お使い物は、大抵、ここの桜軽羹を買いに行くことにしている。 このお菓子は、駅のショップにコピペ商品が並ぶほど、分野では有名になった。もう7年も前抱かれど業界誌に記事が載っている。
鹿児島の銘菓「かるかん」。今回は親子二代、三代にわたる多くのファンが「一味違う」と口コミする、永楽堂の「桜かるかん」をご紹介します。・・・霧島山の貴重な自然薯でしか生み出せない、”もちもち感”と”しっとり感”が魅力の同店のかるかんは、カルカンが苦手だった子供(ママ)でも大好きになってしまうほど。その美味しさは、自然薯が不作の時も必ず用意してくれる材料屋さんとの信頼関係がなければ作ることができません。(月刊『製菓製パン』2017年5月号) 個人的な感想だが、コピペ商品は、到底そのレベルには達していないので、代わりに購入するということはない。多分オリジナルのものを食べたら、通常の軽羹を食べた経験のある人もショックを受ける。そもそもこし餡の入った、軽羹饅頭は邪道であり、饅頭型にすると薄くなってしまう軽羹の皮は、本来の軽羹の美味しさを半減させる。私は美味しいと思って買うことがないが一般化している。軽羹の生地は高価なので、その意味で生産コスト上都合も良いのだと思うが、やっぱり全てが軽羹生地出てきているというのは譲らない(ここの抹茶味のものは、例外として)。桜かるかんは、もちろん、餡子などは入っていない。その生地のもっちりさは、県内の名店の多くのそれを凌ぐ。 年中無休でやっておられたご主人は、こちら出身だが、名古屋の永楽堂の姉妹店で修行をされた方。最近リタイヤされて奥様と息子さんが今はお店を切り盛りしているが、完全なチームによるクラフトワークなので、味や作りに変わりはないが、ただ、年中無休はやめられた。やむを得ない。月曜日のお使い物に、日曜日購入できていたのでありがたかったのだけれど、皆さん、しっかり休んで、続いてほしいお店。
ここのお店のもう一つの人気商品である「パイ饅頭」とともに。このトップに載っているアーモンドがとても良い仕事をしている。亡くなった父が、「この菓子は本当に美味いな。」とよく言って気に入っていた。二都物語が育んだお菓子だ。 ある時、銃使用に関する許認可で、一時期お世話になった県内地方の警察署の担当巡査長と知り合いになった時、許認可の書類が部局を回る間、雑談をしていたのだが、お互い和菓子フリークだとわかって、県内の高評価の和菓子屋さんの情報交換で大いに盛り上がった。その時にも、このお店の話が出て、「僕、あのお店、カミさんの実家が近いので、年末はあそこのお店に寄って、爆買いしてます。」って仰ったので、私は大いに我が意をえたりと思ったものだった。
なんというのか、高級菓子カテゴリーではないのだが、丁寧で見事な仕事で、とても美味しい一方、この値段で売っていくわけだから、和菓子屋さんは大変だなと思う。でもお客さんは途切れることもなく、やってきている。大通りに面していない山手の上の方の住宅街にお店があるので、歩いてふらっと入るお客さんはいない。おかげで、今のネット情報にあまり荒らされなくて、本当にわかっている人だけが買いに来る。何度かチャリで買いに行ったが、激坂の上で、かなりの運動になる。はっきり言って死ぬ。こちらは、チャリンコで行こうとするとロードバイクの強者でも頭おかしいのじゃないかという感想が出るくらいの激坂が多い。自転車通学の高校で、みんなモーターアシストに乗ってる地域も少なくない。
桜はこの日本列島に暮らしていると、歴史的にもいろいろあって、それなりに関わりが出てくる。
花びらを食用とするのは八重桜が用いられるようだ。理由は、花色が濃くかつ見栄えの良い八重桜が用いられているようだ。その中でも食用とされているのは、”関山”か”普賢象”という八重桜では一般的な品種のようだ。観賞用としても優れた品種が、そのまま食用にされているということか。この桜軽羹の桜の花びらも、ぱっと見でもかなり吟味がされていて、コピペ商品と比べるとコストがかかっているのがわかる。
ちなみに食用桜の葉っぱの方の品種は、島嶼型のCerasus属(現在、欧米ではPrunus属(スモモ属)とされて、国によってgenus名が変わる状況が今)である大島桜のようだ。桜となるとソメイヨシノをイメージするのが一般的だが、葉は食用には向かないし、花びらの色が薄すぎるので、花もお菓子の材料にはならない。公共空間の街路樹は、腹の足しや換金できないものを植えるのが正しいのだろう。
あまりにも年始、辛くてきつい話ばかりが流れていって、何か、何か、少しでも目が楽になる写真をと思って書いたお話。
追記ー堀田さんらの『世界有用植物事典』を久しぶりに開いたが、食用に関する蘊蓄があまり載っていなかった。それゆえに、先の和菓子屋さんのpdfを見つけたのだが、当然編纂された時代もあって、サクラ属はPrunusだ。改訂版が出ることはないだろう。堀田さんが既に他界されておられるということだけではなく、そういうところー日本に色んな意味で色々な余裕がなくなり、マクロ生物系の裾野も狭まり、そういうものを改定する動きも弱まる。門外に受けるように、編纂されて中身は、メンターを持たない独学の人が書いた間違いだらけの「図鑑」を専門家の監修にかけることなく、ぼろっと出版されるーもちょっといろいろ残念な状況を思う。