久しぶりにチコを連れて行ってのクリニックでの検診。検査の結果は良好で、なんと体重も増えてた。3.8kg。奇跡的に排便が自然にできるようになったことは、やはり主治医の先生も驚くと同時に喜んでいた。彼が自分で調整のためにガブガブ飲んでるホットミルクのおかげか、どれくらい検証できるか自分にはわからない。でも、そう思える。軟便薬のみ処方してもらっていてもこうはならなかったので、やはり彼自体がなんとかコントロールしようとした結果だと思っている。 調子は戻っているが、それでもムラ食いは激しく、各種、揃えても皿は無視され、何が食べたいのかわからず、こちらもヤキモキすることが多い。この日は、天気が良かったが、風が強く体感気温が低いせいか、こちらから誘っっての外での活動は短かった。日に多い時は、春休み中の、息子たちにフォローさせて5回も6回も外に出かけていくのに。現在は、彼自身、勝手に外に出られなくなっている。保護者随伴必須の状態はもちろん、家の猫ドアのある位置まで飛び上がれないのもある。しかし、この畑を行くチコの姿は、もう無理だとMRIの画像を見せられたとき思ったのが、もう、半年前のことだ。
彼が戻る気になったら、我々もそのまま引き返す。人間年齢換算というのがどれくらい生理的年齢や彼らの寿命スケジュールを反映させたものなのかよくわからないが、もう少しで、齢90歳を超えることになっている状況なので、トラブルがあったこと抜きでも、足取りは年齢なりというのは確かにある。 ユッチは、自身で外に出かけていくが、他の猫たちを束にしても排除していた、チコシールドが消滅した今、うろついている雄猫とか、怖い存在だらけなので、野生動物のように緊張しっぱなしで家の周りの庭だけで動き回って、すぐに帰ってくる。春の到来に伸び出したグラスをガシガシかじっている様子を見れば、猫は草食獣みたいに見える。 この子とナッチ姉妹は、今のところ体調を崩すことはなく元気なので安心なのだが、それに甘えられない状況もそのうちやってくるだろう。彼女たちも既に14歳を超えた。
私が徹夜続きで起きられず、朝爆睡していると、彼は無理に私を起こさないで、二階の次男を呼びにいく。そのおかげで島に向かう便に、ギリギリ遅刻せずに乗ることができた。
ハンディを負ってしまった体だが、気がついたらスルスルと階段を上って降りてくるようになったのには、本当に驚いてしまった。その代わり寝たフリは絶対に通用しない。わずかに微睡から起きたとのジャッジは、悔しいけど的確で、寝たふりは通用しない。だから彼に起こされたではなく、もう少し寝せろというのを却下されたというのが正しいのかも知れない。
追記ー彼が下半身の骨折から回復する経緯で、排便困難が明らかになり、主治医の手による軟便薬投薬、浣腸処置、圧迫排便をほぼ四日おきぐらいにしてもらう日々が数週間続き、その後は、こちらの経済的、時間的負担も先生の方が勘案してくださって、軟便薬投薬、浣腸処置は自宅でするようになった。家族の何人かで保定しての浣腸処置後、庭に出して排便してもらうも、うまく出ないこともほとんどで、そのままクリニックに搬送、なんて事態は普通だった。友人の知る事例では半年ぐらいかかると言われていた圧迫排便の技術を私がなんとか習得したのは事故後3ヶ月を過ぎていた。野生動物には長く関わってきたが、獣医修行の真似事など一部でしかない私にとって、膀胱にも腎臓にもダメージを与えないよう、解剖図と彼のX線画像とを首っ引きで見ながら、そして彼に便意がきて踏ん張り出すのに合わせての信頼と共同作業が必須というとてもハードルの高いものだった。でも主治医の先生が「共同作業」とおっしゃった言葉が、キーワードで、ハッとふに落ちたのが習得のきっかけであった。
医療関係専門家としての訓練を受けてきたのワイフの方が、なんとなくそっちの感は取れるかなと思ったが、彼女の指は彼の腹筋を回したら腸に届かない上に、彼の腹筋に跳ね返される。私が習得するしかなかった。この期間、チコも苦しかったろう。ようやく、私が圧迫排便を行えるようになり、光明が見えきたと思ったら、今度は、毎回の浣腸後のストレスで(大抵、直後に大量に吐き戻す。痛みで唸り声を上げ出す)、処置後簡単には、チコの腸への内容物が降りてこないという状態になり、より時間がかかり技術が必要になる機会が多くなって、結果的にクリニックに搬送、振り出しに戻りかけた。
そこで、この彼自身が編み出した、牛乳ガブ飲み作戦。ここまで対応できる家庭は少ないと最初から理解していてくださった主治医の存在は大きかった。こうなれば、これで行く、ああなればこうしようと、色々な対策を検討してくださった主治医ご夫婦のおかげもあって、ここまで彼の命を繋いでこられたわけなのだが、最後はチコが自分でシュートを決めた感じ。
ちなみに、彼が地元地産地消の農協牛乳しか飲まないというのを、先ほど確認した。選り好みの激しい彼には、牛乳まできちんと選別してしまっている。
もう一つ不思議なことが起きている。事故後、彼の排便は、骨折した腸骨に圧迫されて細く扁平な断片でしか出てこない状態だったのが、太さも太くなり断面も円形に戻ったのだ。それが排便の容易さと結びついていることも確かだと思うが、なぜそんな奇跡的な回復したのか、わからない。ただ彼が、高齢、腎臓負担から、手術もできず繊維細胞で繋がっただけの後ろ足を駆使して平常通り運動しようとしてきたことが、結果的に「整骨的」機能を果たしたのかも知れない。
もちろん、彼の高齢を考えると、またどこかで、襲ってくる波は現れるだろう。そして最期の波は、彼の体を彼岸に運んでいく。それは、私も同じだ。彼と同じ岸にたどり着けるといいなと思っている。
でも、とりあえず、今は春になりつつある陽の光を、彼と家族と、感じられているだけで幸せな気分になる。一寸先には絶望が待っているかも知れなくても。
以下は少し書きすぎという気もするが、いい歳になって、ようやく、ああ、人はこうやって生きていくのだなって、ほんの少し、何かわかった気がしている。それも単なる勘違いかも知れない。人間生きることはどうやって死を迎えるかっていう話に過ぎないけど、誰でもうまく死ねるなんてわけではない。死に方の方がずっと難しいことがあるが、この世に生まれてきたものにとっては、その瞬間まで生は続いているものなのだ。