過去エントリ、軍神と農神と産業獣で、猫が日本ではどんな扱いをされたかという話にちょっと思いをめぐらした。猫を口減らしで川に投げ込んでいた場所が、のこっていた。酷い話だが、水に流す虐殺は、口減らし的にあっけらかんと行われてきた土地というのが、一昔前の日本だ。そのやり方を踏襲?して、ビニール袋に入れられた猫が流されりしているのは今は法で裁かれるが、友人などは発見して真冬の川に飛び込んで救出した話なども聞く。 これは逆に言えば、産業獣として必要だから一定数を繁殖させて、飼育させていたという結果だ。ペットとして飼うような話ではなく、猫は必要な産業獣であり、家族やペットではない時代の名残の感覚が、農業地帯などでは特に、随分最近まで残っていた。 このチコの姿、まっすぐに建てられた尻尾を見ると、このときのパトロールは私とバディを組んでいたのを彼はちゃんと意識していたのだなって思う。
それでもチコが、ファームランドキャットとして周辺からも活躍を許された圃場で生き生きと過ごしていた日々を思い出す。ウイスキーキャットなども有名だが、農作物を鼠害から守る能力の高さから産業獣としての猫とヒトが暮らした経緯がある。
今回AI画は要らないのだが、チコ似の猫がうまくできてたので、載せる。桑の葉と桑の実と猫二匹。
それで一つ忘れていたことを思い出した。人の居住空間に主に鼠害を引き起こすネズミとなるとクマネズミやドブネズミが基本となると思う。かれらは昆虫食も大好きだ。絹生産は、今は遠い世界に思えるが、石油文明が花咲くまでは、人は生活用品の全てを、自然由来、農作物由来のものから全て得ていた。面絹朝ラミー毛皮、革製品が、衣服の材料となるもののすべてだった。ユニクロ以前の話だが、それは日本が大きな戦争で大陸に兵を送っていた時代などでもその状態だった。ちなみに絹は保温もあり、非常に優れた繊維であるゆえ、ぜいたく品なので軍用資材にはならないということでもない。
AIは蚕も割とまともに描く。
桑の木など、都市化が進む前の集落には、そこかしこに植わっていた。木綿同様、衣服を作るにはそういったものの繊維を利用するしかなかった時代は、つい最近の大戦終了の後まで続いていたわけだ。その中で、絹生産のたの養蚕において、ネズミは蚕の捕食者で、特に立体空間利用が得意なクマネズミは、いろいろなところから侵入して蚕を捕食する面倒な相手だった。だから、養蚕の現場では、猫は重要なセキュリティ要員であったし、そのための猫の碑や石像など農神扱いされ、特に商品作物として重要な絹生産の地によくみられる(参考:近藤 良子 (2017) 「蚕と猫と馬~養蚕をめぐる動物たち~」.岩手県立博物館だより №153 2017. 6)。 もう一つ、一般の人の鼠(基本的に、家屋や納屋などへの侵入動物としての、クマネズミ、ハツカネズミ、ドブネズミ)への植生イメージは、木の実やドングリとか人の食べ物とか残飯などを想像する解像度ではないかと勝手に思うのだが、森林性アカネズミ、ヒメネズミはいうに及ばず、クマネズミもハツカネズミもドブネズミも、昆虫食のハンターとしてもかなり優れた生き物であり、それこそ群れで飼育されている蚕などは狼の群れの前の羊みたいなものである。そう考えると牧羊犬いや桑蚕猫?が必要になるというのは、理解しやすいのではないかと思う。
南九州では、重要産業として絹生産に取り掛かった歴史は比較的浅く、蚕を守る猫の話は、ほとんど聞かないようだ。また、追加情報が見つかったら上げようかなと思う。桑畑の残存木や桑の実というのも、本州に比べるとほとんど見ない気がする。村おこし特産品でマルベリーのシェイプを見たりするのも、九州では、中九州のまで上がらないと無理っぽい。普通に桑の実は旨いので、家にも植えればよかったなと最近思ったりする。 私は本州育ちだったが、少年期、クラスで飼育していた蚕を、夏休み中引き取って飼育することになり、担任や祖母がいろいろ近所の人に聞き取りしてくれて、案外近くに、放置された桑畑の残存樹が残っていて、結構な大きさに成長していて、良いはっぱを取るのに登る必要があったが、餌問題が解決した経緯を覚えている。今なら絶対無理だなって思うし、こちらでも、ちょっと車を走らせても桑の木は見つからない状況だ。放置されたクヌギ畑は、シイタケ栽培などの奸計は、ちょくちょく見つけるのだが。 ローテクの時代の生活の糧として飼育された蚕も、寄生蜂やネズミ類の捕食、様々な病害生物感染に対抗すべき決定的な方法はなかったから、当時の農作物と同様、かなり博打ものだったと聞いている。
絹生産やその周辺情報をあたっているが、南九州の蚕と猫に関連した情報は、まだ得られていない(【島津家集成館事業の「田上村鹿児島藩養蚕室」について載っている資料はあるか。(事例作成日:2021年09月26日, 登録日時: 2022/12/22 16:12, 更新日時: 2022/12/27 16:14, 提供館: 鹿児島県立図書館 (2110041), 管理番号: 鹿県図-220013 レファレンス共同データベース】) なお、蚕は特に産業動物として重要視されなくなっているように見えるが、猫たちもその守りに一役買ってきたその遺伝子資源の価値は、解読が進んだ今では、将来にわたってさまざまに利用されることになる(
カイコ等昆虫ゲノムデータベース)。
追記ーワイフが見つけてきた資料を見せてくれて、地下施設として作られた。稚蚕(ちさん)共同飼育所の遺構の存在を知った。彼女は私の書いていたエントリをチラ見していたようで、教えてくれた。地下施設か。なるほど。温度環境や天敵のネズミ侵入対策もあったのだと思われる。地下にあるなら、上手くクローズドされた施設でなければ、ネズミの侵入は寧ろ頻繁だったかもしれない。猫がここで活躍していたと考えるのは、私の希望的バイアスだが、ここに1,2年平均の寿命で大変わりする猫の繁殖集団を置いていたみたいな状況は、良くない言葉だがこちらで言う猫の『田舎飼い』のやり方で、鼠害に対するディフェンスを行っていたかどうか不明。このやり方で猫を飼う感覚が一次産業地域ほど強固であったため、例えば奄美の自然遺産登録時、環境省が野猫のコントールをしようとしたときに、かなり障壁になった話は聞く。
ナイロンの普及や後継者不足により、養蚕業は衰退していったわけだが、2008年時点で全国で27戸が残っていたという話だ。わずかだが、国内養蚕の基盤施設としてそこまで粘っていたということに少し感動する。この遺構が現存しているのはちょっと奇跡的という気がする。ここのエントリのテーマつぃて選んだ、蚕の保安要員としての猫の存在や猫との関係は、手に入れた資料からは見えないが、稚蚕施設というものが実在していた証拠が、南九州にも存在し、現物がまだ確認できるということを初めて知った。
すごいな。あるんだ。
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