ナッチが公陳丸に付き添われて、永い永い散歩に出かけた。
ワイフベッタリのの15年を経て、私にも甘えるようになったナッチだった。顎周辺のリンパ腫は、ゆっくり彼女の体を蝕んでいっていたが、薬では抑えられなくなってきていた。1ヶ月前、一瞬これでお別れなのかって思うほど強い全脳癲癇の発作がいきなり出た。それまでは食欲も普段の動きもほとんど変わらなかったので、まだ少し余裕があると思っていた。ナッチは、そこから急激に体調を崩していった。
ナッチ&ユッチ姉妹は、当時NPOに保護されたていた数頭の中の二頭で、姉妹だった。片時も離れることがない姉妹は、面倒を見ていた人の希望もあり、そのまま一緒に我が家に来た。
姉妹猫を家族に受け入れるのは、私もワイフも初めての経験だったけど、行動やポーズがそっくりで、皆その姿を見たら、思わず笑みが漏れた。
公陳丸以外の猫は大嫌いなチコにスキンシップを仕掛けたのもナッチの方だった。運命が、ユッチとなんとなく疎遠にさせてしまったせいかもしれない。
ナッチの体毛は、
そのmilitary animalとして使われた歴史から薩摩では「やすねこ」と呼ばれている。白斑が入らない完全なレッドタビーだった。
フォトジェニックで、綺麗な猫だった。
刺激の多い外には出かけない子だったので、公陳丸、チコやユッチとは違い、TVの動物番組も興味を持って試聴する子だった。岩合さんの猫番組には思ったほどは興味を示さなかったが、一応チラ見はしていた。チコやユッチはチラ見すらしないのに。これは『トワイライト・サーガ/ブレイキングドーン』で人狼が狼にメタモルフォーゼして、バトルを行うシーンをかぶりつきで視聴していた時の表情。面白い子だった。、 彼女の遺伝子型は,1)w/w2)S/-3)I/- (i/-もありか)4)D/-5)A/-6)T/-7)XO/XO8)L/- (l/-もあり) 7)の雌性のX遺伝子の上にOがのっていることと,それをホモで持っていないとメスではレッドたビーにならない。だから、メスでレッドタビーが発現する確率は低くなる。 雄の場合は,1)w/wであれば7)YO/X-でヤス猫になる。実家にもメスの安猫がいて、その時の経験もあって、この遺伝子がメスのヤス猫ではホモが重なる必要があることが、ひょっとして免疫系なども弱いのではないかなと感じることがあった。
ナッチの天然っぽさには、家族皆は、よく笑わせてもらった。これはコタツの天板を外したところに入り込んでハンモックのようにして眠ってしまったところ。
ワイフ以外には、ベタベタ張り付いて来るようなことはなかったけれど、ナッチを撮影した画像を探していたら家族のそばにいる画も気がついたら何枚かあった。家族として、さりげなく一緒にいてくれたんだなって思った。
オイルヒーターの上は、お気に入りの場所だった。
室内、アベイラブルでZeissレンズで、あって思うような表情を撮らせてくれたことが何度かあった。
いつでも家にいてくれた子だったので、レンズや撮影機材のテストにはよく付き合ってくれた。
これは天井バウンスの記事を書いた時のもの。外に出ない子だったので、当時のチコやユッチと違って、髭がよく伸びていて、埴輪の腕みたいにクニャッて曲がっている様子も愛されていた。
そのまま今生の別れになるのではと予感したほど激しい痙攣から復活したものの、それから1ヶ月、ナッチは、移動したり食べたり飲んだりすることがだんだんできなくなっていった。昨日、主治医の先生に診療をお願いして連れて行って戻ってから、これが最後のターミナルケアになるかもという予感は、私にもワイフにもあった。ずっとナッチの体を見てきて、数多く動物を看取ってきた主治医の先生は、彼女の状況がこの後どうなっていくか、全てわかっていたのだろうと思っていた。戻ってから呼吸は落ち着いてはいたが、再び痙攣が断続的に出るようになった。排尿でも立ち上がることもできず、汚れた体を拭いて別のマットに移そうとすると、声を上げた。この時の声は、公陳丸の時にも経験していて、もう私たちになんとか伝えたいことがあるということと、多分、全身を襲っている臓器不全からくる、不快感や痛みからの両方だろう。
公陳丸の墓に「できるなら、なるべくナッチが楽になるようにして連れて行ってくれ。」とお願いした3分後、家族が見守る中、ワイフが身体をさすり続けたナッチは、大きく息を吸って、それを静かに吐き出すと動かなくなった。チコのトラブルとそのリハビリやケアに意識を集中させていた時に、リンパ腫の進行は感じつつも、日々の彼女の生活は、規則的で食欲もずっとしっかりしていたので油断していた。何処かでは違う日々が来るだろうなと覚悟していないわけではなかったけれど、足元を掬われるような気分だった。
それでも、公陳丸がナッチの永い永い散歩への旅立ちをフォローをしてくれたと思うことにした。
おやすみ、ナッチ。これで苦しいこともなく、よく眠れるだろう。君にもずっと一緒だと最後まで声をかけてきたよ。そのつもりだ。
ずっと一緒だよ。君のように身ひとつで生まれてきて、身一つで去っていく覚悟とその見事さが、私にも可能だろうか。人も基本、一人で生まれ、最期も一人なのだけれど、自分の最期の時に、見守る人が君の体に触れ続けてくれて、そばにいてくれるだろうかって考えると、君の徳はとても高かったのかもしれない。少しどころか、随分、羨ましい。このコロナ禍の中、多くの人たちが、付き添える人がいるにも関わらず、一人で闘って去っていくしかない状況も特殊ではなくった。
私の母も、特にコロナ感染とはほぼ無縁な場所に守られていたにも関わらず、それ故に、母の最期にはそばにいて付き添う機会は失われてしまった。
君の一生は、生まれて直ぐに、いきなりクライマックスを迎えても全然不思議ではなかった運命にありながら、今日まで、見事に一匹の猫らしく生きた「ナッチの物語」だったと思っている。
おやすみ。
公陳丸によろしく伝えてくれ。私も最期を迎える時、君たちのいるところと同じところに行けたらとても嬉しいのだけれど。