Wildlife management関連の農文協書籍
2012年 05月 06日
本書の特徴で,私が気がついたのは以下のとおり。
・シカ肉の食材利用の為の下処理,解体方法について解説してある。
・食材利用については,よく見る田舎料理的なものではなく,本格的フランス料理レシピとかなり厳選された家庭料理の両方を載せてあって,更に脳食のための脳の取り出しなどにも言及してある。
・本当に金を払って涙ながして食べたくなるための下ごしらえの重要性について,きちんと述べられている。
・販路や,多くの自治体で経済的な部分で失敗している処理施設,販路,更に,人的ネットワーク等の組み立て方にも言及している。
おそらくページ数において150pあたりの厚み以下に仕上げるという暗黙の了解があるこのシリーズにおいては,よくぞこれだけ詰め込んだなという本。
シカにおいても大量の有害鳥獣捕獲がなされているが,その環境資源としてのきちんとした利用はなかなか簡単ではない。各自治体が真面目に作った食肉利用のガイドラインを読めば,畜産獣とは全く違う捕殺からの流れをその管理,スキルなどかなりの条件が揃わないと無理だということが分かる。ただ,それなりの手順で手に入るシカについては,きちんと命がいただけるようにした方がいいと思う。それなりにきちんとした捕獲とその後の手間を掛けることを惜しまねば,ユンボで穴掘って埋めるなどやらずに済むし,出来れば止めさせたい。
本書は,ともかく美味いシカ肉を食べる,その部分に経つことを重視している。本当においしいものだからこそ売れるわけで。「二度と口にしたくない鹿肉の作り方」は,私もよくわかる。それだけ,解体処理は重要だし,それがきちんと行われた場合の味を,案外,「食べたことがある人」の多くも知らなかったりする場合があるということ。
本書で気になるのは,1ページ分ではあるが,わざわざ皮と角の資源利用にまで言及している一方で,食肉病害的な情報は,各料理のポイントの中に書きこまれているので,出来れば,もう少し注意喚起してあったほうがいいかも知れないなぐらいで,そのあたりも消化管処理と同様,触れていないわけではない。人畜共通感染症については,簡潔な表一つで済むことなので,整理してあった方が良かったと思うが,書き方ひとつで,ネガキャンに発展する状況を恐れるのを理解できるし,例えば,豚のレシピ本にわざわざ,豚の生食リスクや病気についての資料付けないだろうし,とは思うのだが,新たに野生獣をして,食材利用,流通の取り組みを進めた場合,割と生食が文化として普及しているので,念には念を入れたほうがいいのかも知れないとは思う。
脳食も,BSE後,アメリカで牛の廃棄骨粉を食べたと思われるシカを食べたハンターに伝染性海綿状脳症発症の話などあった。国内ではもちろんそういった話は聴いたことがないが,何処でそれを食べるか,ということについては,少し吟味した方がいい食材ではある。こういうのあっさり書くと,あっさりネガキャンになったりするから,とても難しい。
末っ子は,ただ塩コショウで味付けして,ワインで蒸す,みたいなシンプルなのが一番美味いとはいう。多分,部位がロースなら,それは正しいというか,他の食べ方をすると,かなりもったいないことをしていることになる。他の部位は,リブはステーキでも問題ない。その他は少し脂を足してやるような調理法が合っていると思う。特にこちらの脂肪分が更に低いシカについては。
「明るい農村の味方」農文協からのもう一冊。
今の鳥獣被害対策は総合的な対策手法の組み合わせで行うのが現実的という段階に立っているので,この内容も,非常に効果的だが,様々な条件設定をクリアしながらという部分と,モンキードッグそのものの訓練との両者が書かれている。もちろん,後者におけるノウハウや注意点がここまで書かれた本は今まで無かった。そして,基本,行政からモデル集落などに協力依頼があって,代表者が研修会に送られたりして施策的に取り組むモンキードッグとは違って,各自が自分の判断で我が家のワンコをモンキードッグ犬に育て上げれば良いでね,というこれまでになかった視点で書かれている。そして,かなり具体的な訓練法や訓練のポイントが整理されて書かれている。何しろ基本自己責任的な個別の農家の鳥獣害対策のある意味道具として犬を「調教」するということが,この本の中身だから。
これは,ある意味外飼いが定常化するワンコの正しい買い方指南的なものも含まれる。犬,猫の買い方については,ある意味通用してきてしまった故,各自の個人体験で対応できると判断されてしまっている問題部分もかなりあって,そういう意味では,農村部,放し飼い(法的な話も本稿では扱われている)を前提とした正しい犬の買い方,みたいな側面は,今時やはり重要だと思う。隣人とのトラブルなど,むしろ,合目的な運用においても生じるだろうし,その辺の集落共同体内コミュが機能することももちろん前提でそのあたりにも,当然のごとく触れられている。
モンキードッグが,かなりの適性を必要とするのは,犬がある程度まで有害鳥獣を追っかけて追い上げに成功したら,途中で自分で正しい判断をして戻ってくるということができないといけないということだからだ。実は,犬においてこの適性はかなり個体を選ぶ。そういう意味で,はっきりとした飼い主とのバンドが存在する愛犬という存在から出発するというのは良いかも知れないが,まあ,すっ飛んでいって勝手に迷子になるあんまり賢くない犬も普通に存在するけど。
狩猟者はシカなどを撃つときも,子鹿などは見逃したいと思っても,猟犬がそのまま止まらずどこまでも追跡してしまうので,止める唯一の方法として撃つ場合もある。犬の本能的な特性を利用しているわけなので,この制御は,実際は多くの個体にとってはかなり難物だということは確かだと思う。呼んでいる飼い主をほっぽり出したことに意識がどのへんで行くか,犬の個性にもよるのだけっど。純粋猟犬ではなく,むしろ柔軟な特性を持つ個体が多い,雑種などにその適性を見やすいというのも何となく分かる。
ここのところに関連して,他に,モンキードッグにおいて念頭に入れておくべきことがあって,それは,一旦,モンキードッグとして完成した個体を養成すれば,後は,飼い主は枕を高くしてほって置けるということではないということだ。何も飼い主が呼び戻したりしなくても踵を返して戻ってこられる犬も確かに存在する。ただ,これは追撃部隊の構成をどうするかという問題にもなるのだが,通常のやり方だと,飼い主がリーダーになるので,リーダーが一緒に追いかけて,犬を褒め,1回毎のミッションの達成感を共有するという,まあ人間のスタッフを使った場合と同じことをやらないと,高度な精神活動を持つ犬の場合,たちまちモチベーションが下がってしまうということだ。
このあたり,良い上司は一方でシステムを回すため,或いは鳥獣害を亡くした上でやるべき本来の仕事をやらねばならないので,現場への投資についてはうまく手を抜きながらもやらないともたないことになる。
猿追に関しては,飼い主自身が戦略を立て誘導しなければいけないので,標準的な牧羊犬を使うノウハウに近いと思う。たまに,何もかも飼い主の意図を汲んでやってくれる個体が出現するが,そういう特別な存在を前提にしてはいけないということだと思う。
本書では,訓練から追い上げまでのミッションはとても整理されているので,むしろモンキードッグを常駐するというよりも,ポイントポイントで自分の飼い犬を追い上げのイベントに使っていくという使い方が基本だと思う。
カラス害対策対応で登場した女子高生鷹匠のお二人みたいな感じで,農家や他の獣害対策と連携しながらミッションが組むのは前提という感じ。
追跡用のドッグマーカー(電波法違反でないモジュール)の紹介や追い上げ支援のエアガンなどの紹介も出ている。始めから対策の総合的な運用の一つとして考えられていることがきちんと示されている。単純に「犬にサルを追わせる」みたいな話ではない。
必要なことは,一定のプレッシャーをかけ続けることにより農耕地の高栄養資源へのアクセスを遮断し,群をやせ衰え縮小させ,更に農耕地利用個体を輩出させないように,鳥獣被害発生の時系列を逆巻にして最終的には被害を最小化させていくということで,それを面的に展開して更に効果をあげようということ。更に,それを他の鳥獣害被害対策と組み合わせること。そのあたりは,本書においてもブレることはない視点で書かれている。
農地にアクセスさせると,個体群に入る栄養や採餌資源制限のハードルが下がるわけで,個体群の中から管理不能の個体,群が出てくる。農家はもっと捕れという人たちも現れるし,狩猟は必然だが,鳥獣被害はそれだけでは解決不能なフェイズになっている。狩猟をやめるということではない。かつて「共生していた」と幻想として語られる時代のように,人間の活動域周辺だけは強い狩猟圧や犬のプレッシャーが必然だったりする。
利用環境解析の専門家が関わると更に効率的であると私は思っている。
猿追のミッションが終了したら,すみやかに犬スタッフを回収し,周辺で糞便が出ればそれを回収する。なにか作物や設備にダメージを与えたら,そこは修繕してから戻る。中型肉食獣を今の世で使って有害鳥獣対策を行うとした場合,このあたりは前提となり,初めて,モンキードッグは農村部の中で市民権を得られる。まあ,事前説明ももちろん当たり前で,ある時,好き勝手に犬を放し飼いで飼いだして,「モンキードッグとして犬を使いました,この本に書いてあったからです」みたいな訳のわからなそうなオジサンが出現したりするリスクを考えたりすれば,これは本書,また,モンキードッグという被害対策それ自体へのクレーム対策としても当然必須だろうということだと思う。