エッセイスト&カヌーイスト、フィールドワーカーだった野田友助氏が亡くなって、もうすぐ3年目だ。三回忌は関係者でいろいろあったようだが、どちらにしても私は不義理をしているので、今回も一人故人を思い出したりしている。 野田さんとの出会いは、「姉様」夫婦が野田さんの当時住んでたマンションの隣に住んでいて、旦那の方が、「浜で拾ってきた」ことによる。彼は、浜でいろいろなものを拾ってくるのだが、なんだかよくわからない爺さんがいた、話をするとうちに飯を食いに来てもいいというので、「拾ってきた」と。 だからある日、遊びに行ったら、まるで慣れた居候のように、そこに野田さんがいたのだった。彼は私が謹呈した図鑑をとても褒めてくれて、自分は、畑正憲さんに、ものすごくお世話になった。お前が物書きになるなら、全面的に支援する、俺にはそれをやるべき義務があるとまで言ってくれたが、私の運命は、彼の存命中は、そちらの方には動かなかった。そして相変わらず、金にもならない乱文雑文をネットに書き散らして過ごしている。
「姉様」夫婦宅に出入りするようになった当時、野田さんの雑誌ビーパルに連載されていたエッセイのタイトルが、「晴航雨呑」(せいこううどん)だったのだが、実際にそれは「姉様」の旦那による発案コピーを拝借した者であった。その家の襖に大きく毛筆書きされていた文字は、正確には「晴航雨呑吐」であった。彼も「せいこううどんと」だと教えてくれた。多少はおしゃれ方面にも降ったカジュアルなアウトドアの草分け的雑誌であったわけで、流石に「吐く」はねーだろうっていうことで、削られたのだと思う。いかにも焼酎のバカ飲み大学生文化が(今はもう無くなった)強いソサエティだったこともあり、そこに出入りする関係者の誰からも、「吐」の文字を見ても「なにこれ?」って言われることはなかったけれど、外部には通じないだろうと私も思った。今はこの土地で生まれ暮らしても、下の世代にも通じ難くなったろうって思うし、顔をしかめるかもしれない。焼酎の吐き戻したものはすさまじい異臭がずっと残るので、吐くなんてイベントは無いに越したことはない。実際に、バカ飲みして焼酎を吐くときには、まるで水道をひねった如く何の抵抗もなくシャーって出てくるなんてのも、消滅した体験であった方がよろしい。社会人になってようやく焼酎を味わって飲めるようになったみたいなのも今は最初からない(はず)。それでいいのだ。
その縁もあって、大隅半島の自分たちの秘密海岸に一緒に行ったりしていた。彼の遺品となってしまったカヤックは「姉様」夫婦のところにしばらく置きっぱなしで、彼が高地に引っ越したあたりで、「猫、お前勝手に使え」っていう話になって、勝手に使っていた。

もっとも耐用年数もあるので、長男をパイロットにできたのがギリギリではあった。これで海中温泉の湧いているところまで行って、二人で海岸を掘り上げて足湯などに使ったりした。
私は、やっぱり陸域の人間なので、それにはまることはなかったが、それなりに楽しんだ。それも随分前の話になる。 長男が生まれたことを野田さんに報告に行ったり、実家から母が遊びに来た時には、すごいかわいい犬がいるよって言って引っ張り出して会いに行ったりしたのも、世紀が変わる直前ぐらいだ。そういえば、私の母は、私と一緒にテツとタロには逢っているわけだ。思い出だが、あまりにも昔だ。
デジカメ時代のはるか前、フィルムプリントのメモには1997年夏。大隅半島某海岸。とだけあるが、これが野田さんとのフィールドワークをやった終盤で、もう1/4世紀以上経ってしまっている。Minolta α707siで撮影していたはずだが。さてどうだったか。 海岸で一泊して朝起きて、アシスタントの女性が急に体調不良を訴えたので、病院まで4時間ぐらいかかる工程だったので、慌ててテントをたたんだのを覚えている。当時ワイフも一緒だったが、あわただし撤収、解散したのを覚えている。野田さんの思い付きで動き回って急性腎盂炎を発症したのだった。彼女が普段のスケジュールとその決まり方を友人に話したら、その友人は「それって、奥さんよりきつい毎日ってことだよねぇ」って言われたと、後で話されていた。 当時、kyokoさんにその顛末をしたら、「野田さんだったありえる。今度叱っておく」みたいに言っておられた。 教訓として、フィールドワークにあまり慣れていない女性にフィールド屋が思いが至らなくて、更にチーム内でのコミュニケーションがうまくいっていないと、しばしばそれを発症する故障者が出ることは、自分のチームではないが、似たような事故が起きて、その後の経験からあり得るのだなと知ることになった。 排尿タイミングが自分でコントロールできなくなるし、コントロールすべききっかけを作ってもらえないと、その辺で済ます場合でも、場所とタイミングが難しくなって、どうしても我慢してしまうことが多くなる。百戦錬磨の女性フィールドワーカーとばかり動いていると、おっさんは特に、そのことを忘れがちになるので、気を付けるように意識している。
野田さんの愛犬でカヌー犬として有名になった、ガクは1997年にフィラリアで死亡した。この当時はまだ弱りつつ治療生活のころで、ここには連れてきていなった。手術可能な良い病院を探しているという話を聞いたので、この後、当時チコの最初の主治医だった獣医先生を電話で紹介しようと電話をしたら、「ちょうどそこに今来てる、今ガクは闘ってい真っ最中」ということであった。この子は、野田さんが当時連れてきていたビーグルの子で、何の気なしに撮影していたが、テツ、タロ、アレックス、ハナのどの子でもないのに後で気が付いた。野田さん自身の犬だったのかどうかすら、覚えていない。
結局チコは、そのT病院に当時非常勤で入っていた獣医師先生が主治医になってもらった。その後彼女はチコに対してタフな手術を二度も行ってくれて、彼はそのたびに延命してずっと彼女のことを信頼していた。結局、彼女が職場を変えて、というか、旦那さんと二人で開業した獣医クリニックに、最期までお世話になることになった。
とりとめのない話になったが、大した話はない。SNSで野田さんの話が出るたびに、懐かしいなと思う一方で、この一枚の写真スキャンだけが出てきて、いろいろ思い出して書いている。
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-34481445"
hx-vals='{"url":"https:\/\/complexCat.exblog.jp\/34481445\/","__csrf_value":"9f1cd454faa2e662e19a57a5e9f844e752b72c2cc030a9259524434899c2746ab751d8afeb045d36d3fd70e565195daf761ec599bebb532b1fc6e05c08d8c206"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">