Sommerabend
2005年 08月 29日

長男が空手を習いたいと言いだして,とりあえず,いくつかの候補の中から,送り迎えのワイフの負担も考えて道場を絞り,近所のとある直接コンタクト制の道場をいくつか見学に行きました。私が忙しかったので,休みを取ってようやく約束を果たせました。
画像は,昨年,公園での一コマ。今年も少しメンバーが変化してますが,こんな感じ。
さて,チコもここに来たがるのですが,狭いとは言え,車が通る道を挟んでおり,かつて暮らしていたジタンという猫が,子供達に着いてきて犬に追われてパニックになったことがあるので,公園に子供達を連れ出すときだけは,家に閉じこめておきます。
体術は私の重要なチャンネルで,自然環境問題についての知識も,言ってしまえば,Self defenseの一部であるかと思います。まぁ,気持ちよく家族で生きていくと云うことについて,コミットできる画と話を風呂敷を拡げすぎないように(既に遅い?!)書いてみようかと思います。
ある某巨大団体系道場は,人材豊富で,良い先生も多く,柔法も剛法も学べる体系です。近所にあるその道場の評判は悪くありませんし,子供足でも5分ぐらいの距離にあります。ただし,ここは○○流古武術そのものを,中国武術として開祖が喧伝したため,そのやり方をいわゆる「日的」ということばどおり日本人が何でもパクるというストーリーを強化するのに使われてしまいました。著名な中国武術の映画で,最初に総本山の解説導入パートにおいて,件の団体は,水からの開祖を登場させ,あたかも関係があるよう献金を積んだことで有名です。
現在,剣道や柔道,アニメの原作までももの凄い量の日本文化が不法にコピーされ起源を自分の国であると喧伝している二つの国家の状況を考えると,「何でもコピーして自分の国のものだと言い張るのは日本の側」というあちらの主張を正当化する材料として使われないかとさえ思っております。
私の師の師である大陸一の高手(達人)で知られた某家の老師は,そこまで大きな団体だと思われなかったらしくて,私の師に,軽く「申し訳ないが目障りです。潰せないのですか?」と訊いてきたらしいのですが,師が状況を説明をしてそこまでの巨大組織と聞いて,びっくらこいておられたという話を聞いたことがあります。こういった事情なので,私が息子をそこに通わせると背信行為になります。ちなみに○○流古武術の体系自体は,非常に優れており,私が関わった大学系団体の部長さんも人作りを第一に掲げる本当に素晴らしい人だっただけにこの武術団体への思いは複雑です。別の大学の関係サークルの青年に,その古武術の技術書を見せたら,「同じですね!」とショックを隠しませんでした。この情報が溢れる今の時代,これからどうやってつじつま合わせをしていくのかと他人事ながら思います。
さて,候補となったその空手道場ですが,教えているその小学生低学年から高学年まで良い雰囲気で一緒にやっている小さな道場が市内に点在し,そこに館長が自ら指導に来ているというところが気に入りました。そもそも25年前にこの流派を設立した創始者は,プロ空手家をされていた空手家であったようです。紅五郎(このリングネームは,タツノコの古典的武術アニメ紅三四郎からか?)とかがブラウン管で暴れていた,あの時代かなと思いちょっと懐かしく思いました。
最近は,宇城健司先生の存在が決定的だったのだと思いますが,格闘技マスコミも,型の重要性を認識したようで,K-1クラスのプロ空手が,古流空手の達人に勝てないと云う武術のロマンが現実に存在すると云うことで,盛んに型の話ばかりやっております,なんだかなぁと思います。で,私の空手関係のメル友(この方,正体等に関わること一切書けませんが達人クラス)の先生のアドバイスもあって,出来れば型をしっかり教えて貰えるところを希望していたのですが,第一候補は行ってみたら,フルコン・スタイルの試合重視。道場の雰囲気が息子は気に入った模様。館長その方も気さくな方で,オヤジの理屈よりも,息子の想いを優先することにしました。こちらの道場では,極真のオープントーナメントに生徒さんをチャレンジさせて好成績を収めておられます。いわゆる武術的に優れた体系の胸を借りることで技術を磨いていく方法で,この場合は,いわば「極真チャレンジ」というわけです。公園で知り合った空手少年の話では,人材は,南九州では極真の他に流れることが多く,極真の選手は試合になるとスタミナ切れが多いともの凄い厳しいお言葉。まぁ,極真空手は,実際に知名度も実力も高く,いわば強い空手のリファレンス的な存在なので,通用すれば本物ということです。決して出汁にするわけではなく,実践空手の雄は試金石として扱われてもしょうがないところがあるのでしょう。また,フルコンの試合形式の勝敗で,武術的優劣がはっきりするわけでは無いという,武術においては更に複雑な構造もありますので,試合記録ではなく,どの流派にも参加をオープンにしている極真会館側の度量と各流派とその選手の取り組みこそが,私は尊いということであると思います。
この「チャレンジ」の分野では,太極拳を実践武術として通用させるために山田英司先生が主催されている拳功房がとりくんでいるムエタイ・チャレンジなどがあります。これらは,日本人らしい真摯な武術への考え方の延長にあり,かなり凄いことだと思います。特にムエタイ・チャレンジは,太極拳の套路をラジオ体操のようにアレンジした簡化太極拳においては画期的なことかと思います。日本に健康体操として輸入された後,本当の太極拳はそうじゃないんだ,剛猛な本格的武術なんだとして知られるようになった後も「何年やろうが実践武術として空手並に使い物なることはない」と云われ続けて20年以上の月日の中で培われた努力の結果だと思います。それは幾多の高段者がその慧眼で絶対の術理が存在すると見抜いて,それまで培った武術を全て捨ててまでも研究を重ねてきた日本の武道界だけがなしえた一つのエポックだと思います。売れるからと,手抜きの日本向けおもちゃを量産して財を成す今の大陸の発想にはない,文革以前の真摯な武術への理解は,海を越えてこちらの国の中で生きております。
中国の散打の選手達は,大会に勝つために手っ取り早く中国拳法の体系の中で強くなることを捨ててムエタイの練習などをしておりますから,偉大なる武術文化が断絶してしまって居るように見えます。でも,これは余計なお世話で,情報が外に出て行く場所において,大陸国家が管理している中国武術がその秘密のベールを脱ぐことは決して無いことも確かですので,散打シーン(自由組み手の世界)の矛盾はそのままでしょう。
フルコン系空手もその分派の一つが,もの凄いお金を稼ぐショービジネス化しましたが,K-1ファイターでも,暴漢にカッターナイフで襲われればコンビニに逃げ込まねばならなくなりました。武術家ではなくリングの上で賞賛され,生活の糧とするのプロ・アスリートであるのですから当然の対応だと思います。非難されるべきではありませんが,市井の弱き者たちが,暴漢などのリスクに対しての心の持ち用や普段の対応の仕方,self defenseの体系として修得すべき部分を持つ空手とは乖離してしまっております。件のメル友の先生とは,せめて剣道経験のある暴漢の日本刀ぐらいだったらちんけな話ではなかったのにというところで意見が一致しました。
南九州では高いレベルの空手道場が町に根付いているところがあって,極真といえども九州では大名商売にはならないようです。琉球古武術であった唐手の流れを強く汲む空手王国九州の矜持ですね。
精神的にようやく回し蹴りのミット打ちの真似ごとをさせられる段階になった長男を連れて公園に練習に行くと,空手経験のある小学生が結構混ざっていて,わらわら集まってきて,ミット蹴ったり突いたり見せてくれたり,いろいろ話を聞かせてくれます。丈夫そうな格闘技経験のある子にコーチング・ミットを二つ重ねに持たせて,寸勁の要領で軽くですが,怪我をしないように注意しながらすっ飛ばしたり,両手ぶらりから突きを繰り出して見せたりすると,口々に賞賛してくれるので,おじさんは,ちょっといい気になります。ついでに十字勁の勁道を見せると,一人の少年はあっと言う間にコピー。恐るべし空手少年。私の突きを「なかなか速くて重い」と褒めてくれる見事に締まった体つきの野球少年が居たので,話を聞いたら,お父さんがプロボクサー経験者だったりして,足下を掬われそうで侮れないのです。恥をかかないように気をつけよう。なんで格闘技経験少年(少女も)がこんなに公園に多いのか。多分そういう体を動かすことが好きな子供達だから,友達と連んで公園で遊べているのでしょう。で,おじさん黒帯?ってことになるのですが,おじさんの流派では,段位制もなんにもないのだよって言うと,ちょっとびっくりしています。
同じ公園で,お爺さまが私と同系の中国武術の移動線を取り入れた居合い術をやっているという青年が練功したり(おじさんよりもずっと強いよと少年の言。おじさんもそう思うと返事),高校生が小学生と混ざってサッカーしたり,中学生がクワガタムシ捕ったり,とても多様で健全な風景を眼に出来ます。
長男自体は,バランスは悪くありませんが,幼い日に心臓弁周辺に閉塞症状が発見され,血流の流速が上がって欠陥が傷つくと拙いと云うことで,運動については押さえておりました。本人の性格もあって,室内で,一人画を描いているような子供で,かけっこは遅いし,腹筋は苦手。今は症状は改善されましたし,問題はないのですが,武術は彼が言い出さなければ習わせることはありませんでした。
彼が自分自身で何を考えてどう変貌していくのか見守りたいと想います。でも彼が道場で最初に放った回し蹴りは,ミットから良い音を響かせ,受けてくれた同じ小学校のクラスメートが,ちょっとびっくりしていました。先生に,「君,天才だね」と煽てられたのもあって,少し笑みが漏れました。私の練習は殆ど見せたことがありませんというかサボりっぱなしですが,実は慢練(超低速で動かす練習法)で中段の左回し蹴りだけ少し教えたことがありました。余計な力みのない蹴りを放つコツを知っているのは必然で,何のかんの言って,父親の意匠は働いてしまっております。私の半端な力量を見て取った先生が,「お父さんよりずっと強くなるよ」って,それは当然の話で,私には,強くなるために努力する才能がありませんでした。
武術とは運動科学における宝の山だと思っていますが,国からの支援があるわけではないところで伝承も大変だと思います。中国では,実際に白兵戦時の戦闘技術として国家機密として国の管理下にあり,弟子の選び方やカリキュラムの内容や教えて良いレベルまで国家が口を出すわけです。それがよいとは想いませんが,日本は,白兵戦に転用できるノウハウの全てが,国からの補助を受けることなく,弟子の月謝や大会入場料に依存し,個人か団体組織任せで何とか維持管理されております。伝統の技という意味では他の物作りなどと同じように,もはや技術体系を日本国内では伝承・維持できないので,伝承者を捜して海外へ「疎開」させようという古武術術の先生もおられます。一方で,無形文化財化して,強さをアピールすることなくてもみんなが食べていけるようにしてしまえば,あっと言う間に衰退するでしょう。いろんな意味で民営化された土俵にあるというのは重要な点ではありますが,国の庇護から無縁で,ほったらかしと云うことでは拙いような気がします。まぁ,文部科学省管轄なので,どうあそこが考えるかと言うことだと思います。防衛庁は,武器術についてはある程度達人とその武術の囲い込みをやっているとは思いますが,私の知る限り,無手の技については,余りそういう話は聞いたことがありません。それも,平和な国の良さかも知れませんね。
いきなり逆走するリレーが始まって,しかも裸足。凄いと思って咄嗟にカメラを掴んで鉄棒の上に載っている子を何とか入れないといけないと思って傾くことは仕方がないとシャッターを押しました。この構図だと,水平に戻してトリミングし直すと女の子の首で切れるので,そのままで行くことにしたら悪くないような気がしました。

今の時代、わたし達の田舎でもこれだけガキンチョが集う場所なんぞないですよ。出て来いガキンチョ!そして被写体になってください(願)。
というのは冗談ですが,ホントにないです。息子の担任の先生に,一連の写真を見せたらびっくりされていました。一種の偶然による奇跡だと思いますので,学年が写るとふっと消える可能性が高いです。それくらいガキ大将的(これも死語)な風景を目にしなくなりました。