非常勤講師
2006年 06月 21日

Canon EOS Kiss Digital N, LEICA ELMARIT-R 1:2.8/135

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A・スミス著の「いたずらの天才」にそれに近い話があったな。あちらは,個人で購入した「公園のベンチ」だったか。ホイチョイ・プロダクションがこれのオマージュとして,コミック雑誌で,いたずらの募集をやっていたのは,80年代だったか。そろそろまたブームは,こないだろうか。
現時点で,おそらく学級崩壊を牽引してきたか,共犯者として活躍して来たパーソナリティの子供たちの世代が(このタイプは学級崩壊しても塾通いで平気で,学習能力だけは高いタイプが多いので)そのまま自分だけは逃げ切って,入学して来ているのではないかというのを感じてしまいました。そんなことを考えるのは,見かけは授業に茶々を入れる五月蝿い「悪ガキ」(これは愛称です)は何人か相手にしてきましたが,そういうのと違っていて,本日は,精神発達に問題があるかもしくは境界例っぽい子が目立ちました。彼らは,完全に自分の分を勘違いしたクレーマーとして,今度はストレス解消のいじめやあおりを,教師に向けて来ているという状況のようです。
しかも,文科省,通達でFD(Faculty development =教育指導能力の開発)制度始めちゃってますから大変です。ちゃんとした人格ができていない人間にFDで,講義評価なんぞさせたら,現場が混乱するのは,あたりまえで,良い大人でもヤバい人がいっぱい居ますから,別に切れる世代の問題だけではありません。ちなみに,少年に依る凶悪犯罪の発生件数から一番切れる世代は昭和18年生まれという説もあるようです。
ともあれ毎度ながら文科省の方針により一律にFDが導入された国立の関連学校の一つでは,訳の分からん学生クレーマーが生まれており,ちょっと困った状況みたいです。
私は,代打で投入される打席にだけ集中すれば良い非常勤なので,テンションをあげて乗り越えられますが,毎日対応を余儀なくされる担任の先生は,大変だなぁと思いました。今回もどんな学生とも,最後までフレンドリーに,済ませられましたが,次回の講義があったら,多分駄目だろうな。こういうのは一度きりしか使えない技です。
昔からの地方のまじめで素朴な学生と,この手の困ったチャンの二極化が進行しているので,とりあえず,前者への講義を進めねばと,さらっと流せました。伝えたいことも多かったのも幸いしたか。でも3年前は,全て話し切っていた話が,半分もできなくなってます。私の講義は,妨害は最小限だと思いますが,ここ数年でも幼児化が進んだ気がします。
授業妨害と,担任呼び捨てクレームと,女子生徒が横に居ながらの,講義中でもおかまいなしの野卑な笑い声を上げながらの遠慮なしの猥談というのが,昨年あたりから感じる,糞ガキのトレンドです。悪ガキではないです。最後のは,実は深刻だと思います。おめーら,こらえ性が無いし,何が悪いことか本当な全然理解できてないから,成人する前あたりでDV傾向が明確になってきて,まともな女の子は皆,引いて,そのあとは,すぐにぼろ出して,セクハラか性犯罪で掴まるぞ。そうか,そういうのが,多少お勉強できれば,どっかの大学であったみたいに,性犯罪サールクなんか平然と作るだろうなというのも容易に想像できます。全ての目は,実は小学校からあるのだと,私は思っています。そして,その中の特に中学年。そこにお金や人材をかけてますかね?
いろいろ配慮いただいている先生方に迷惑がかかりますし,まぁ,なんとかやり過ごしました。多分本人は,自分はそれなりにちゃんと講義を聴いていたと思っているでしょう。自己の客観的評価は,人は誰しもいい加減なものですが,このタイプは,常識を超えて,自分がどのように見られているか,理解する能力が病的に欠損しております。非常勤の気楽さ,いきなり講義中,振脚や擺脚,デイブ・リー・ロスも“Jump”でやった旋風脚などのケレン技で,いざとなれば受け狙いでも何でもやれる人間なので,気楽なものです。遺伝子操作作物使用/非使用スナック菓子の食べ比べなど,まともな先生方がついぞやらんことをやっているので学生評価によると非常勤ダントツの人気講師になってしまっているということで,その勢いで授業も進められますが,生真面目に,きちんと大量の情報を教えられている先生は本当に大変だなぁと思いました。H教授,白髪増えたかも。
全方位,ビデオで最初から全部撮っておいてやるのも良かったかもしれないな。それ,親に送るか。リスク管理のために,先生もそうやって自衛する日が来るかもしれませんね。いや,私学は既に始めているか。
もともと自分のことは棚に上げて,小狡い知恵を持ったおっさんより,学生,若い奴が好きで,辛口で見てもいい子もいっぱい居るのですが,そういった彼らが講義を聴くのが邪魔される構造は,多分小学校から同じパターンだというのが,いじめも学級崩壊も未体験のおっさんにも伝わってきます。こんなのが数人居れば,普通の教師は,お手上げで,学級が崩壊するのをどうすることもできないでしょう。邪魔する方は,ほとんど進歩がないので,同じような馬鹿ガキの理屈を言い立てる成功法則に基づいているのがよくわかりました。
ああ,書きたいこと書きましたが,自分の息子たちのことを考えます。学習の場で加害者か被害者になるか,前者は勘弁してほしいし,自分の子がそうなるとは思っていない親ばかですが,後者もやっぱり勘弁してほしいと思うと,全然すっきりしないぞ。旧国公立学校法人の凋落は,うちみたいな地方の貧乏人の子だくさん家庭には,深刻ですな。
でもね,「C_C先生,先生に教わった『足抜き』で体を素早く飛ばす技,キーパーで応用してます。踏ん張らないと具合がいいです。」ってね,今,卒論やっている一昨年度教えた子に呼び止められたときは,慌てて「それ,君にセンスがあるからで,球技素人の私の話信じちゃ駄目だよ」と釘を刺しましたが内心嬉しかったなぁ。私,何の講義やってたんだろう。そうか,月刊マガジン二冊重ねて上から寸勁のまねごとやって飛ばしたのは彼だった。卒論もまじめに取り組んでいるようで,こういう子も普通に沢山居ます。教師側は嘆いてばかりですが,当事者の彼らの方が逞しいな。
でも全体的に教師の質が落ちている、と感じてしまうのは責任転嫁ですかね?
息子がまっとうに生き延びられる環境に居続けられるよう祈るばかりです。だって間違いなく「問題のある子」の親って、自分の子どもを溺愛し過剰に信頼しているから、手のうちようがないし、子どもは親の操縦法を熟知してますからね。
少々の能力差より,子供を愛してくれているかどうかで最後は決まると思います。でも,教師の能力は低いけれど,子供だけは熱烈に愛している人が,そのまま低いレベルで留まるはずは,ありませんね。簡単です,子供を愛していないだけでしょう。
ただ,親の方も想像を絶するような人が出てくるようになったのではと密かに思います。学級崩壊牽引児童は,親や他の眼があるときには見事に変身しますし,変身出来るだけの狡猾さを併せ持っています。人間,だれしも二面性があり,外面の悪い人は居ませんが,人格障害的と感じるのは,そのあまりにもテレのない機械的な行動のスイッチングそのものです。

彼らのスイッチングが極端なのは,それは,ほとんど反射に近い学習行動として培われているからではないかと思っています。人は子供とはいえ,いろいろな情緒活動の結果,様々な行動をとりますが,この手の子供は知能的な発達はむしろ早いので,こういう場合はどの選択肢を採るのが良いかということを速やかに学習します。選択は,ゲームマシンを扱うがごとく失敗しません(それが実は,正常人から見るとなんとなく異常だということが理解できません)。情緒はその選択を全く邪魔しません。実はその内部で未発達だからです。従って,親にとって都合の良いように見せていれば良い年齢までは反応機械として完璧ですが,思春期を境に,そのようなやり方では通用しない状況を迎えると崩壊します。境界例が性的な問題も含めて複雑な情緒活動を必要とする年齢を迎えるときに,「発症」するのは,そのためかと思います。