バルカン星出身、科学士官の娘
2017年 02月 14日
「マツを増やして植えるとか出来ないの?」
この個体群潰したらおしまい,というようなRDBのヤクタネゴヨウで試みられているような個体を増殖・植栽するような取り組みは,常在性高いリュウキュウマツでは方向性が違うと思います。そもそも被害が収束しない現状では,中途半端に植裁して増やそうとも,当面のマツノザイセンチュウの「餌」を増やすことになるだけだと思う。ただ,奄美の個体群の遺伝子プール自体は保全しておく必要があるので,被害の拡大いかんによってはどこかで個体群の隔離みたいな話は必要になってくるかもしれない。
本来は,様々な変動がある中で,それが不可逆的なものであるかどうかを見極めるか,そのリスクを見極めて,対策をする経過を見守るという方向性だと思う。まあ,そもそもマツノザイセンチュウ自体が島外からの侵略的外来種問題にほかならないから,基本は殲滅できた方が良いけど,そんなこと言ったって島での広がり方見れば簡単ではない。
マツは,窒素固定できる微生物と共生してN分が皆無,植生が育ちにくい場所,急峻なところにも根を張るから,枯死木が増えれば土砂崩れや土壌流出が激化して都合悪くなる場所は増えるだろうから,防災的な問題がこの次に生じるであろうの課題。火山噴火で火砕流で無植生になった場所でも1,000年ぐらいのスパンで植生回復するプロセスが想定されている。この場合、初期のどのタイミングでマツが入って来られるかどうかは,かなり重要だと思っている。恩師の一人の仕事だった。
なんて話を噛み砕いて伝えていて、そんな会話から始まったのだが、その続きで、Kさんは言った。
「環境問題って結局『公共性』に配慮する必要が出てくる状況ですよね。経済優先でも,技術革新で資源搾取は永遠に破綻しないなどという話は,モデル上では、はるか以前に否定されています。その先が崖になっているのなら、今の経済的なしくみとは全く違う理屈で動く状況はどこかでは必要になってくるでしょうね。24世紀のスタートレックみたいな話なるかどうかわからないけれど。」
実際に過度の搾取理論では,技術革新などで地球の資源を上手く使っていくことが実際には出来はしないのだということがモデルで検証されたわけで、EU,特に北欧ではその理屈を政策に積極的に取り入れていった。日本の水産業や海洋資源管理の悲惨さととは対極の漁業の成功などはそのせいかだ。これは実際、そんな簡単な話ではないけれど,理論的な説明が必要な状況に際しては,Clark, C. W. et. al.(1979),の“The Optimal Exploitation of Renewable Resource Stocks: Problems of Irreversible Investment,” Econometrica 47: 25-48.に端を発する仕事が引き合いに出されていたと思う。いわゆる,持続可能な経済成長のための生物多様性・自然資源の最適価格を再設定していくというのは経済学と生態学の両方の知識が必要で、その上で、政策的なものにコミットできる人ではないと進められないだろう。ただ、ソシオバイオロジー以降、政治家の書棚にそういった書籍があるのが当たり前みたいな状況と比べると、最高学府出の高学歴者がそれなりにいるはずの日本の政治家とかが同じレベルで扱ってもらえるとは到底思えないのはなぜなんだろう。
EU圏で資源管理や生態系保護に政策の舵を切り直した国が出現したのは,流行りでも,ファッションのような自然志向でもなく,キレイ事でもなんでもなく,生き残るためにその方向の政策しかないと判断する人たちの動きが背景があったはずだ。
彼女がその著名なSFシリーズのドラマ,映画の名を全く聞いたことがないとは思わなかったが,話のつなぎにしても,ちょっと唐突な例えだったなかと思って,言葉を足そうとした。
「ああ,SFの話です。金のためではない,全く違う経済システムの中で巨大な航宙艦を作り,人々は,地球上の人類だけではなく全体宇宙世界の調和のために働いているというファンタジーの世界です。」
そして次のセリフに,私は少しばかり驚くことになる。
「私の父は,あの耳の尖った宇宙人,ええと・・・」
「スポック?」
「それよ,ミスタースポックだったのよ。」
「えええ??」
一度,永六輔氏が彼女に会いに来られたところに出くわしたこともあった。芸能方面で活躍された方だと漫然とは知っていたが,まあ,私のことなので,10年のお付き合いの中で特に父上がどなたであったのかというような話をしたことはなかったわけで,このときKさんがあの「スポック」の娘さんであったのだと,初めて知った。
そうなのだ。驚こう。彼女の父上は,あの理性の使わしめで,知の化身でありながら、理論と感情の間で苦悩する運命を負わされた,バルカン星人と地球人のハーフで,その冷静沈着,理性を最優先に重んじながら,何時の場合も深い友愛を底に秘めた戦いを貫徹した航宙艦の副船長,科学士官のあの深い響きを持った日本語版の声の主であったのだ。
Kさんは父上に何を言われてもひるまず,晩年は「いつも貴方の気に入らない政治家たちへの文句ばっかり言ってないで,そんなに気に入らないのなら自分でなんかして変えたら」と言い放った一言を受けて,そんならやったるわ,とばかり政治に関わる準備をされている道半ばで亡くなられたという。もしも、ifは意味は無いのだが、もしも,もっと時間が残されていたら,お江戸近辺の政治も。もう少し面白くなっていたかも、ひょっとしたら、小説家のお爺さんによる都政の負の遺産なども、今のお江戸は背負い込まずに済んでいたかもしれない。と,密かに思ったりしたのだった。
私の方は、ルパンIIIよりもレスリー・チャータリスの描く「怪盗セイント」に憧れてた少年で,「ぼくのかんがえた」怪盗さん用のロゴ作ったり自分がなるつもりの主人公の小説のプロットを書いていた変な少年だった。世代は違うのだが,彼女とは不思議に気が合うのはそのあたりからかもしれない。
怪盗セイントは,映画化もされたけれど,未視聴でなんか暗そうというイメージ。邦訳小説では子供向けのしかないようだがそっちは「ルパン三世」や今時なら「バーン・ノーティス」の主人公など連綿とつながるあのタイプのヒーローの原型という感じ。当時は「あかつきの怪人」 (少年少女世界推理文学全集) あたりと、従兄弟に貰った古い学研のペラペラの付録小説のみだった。
何の話だったっけ? そう,少年期の夢は普段忘れているけど,不思議なコアとして自分の人生の中に残っていて,しばしば,それは不思議な不思議なタイミングで共鳴現象を起こすことがあるような。