年末に母もチコも危機となった。母は、その時には、持ち直して、母は自力で食事をして風呂に入り、ケアの人たちにお礼の声をかけるという日々に戻っていた。私も、父も、母の命がずっと低空飛行で、少しずつ高度が落ちていっているのをひしひしと感じていたのだけれど、完全に油断していたのだ。
それより少し前、チコも、酸素チェンバーの中で持ち直して、再び帰宅できると、いつものわがまま猫に戻ったが、毎日の投薬の中に強心薬が一つ増えた。
母はその後、二月末に、突然眠るようにこの世を去ってしまった。 その日も外のコロナ禍の騒ぎとは別世界のように、平常的にホームの一日が終わり、ケアのスタッフの方が声をかけようとした夕方に、母は穏やかに眠るような表情のまま、帰らぬ人となっていた。
その件は、エントリにも上げたのだが、年末の喧騒ゆえ、あまり精神状態の良くない時期でもあり、改めて母のことを思って考える時間は、その後にたっぷりとってある。彼女の遺影に、毎日、妻がコーヒーとお菓子を備えていて、遺影の周りは、母の大好きだった猫のグッズだらけになっている。我が一族は、墓じまい、仏壇の魂ぬきなどがもっぱらの話題で、我が家にも仏壇を用意する予定はないけれど、母の遺影の置かれた空間だけで十分という気がしている。語りかける場としてはそれで私には十分だし、凄まじい少女時代を送ってきた彼女なりに、神も宗教も深い理解を示し、カソリックのシスターに、貴方、大丈夫、ここから離れてもいいよとまで言われた人だった。それでいいのだと思う。きっと母は笑ってくれていると思う。
チコの心拍数が1分間に80回を打つのを超えたりする状況が、夜中に、いきなり生じる。高齢故にずっと腎臓と心臓が限界と、大怪我の手術も回避せざるを得なくて、それでもここまで復活することができたので、あまり実感がなかったのだ。彼には、いつ何が起きてもおかしくない心臓を持っているというのは、主治医の先生の見立て通りだった。 それでも再び暖かい日差しを彼は浴びることができる時期になった。
He is full of the joys of spring now! ってやつだ。この後、ひとしきり太陽の光を浴びた後、満足そうに家の中に戻って、彼は眠ったのであった。 この外のバケツで水を飲むのが彼の習慣で、寒い季節でも、日差しが当たると、これを行なっていたが、柔らかい日差しと暖かい時期においては、やはり、とても良い感じで飲んでいる。 腸骨が骨折したため、きちんと腰を落とすことができなくなってしまったが、まあ、ちゃんと寛ぐことができている。室内だと、クッションや布団の上だから、これほど持ち上がることはない。
よく頑張った。君も家族のみんなも。おかげで、君は、また春を迎えることができた。母が迎えることができなかった春だけれど、君が迎えることができて本当によかった。
チコと見回した、庭の開花植物。今の時期咲くものとして、我が家の庭にはまともな園芸種は植わってない。全てその辺の草花が侵入して咲いているものだけ。それで私にとっては十分という気がしている。というところで、結構ファンの多い、オオイヌノフグリ。 ウマノアシガタ。ちょっと光沢が昭和のトイレの造花っぽい艶を示すが、好きな花ではある。 ムラサキカタバミ Oxalis corymbosa、どこにでも入ってくる南米原産。まあ、庭に入り込んで咲いていれば、本来の、園芸種通りの働きだ。キュウリグサ。微細な花だが、この青い花弁がなかなかおしゃれ。全て、Macroレンズに交換せず、Distagon 35mm/1.4で撮ってみた。単なる私のズボラなスタイルだ。
ブルーベリーの木が花をつけ出した。挿木にした分も全て開花していた。