育係の僅かな手順や作法が変わっただけで繁殖成績が変化することだってあるので,生物を使った実験というのが,どれくらい本人が思っている以上にそのものの効果を測っているか,相当な注意が必要です。メカに言及できない実験は,その後の手間を考えても,不用意に関わるのは帰って混乱を招きます。
水伝など,実験という評価でもなく,科学音痴のおっさんの遊びを,未科学だと喧伝している詐欺行為ですが,気功についても同様のツールに成り下がる可能性があると思っています。人心を惑わして,詐欺師が跳梁跋扈するのに手を貸すだけというのは最悪です。
だから,適当なことをやって,この分野の情報開示には寄与しないでおこうと思いました。研究者は何もやっていないと言いつつ,それなりに遊んでいるので,呼び予備実験みたいなもので,サイキック詐欺ハンターとしてばっさりやるためのナイフは,暇なときに研いでおく。そして本当に解明できない可能性の高い神秘部分を見つけたら,それは,自分の子供にも伝えません。そうするつもりです。いわば,このエントリは寸止めです。
本来,瞑想法や気功についての優れた師父は,「神秘体験をしたら忘れろ」と教えます。本当にそれが神秘体験なのかどうかという問題がそれ以前にありますが,神秘体験だと思いこんだ事件に意味があると思いこませ,それをいつでも見せることができる,或いは自分に着いてきたら,神秘の力をトレーニングでえることができると喧伝して,あたかも自分や自分の主張する「宗教」という名を借りた詐欺商売がホンモノで,価値があるものと思いこませるのは,まさしく,どこかの宗教に名を借りた詐欺集団しかやらないことです。
気功は,実際のところ治療や中国武術理解におけるツールとして,機能している側面があります。ただ,私自身は,それ自体を特別なものとしてトンデモリーグに利用されるのは,宜しくないと思っています。私の場合は,その手の輩は,なぜか私を強力なサイキックだと勝手に信じ込んでくれるようなので,楽しい体験を沢山させていただきました。それは,私が冗談で手翳しをすると,おびえたように逃げていくなどの事件などです。或いは,霊能者の方が,私にはバリアーが出来ていて,私の情報が読み込めないなどと「批難」してこられるので,「あははは,分かりますか?」などと勝ち誇ったように話にのってあげて,多分中国の特殊な武術を修行した経験があるからでしょうといったら,その霊能者の方は,さもありなんと「それだよ,それ! そんなものやるからだ。」とまた怒られたりしたので,喜んで良いのか悪いのか。
白状すれば,体がずずっと捻れて悪い部分が治っていくという,気功治療の現場も見聞きしておりますし,私の二人の師も,そっち系のヒーラーでした。しかし,それ故,そんなに気功にまつわる超常現象として喧伝されるほど確かなものがあるわけではないのだということを知ることになりました。
内功との関連についても,自分の中では結論など,何も出ておりませんから。
発気について「発気用意・・・残った」という相撲のかけ声は,そっちから来ていると言われていますが,これも検証していません。本当だったら,強力な武を試合化したものなので,雰囲気としては「発勁用意」なんですけど,日本語には「発勁」はないから。
(続く・・・はず。画像は尻尾に気の通ったようなチコと,デジタルビデオの悪戯でUMA騒ぎになったフライング・フィッシュ様に訪灯昆虫を写してみました。大抵の超常現象には種があるものです。)]]>
夕焼けチャリンコ
http://complexcat.exblog.jp/8980725/
2008-07-06T21:36:00+09:00
2008-07-06T21:39:34+09:00
2008-07-06T21:36:25+09:00
complex_cat
Cat Kick Dragon Fist
いい加減な親なので,長男にチャリンコを教えるタイミングを忘れていて,慌てて先週買い与えました。そういえば,長男は自転車乗れなかったね,なんて,私もワイフものんきな親。
先ず,後ろから押してペダルを漕ぐことなくバランスをとる練習。次にスタンディング・スティルのやりかたを教えて,5セット練習をさせて,その次にまた,漕がせずに後ろから押してバランスだけとらせて,またスタンディング・スティルの練習と交互にやらせます。そして,ようやく少し漕ぎながら後ろから押して,ペダルの練習。再びスタンディング・スティル。これで,夕方30分だけ。3日ほど時間をとってやれなかったので,本日,乗り始めて,通算四日目ですが,何とかデコボコの公園をグルグル乗れるようになりました。スタンディング・スティルは,交差点待ちのときのトレーニングが最高。以前の職場で上司から教えられた御陰で,MTBを少しやった時期がありましたそれが役に立ちました。組み合わせは思いつきですが,子供に教えるとき漕ぐ練習とバランスをとる練習を別にやった方が良いと教えて貰った御陰です。
顔部分は,画像ソフトでわざと暈かしてあります。
空手で体軸が多少分かるようになっていたこともあって,結構,ここまではスムーズ。道路を走るスキルが全然無いので,教えないと。ついでに次男も済ませとかないと。兄ちゃんがあんまり簡単に乗れるようになったのを見て,俄然やる気になったようです。そういえば,次男には一度買い与えたのですけど,やる気無くなったみたいで。まぁ,無理しなくてもチャリぐらい誰でも乗れるようになるので,問題は,安全に乗って移動するスキルを身につけると言うことなのですが。
しかし,今のチャリは,子供用量販モデルでも,暗闇センサー付車軸発電LEDライト。要するに発電抵抗が極小で,暗くなると勝手にライトが付くのが当たり前のようです。あ,一応SHIMANOブランドですが,値段から言ってもほとんど中国製部品でしょう。それでも,値段から言えば,ずいぶんまとも。
あと,折角なのでジャンプとアンダーガード着けて,公園のベンチ程度は乗り越えられるテクニック程度は教えておこうと思っています。
練習終わって公園から帰宅すると,公陳丸が涼んで待っていてくれました。練習中,負担にならずに携帯できて動画を撮りたいと思ったので,久しぶりにXactiでのスティル画。二枚目の夕焼けは,ダイナミックレンジの狭さが露呈してしまってレタッチのしようもないのですが,撮れるだけましか。記憶の記録。 ]]>
内功と外功
http://complexcat.exblog.jp/8952200/
2008-07-03T17:24:00+09:00
2016-01-09T08:02:04+09:00
2008-07-03T17:24:50+09:00
complex_cat
Cat Kick Dragon Fist
人様のブログで武術談義が進んだので,コメント書いていたら長くなってしまい,エントリを立てることにしました。唐突ですが,久しぶりにそっち系の話です。前提部分をここでは省略しておりますし,ご興味のない方にはどうか,お許し下さい。
黒猫亭さんの結論部分,なるほどです。
「中国武術のロジックで謂うなら、少なくとも外向けには「内功とは気功である」と表現するのが逆説的に最も正しいということになるんでしょうかね。」
ある意味,伝承者においても人の身体はブラックボックスなので,そういう理解で総てを説明した方が,余計なエネルギーを使わずに済むのかもしれませんね。
さて,失礼ながら,言葉を拾いながらその部分だけ補足する作業を少しさせてください。とりあえずいうのなら,Wikiの「内功」の説明は酷いと思います。書いた人の中国武術認識が武侠小説からしか想起できない貧困な経験しかないことを物語っています。「内家功夫」というゲーム世界にしか存在しない造語を使ってしまっている時点でお仕舞いです。Wikiの中国武術関連のライティングは,ゲーマーの稚拙なものが多いなと感じます。内家の意味が分かっていないのではと感じます。
「おそらく、道教的な世界原理を離れて自然科学的な言葉を用いて教授する武術の門派があるとしても、それはごく最近の傾向でしょう。」
その通りだと思いますが,その最近の情報整理と解析は進んでいると思いますし,体育学院の多くでは武術(うーしゅー)に関する学科も沢山あります。武術や気功を理解するために働く言葉を沢山持っている老師は沢山おられます。道教的な単層的な世界観だけでは,自分の認知も弟子の育成も立ちゆかなくなります。
確かに内功にはテクニックとしての呼吸法や,それに付随する頑強術的な側面があるのですが,武術的な気の運用(武術気功)という部分では,戦闘時における圧倒的なパフォーマンスの確保が目的です。
これもコメントで述べさせていただいたように,内家拳が内向を重んじ外家拳は運動物理的な云々というのは実は,正しくありません。内家外家とは体内の内外ではなくもともと出家しているか,いないかという意味です。
例えば,内家拳の代表格の太極拳ですが,仮想敵は勿論,外家拳です。いわば内家3拳はニューウェイブ武術であったわけです。当時は外家拳がもっとも剛猛な武技だったから。
ここで,外家拳に対して太極拳の持つ内功がアドバンテイジになったわけではありません。なぜなら,外家拳にも内功は存在するから。決定的に勝っていたのは,それが覇道的なシステムではなく,王道的なシステムであったということです(これは長くなりますので少しずつ説明していきます)。そのために,威力を発動するシステムを全く変えてしまったのでして,これは,内功を使ったというよりは,勁道を変えたと考えた方がよいかと思います。勁道を変えるには,別の筋肉の鍛錬とその統合を果たさねばなりません。それが,内功でありますが,外家拳の内功よりも,使うべき筋肉の運用と発動が徹底されておりました。なぜそうする必要があったかというなら,戦闘理論毎,著しく変えてしまったからです。戦闘理論の革命の一つは,相手の動きを制御できて一方的に攻撃できるよう,超接近戦を基本としたことと相手を無力化するための化勁を発勁と同レベルで戦闘理論で扱ったこと。
これは,古式の空手と現在のK-1ぐらいの違いがあるものです。内家3拳(太極拳,形意拳,八卦掌)の共通祖先形質を色濃く持つ現在の武当拳の一派には,陳家の正式継承者も崩される化勁が存在します。
誤解を招くといけないので,補足しますが,K-1が進化しているというわけではありません。あれは武術ではなく,あのルールに特化した格闘技だからです。前提条件が違うので,最適戦闘戦略が異なるという意味です。一方で彼らは,アスリートです。K-1選手は暴漢に脚をナイフで刺されたらコンビニに逃げ込んだりしなければなりません。古式の空手はそういう戦闘も想定しておりまして,ナイフで襲われてもルールが違うと間違っても言えません。ただ,技術的先鋭さという意味では,逆転しております。これは,秘術化して試合やスパーリングを排除したために,古武術の技が形骸化してしまって使い物にならなくなるという事例が生じやすい状況があるからです。バーリトゥードに対応できうる優れた戦闘理論を持つ武技の方が使い物にならなかったりするなどという現象が普通に生じてしまうからです。グレーシーは,もとは柔術という古武術ですが,スパーリングや他流試合などの研鑽を重ねたため,現代格闘技の土俵上での戦闘にも適応できて,劣化を生じてきませんでした。
講演料の札束を数えているような古武術家は,襲われても対応できないでしょうし,ナイフ持った暴漢程度なら,国体クラスのボクサーでなくても,きちっと毎日練習されている方なら,多くの場合は,正面から「はいっ!」と始めれば一瞬のうちに撃破できるでしょう。これは,戦闘体系の問題ではなく個人の武技の優劣の話です。
ただし,「多くの場合」と書かざるを得ないのは,ボクシングもK-1もそれは,そのルールが,相互覇道的拳による戦闘で戦うことを制限しているからです。古式空手で想定されている戦いと戦闘理論は,この覇道的スペクトルよりも王道的スペクトルの成分の方が強いのです。
簡単な例は,空手の標準的な引き手を伴った正拳突きです。これは,正面に立ち,暴露面積を大きくして,顔面もがら空きでしかも引き手も重視するある意味不思議な技です。K-1で使われないことを見ても,普通は自爆技に見えます。しかし,相手の体や腕を受け流しながらトラッピングして崩して引き込むようにして死に体にして,拳をカウンターでぶち込むと想定すれば,完璧な技です。相手は技すら出せない状態に既に置かれていて,引きずり込まれるように崩されてそれに拳が激突するわけです。その場合も急所しか当てない,臍から下もルールの縛りがなければ打てるわけです。
つまり高速の攻撃技であろうが,フェイントであろうが,相手の攻撃の一部を崩してトラッピングを可能とする高度な化勁があれば,偶然性が介入して,素人のラッキーパンチの可能性が入り込む反射神経やコンビネーション技術はいらないのです。打突技が発動するときには,相手は化勁により既に死に体になっている,かわされたり外されることもない。これが王道的拳の基本です。
だから太極拳の拳蹴りは,ほとんどが相手の手足に添って飛んでいきます。その付け根には必ず相手の顔面,首や心臓や金的が存在するから。相手が同様の技を持ってして化勁で流してこない限り,万に一つも外れないと書けば言いすぎですが,目指すものはそういう世界です。押し合いするなら,日本の相撲の方が上じゃんと価値下げされる太極拳の推手が,それなりのレベルの人と手法でやれば,どれだけ実践的で且つ安全な練習方法か分かろうというものです。
独特の勁道を使えるようになると,相手の拳や脚に接触した瞬間,そういった武技を知らない相手に対しては,全ての攻撃に対してカウンターをとることはそんなに難しくはありません。腕を引いて力を溜める必要がないからです。実際こういうテクニックは,インファイトが得意なボクサーなどでもレベルの高い方は使っています。問題は,その自分にとって安全な接触過程をどうやって確保するかということで,そこまでいくと,それが本当のコア技術であったりします。八極で言われる「崩撼突撃」とか,実はそのプロセスに深く関わっています。ただ,これは基本プロセスで,
間合いによる距離的なディフェンスの無効化→相手の拳脚との接触→相手の攻撃及び防御の無効化→致命的な部位への最大威力の打撃
というプロセスを,上級者になると一気に終わらせてしまうので,ただ,突っ込んでいって相手を倒すみたいに思われがちです。格闘ゲームというのは反射神経や指使いの選択の的確さ,速さで競うもので,実際こういう話が想像される余地はありません。武術的な理解においては無理です。だから,ゲームネタの延長でのゲーマーによる八極拳理解は,最初から無理な話です。
幕末無敵を誇った示現流なども,あるアプローチにより,相手が一の太刀を受けた瞬間に相手を無力化するところにその強さのコア部分があるわけで,力任せにおもいっきり飛び込んでいって相手に勝てるなら,技など必要ありませんし,それは剣術ではないわけで,パワーショベルに刀をくくりつけて切り込ませたら勝つぞみたいな話になってしまいます。
「やはり堅い物理的実体同士の激しい衝突力を基本原理に据える外家拳の考え方よりも、応力の伝達原理を精緻に考え抜いた内家拳のほうがコリオグラフィックな意味で実演困難だからだと考えていて、突き抜けたレベルの達人以外には命の遣り取りを含むような戦闘でそこまでの余裕は出ないからだと考えています。」
これは逆でして,命のやりとりを含むために,余裕のない方法(これを相手の攻撃の被爆を一定の確率で想定している拳,覇道的拳と呼びます)では,いつかは殺されることになるので,生き残りたかったら,戦略としては
1)短期的に習得できる戦闘技術
2)どのような攻撃も致命傷になるので,攻撃を受けずに一方的にタコ殴りに出来る戦闘技術
の両方を身につけていくということになると思います。ここで1)をやっていれば生き残れるかと言えば,それは必ずしも真ではないのでして,2)のレベルというか技術体系の開発習得を,平行してやる必要があります。2)の習得は1)の習得と矛盾しないというか,そんなこと言ってられないわけです。同時に,この虫の良いドラえもんのポケットのような戦闘理論を考え出したところに,中国武術の偉大さが有りますが,それは,兵器術を考えれば剣術も同じ発想をしている武技は沢山あります。なぜなら武器術が存在する戦闘では少々の被爆も致命傷になるからです。その技術体系が王道的拳です。ただし,あらゆる武技・武術には,この覇道的・王道的スペクトルが存在します。外家拳の王道的スペクトルが皆無というわけではないのです。また武術家それ自体のレベルにおいても同様です。ただ,門派をあげて,王道的スペクトルを増大させたのが内家3拳だったと思われます。
「太極拳に一番近い武術って何?」と訊かれれば,「柳生心影流などの日本の剣術。」と私は答えます。実際,化勁と思われる技がたくさんあるし,単鞭と猿回(すいません,柳生の技の名前を失念。多分間違ってます)など,理合においていくつかの収斂現象が見られます。
「この開示と秘匿のデリケートなバランスに則ったもの」
中国において文革は様々な影響を落としており,黒猫亭さんが看破されたように内功に関しては,仙道や宗教がらみの部分があって,それが前近代的なものとして,あたかも綺麗に取り払われたようにされている状況なので,余計にややこしいのだと思います。つまりノイズでしかない仙道や宗教的な背景を持った概念が残存しているにもかかわらず,あたかも,そんなものは最初から無かったように伝承され,さらにそれに説明を依存していた部分がコアテクノロジーであるため,捨て去られないということです。純粋バイオメカニクス的な俎にのせる場合全くツールがなかったのです。まさに,DSが出てくる前までは。その意味では私もTAKESANさん同様,高岡氏の功績は大きいと思っています。功罪の罪もありますけど,この辺の認識は,普段のエントリを拝見する限りTAKESANさんに非常に近いと思っております。このように内功的トレーニングシステムは迷信に立脚しているという意味とは少しニュアンスが違い,それに変わる新たな近代科学に乗っ取った説明体系を見つけるに至っていなかったのです。これは,当然内家,外家ともに内包されているものであり,どちらにも外功,内功があります。私は,本格的に少林拳系の外家拳を学んだことがないので,偉そうなことは言えませんが,伝え聞く限りは,立脚地点は神仙と仏の違いはあると思いますがDSに代わるものとしては同じようなものを使っていたと言えると思います。内家拳が外家拳との間に差を産んだものはニューウェイブ的な王道的戦闘理論と勁動の違いです。それは,それだけの違いです。当然,収斂現象として,内家拳的戦闘理論を前提にした武技があれば,それは,内家拳と同様の内功的トレーニングシステムを持っています。八極が内家拳的であるというのは,正にそのところです。ただ,アプローチは全く違います。内功ができていない太極拳修行者が八極を学ぶと,初日に寝込みます。何処が鍛えられておくべきだったか,後で理解できます。
全体,仰有っている意味はよく分かりますが,25年前と違って日本にはかつて無いほどの中国武術の情報が入ってきておりますので,今の時点でこの対比で中国武術をお話しされるのは,認識を後退させる行為だと思いますので,あえて拘ってみました。八極は外家系で外功だけ,内功とは無縁とか,誤った認識を生み出す可能性があります。八極の戦闘理論は独特のもので完全に内家3拳と重なるわけではありませんが,王道的戦略をとる部分で両者は似通っています。
もう一つの面は,在野の拳であった内家3拳の修行者は,多くは農作業などもやらねばなりませんから,外功と内功を別々にやる余裕がないよというところからスタートしているのではと思っています。外家拳は,労働奉仕はあっても修行,即ち練習に時間をかけることが出来ましたので,気功の運用と外功と別々に行うようにカリキュラムに余裕があったと思われますが,太極拳などは,「麦踏みも水源の土木作業だってあるから,時間ねーじゃん。内功・外功,これ一緒にまとめちゃえばよかね?」,という発想が元にあったと聞いております。尊敬する陳家の17世は,病弱な母上を助けるため,働いてばかりおられた逸話が伝わっています。勿論,レフパワーを使って(笑)
最後に「発勁」って,そんなにややこしいものではないですよ。逆に,お尋ねいたしますと瓦数十枚,ブロック2,3個を破壊する空手の威力は,発勁か否かということです。全部が全部そうだというわけではありませんが,寸勁打ちなど難度の高い勁の発動を極真の松井館長はされますよね。日本において発勁が更に混乱もたらしたのは,気と勁をもともと分けてとらえる文化がなかったからです。そして,気を使って説明されることのない力の発動は,それがまさに発勁的な発動であっても,勁という言葉で説明してこなかったが故,価値下げされてしまって更に混乱をもたらしました。日本武術で「気」と呼んでいるものの中では,いわゆる気と勁が混在しています。
日本の空手は本来の戦闘理論とその体系で戦えば,もの凄く強い武技だと思います。もともとが中国武術であり,凝り性の日本人が創意工夫をして進化させてきたものでありますので,弱いはずはないのです。ただ,ルールが有り,例えばK-1ルールでやったら話は違います。空手に抗することの出来る中国武術はそんなに存在しないというのが,わたしの中国武術の師の持論でもありました。
また,八極は回族の武術であったわけですが,その伝統的な医術も八極と切り離せない部分があると思います。壊し屋は治し屋でもあるのです。私の中国武術の師は二人とも,治し屋であり壊し屋でした。
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