時の断片 Fragments of the year #1
2010年 12月 02日
最近,矢張り今年愛猫を失った知人が居て,彼女の愛猫も公陳丸と年が一緒だった。最初の診察は公陳丸の主治医と同じ先生だったが,あまりにもハードな所見(胃ガン)に,他の獣医さんにセカンドオピニオンを取りに行って結果的に処置が遅れた,死に目にも側に居てやれなかった,私のせいだと涙を流す彼女を見て,再び頬を伝わり落ちる症状が。
彼女の愛猫も亡くなる数ヶ月前に,みかけ元気そうなのに盛んに啼くようになったと言っていた。公陳丸の時も実は心当たりがある。よく獣医さんにも呆けたとか言われる話なのだが,自分の体調の異常を感じ取って,自分の庇護者を呼ばずにはおられないのではなかったのかと思ったり。
屋久島の天界では,気持ちよく全周魚眼で撮影が出来た。
AU Android 01は時期尚早。キーボードが私には駄目だった。知人のものに自分のエントリーを出して,クラムシェルを閉じた。
麻酔銃と投薬器について動物園の獣医をやっている知人からレクチャーを受けなおす。知らずにいたことが多く,情報は常に入れねば。小さい頃から射撃はのび太的に何故か得意だったが,液体が入った巨大な「弾丸」が放物線を描いて飛ぶので,かなり難物。
カイジのゲームパネルは,家族でお好み焼きを食べようと入った不思議な店。出てきたものは,本格的で美味しかったのと応対したおばさんも関西弁でとても親切な人だったが,そこはかとなく店の雰囲気にヤンキー成分が入っていた。
ニコライ来てたよ,ニコライ(当時はニコラス皇太子)。そばでクズのマント群落が繁茂していた。石碑周りは綺麗にしてあったが,はっきり言えば,余りよい風景ではない。
何でもかんでも適当に並べてみたが,本当に何でも撮影している。一部しか出していないがラーメン記録多いなぁ。公陳丸の死後,根っこのある画がなかなか撮れなくなった気がする。画像選びも以前のようにいかない。何か欠けたものがもどるはずもないのに,浮遊しているみたい。
チコやユッチやナッチは不調を感じ取ったら,私たちを呼んでくれるだろうか。
このエントリーなかなかすてきです。
そろそろ、きちんとココロの準備をしなくてはならないのかもしれませんね。
茶々丸もよく啼くようになりました。先日は、「ままぁ」と啼いたので三女とびっくりしたくらいです。
いいことも悪いことも総括する月にはいりましたが、我が家もまだまだ気をぬけないってことだなぁ。
こういうキャプションのない写真をつらつらと見るのって案外癒されるものですね。いつもいつもありがとうございます。