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餌を与えるサルとモノを集めるサル

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頂いたイノシシ肉は、赤身の部分だった。綺麗な肉。

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 火を入れると、少し独特の香りがするが、もともと新鮮なので、日本酒か醤油ぶっかけると一瞬で消える。

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 たっぷりの夏野菜を炒めておいて合わせる。少し硬いので、細く長くチンジャオロースみたいに切ると良いだろう。

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 焼きそばも好評だった。生産管理が完成している豚肉と比べると、いろいろな部分の味が楽しめる。

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 近大とこっちのウナギ業者さんで取組んだナマズの蒲焼きがÆON系で売られていたので、ワイフと一緒に買いに行った。努力は偉いし、これからだろうかと思ったりしている、一応は、ね。しかし、肝心の売り場では、ナマズの蒲焼きは、ワイフと二人探しまわってもなかなか見つからず、売り場の店員さんに案内された空間は80cm四方ぐらいだった。「鯰を隠すなら鰻の森の中に」状態。それ以外売り場がうなぎの蒲焼の絨毯みたいであった。
 NHKはじめ、TVでは、過渡の搾取、乱獲で食べられなくなると放送すると東京湾に浮かぶことになるのか、ワシントン条約で食べられなくなりそうだと連呼している。ワシントン条約倒せばウナギ食えるんかい?みたいな責任転嫁のねじれ。
瞬速の蹴りがワシントン条約の米神を襲った。いきなりの上段攻撃。余裕でかわしたワシントン条約が反撃に転じた次の瞬間、守りの甘くなった防御の間隙を縫って、蹴り足は不思議な動きを見せた。二段掛け蹴りにも似た0.5拍子の微妙な時間差のある蹴りが見事に急所に炸裂した。ドォという音とともにワシントン条約は倒れた。
「見たか。これでこのまま鰻を好き放題食える。まぁ、絶滅するがな。」 #想像で語るワシントン条約
 古の役所の悪い部分を引きずっているとしか思えない水産庁の上の方の発信するものを見ていても、なかなか困った状況だと思う。
 他所の国が有り余る胃袋のキャパを開放して貪り食うところを見たら。それ自分達の分でもあるとしぃか考えるのではなく、いやそれやっていると終わるっていうのが常識なんで、もうそんなことやってるどころじゃないよというメッセージを早く強く発信しなければならない。強いもの勝ちの土侯国家でなく、教育が進んでいるはずの先進国ならば。
 国内では妥協案として、専門店で高額を叩いて一年に一回食べるという流れをとりあえず作るしか無いのだろう。うなぎの蒲焼きの絨毯を見て、既に殺されて調理されちゃった分については食べないともったいないと云う考え方もあるが、スーパーやコンビニも消費が下向きに成らないと、彼らもこの商売をやめる訳にはいかないだろう。

 この分野では、ネットでずっと警鐘を鳴らし続けてこられた勝川先生の過渡の搾取によるウナギクライシスについてのアーカイブはこちら。
 他に勝川先生のtweetについてのtogettorなど。関連で、ここのニュース記事はよくまとまっていると思う。
 今は、専門家の知識や考え方に直接触れることができる。その意味では、状況変化も早いので、メディア内での変化が遅すぎるように見える。それで普通なのだろうと思うこともあるがメディア人や芸能人良識が本来の情報から置いてきぼりを食らっているようにも見える。それは結果的に、反動や有害なドラスティックな揺り戻しを生じることになるので、丁寧なコミュニケーションでなにか違うきっかけを作っていかねばならないと感じる。

 「鯰の蒲焼き」については、私自身は、「大変おいしゅうございました」であった。身の部分は柔らか目の白身魚で皮から脂部分はウナギだというハイブリッド感だが、これは頭で鰻をイメージしながら食べようとしてしまうからだろう。それ故、鰻好きな日本人にとっては、もうウナギ要らないからこっちで良いわということには簡単にはならないだろうけど、新たな食材としての可能性は感じた。多分、調理ノウハウももう少し詰める必要があるのかも。

 今の若い世代は、クジラの味知らなくても生きていけるわけだしそれに似た状況を作ることは可能だろう。少なくともまともなモニタリング体制込みの計画的な制約なくして、今の凄まじい物流とビジネスの動きのある状況を御しての資源管理を考えれば、賢い方向性の選択が消費側にも求められるだろう。でもヤクの売人みたいに「あいつらが求めるモノを俺たちは売ってるだけだ」と嘯くのも反則だと思う。ヤクの売人も逮捕されるし破滅するリスクを背負っているしその方が潔いぐらい。日本のメディアはスポンサーの問題や業界クレーム対応を考えれば、急激な形では修正できないだろうけど、流れは変わり始めている印象ではある。


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 次男と買い物がてら、『Pokémon GO』がてら、夜の散歩を久しぶりにした。戻るとちゃんとゲート前でチコが涼んで待っていた。最後に『チコベェ・ゴー』になった感じ。「猫集め」はある意味の猫収集ゲームではあるのだが、設定が絶妙で、捕獲ではなくどれだけ猫に愛される空間を創出できるかというアニマルフォールダー向けじゃないネコトープ(今考えた'biotope'からの造語)っぽくて、とても健全だった。収拾欲求を満たすには乱獲の心配がないバーチャルなものをゲームとするのは、大きなお友達には一番よいかもしれない。
 子供の能力で昆虫採集をするのだったら通常は過渡の搾取問題など起こるはずもない場合が殆どで、知れている。それ故、自然物をもっと気楽に手に入れられて販売できたら、みたいな言説を時々目にするが、残念ながらオークション脳の大きなお友達や業者さんが関わると話が違ってくる。野生生物や自然物の採集禁止に対して反対意見を述べる人たちで、そこの問題を態と無視して言ってくる場合は、ほぼ業界利益誘導の助平心を本人も無自覚に内面化しているので整理が必要だなと思う。
 自分も生物販売ビジネスに利用された途端にリスクがかかるなと思ったことは、仲間の研究者とも言い合わせて情報を伏せている。20年前からだが、その間に社会情勢や情報伝達速度は位置データも含め恐ろしいことになっていたから、その方針に間違いはなかったと思っている。
 一方で採集生物の展示会的な成り立ちでは絶対に許されない動物園水族館の機能と責任は非常に重くなっている。そこを連結してしまう考え方の危険性は、きちんと博物館教育を学んだはずの人も、形式的な教育では、ほとんど理解していないのにぶち当たって、愕然とすることがある。地方大学の教育学部カテゴリーの課題だと私自身は思っている。とても面倒くさい。
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 セグロアシナガバチかキアシナガバチか。肝心なところが写っていないが、チコの水瓶を飲みにきたアシナガバチsp.の姿。何年か前は壊滅的に少なくなって心配したが、今年は割とよく見る。少年期、蟻とともに蜂も一人の少年の有り余る時間を埋める重要な存在だった。アシナガバチの巣が3つもあれば、イモムシ対策は要らなくなると優秀なガードナーでもある友人が言っていた。今年は、イモムシ少ないとご近所のグリーンハンドの奥さんもそう言っていた。関連していれば嬉しい話だ。
 そういえば、昆虫にかぎらず、蟲集めをする少年たちの姿は減ったなと感じる。自分が写生大会だ〜みたいなのに参加していれば、極稀に、画材など放り出して、純粋に虫捕りだけやっている少年とか居たけど、垣間見た観察会では居なかった。最近はどうなんだろう。行動多様性の芽は人類にとって大切だと思う。

 あるWGの場でご一緒した先生に「野生動物管理で給餌が元凶になっているの多いですね。」と言われて「意図せぬものを入れたらほとんどの問題はそれが発端かもしれません。ヒトは餌を与えるサルですもん。」と返したら、大きく頷かれて「その給餌をやってしまうサルであることで、家畜やペットが生まれ、畜産を可能としたわけですから。」って言われて、思わずひざポンとなった。農作物の栽培も餌をやるのに似た相(フェイズ)もありますよね。「餌をやるサルすげー」って、その視点がなかった自分を恥じた。

 採集は、本来は1枚目のイノシシのように、利用するための生物資源確保・捕獲行動にほかならなかったわけだが、ありとあらゆる資源を利用する能力に長けた人類は「あんた、こんなもん集めて何になりますのや?!」みたいなものを拾ってポケット(?)に入れて、戻って思い出した様に取り出して眺めて調べる、みたいなのを繰り返してここまでやってきたのかもしれない。

 ヒトは「過渡の搾取を平気で行うサル」でもあるのだろうなと思うので(それで保存、加工技術、はては物々交換、贈呈、金銭経済構築能力なども担保されたりしている、いやそれが出来てしまうから過度に搾取するのか)・・・ああ、まあ、個体差があるので主語を大きくした一般化は危険だ。「〜する個体を生み出すサル」ぐらいで。そういう欲求を抑えられないヒトが、居たとして、ゲームとバーチャル獲物に向かうのは、素晴らしく健全なのかもしれない。もちろん電力や資源含め回り回って何にも負荷をかけていないわけではないけれど。「ヒトは餌を与えるサル」「ヒトはモノを集めるサル」っていう視点は、前提なのかもしれない。自分が食うだけではなくて、ともかく見つけたら採り尽くしてしまう困った性癖の青年に西表島の南風見田ビーチで何人も遭遇した。お陰で、あそこの大型シャコガイ類は、ものの数年で食い尽くされた。今は復活しているだろうか。過渡の搾取については、「学ぶまでに時間がかかるか、学べないサル」ではあるかもしれない。

 私の賄い作り行動も原点には父性行動とあい混じったその辺の血脈通りのものがあるのだろうか、ウッキー。因みに、友人が妙な方向からの批判に晒されたので、一夫一妻型のメーティングシステム&パターナルケアのヒトの適応、進化についてはちょっと整理をしているぞ、ウッキー。といきなりウッキーを最後に続けてみたが全然面白くないし、うざいだけだから最初からやらずにしておいて良かったぞ、ウッキー。

追記ー収穫残渣問題は、もちろん、そんなに簡単に収束できるものではない。しかし、その効果の凄まじさを理解して、鳥獣被害問題の基点にあるという認識があるかないかで全然意味が変わってくる。
 特に最近は、残渣放置領域含め物理柵で囲ってしまうという方向性もありだ。せこい規模だと、廃棄場所自体をエンクロージャー化する、せこくない規模だと複数集落にまたがる領域ごと100kmを超える沿長で囲ってしまい、砦柵集落化するというやりかた。せっかく老後の楽しみで野菜作ってるのに食われて困るからなんとかしてよー残渣処理?鳥獣被害対策?なにそれ美味しいの?レベルの家庭菜園ユーザーも何もかも全部柵の中。これだと空からの侵入(ヒヨドリ、カラス類等)以外は防げる。非農村地域だと無理だけどね。お江戸だと、街の真ん中とか山手線の内側とか柵作らなくても、ゴジラ以外加害獣は辿りつけないからそこを農業やれば少なくとも獣害フリーだ。

 ヒトが餌をやると云うのは、擬似的なparental careの行動の原点とも混沌となっていて、支配欲の発露というふうに考えるコトもできるかもしれない。ある意味ヒトは親業を通して子を支配する部分があるということも確かだが、そちら方向に整合性を求める考え方に寄り過ぎると、本質を見失う可能性がある。状況により仔から搾取するやり方は、適応度から見ると必ずしも意味を持つ場合ばかりではない。

 ヒトの場合、適応度とは別に系統的な縛り、更には個体の直近の利益となる心理的な部分(ユーティリティ)とのモザイクを読み解いていかないと、思いの外、勘違いをする場合がある。この辺りの問題については、多様な分類群を見てきた訓練された哺乳類屋のみがまともなサーフィンができると私は自負している。

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by complex_cat | 2016-07-31 00:41 | Appetite Museum | Trackback | Comments(0)

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