錦江湾(鹿児島湾)にはミナミハンドウイルカ Tursiops aduncus、ハンドウイルカ Tursiops truncatus、ハセイルカ Delphinus capensisが生息しており、最も頻繁に観察できるのは、この古いデジカメでギリ撮影したっきりのミナミハンドウイルカである。
群れと遭遇する時に限って、まともな撮影機材を持っていなかったりするので、今、手元にある錦江湾の野生のミナミハンドウイルカについては、このしょぼい写真のみである。鹿児島水族館による調査で、過去には、最大、500頭を超える個体数がカウントされたこともあるが、最近は、ミナミハンドウイルカが数十頭程度が確認されているレベルである。 最大観察数を記録したときには、ハセイルカが圧倒的な個体数を示したいたのだが、当該調査では、今は殆ど観察されなかったという結果になっている。
さて、イルカの人的加害トラブルと遊び行動について、ちょっと思いついたことを書いてみたのだが、関連文献のサマリー作ったりしてたら長くなったのでいかに、要約した。
・鹿児島県錦江湾にもそれなりにイルカ類が生息していて、過去には最大3種、500頭以上確認されているけど、イルカ類による人的被害は生じたことがない。・ここ20年ぐらいで、イルカ類と人の接触のパターとその頻度は変わってきていて、それは、イルカツアーを利用した観光業の加熱により大きく影響されてきた。・イルカによる人的被害は、特に近年福井県で生じている事例は酷く、多くの海水浴客がミナミハンドウイルカによるアタックを受けて怪我人がたくさん出ていて、海外ニュースサイトでも取り上げられて注意喚起されている。・ニューエイジ、エコロジービジネス的なイメージとは裏腹に、ヒトとイルカとの過度な接触は危険であり、イルカが学習の結果、攻撃的な行動を誘発させる可能性があると同時に、イルカにとっても人が一緒に泳いだりすることは、かなりのストレスになり避けるべきことだと専門家は述べている。・知能の高いイルカにとっては、人への過激なアタックは一種の報酬(知的面白さや応用可能な行動に関する学習、ヒトを恐れずに攻撃できる手法の確認)が得られる遊び行動(playing behavior)になってしまう場合がある。・遊び行動は、哺乳類など動物にとっては多くの利益があって内包されており、人から見たら、まるで弄んでいたぶるような行動も、勝手な擬人化をしても無意味な善でも悪でもない。
・対象から情報を引き出したり、応用可能なハンドリングや生きるための技を開発するための機能を持っている。
・彼らの遊びとも言える行動には、適応度を上げるための行動に過ぎなかったりするが、一方で動物一般にとって、そのような加害的な行動が、自然な行動だという自然主義の誤謬のような解釈の危険もある。やらないほうが良い。
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主旨は、大体こんなところ。以下長文長々と書いたけれど、文献含め興味がある方はお好みで。テキスト読むのが面倒なら、チコとイルカの写真でも楽しんでください。
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最近、日本でもイルカに襲われて、怪我をする観光客などのニュースが、目立つようになった。
よくニュースとなる主な問題地域は福井県美浜町ということで、以下のニュースは、海外の報道サイトなどでも取り上げられるようになっている。
現地、海水浴やマリンスポーツなどの観光客への注意喚起の目的もあり、頻繁に流されるようになっている。
敦賀海上保安部8月12日発、
福井県美浜町の海水浴場で、20代の男性2人が浜から50メートルほど離れた遊泳エリアで、急に近づいてきたイルカに1人が右腕をかまれ、浜に戻っている途中でもう1人も右手の甲や指をかまれた。
今シーズン、福井県内の海水浴場でイルカにかまれてけがをした人は12人。
敦賀海上保安部は見かけた場合は絶対に近づかず、すぐに海からあがるよう呼びかけ
(NHKニュース「福井 イルカにかまれ男性2人けが 県内で今シーズン12人けが」)
以下は昨年のアーティクル。この件についての記事だが、流石にlivescienceだけあって、種に言及した専門家にも取材した詳細情報が書かれている。
日本のメディアにおける、素人の感想や、明後日のコメンテーターや勘違いした専門家でもない人間による混乱させる適当な乾燥や憶測などでお茶を濁さず、それなりの専門家による意見や情報が書かれていてホッとする。
Dolphins terrorize and bite beachgoers in Japan — for the 2nd year in a row By Sascha Pare published July 20, 2023
Four separate incidents on a beach in Fukui prefecture on July 16 echo a string of attacks in the same region last year that may have been perpetrated by a single Indo-Pacific bottlenose dolphin
■「日本沖の海で泳いでいた4人がイルカに襲われ、60代の男性1人が肋骨を数本骨折した。福井県の日本海沿岸の海岸でイルカが人間に怪我を負わせたのは、2年連続となる。日本のニュースサイト「毎日新聞」によると、昨年の夏には、少なくとも6人が1頭のイルカ(ミナミハンドウイルカ Tursiops aduncusと思われる)に噛まれ、最も重篤なケースでは被害者の親指の付け根に14針縫う必要があったという。」
■「今年も昨年も、イルカが水際まで近寄ってきた。地元警察が朝日新聞に語ったところによると、肋骨が砕けた男性は水晶浜の岸から5メートルほどのところで泳いでいたところ、イルカに体当たりされて噛まれたという。同日の朝、別の男性も左腕を噛まれ、BBCは同日遅くにさらに2人の海水浴客が襲われたと報じたが、これらの事件についての詳細はほとんどわかっていない。」
■「イルカは脅威を感じたり、嫌がらせを受けたり、餌を与えられることに慣れたりすると、人を噛んだり、水中に引きずり込んだりすることが知られている。同局によると、イルカは餌を期待したり頼ったりするようになると、餌がもらえないと強引で攻撃的になることがあるという。」
(米国海洋大気庁(NOAA)水産局)
■「問題の一部は、一部の人間がイルカをペット、あるいは常に『優しい』動物と見なす傾向があり、野生動物を扱うことに伴うリスクを見落としていることがあるかもしれない」とベアルツィ氏は述べ、「我々の無知な、あるいは過度に『友好的な』行動が攻撃を誘発する可能性がある」と付け加えた。」
(イタリア非営利団体ドルフィン・バイオロジー・コンサベーション代表で動物学者のジョバンニ・ベアルツィ氏)
分野の一般論としてだが、野生動物、特に哺乳類に関しては、「人的被害」が出たら、疑うべき仮説として、人災成分がある。つまり不用意な人為の行動や接触が、それを誘導したという可能性だ。例えばニホンザルについては、人的被害が出た場合は、ほぼ間違いなく背景に人の手による給餌行為があるというのが専門家の見立てであるし、経験則だ。それは私の経験でもある。意図せぬ給餌か意図した給餌であったかは全く関係ない。例えば、食べ物の入ったコンビニの袋をサルに奪われた場合、それは効果としては給餌行為そのものだ。今まで口にしたこともないほどの、美味で高栄養な食べ物を、手に入れられた経験は、個体の状況によってはそれを次回も確保すべき、行動を引き出してしまう場合がある。
その辺りは人的加害サルが発生した場合、地方自治体担当者も、よくわかっている人が多く、給餌行為を止めさせようとするものの、アウトサイダーによるゲリラ的に行われる行為は止めることは簡単ではない。実際に簡単には止めてもらえない事例を見ている。
一方で、大々的な給餌行為で猿群を集めて観光に資料している古くからのビジネスモデルが現在も存在しているので、多くの人が間違ったことはしていないだろ?何が悪いのだ?みたいに混乱してもおかしくはない。この手の施設は、関係者のここまでの苦労もあるし、経緯もあるから、野生群にいきなり給餌行為が入るプロセスとは一応区別しておきたい。
ちなみに給餌行為は、イルカ類においても人への攻撃性を引き出す事例が知られているが、こっちはそんなに簡単に生じている事例については知らない。
イルカの人へのアタックについては、play behaviorがきっかけになる場合がある。知能の高いイルカにとっては、「ダメージを追わずヒトを攻撃して排除できる」行動を学習してしまった場合、良い結果は生まない。
そもそも野生動物なのに、「野生化している」、「凶暴化している」という風に考えること自体、何を見てるのかという問題と、一方で、ニューエイジ的な文脈で、みんな友達だ、実はどんな動物は人を傷つけない、という根拠のないストーリーが一方で喧伝されてしまっているという問題もある。
ただ、イルカ類を含む鯨類の観光利用自体が、トラブルを増加させているという事態は、かなり前からすでに問題化しているという指摘があった。今から30年近く前の以下の文献が知られている。Tourism Managementという雑誌名を見れば、どの分野で課題としてあったか理解しやすいだろう。
イルカと少年との友情を軸とした古い冒険テレビドラマ『わんぱくフリッパー』から繋がる、イルカに対するファンタジーを強化するラッセン的な世界の延長っぽいものも感じるが、人間からイルカへの干渉は、異種間の愛情、友情の構築という話とは別に、実際には、イルカの群れに対して人が一緒に泳ぐなどの行為は、個体群にかなりのストレスを生じさせるというBBCのレポートもある。専門家としてインターナショナル・ドルフィン・ウォッチの創設者で名誉理事の
Horace Dobbs博士の意見が紹介されている。専門家やリスクを理解して対応している研究者のそれと、体系的な知識も経験もない、一般の人との接触は一緒には出来ないが、保護関係の文脈としては、むやみに恐れたりせず理解すること、という前提で彼らが必ずしも危険な存在ではないし、想像を超えた相互関係が気づけたりすることを示したりするが、その部分だけが独り歩きすると、どのような動物にとっても不幸な結果がもたらされたりすることは少なくない。
以下は、ニューエイジ的な文脈で、イルカへの不要な接近を全面肯定するヒトは少なくないかもしれないのだが、そういう行為自体、イルカの個体群にはストレスになる状況が生じていることを述べたレポート。
Is it wrong to swim with dolphins? イルカと一緒に泳ぐのはヤバいこと?
イルカと一緒に泳ぐことは、人生を肯定する体験として売り出されているが、研究によると、イルカ自身にとってはトラウマになることもあるという。では、もうやめるべきなのだろうか?
イルカと一緒に泳ぎ、人生の真髄を発見することは、「死ぬ前にやるべきこと」のリストに必ず載る、人生を変えるような体験の 1 つとしてよく取り上げられる。
多くの旅行業者は、休暇を楽しむパッケージにこの体験を組み込んでいたりする。「この驚くべき生き物たちと一緒に雄大に泳ぐと、完全に自由になり、自然と一体になったような気分になります」というのが、この体験を売りにしている人たちの言い分だ。
しかし現在、イルカと泳ぐことの健康への影響について疑問が投げかけられている。人間に対してではなく、イルカ自身に対してである。
イギリスの研究者らは、バンドウイルカの近くを泳いだり触れようとしたりすることは、彼ら水生生物にとって大きなストレスとなり、休息や餌の摂取、子育てを妨げてしまう可能性があることを確認した。
アトランタのエモリー大学の神経科学者ロリ・マリノ氏は、観光客と一緒に泳ぐことで「心理的問題」が生じる可能性があると述べた。では、人生を変えるような究極の体験を求めるスリルを求める人は、今後これを避けるべきなのか? 実際に、クジラ・イルカ保護協会(WDCS)はそう考えている。主な理由は、イルカの自然生息地を撹乱する行為そのものだからである。また、イルカは空気呼吸をするため定期的に水面に浮上するため、水上スキーやスピードボートのような高速船で追跡できてしまう。「騒ぎを起こせば動物たちは去っていくだろうと人々は考えている」と広報担当のマーク・シモンズ氏は言う。「しかし、動物たちは特定の生息地に生息している。人間が彼らを追い出してしまうかもしれないし、彼らにとって同じくらい良い行き先が必ずしもあるとは限らない」
タンザニアのザンジバル沖で行われるツアーに焦点を当てた研究では、このツアーでは、最大30隻の船が1つのイルカの群れに侵入し、泳ぐ人たちが物理的接触を期待してイルカを追いかける。特にツアーが一日中行われる場合、・・・・
海外のイルカツアーで売っている地域では相当行き過ぎた状況が発生している。今回の福井の話との共通性を考えるとそこまでの人為的干渉、撹乱実態が先に生じていたかどうかは、わからないので、そこは保留する。人為との接触行為が、まったくない状況で今回の問題が生じているとは考えにくいけど、攻撃的play行動を誘発するような接触が観光客も業者も地元民も何もしていないのなら、更に原因について検証が必要だ。
この研究を行ったニューカッスル大学のPer Berggren博士も、イルカがすでに観光産業に取り込まれている以上、イルカが去れば(イルカは1日最大50マイル泳ぐことができるので圏外に消える)、ザンジバルの観光産業の経済が打撃を受けると懸念している。「この活動が続けば、最終的にはイルカを追い払ってしまうだろう。イルカと一緒に泳ぐのをやめろとは言ってないが、非常に慎重に行う必要がある。」
ボートや乗客の数を制限し、イルカに主導権を握らせることで、より責任ある方法で海の生き物たちと触れ合おうとするツアーオペレーターもいる。ポルトガル沖の外洋で、ドルフィン・コネクションのアマンダ・スタッフォード氏は、イルカが近づいてくるまで待つように、そして手を触れないようにと客に伝えている。イルカが社交的でない気分なら、それは明らかだ。
インターナショナル・ドルフィン・ウォッチの創設者で名誉理事のHorace Dobbs博士は、イルカをリゾートや水上公園で捕らえて飼育することは、この社交的な動物を群れから引き離すことになるので、拷問に等しいと語る。「それは私をトイレに閉じ込めるようなものだ。私たちは、他の人を尊重するのと同じように、イルカを尊重すべきだ」
日本も含めた水族館でのイルカ飼育問題はずっと言われているが、水族館スタッフの努力や玄人は別のレイヤーとして、この矛盾に満ちた産業は、しばらくそのままだろう。
人間は、知的で遊び好きで話し好きな生き物であるイルカに親近感を感じているようだ。また、別の研究では、イルカと親しく接することで恩恵を感じることがわかっているとHorace Dobbs博士は言う。これは、彼を含む一部の人々が、イルカが「気」を発していると考えているためだ。「気」は中国医学では生命力に不可欠な力であり、うつ病、自閉症、脳損傷のさまざまな治療法の基礎となっている。
気功療法効果をイルカから得られるという話が出ているのは、イルカ保護のための喧伝として使っている人がいるのは知ってた。ちょっと面倒だなと思った。体にハンディキャップのある人の子供が海に飛び込むと、その人間の子供を保護するようにイルカが泳ぐ、みたいな話は以前TVが好んで流していた記憶がある。まあそういう音があってもよいのだが、イルカが人に対して無害で絶対的に素晴らしい生物である、という部分でそういうストーリーは、保護やそのための活動への寄付において、欧米社会では固定化かつ重要なストーリーになりがちだ。
イルカウォッチングが、ニューエイジコンテンツ産業になってしまっていることは、功罪両方ありそうで、むしろ日本以外のエコツアーでは、ツアーの主催者によっては、かなり大きなエッセンスになっている状況もあるかもしれない。日本では、鯨類くくりで食材にして水産食料資源的に扱う部分があるから、それはそれでニューエイジ的エコ世界とは真逆で、海外からの軋轢もあるし、動物福祉それ美味しいの?みたいな世界とのバランスの問題もあるが、ニューエイジファンタジーには、つけ込まれにくい部分もあるかもしれない。
クジラ問題もそうだが、生態系構成要素である鯨類を、自分たちが水揚げすべき魚を食う有害獣類だと言い切る勘違い世界成分もあるから、バランスがおかしくないとは言えないが。
スタッフォード氏は、オーストラリアで行った自身の研究で、イルカと触れ合うと、脳波がよりリラックスした夢のような状態になることがわかったと語る。また、幸福感をもたらすエンドルフィン(幸せホルモン)の分泌も促されるという。
つまり、私たちはイルカと一緒に泳ぐことの恩恵を感じるかもしれないが、ここが重要だが、その感覚は相互的ではないかもしれない。
「イルカが一頭現れれば、大勢の人が集まります。イルカは人間の精神に影響を与えるのです」とHorace Dobbs博士は言う。
人間に対してフレンドリーであるから価値がある、愛されるべき存在であるというのは、前世紀においてきてほしい価値観だが、そうは言っても動物自体魅力があるし、もしも彼らが主観を超えて、自分たちに愛情表現してくれたら、生み出されるストーリーは、ほとんどの人にとってあまりにも魅力的だ。
遊び行動の総説は古くから割とあるが、これは割と今、ヒットするしそんなに古くない。
The MIT Press
DOI: https://doi.org/10.7551/mitpress/3229.001.0001
ISBN electronic: 9780262269551
Publication date: 2005
Gordon M. Burghardtによれば、『動物の遊びの起源』で、人間と動物の遊びの起源と進化について考察している。バーグハートは、進化、脳、行動組織、心理学を理解する上で遊びが何を意味するのかを問います。遊びは発達に不可欠なのでしょうか。遊びはヒト、動物行動の原動力なのか。認知科学、行動科学、生物学における遊びの研究の適切な位置づけは何だろう。
遊びの魅力的な性質(子猫が毛糸玉に襲いかかるのを見て楽しくない人がいるでしょうか)は、研究を困難にしてきた。遊びは定義できない、存在しない、または科学的分析の範囲外の謎であると言う学者もいる。動物行動学と心理学の比較の観点を使用して、「動物の遊びの起源」は、ヒトの乳児から通常は遊び好きとは見なされない動物まで、動物界全体での遊びの証拠を検討するという点で他の研究を進めたもの。Burghardtは、遊び心がヒト(および哺乳類)の行動の特徴と考えられている多くのものの起源に不可欠であった可能性があるが、遊び心は発達、進化、生態、生理のプロセス間の特定の一連の相互作用を通じてのみ発達することを発見した。さらに、遊びは常に有益または適応的であるとは限らない。
「好奇心は猫をも殺す」、みたいな話は、データからも言われている。ただ、ハイリスクハイリターンであるという部分がある結果だと、私は思っている。チコは、このとき義母の持ち込んだ見事な車海老の入ったケースを眺めていたが、躊躇せず、ここに飛び込んだ。彼は車海老がどんな生き物かという情報は全く持たなかったが、本当に真面目な顔をしていたので笑ってしまった。猫の遊び行動は、いつも真面目な顔でやるよね。収拾が大変だったので、写真は残っていない。
本書第 1 部では、胎盤を持つ哺乳類 (幼獣を含む) の遊びについて詳細に説明し、余剰資源理論と呼ばれる統合的な枠組みを展開している。おそらく、この本で最も興味深く、最も議論を呼ぶ部分は、第 2 部の 7 つの章である。この章では、カンガルー、鳥、トカゲ、そして「跳びはね、ジャグリング、からかう魚」など、予想外の動物のグループにおける遊び心の証拠が提示されている。Burghardtは、遊びの多様性が将来の研究に及ぼす影響について考察して、結論を出した。遊びの起源と発展を理解することで、結果として社会と歴史を通じて社会で成し遂げた成果に対する私たちの見方自体がが形作られる可能性があると示唆している。
子犬が格闘したり、子猫が飛びかかったり、イルカが波間で戯れたりするなど、動物が遊んでいる光景は世界中でよく見受けられる。また、これは若い動物に限ったことではない。多くの種のアダルトの個体も遊ぶ。しかし、これらの動物がそのような行動に夢中になる動機は何であるか。また、その行動から得られる利益があるとすれば、それはどのようなものだろうか。
動物の遊び行動の背後にある理由を解明することは、動物の認知能力と進化的発達を理解するための鍵となる。
遊びとは何か?
遊びを活動として科学的に定義するのが非常に難しい。しかし、一般的に同意されている特徴がいくつかある。動物の遊びは、自発的で自発的であり、動物自身にとってやりがいのあるものである傾向がある。遊びは、しばしば目的がないか文脈から外れているように見え、誇張された反復的な行動によって特徴付けられることは多い。動物が十分に餌を与えられ、捕食動物にすぐに脅かされないときによく発生するため、遊びは安全と豊かさの贅沢である可能性があります。
動物は、採餌場所や利用資源の胴体や分布を把握するためのアセスメントコストを掛けられる余裕を確保したら、将来の生存率を上げるためにアセスメント行う。遊びもそういったアセスメントの一種で、情報収集やそのためのスキルのための訓練だとしたら、これは当然のことだと考えられる。
遊びの機能と利点を考える。遊びは気まぐれで目的がないように見えるかもしれないが、研究者たちはこの行動にいくつかの潜在的な利点があることを発見している。遊びが生存価を持つ結果、遊びが動物界でなぜこれほど一般的に観察されるのかを説明できるかもしれない。
1. 身体の発達と生存能力:遊びには、強さ、敏捷性、協調性の向上に役立つ身体活動が頻繁に含まれる。捕食動物にとって、遊びながらの狩猟は、後の人生で生き残るために必要な技術や能力を磨くことができる。同様に、獲物となる動物は、回避技術を向上させる遊び行動を行う場合がある。
偶蹄類の幼獣が、頻繁にジャンプして瞬時に方向転換をかける遊びをするのを見たことがあり、南米産げっ歯類の特殊なグループである、マーラは、修練現象で小型のシカのようなニッチと形態を持っているが、彼らも幼獣のときにこのスイッチターンで遊ぶのは頻繁に行うのを見たことがある。肉食獣の追撃をかわすために必須のフットワークなのだと思う。
2. 社会的絆と階層構造:社会的な動物にとって、遊びはグループ内での絆を築き、強化するのに役立つ。また、若い動物にとって、遊びは比較的安全な環境を提供し、社会的地位を確立し、グループ内の複雑な階層構造をうまく乗り越える方法を学ぶ機会にもなる。
3. 認知発達:遊びは認知発達にも不可欠かもしれない。遊びは問題解決、創造性、そして物理的な世界についての学習を促す。遊ぶ動物は、しばしば、遊び仲間の行動に基づいて素早い決断を下し、行動を調整する必要がある。
バレーボールやバスケットボールは、疑似狩猟的な行動を模したものだとはよく言われる。集団で狩猟するヒトにおいては、そういった集団競技の生存価を考えたら、そういう話になるかもしれない。私は集団競技は苦手なので、プリミティブな社会で狩猟担当していたとしても、単独忍び猟をやってるかも。
動物の行動と進化における遊びの役割を考える試みは、多くの研究者が行っている。多種多様な動物の種において、遊び行動が広く見られる。また、遊び行動の多様性は、それが進化上重要な意味を持つ可能性があることを示唆している。遊びは一種の練習、実習であり、動物が生存スキルを磨くのに役立つ可能性があると主張する研究も少なくない。また、遊び行動は動物がより適応力を高め、新しい状況や環境の変化にもっと効果的に適応できるようにするのに機能することを示唆している。
遊びの進化的利点は今も研究と議論が続いているテーマではあるが、遊びが単なる軽薄な行動ではないことは明らかである。遊びは多くの動物の生活の複雑かつ重要な側面であり、身体的、社会的、認知的発達に貢献している。
動物の遊び行動は定義から入ろうとすると、なかなか難敵であるが、多くの潜在的な適応度が確認できる。動物におけるその重要性は明らかである。動物における発達と生存における重要な要素と考えられる。数歩歩けば、すぐに家に戻れる距離で、チコはわざわざこんなところで雨宿りをやったりしていた。見ていて楽しいなって思った。彼が、遊べば遊ぶほど、危機対応能力や様々な探査能力は上がっていったろうなって思った。もちろん危機に陥ることも発生する。
イルカによるヒトへの加害行動も、対象がヒトではなかったら、イルカの遊び行動だと思う人も居るだろう。いやーえらく激しいことするなーって見てられると思う。彼らの筋肉は強く、高速で泳ぎ、歯も鋭い、噛まれればただでは済まないし、加害行動だとカテゴライズされるけど、ある意味彼らにとっては、様々な目的を内包する遊びだとしても全くおかしくない。捕食レベルの加害行動だと、遊び行動とは思わないだろうけれど、それらはプロセスの一部を重複している。
必要なことは、彼らにそういう行動を試す意味と価値を持たせず、誘発するような接触を極少化することだ。しかしそういう個体が発生したら、陸生動物なら、本来はそのようなことを学習してしまった個体を選別して捕獲する方向性で対策を考えるだろうが、海獣であれば、それ自体が簡単ではない。
いきなり、伝奇SFとしてはかなり、個人的にはツボにはまった作品がここに出てくるのは、理由がある。真田衆や伊賀衆などの忍者や宮本武蔵や佐々木小次郎、柳生十兵衛などの歴史上の人物や宇宙から来た地球外生物らとバトルする話で、『エイリアンvsプリデーター』や『ダンダダン』みたいに、ムー要素満載のトンデモな「フルーツポンチ」的バトルが勃発し、人類が、リーグも戦闘力も違う存在と闘うみたいなフィクションでは、この作品はパイオニアワークだと思う。でも、ここで言いたいことはそこではない。
情報収集、先行部隊として送り込まれた凶暴な宇宙人が、彼にとって未知の地球人を文字通り、超兵器でなぶり殺しにする形で、どこが人類の急所で、どこを潰せば死ぬのかみたいなのを試すシーンが有る。まあ、そういうリサーチを、獲物にとどめを刺さずに余裕を持ってやれば、これ、肉食獣のリサーチや実習的な「遊び」そのもので、よく考えてあるなって、当時読んで感心したことを思い出した。
PSー追記。人にとってイルカのもう一つ面倒な行動についての記載を忘れていた。それもある意味、捕食行動や攻撃行動を含む遊びに近くゲーム性を持ってしまう場合があるが、ヒトを相手にマスターベーションをする行為を仕掛けるもので、執拗で最悪溺死させられるリスクがかかるものに付いてだが、学術的な行動記録として論文になったものは見つけていない。哺乳類の自然状態におけるマスターベーションについては、総説はそれなりにあるし、Homosexual and masturbatingとしての行動研究は結構あるが、人に対するリスクとしてこれを仕掛けるような話については、学際的に記載したものは、まだ、見つけていない。性行動にコミットした研究をしている人は山のようにいるが、そういう研究やってる人も稀であろう。
無いという意味ではないが、観察データとして参考にしたくても、雑文しか出てこないので、自分が観察したことがないし、自分の関係者も同様で、論考するまな板の上に載せられない。昔、国際学会で、ヒトの性行動におけるボーカルコミュニケーションをやっている人が現れたが、彼もやっぱり稀人だった。
いわゆる上述した「遊び」行動によるリスクの中に、可能性として含めておくぐらいのことしか出来ない。性行動から派生したアタックだろうとそうでない行動からのアタックだろうと、知能の高い動物による攻撃は、特に海では、人類にとっては命取りになりやすいから、彼らの接近には注意すべきだろう。
以前も書いたが、野外における危険な生物の筆頭はヒトである。他の生物の危険性というのは、家族含め一族郎党にまで波及するなんて状況を考えると青天井ということはなく、行動のリスクの上限は読める場合が多いし、遭遇頻度を最小化するという戦略は多くの場合取りやすい。そして危険な野外生物化したヒトの場合は、生活圏が完全に重なるので避けようがないのだ。カルトのトンデモビジネスが笑っていられないのは、社会を通してリスクを遮断できない場合があるというのも同じ意味である。