シェルターのメンバー~猫はいかなる時,中立的な場「集会場」を形成するか
2009年 06月 17日
鉱脈を当ててしまったのと,このシェルターの存在が周囲にばれて,ここに猫をこっそり捨てにくるトンでもない人間の仕業など(頻度が上がっているのであまり悪質なのは警察に届けるようにせざるを得ない状況とのこと)もあって,ただいまニャン口密度高し。
シェルターの中の猫たちを見ていて,あれっと,思いつくものがありました。
「猫の集会場」伝説です。もちろん,風聞で伝わっている「猫の集会場」は,自由生活をしている個体が集団化して自主的に中立地帯が成立させていると云うもののはずです。シェルター内の彼らのように保護され,ここに隔離的におかれているという状況ではありません。しかしながら,テリトリアルで(縄張り性を持ち),干渉的闘争能力を持つにも関わらず,排除行動が生じない「場」がここには成立しています。
このような中立的な行動が支配するように見える特異な「場」ですが,実は,いくつかの哺乳類では人工的に作り出すことができます。むしろ縄張り的な行動を維持するように操作して飼育する方が困難なのです。どうしてそういうことになるかということですが,これは闘争的行動により排除するためのコストとその結果において,闘争する意味が無くなる一方で,餌資源は必要量与えられていてその場から自分以外を排除しなくても結果的に充足させられるわけで,闘争にコストをかける意味が無くなるからではないかと考えています。
ここで,都会の住宅地などの環境を考えてみます。基本的な猫の利用環境の場を考えると,移動や一時的に休息できる場所を除けば,多くの個体にとって,利用できる空間は限られたとして,多くの個体にとって利用重複が起こる場所になったとします。するとその「場」はたとえば公園だったりするのでしょうけれど,そこおいては個体間遭遇率が高くなる特異点となります。このような高頻度個体遭遇が生じる「場」では,たとえば一頭の個体が占有しようとしても排除コストは膨大になり,またその効果は,次々に侵入する個体を相手にすることになり努力に対してほとんどなくなってしまいます。そのプロセスを経るかどうかは密度次第ですが,いちいち排除するという行動を起こすことにおいて意味が無くなります。多くが,餌を貰っている状況では,ますます,そこの場を大いなる投資で独占する意味が無くなってきます。
結果,その空間では,多くの個体が,直接的な干渉行動を止め,そこに「たたずんでいる」だけの状況になります。それが「猫の集会」として観察されるのではないかと考えています。他の鳥類を含めたテリトルアルな場が破られるのは,多くの場合,資源分布と密度の問題が絡んでいると判断しています。
私の身の回りでは,猫の利用環境は余裕があるためか利用空間資源重複が生じるような状況はあり得ないので,実際に,「猫の集会所」は見たことがないのはそれが理由かなと思っています。これは,それなりの密度で自由飼いの猫が飼われている市街地で,かつ,糞場や草の摂取などができるかあるいはそれこそ好奇心の強い猫の暇つぶし(ハンティング,あるいはそのためのアセスメントもどき)ができる空間が限定されている場合にのみ発生する現象ではないかと思っています。実際に集会所なるものの現物を見ていないので,どのような性質を持った空間であるのか定性的にも評価した経験がないため,この仮説は,そのあたりに限界がありますが。
なんにしても,自分は「集会所」の現物を観測できない状況ですのであくまで仮説ですが,簡単に観察できないという事実故に,そのような状況でしか成立していないのではないかと逆に思っています。GPSロガーによるチコのテリトリーを見ても,空間的にそのような特異点はありません。きわめて贅沢な利用環境を彼は持って維持しています。それ故,探査,排除努力は大変です。雨の日も,台風の日も。これが,まともな探査やハンティングのまねごとができる場所が限定されていて,周辺の他の猫たちも同様で,更にそれがかなりの密度になるならば,チコは毎日集会に出かけているみたいな状況が観察されるのではないかと思います。
哺乳類のメーティング・システム(婚姻システム)が,資源分布と個体密度によりフレキシブルに変化することは,どこかで書きましたが,状況に応じて対応を変えて,社会性に関わるパターンを変えるのは哺乳類の前提だとして,この現象は猫がソリタリーであるということとも関係しているかなと思います。犬を自由生活させていると,やはり集団化しますが,彼らは群で動くという社会性をベースにしているので,順位決定の結果,殺される個体も出てきて,猫のようにお互い牽制し合う中での平和が維持されるというような状況が生じないのも観察しています。犬の場合,責任はリーダーもしくは群でとらざるをえないというところがあるので,各自の行動的多様性の幅は,むしろ猫よりも担保されるのではないかと思います。猫はアーマーライトを使い続けるゴルゴ13のように,ある部分リスク・センシティブ(予想されるリスクを最小化する方向での行動パターン)に動かざるを得ない部分があり,それは,彼らが「一人の軍隊」であるというところから来ているのではないかと思います。これは,逆説的ですが,投資量効果なんぞ考えない跳ねっ返りが居ても群単位で動くことになる犬の場合,フォローされるか,集団内で粛正されておわるということが可能なので,場における秩序の維持という意味では,全く違う現象が進行していく可能性があります。
こういった仮説は,テリトリアルな野生動物について,野外及び実験的な操作の元に見ていないと多分出てこないと思われ,家畜行動学的な見地からの発想では無理ではないかと思っていましたので,ちょっと書いてみました。
ここの部分,色々誤解も招きそうなので,追記,修正をご了解していただいて,とりあえずたたき台的なテキストとしてアップしておきます。