Neoteny love〜キャラ萌え型トランスフォーム欲求
2009年 10月 15日
いわゆる,丸顔でつるんとしており相対的に眼とおでこが大きく頭に比して手足が短い,強力な幼児信号を発生するいわゆる萌え型に多くのキャラがトランスフォームしていくことはよく知られている。
残念ながら故人となってしまった彼だが,もし,今,日本の多くのアニメ,コミックのキャラを見たら,再び,この話に続編が書かれたかも知れない。いや,そっち方面日本文化の独壇場だよね。ミッキーマウスにあやかって,ちょっと動物キャラを並べてみる。あんまりコピペは好きではないし,枚挙も嫌いなのだが,そういう比較をぞろぞろやったエントリも無いので,以下にちょっと貼ってみる。
ちなみに結婚した頃,公陳丸と一緒によくワイフのヌードを撮っていた。友人や師匠ののファインアートヌード作品を参考に見たりしていろいろ試したが,自分には女性を撮る才能はないなと思って諦め全てお蔵入り。子供が産まれて以来,ネーチャーフォトと猫写真以外には浮気をせず,人物は,家族写真としてしか撮らなくなった。最近,奥様のみを被写体にしている「嫁フォトグラファー」の方のブログ作品を見たけれど,なんとなく眩しい。その人の画が,もしもお子さんが生まれたら,以降どうなっていくのか,とても興味深い。美形の奥様のキャラもあって,きっとずっと良い雰囲気で続くと思う。あ,脱線した。
まぁ,アシスタントで作者よりも画を描くのが上手い人が普通に入ったりすると,どんな連載モノも変わっていくけどね。後で,単行本一気読みなんかするとショックを受けたり。
S・J・グールドの一連の進化学エッセイは,日本では考えられないようなfundamentalism的トンデモ的な攻勢により進化論,科学否定の圧力に抗するため,グールド自身途中から腫瘍との闘病生活もありながら,もの凄いエネルギーで書かれている。ともかく理系分野で無い人にも興味を引いて貰うために間口切り口が用意されていたし,また,それで科学エッセイを書くことが出来た希有な存在であった。日本の場合,その当たりのリテラシーの問題なのか,ちょっと新鮮な切り口で生物系ではない人たちの注目を引くことがあって評価されてもその科学のコア部分はトンデモ風味だったりする書籍も普通にベストセラーになってしまう。
邦訳版初出の「ダーウィン以来」の翻訳を手伝っていた先輩研究者が「いやね,いきなりシェイクスピアの一節とかが出てきてもおかしくない広い造詣をちりばめてあるので,高度な進化学的理解を持っているのは前提として,ただの英語論文読みの生物屋では歯が立たないって思い知らされるような仕事だった。」ということで,学生時代に既に翻訳の達人達による訳本をずんずん読めた私たちの世代は幸せだった。いや,またグールドが法螺書いているという口さがない先輩達も居たが,少なくとも,マクロ生物系西も東も分からないガキだった自分みたいな人間にとっては,彼が果たした役割は絶大であったと思う。
ちなみに,その癌をおしてユーモアと科学センスでグールドが戦った勢力はブッシュを大統領に押し上げたもの達の一部であり,それらに対する危機感は決して被害妄想ではなかった。グールドと互いにけちょんけちょんにけなし合っていたドーキンスですら,共同戦線を張らずに得ない状況にあり,別の方面ではフライング・スパゲティ・モンスターなどという日本では考えられないようなアホ・ジョークの塊のように見える科学リテラシーを守るためのカウンター兵器まで編み出さざるを得なかったんだなと歴史が通り過ぎた後の種明かしとしてようやく今,そう理解できている。いや,日本でもネット見ているとやっぱり心配にはなる。
科学リテラシー否定は,世界をあらぬ方向に変える力の台頭とも無縁ではなく,日本でも,政治家だけでなく,「科学者」ともてはやされている人たちの考えていることや発言をよく見ていきたいと思っている。こういう優れた「古典」(あんまりかなと思ったが,出版業界の物流とスピードから行くと,既に古典化してしまっている)が読まれることを願う。
追記
追記2-そういえば「アラレちゃん」なんかも,初出では「やっぱりお色気で戦うのかしら」なんて感じのセリフを自ら口にする「少女」だったのが,気が付いたらウンコを枝先に突き刺して振り回す「幼女」になっていた。
後,あわててスキャンして調整せずに貼ったので裏面が見えたり・・・後で貼り替えます。
スヌーピーは小学校6年か中1の時に買った竹の物差しをいまだに使っています。英語との2番目の出会いでした。
ちなみに1番はLettermen。小学生なのにレターメン聞いてたおばさんのようなこどもでしたな(笑)。
スナドリ猫さんは出てきませんか?
岡崎二郎さんのアフターゼロにも幼生成熟する動物を作り出すお話がありましたね。
しまっちゃうおじさんとか好きだったなぁ。
スヌーピーは書かれてる英文の手書きフォントが好きで、よく真似してノートに書いては「読みにくい C」という英語の評価をくらってました。
スヌーピーは英語版とその解説が,当時の週刊誌に載っていて,結構英語の勉強になった人もおいでになる十もマス。
動物ものは、こどもたちが見るので、どんどん内容も絵もわかりやすくなるのでしょうか。
逆に、ドラゴンボールや、ワンピースなどの主人公が、大人にならないのにマッチョになるのが、私個人的にはどうも違和感があります。
あれには、どんな意味がありますか。
すみません。もしかしたら、まったくズレたことを書いてしまってるかもしれません。
「ドラゴンボールや、ワンピースなどの主人公が、大人にならないのにマッチョになる」理由は,強さのインフレに耐えるための設定でしょう。「北斗の拳」などの主人公の場合,強さが完成された成熟マッチョ男子の場合だと,まだ見せていない引き出しが別にあったことにするしかありませんが,少年の場合は「厳しい修行や体験を経て」更に強い相手と戦って勝ってもおかしくない演出をする場合,楽だと思います。幼生成熟はそういう意味でも楽なんだと思います。
シベリアんハスキー流行りましたよね。当時。
ちなみに菱沼聖子のモデルとなった方は,私の先輩の奥さんです。あの番組の後,捨て犬にはスキー犬が増えました。
全国の獣医学科に今まで動物を触ることすらできなかった学生さんも入ってきたりして混乱しました。「でも,彼ら,試験やると上位に来ちゃうんだ。」と当時の教官が嘆いていました。
善し悪しは別にしていろいろ影響力を持った作品でした。