
厩戸皇子か皇女か分からないが,足跡無数。さすがに松陰先生の座敷には上がり込んでいない。看板の柱の爪研ぎ後は,最初うっすらしていて気が付かなかった。多分,♀ではないかと思う。 一瞬アライグマかなと思ったりしたが,アライグマがここに侵入したらこんなもんじゃすまない。アライグマの場合,農作物被害と人的財産被害が半端無いので,大きな問題になる。 観光地なので,クマネズミが食べ物カスなどで侵入すると齧られたりいろいろあるだろうが,一応そういうものへのディフェンスは多少は効いているかもしれないが,利用は局所みたいで,ここ以外では他の動物も含めフィールドサインは見つからなかった。整備されている観光地なので,当たり前か。 日本の歴史上の人物で猫バカと言えば宇多天皇 (在位887~897)とか一条天皇(在位986〜1011)とか,室生犀星,夏目漱石,三島由紀夫,大仏次郎,内田百聞といった文豪多数も検索に引っかかる。あまり日本の政治家は聞かないが,確か,何人かおられた気がする。 世界に目を投じれば,イスラム教の始まり,猫のために服の片袖を切り落として置いていった預言者ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフが,歴史的にもぶっちぎりで猫好きでも始祖的存在。 そもそも猫はネズミ類などから農地や家を守る家畜,産業獣だったわけで,そういう概念がなかった時代も長く,ある意味,都市化,文化的価値観において1次産業からの分離が進まないとそういう発想は生じにくかったのかもしれない。私の家の近くでも牧畜業があってそこは実際確かにご主人の猫好きでもあって猫だらけだったが,いわゆる産業獣的飼育の延長でネズミ類の防衛ラインを形成させるためだったのだと思うと合点がいった。「ダメだ,おれんとこのは長生きできねぇ。」とそこの主人があっけらかんと言っていた。野外における自然飼いの肉食獣は犬であれ猫であれ,エイジングがかなり早く来る。種が違っても猫サイズの肉食獣の平均寿命は実際に長くはない。一方,待ち伏せ型の蛇などはやたら長くて,ハブなどもヒメハブなどは40年という記録が出ていて,それが年平均8〜10頭ぐらいの産仔をするとすると,多少の捕獲を頑張っても簡単には個体群は減少しない。農業被害獣では横綱クラスの隆盛を見せるイノシシの数倍の寿命とリターサイズを誇るわけで,数万頭捕獲しようが個体群がタフなのもよく分かる。 何の話だったっけ。あ,明治維新ネタで猫の話を探してみたという話。 で,その次代にあって家族として一緒に暮らすみたいなことをやっていたニュートン,政治家ならリンカーン,ルーズベルト,チャーチルなど,枚挙にいとまがないが,流石に維新の志士は,都合よく猫と縁の深い人についてWeb上の情報は,引っかからなかった。「つん」で知られる西郷さんの犬の話は有名だが,この人も猫とは接点を見ない。全国を駆けまわって活躍していた人たちにとって,定住が前提での猫との暮らしは相性以前の問題であったのかも。
わずか2年に満たない松下村塾での松陰先生の講義の中,この家の庭から猫が聴講していたかどうかは不明。猫ネタが明治維新周りには皆無のようだが,逸話が豊富だったとしても,松陰先生周辺にはどっちにしても猫つながりの逸話は無いと思われる。ただ,こういう家は猫は落ち着けそうな気がする。
最近,地誌的な時代はもちろん,ここ200年ぐらいのスパンでの動物も含めたあたりまでの古環境が気になっている。100年前ぐらいだと,研究者視点で撮影した画像も残っていたりする。ちょっと前に関係者でも話題になったが,「屋久島世界自然遺産登録20周年記念出版」古居智子さん著のこのウィルソン博士の学術的写真集にしても,例えば本文73ページの里地が今のように森林に覆われておらず,草原が広がっている風景など,示唆に富んだものが多い。
ウィルソン博士といえば,あの有名な
ウィルソン株(ここのブログでは内部からの画しかあげてなかった。もちろん外形のも撮りまくっているのだが,故あって出せない)の発見者。当時はまだ学位も持たず,旅から旅へのナチュラリストというか彼の生涯そのものの感じだが,婦人と娘さんも連れての屋久島上陸だったようだ。