外から戻ってきたチコ兄は、ユッチにとっては、周辺環境における情報の一部である。媒体は主に「匂い」であり、それによってレンポウや見かけぬ情報のない他個体や獲物などを検索する。
チコ兄にグルーミングするでもなく、単に無礼ににおいをかぐだけである。彼女にとってはチコの存在それ以上の同居人の意味はなかったりする。チコはそれでも、公陳丸にケアしてもらっていたので、彼女たちでなかったらもう少し違ったかもしれないが、誠に猫というのは人間同様、個性の強い複雑な関係性が現れる生き物だと思う。
よく猫をモチーフにしたドラマや映画でかいま見られる、全員が主人公の前でのほほんとした空間を見せるようなのは、我が家ではあまり期待できない。公陳丸を失ってから、室内飼いの猫達が見せるようなほのぼのとした関係性は、彼らの間には構築されなかった。かなりシビアな話。
いきなり、帰宅したチコのお尻の匂いをかぐ無礼な娘。ユッチのお目付け役である長男がその無礼さに、いつもがっかりしている。まあ、ユッチもそういう猫だからしょうがないよ、と言っている。
これから出かけていくつもりのユッチ。かなりシビアな顔でチコを見送る。一昨日は、猫ドカから侵入したレンポウの白いやつが、二階の子どもたちの部屋にまで入り込んでいた。彼女にとって最も嫌なオス猫が徘徊している状況で、一生懸命、情報収集をしようとしている印象。そんなに怖いならやめれば、と思っても、彼女も出かけていく。
より臆病なナッチは、家のリビングのみをコアエリア、屋内のみをホームレンジとして構築、選びとったわけで、姉妹それぞれである。
全員去勢してなければ、関係性も変わったかもしれないので、こっちの責任でもある。チコとナッチ&ユッチがべったりの配偶関係にあり、子どもたちもいっぱい、みたいなのは想像できないが、彼らと暮らす上での様々な制約がなければ、そういう設定にもできたと思う。原則、里親に辿りつけないものすごい数の猫達が存在する状況で、飼い主各自が責任をもって、かつ去勢してみたいなのが、標準的な猫との暮らし方になって久しい。奄美大島で生物多様性保護観点から、猫を都会型管理で飼ってもらうことを前提で色々話を進めると、簡単にはいかないという話を聞いた。奄美では猫は産業獣みたいなもので、住居近くにハブが侵入しないように、その獲物となる温血動物であるネズミ類を繁殖させないよう、自由飼いの猫で結界を張って暮らしてきたという文化というか歴史みたいなものがある。
畠中三太郎氏の空中茶園にも猫は居た 。飼い主が亡くなった後の猫は、そこで得るものを得て、得るものが得られなくなったらそのまま天寿というのが当時の感覚であったろう。離島での自由飼い(いわゆる島飼い)での猫の寿命は、通常の同サイズの野生の肉食獣と同じである。一度、知り合いの医科研の先生の話で、完全自由飼いで飼われていた犬の話があったが、4,5年でものすごくボロボロに老化が進んでいたという話を聞いた。その飼育状況は、まあ、極端な話だが、栄養価の高い食べ物を食べられるようになったおかげで、人間もペットたちも、今の天寿があたりまえだと思うようになってしまっているが、それはここ百年もない歴史の中での話。ましてやその人為のテクノロジーが生み出した食べ物を、野生鳥獣に食わせまくったら(農家は特に、いや公的機関や大学の農場ですら「被害」だと思っている「被害者」が大半だが、実際は「意図せぬ給餌」である)、どんなことになってしまうかということへの無理解の結果だということも、今の野生鳥獣における農業被害問題において重要な視点である。
いつもどおり、話が脱線しまくっている。
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