当たり前だがフィルム時代の一眼レフはすべてフルサイズだ。フルサイズではないという仕様ができたのはAPSサイズデジイチが普及して、135フィルムサイズ(いわゆる35mmサイズ)よりも小さな画素子が普及したせいだ。フルサイズの画素子はフィルム時代と違って、周辺受光能力や開発、生産コストがかかる。
私自身、フィルムCanonのキスデジNを購入してデジタル時代のブログに対応できるようになったのが2005年だったから、実際のところ、14年を経て、フルサイズに帰還したことになる。もちろんフルサイズデジイチは、かなり以前から各メーカーが開発して販売していたが、値段もだが、そもそもハードなフィールドに持って行って振り回すには、どれもこれも大きく重すぎたのだ。まあ、狐が悪態をつくすっぱいぶどうみたいなところがあったわけだが、フィルム時代重く大きい一眼レフの短所をOlympus OMが維新したみたいなのが、デジタル一眼にも必要だなと個人的には思っていた。
画角が以前の35mm版に戻るということは、レンズの焦点距離が、下の感覚に戻るということだ。すなわち、50mmが標準で、広角的にも短望遠的にもテクニックでカバーできる万能の焦点距離に戻る。その世界では、35mmは結構な広角となり、28mmや25mmは作画を考えないと全然まともな絵にならない広角となり、さらに21mmや18mmは、無限の広角空間みたいに感じられる感覚に戻るということだ。
一方で、そこそこの広角から標準の焦点距離のレンズが、短望遠となり、しかも最短撮影距離が変わらないから、ちょっとしたマクロ的な作画に使えたり、300mmレンズが400mm超、800mmが1200mmに近い超望遠になるなんて言うマジックはフルサイズの世界では、消滅する。画素子が35mm版より小さくなることによる画角の狭窄化にともなう焦点距離の延長は、レンズの焦点距離が伸びて高い超望遠レンズを買わずに得した感があるのだが、ここで勘違いしてはいけない。レンズ自体が持つ最適撮影距離が伸びるわけではないのだ。これは、フォーサーズなどでもよく勘違いされるのだが、あちらでは300mmレンズが600mmの超望遠相当になるわけだが、実際に300mmが得意とする被写体までの距離が、600mm並になるわけではない。各焦点距離のレンズには最も有効な距離感みたいなのがあって、それが倍になるわけではない。
何れにせよ、28mm〜70mmや24mm〜80mmの広角〜単望遠までのズームが、APSサイズだと、長めの標準〜トット長めの単望遠になってしまっていたのが、本来の広角域からちゃんと使えるズームレンズに戻ってくれてるのは、本当に助かる。このあたりは中古市場でも不人気で、スペックもたいしたことないと思われているレンズが多いのだが、その時代その時代で設計に無理がなくて、画質が犠牲になっていないので、値段でレンズを選ぶ人には絶対に手にできない銘玉も多いのだ。いわゆる中古市場における絶対価格は安いレンズだが、『写りは安っぽくない』レンズが沢山潜んでいる。そして圧倒的なブランド名やプロショップを持つことで多くのユーザーに飛びついてもらえたニコンキャノンとは、異なる商売をしてきた旧ミノルタには、そういうレンズが少なくないのだ。
フィルム時代、広角レンズを使おうが、プリントで焼いて楽しんでいる状況だとそれなりにトリミングされてプリントアウトされていて、心ゆくまで、広角表現に順応した画像を撮っている人は、限られていたからむしろ今は、フルサイズの意味を知る人は、特に若い世代では限られるかもしれないが、コア層のフィードバックや学習能力は、ゲームで培われていて高いので、気がついたらあっという間においていかれるっていうのは感じている。
画角別のガイドのあるレンジファインダーカメラで35mm何ぞはめたら本当にこんなに広い範囲が写るのか、一体何を撮れば良いのかって思うくらいの空間が写し込まれる。iPhoneだってコンデジだって、実画角が今は28mmぐらいの広角はカバーされているわけで、広角側の画角で驚いたりするのは変な話なのだが、このあたりは、人間の認識力のズレみたいなのもあるのかなと思ったりする。
ヤシコン時代のCarl Zeiss Distagon T* 4/18を取り出してクロスバイクで渓流まで足を伸ばしテスト撮影。レンズの特性に合わせて、周辺光量など補正されるが、もちろんα7用純正レンズではないので、カメラ側に焦点距離情報など行かないから、そんな補正はされていないはず(このあたりのメカについてはまだちゃんと確認してない)。
暗さへの感度とノイズの相対比も良くなっているので、こういう画をとっても全く不安がない。しかも、手ぶれ補正もある程度までは効いてくれている。ボディ内手ブレ低減もセンサーダストのクリーニング機構も、SONYが吸収してくれたMINOLTAαデジイチが、ユーザーサイドに立ち、先見的にインストールしてきてくれた機能である。
風景写真は、セミクラシックとも言えるMFレンズで、必要十分以上、いやZeissレンズ使っている幸せを純正レンズ以外で手にしては現行の開発生産をやってくれているSONYに申し訳ない気がするが、これだけの写りが手に入るのだから致し方ないのである。
今やレンズのコントラスト発色や解像感など、RAW dataからいろいろいじられるようになって久しいのだが、気にせずパシパシ撮影して、大した加工もせず、この描写が手に入るなら、そのレンズを使うわけだ。
流石に周辺光量では、今向きの画素子に直角に入光させることを正義とするデジタル用のレンズ設計ではないから、多少は落ち込むが、ほんの僅かなレベルで、作画的に困ることはあまりない。そんなこと言ったらフィルムでオールドライカレンズなど楽しめない。
私の手元にある変態レンズでも、極めて変わっているおフランスのAnegenieux単望遠レンズ。二眼レフのビューレンズをヤシコンマウントに改造したもので、撮影レンズですらない変態レンズなのだが、今どきの改造感はないが素晴らしい発色と描写ときれいなボケ。Sony Alfa7ii, P.ANGENIEUX PARIS 1:2.8/75 TYPE Z5
MINOLTAの古い短望遠マクロだが、1/2まででフォーカシングであまりレンズが伸びないから、マクロプラナーよりも使いやすい。すべての高機能AF追従で、機械任せにして小さな昆虫を撃ちまくるような撮影はやらないので、AFでなくてもマクロ撮影には対応ができる場合が多い。マニュアルフォーカスレンズながらマクロプラナーの方も未だに現役である。
クローズとフォーカスの使える、28-70mm Vario-Sonnar。こういうレンズが普通に元通りの画角で使えるのは、本当に幸せである。作画自由度も上がる。
APSサイズデジイチでも、手足を縛られて撮影させられていたみたいな思いはなかったのだが、標準開放のボケ味で使う標準レンズの画角のマジックを再び取り戻した。世界の半分を切り取れる標準レンズの画角で今時カメラを手にする人たちは、撮影トレーニングしたりしないだろうから、こういうのが通じない世界になって久しいと思っていたけど、なんのことはない、スマホからデジイチを手に入れものすごい勢いで写真を撮っている若い世代でも感覚的にそういうことは掴んでどんどん先に行っている人は少なくないのである。若いっていいなと思うし、インスタ見てたら、スマホ撮影でも眩しいセンスがたくさん溢れている。能書き垂れるよりもあらゆる機会に写真撮ってる人、撮るものがある人には敵わないのである。
写真なんぞ、御託はいいから撮りたいもの撮った人間の勝ちである。私は、死ぬまでに、あと何回カメラを買い直すだろう。多分これで終わりにしてもいいかなって思うくらいの機材にようやく出会えたというところだ。私にとっては未だにキスデジX初号機もα700も現役なので、ここまでの機材で、私にとっては本当に十分なのだろうなって思う。でも、このカメラは必要だった。最後のジュダイみたいなものである。
末っ子の作った超うまいサバの干物が出てくるのを待ってるチコ。
タイトル『フルサイズへの帰還』じゃなくて『フルサイズの帰還』ってやっぱり、「彼が」私のところに戻ってきたという意味ですが、当然スターウォーズ・オマージュでもあります。