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形にあらず

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本日も,画像ネタぎれで,画の方は,エコール・ド・パリ風?のチコ,ローラン・ニャン? 電信柱が真ん中に突き立ってしまったのも消せば良かった。遊びなのですが,どちらにしても「写真」撮影による画の延長線上にあるものとは言えなくなりますね。



 水滸堂ジャンクカメラ研究室「ジャンクカメラの分解と組み立てに挑戦」を買ってしまいました。詳細は見ておりませんが,また,ガラクタを抱え込むかも知れません。

 昨日は夕方,ワイフと2人,1週間の疲れでぶっ倒れてそれぞれ寝ているところに,公陳丸とチコがそれぞれ貼り付きました。昨晩は次男を隔離して一緒に寝ました。チコは,長男のところにシフト。血液検査の結果はまだ出ませんが,耳下腺の腫れは引いて痛みが無くなったようで,おたふく風邪=ムンプス・ウィルスだったとしても,軽く済んでしまいそうです。

 長男は,空手の組み手と共に,最近は型にえらく興味を持ったらしく,型試合にも出ると云いだして,毎日演舞の練習。これは,実はありがたいことで,最近は,型ばかりやっていても強くなれないと云う勘違いが是正されて,むしろ「無敵の空手は,型をベースにのみ構築される」というパラダイムシフトが生じました。これについては,武術マスコミ的には,宇城健司氏の存在が大きいのです。はっきり言って,氏の著作物の出版のされ方を見ていると,ポスト甲野善紀氏のドル箱状態です。
 型がブームになる前から,流派の達人で,型をないがしろにされた方は,むしろおいでにならないといった方がよいかも知れません。メル友の極真縁の師範も,分かり切ったことを今更と仰られておられました。K-1系格闘技空手は,空手の本当の凄さを,ある部分スポイルしているかも知れません。
 ただ,問題は,きちっと型の意味と価値を伝えながら教えられる人が少ないと云うことだと思います。たとえ太極拳の起勢(第一手)であったとしても,相手の様々な動きの変化に柔軟に対応して相手を崩したり跳ばしたりして使うには,センスが必要ですが,正しく学んでいて何年も練習していたら,使いたくなくても使えてしまうというのはあります。固定的に型の動きを見ていると,無理ですが,単純で基礎的な練習が,縦横無尽な自由な技の発露を支えると云うことは,書道でも演奏でも舞踏でもどの分野でも言えることなのかと思います。フルコンタクト空手だけが,「型などやっても試合に使えない」と切り捨てる人が多くて,型の存在価値と試合が乖離してきておりました。この問題がどこにあるか理解しておられる方自体が少ないというのが,この世界全体の問題なのかも知れません。
 通備門(八極拳と翻子拳とを融合させた馬家を宗家とする門派)など,套路抜きでそのユニークな戦闘理論など全く学べませんし,そのベースが崩れれば,打突系格闘技の全部がK−1的アメリカンキックボクシングとでも云うようなスタイルに収斂して行くであろうことは間違いありません。中国の散打(中国武術の自由組み手試合)など,あの実利主義の国で考えた結果,ムエタイを学べば良い成績が残せると全員が考え始めて,分けが分からなくなってしまいました。陳家太極拳正式伝承者陳家の嫡男19世の陳小旺老師が散打のナショナルチームの監督になっても,その状況は全く変わらないと云う話になっております。陳家溝(村)の武は,極めて高いレベルにありますが,近代陳家太極拳最強の達人とされた17世陳発科老師が北京に出たときに多くの真伝が失伝して,体系の根幹が風前の灯火になったときに慌てて北京から震脚も出来ないほど老いさらばえた師範(17世の血縁)を送ってテコ入れをやったという事実があります。
 因みに映画「マトリックス」で,主人公が100人以上の敵と戦闘する場面がありますが,武術指導は中国武術系をベースにしたいたあの映画の関係者が,本当に中国武術に関わっていたら,陳発科老師の100人以上をほとんどまとめて倒したという,伝説の逸話を知らないとは思えませんので,そのあたり,実際に作ってみたらこうなったということかもしれないと密かに思っておりました。
 もちろん,陳家の武の深さは,私ごときがどうこう言えるレベルにないので,疑問は尽きません。陳家四天王とは別系統の20世の技を学んだことがありましたが,全く別物で,中国武術の伝承も一筋縄の話では理解できませんし。
 武術太極拳といえば,発勁の剛猛さに目がいってしまいますが,マジックのような崩し技の体系(化勁)にこそ武の神髄はあり,その情報の欠損は戦闘体系の構築の上で,大きなハンディになったでしょう。小旺老師自体が仙道系の使い手に化勁でこかされた話は分野関係者には有名です。
 真偽は分かりませんが,たとえ禁則が多いからと言っても試合において圧倒的な強さを身につけた者=伝承されてきたエッセンスといわれる型と矛盾しない動きをした者ではないということは,武術界のとても不思議な部分ですが,少なくとも型の存在価値におけるルネッサンスは,その矛盾を解き明かすべく抜け落ちていた鍵を見せてくれるのではないかと思っております。私の戦闘法のベースになっているのは,套路=型だけなのですが,これは,ある時,某日本系拳法の人と試合になったときに,実感しました。套路=型だけが,私をして,何も恐れず,戦いの動きを引き出してくれました。結果は散々でしたが(勝つには勝ったけど最後は学んだことがない寝技に持ち込まれて,意地になった私の使ったフィニッシュはプロレス技),不思議な体験でした。
Commented by ayrton_7 at 2006-02-19 11:32
C_Cさん おはようございます。
熱、加減はいかがですか?
ルノアールって確か近眼で、あんな絵を描いていたのだ、と聞きましたけれど
今日の画像は、そんな感じですよね。
Commented by complex_cat at 2006-02-19 13:38
ayrton_7さん,熱,下がりましたが,ひたすら眠いです。で,そんなこと言っれられませんの出,今から仕事に復帰します。
Webでちょっと調べましたが,ルノアール,近眼説は,有名なんですね。眼鏡を通した画は,見えすぎて,駄目だったという方なんですね。
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by complex_cat | 2006-02-19 10:40 | Cat Kick Dragon Fist | Trackback | Comments(2)

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