ナナオの夜
2010年 11月 15日

彼の彼を偲ぶ会が日曜日にとある自然食レストランで,生前の彼を知るアーティストやファンなどが集まって開かれた。画像は最後にナナオを看取って南太平洋ミクロネシアの海に彼の骨を散骨しに行かれたボブ・内田氏。


丁度,ポエトリー・リーディングの会場に向かって短パンとアタックザックを担いで国道を歩いていくナナオの姿を見たのだが,ともかく何処にでも歩いていく彼の肉体は当時、喜寿に近かったはずだが,強靱で,その筋骨隆々とした肉体に,サングラスを填めれば正に亀仙人そっくりの風貌だった。朗々と響く声は,何ら気負うものはなくとても自然だった。
ナーガ・長沢哲夫氏に出遭ったのも私が十代の時だった。私は彼の記憶に残るような出会い方はしていなかったので,彼が出入りする小さなパブに,山尾三省に「猫」と名付けられた少年が居たことを彼は思い出すことはなかった。「新宿のランボー」と謳われた彼が,澁澤龍彦とともに活発な文芸家として活動した時代があったのだが,丁度その頃だったと思う。
ナーガが参加していた「部族」など当時の状況はここに詳しい。勿論,当時のノンポリ,粗忽者の私にそんな背景など,知るよしもなかった話なのだが。

当日は,二十代の女性も結構混ざっていて,お店の前の道行く人が不思議そうな顔で見ていた。60〜70年代スタイルのフォークユニットを率いる野生生物の権利訴訟でも有名な赤星氏やボブ氏の声よく響き,現在も活動を続ける詩人,ナーガ(長沢哲夫氏)によるナナオサカキへの鎮魂の詩も含めたポエトリー・リーディング,虫丸さんという人の暗黒舞踏?的なパフォーマンスもあって,神秘を外の世界ではなく,自分の感情の中に見いだす健全な人たちにお会いして,とても不思議な夜を過ごした。

とりあえず,人間どうやっても,生きていけるよ,みたいなエネルギーに溢れていた。時代なりのストーリーだと思うので,自分以降の人間も含めて今の時代,マネするのは簡単ではないと思うけれど。

後で様子を見に行くことにした。

「じゃ また」と
ぼくらは別れ また会った
そしてこんどは君は,君のものではない君の死体を置いて
出掛けていった。
きっとまた,そっちによばれたのであろう
地図に書かれた骨であり
浜辺に咲くサボテンの花であり
泥まみれの風に吹かれる歌だ
そう 歌になって
じゃ また 新宿で
はりねずみの風月堂で
やぶこうじの森で
高速道路の行き交う闇の中で
放射能が降り注ぐ雨の中で
焼酎を引っかけ ラーメンをすすろう
はははと笑ったり
あり得ない言葉をしゃべったり
夢見られている夢のように
歩いていくか
花が咲く枯れ枝の先で
文明の行き止まりで
君は君を連れ
ぼくはぼくを連れていく
歩いてきたことは
そう “どうぞ忘れて下さい”
ただ 今 ここにいる
これで十分
さあ ナナオ お茶にしようや!
足がある ナナオと
長沢哲夫作(現代詩手帖 2010年 10月号 [雑誌] より詩の後半の一部を抜粋)

