航宙日記補足ー無事10号通過。我が家はノーダメージだった。瞬間最大風速は、Windyからの読み取りだと40m/s止まりだった。根性ないのう。ヘタレで助かった。許したるわ(って、大体死亡フラグ)。まあ、運が良かった。この状態に、あと最大瞬間風速を更に30m/s積まれる状況が、どんなものであるか、実態を知っているので一応そこそこ想像できた。本当にタダでは済まない。
実感としては勢力かなり落ちたが、まだまだ他の地域は大変だろうと思う。これからこの台風が向かう地域の人は、どうかご安全に。
以下が、10号がこちらを急襲(と言っても時速10km)、接近前に書いたドキュメント。
これまでに経験したことがある、風速70m級の台風が来るようだ。
とりあえずやれることはやったけれど、後は少しでも10号(Shanshan)のコースが致命的にならない方にずれることを祈りながら、いつもの台風時の参考サイトを確認。
日本気象協会のアプリにもなってるtenkiのサイト。西にずれてこちらが危うくなっていこう、それでも少し更に西にズレてくれたが、このコースではまだまだ被害が大きくなる。この台風10号は依然として異常に強力な上、暴風圏が大きすぎる。見る都度に北部に上陸地点が移動する形で、更にその上、瀬戸内海銃弾で名古屋、東京まで行くという最悪のツアー客だ。東北や北海道はどうやら外れるのか。
雨雲レーダーによる雨の予測。ここら付近は600mmだろうと豪雨には絶対の強さを誇っているで、雨の方は心配していない。そんな場所ばかりではないし、洪水被害が不安なところは、今回の台風は雨についても恐ろしいと言える。
Windyは風・気温・雲・雨・波・気圧などの現時点での情報をマップ上で見られるほか、過去と14日先までのデータも見られるサイト。 とりあえず一番、気になる10号の最大瞬間風速とそのエリアの可視化。あまりに強力なので普段のグラフィックコンターが足りなくなってる。
PSーこのサイトが便利なのは、最大瞬間風速のモードにしてピンポイントでおおよそのその値がわかること。今回我が家周辺の最大瞬間風速は41m/sだった。絶対値評価はどれくらい正確母別にっして、台風の動きからどれくらいの風がいつまで吹くかというのも、視覚的に判断しやすい。 70m/sレベルは、これに更に30m/sほど積まれることになる。おそらく見たことがない風景になることが理解できた。
アメリカ海軍による
JTWC。日本の気象庁のスパコンやモデルによる予測は優秀だけれど、オルタナティブレポート。暴風圏のステージがちょっと違うが、どちら側に膨らむかは分かる。
学生時代2つの大きな川を含めて縦走したり、イリオモテヤマネコの撮影や観察をやっていたときに、風速60~70m級の台風に二度遭遇した。一度目は、マリユドゥの滝近くでキャンプしていた時。というか深部に入り込んでいて避難するにも無理なので、そこでやり過ごしたということだ。
なぜそんなところにいたのっていう話なら、当時は今のような全地球的な台風のモニタリングや一般人への可視化など無理だったから、特に先島地域ではNHKのニュースに上がる頃には、もう通り過ぎた後、被害の真っ只中という状況だった。短波で情報を取るにも、コストも掛かりすぎてて、まあ、山岳地帯の冬山登山以外でそこまでやっている人達はいなかった。それで完全テント生活で何度もフィールドワークをやっていたので、慣れてしまっていたというのが正直なところだ。
それでも当時は東京から西表島までの格安数万円のツアーがあったり、浦内川のジャングルクルーズの渡し場の近くで川海老取って食べてた友人が、ファッションもコロニアル、メイクバッチリの観光客の女性集団に遭遇して、「すごーい、それ食べちゃうのー?」ってきゃっきゃ言われたりして、今の生物系フィールドワーカーの社会からの奇人変人扱いとしては、既に似たような状況になっていた。
忘れないうちにと当時の状況を18年前に少し書いていた。長きにわたって付き合いのあるエキサイトブログというおかげもあって、18年前の記事は、いわばそれより更に過去の我が身の恥みたいな話だ(「
OM危機一髪 (part 2)」)。『神田川』ではないが、若かったあの頃、何も怖くなかった。いや、怖いものを知らない時代だった。
その経験から、かなりの台風、山中でもテン場によってはぎりぎりなんとかなるかなと勝手に理解したのだが、同じシーズンの次の台風の襲来には、野外でもう一度あれを食らうのは流石にもういいやと思った。当時そこにイリオモテヤマネコの写真を取っていた宮崎学さんの弟子の人の意見を大人しく訊いたこともあり、彼が居候などもしていた知人の家で好意で避難させてもらえることになった。立派なコンクリート住宅だった。というか、琉球弧の凄まじいエネルギーを持った台風に遭遇した経験のある人達は、コストがかかろうがコンクリート住宅を建てられたら建てるという判断をするものだったと後で知ることになった。
ちなみに私の後輩は、当時同じ西表島の南海岸にある古い民宿に身を寄せていたのだが、果たして私が山中でやり過ごした台風が直撃した時、海からダイレクトに吹きすさぶ風速60mに遭遇して「窓という窓から水平に壁に向かって水が吹き出ていました。民宿のおばちゃんは、目をつぶってお教を唱えてるだけで、ここで死ぬかもって思いました。」とのことだった。彼はそれで懲りて、民宿に泊まるのを辞めて、その後の70m級の台風のときには海岸の岩場の影にテントを張っていたのだが、「太い木の幹の塊とかありとあらゆる物が飛んできました。」とのことだった。私も台風の中のテントは、メンテやなんやかんやで1日中徹夜で疲れ果てたのだったので、「それは貴重な体験だったねぇ」、みたいに言う気もなかった。ふたりとも見事にアホの子であった。
一旦停電となり、最も台風が猛威を振るう時間帯に突入した。私の目にはそのそれなりにガッチリしている様に見えたコンクリート住宅が低い音を発しながら風が吹きすさぶ度に振動を始めたのだった。ああ、とりあえず外でテントとかやって無くてよかったと思ったことは確かだ。コンクリート住宅に振動を起こす風って何よ。
そうしたら、その知人の方が、つぶやき始めた。「こわい、こわいよぉ、これは怖い・・・」
ああ、こちらの台風慣れしてる人にとっても、これは流石に滅多にあるレベルじゃないのだなということだけは分かった。っていうか、これは果たして大丈夫なのか?ここにいたら安全ということではないのか? 流石に経験の薄さからくる能天気さだけで生きてると親に言われていた無謀な時代、これはなかなかにすごい状況なのかもしれないって思った。
先島諸島で台風に遭遇した時、驚いたのは、発達成長中の台風、大部分が巻き上げられた海水のようだった。風台風が基本ということでその結果、台風一過の翌日から森林は海水焼けで真っ赤になっていた。
台風通過頻度が高く、海水をかぶる奄美大島の海岸線には、常緑樹林ではなく、夏緑樹林が発達するとそっち方面の恩師が教えてくれた。夏緑樹林の方が常緑樹林よりも葉への投資が少ないので、すぐに再生できる故に有利だという理論だ。
後、台風通過前には、皆、バナナを収穫してしまうという話。雨戸を閉めるので、家の中から外が見えず、台風で音を立ててもわからないから、不心得者がそのタイミングでバナナを盗んでいくからだという話だった。流石に今どきはもうそういうのはないだろう。むしろ外から来た観光客が、凄い、さすが南国だ!バナナが普通に成っているぜと、野生植物で好きに食べて良いものだと集団バナナ泥棒が発生したのが、日食の時のトカラ列島の話。作物とは思わず食べた島バナナ、マーケットで普段食べる代物とはまた違って、美味かったろう。島の人達は途方に暮れていた。ヒトもバナナを食う有害鳥獣で、サルだったようだ。奇しくも盗んでいるという意識がないところが、感覚としてのサルのシミュレーションになっているのが凄い。
さて、数十年を経て、70m級の巨人ともう1回対峙することになった。今回の台風準備に関しては、こんなときにも借りたいチコの手助けもなにもない。
この手のプラ製のロープは屋外用ライターで焼いて終端処理をしておかないとバラバラになるのだが、それをやる前にチコが「お手伝い」してくれて、先にバラバラにされたりしたのを思い出した。台風が来る度に、子どもたちとやった台風準備とともに、思い出として残っているのを確認している。