動物警察 Animal Police
2006年 08月 04日
今や捨て犬,捨て猫やそれらを取り巻く動物虐待,あるいは,特に犬猫が好き嫌いに関係なく,でたらめに拾ってきて避妊手術もせずでたらめに増やして,信じられないひどい環境の中で虐待・虐殺の自覚もなく,さらに悪臭,騒音などの問題を引き起こす人間がしょっちゅうニュースになっている現在の状況は深刻です。
これは,定期的に開かれている里親捜しのイベント。
書式が違いますが,左がユッチ,右がナッチの書類です。
もちろん,犬猫をゴミにアナロジーさせるということではなく,独善的,無責任,限界を超えた感覚で周辺に迷惑を掛ける人たちに分類される人格障害者と呼んでもよいようなタイプの人間が,勝手に拾い集められるものとしてたまたまゴミではなく,かわいそうな捨て犬,捨て猫に意識が向いてしまった例のように思えます。同じカテゴリーで扱えるような気がします。扱えるからといって問題が簡単になるわけではないですが。
犬猫こそ,彼らに拾われることがなければ,ひょっとして素敵な人生の伴侶に出会えたかもしれない,あるいは,短いけれど人に関わることもなかったけれど野良猫人生を全うできたかもしれないのに,むごい運命に遭わされてしまいました。
野良猫生活でぬれている場所など全く平気なナッチとユッチ。シンクの奥でくつろいでおります。下のユッチもですが,この2枚はワイフによる撮影です。チコもここに入るのが好きでした(採水)。最近はでかいので無理ですが,野良猫経験組は,「ひんやりして気持ちいい」ようです。
そういえば,自分の子供たちを虐待死させていた両親が,犬にはドッグフードをちゃんとやっていたという事件もありました。子供たちはそのドッグフードを拾い食いして命をつなげていたこともあったということです。このタイプの闇を持つ人間は,一見,普通の動物好きと区別できないように見えますが,でも,ちゃんと犬を愛したり,運動をさせていたかと云うことについては,かなり怪しいと思います。おいてあった趣味のバイクと同じ,趣味ではなく,単なる物欲を満たすアイテムではなかったのじゃないかと思います。何でもほしがる「欲しガキ」,渋い趣味を持っていると思われたかった「渋ガキ」だっただけではないかと思います。
殺人に近いもっとも残酷なネグレクトを夫婦そろってやっていて,犬だけは,まともに飼うことができていたとは,私には思えません。まぁ,子供もちゃんといて,それなりに育てていて,犬猫とのつきあい方がむちゃくちゃという人の方が実際は多いでしょうけれど。
すくなくとも,動物虐待が日常的になっている社会で,子供たちだけは,大切にされている社会があるとは,あまり思えません。もちろん子供を「動物」と類似の存在として扱っているわけではないことを付け加えておきます。
こういう輩は生存権は奪わないけど,それこそ去勢したらだめかな。でも,じいさん,ばあさん去勢してもなぁ。そうか,その前に警察か。アニマル・ポリス。モンサント・ポリスは,ほとんど華氏451度の世界で,あまりポリスという名前が着くのを信用しないタイプの人間なので,思わぬ通報でひどい目に遭う人も出てくるかもしれ無いなどと考えてしまいます。あの男は,猫を虐待しているとか言い出しかねない人が居ないわけではないでしょうから,かなりの見識が必要ですね。ただ,少なくとも懲役刑を含めて見直した方がよいのではと思います。あんなことやるような輩を,30万円の罰金刑程度でほっておくのは間違っていると思いますし,今も,絶望的状況の中で救助を待っている犬や猫たちがいることは断言できます。
それだけではなく,野生動物を無節操に飼って,上澄みの部分だけ見せて,いろいろな野生動物をペット化してたきつけるような動物番組についても,自粛して欲しいと思っています。この分野,畑正憲氏が,様々な野生動物を飼うという行為をしていて,当時も,ペットの親分だなんて云われていました。そのことで,畑さん自身も迷い悩んでおられましたが,対談で話されたノーベル賞受賞者で動物行動学の祖である,コンラート・ローレンツ博士をして,私たちは動物の友達だから,と言われて畑さんも少し,ほっとしたようなところがあったとエッセイに書いておられました。
でも,世の中,ムツゴロウさんになれる方は,そんなにいるわけではありません。専門教育を受けていようがいまいが,動物に対する敬意と深い愛情,そのための,正しい知識を得ようとする努力(もちろん学問的勉強も含めて),そういったものなしで,誰でも免罪符をもらえるわけではないと思っています。
少年期,その漫然と感じていた「免罪符」が欲しくて,畑さんのまねをして犬のウンチを素手で握り,犬のおしりの臭いくんくんをかいで犬の顔をぺろぺろなめて,犬小屋に毎晩泊まり込みました。当時は,家の中に犬を上げる家庭は,私の周りでは一般的ではなかったのです。畑さんと同じように,盲腸の手術後,すぐに歩いてトイレに行きたいと喚き,自分の盲腸をお医者さんにもらってもらって食べられないかと両親に話して,怒られました(これも畑さんのエッセイにある有名な逸話を真似しようとしたのです)。様々な動物を食べて,ブライン・シュリンプ(=アルテミア=シー・モンキー)を仲間の前で食べて,観察日記の最後の章に感想を書きました。今,その涙ぐましい少年期の努力を思って,何とも言えない気持ちになります。ムツゴロウさんは,少年期の私の精神生活の大いなる部分を占めていました。何事についても彼の陰を追っていた私が,ムツゴロウさんの存在を忘れたのは,私自身が野生動物と関わる道を見つけようと走り出した頃だったと思います。その後,子供の頃のような目で彼を見ることはできなくなりましたが,もっとも影響を与えた人間の一人であることは変わりません。
そう,誰でも,動物の友達になれるわけではない。友達になるための努力が必要だと,今でもそう思います。
4匹の猫たちに対しては,義理の親としての責任を感じておりますが,飼い主だと思ったことは一度もありません。今も,少年期の自分が彼らを抱いているのだなと思うことがあります。彼らは,私の子供であると同時に私の友達だと,猫の王は,そう認めてくれるでしょうか。きっと,「まだまだぢゃ」って言われそうです。
本当は,特に動物学の知識など無くても,今時必要な情報は手に入るし,多くの初めて犬,猫と暮らし始めた人たちが,彼らをちゃんと愛して楽しい日々を暮らられないわけがないと思います。人間とはそういう生き物であって,そもそも犬,猫と普通に暮らせないということこそ,異常だと思うのですが。
動物警察の話に戻すと,海外では,野生動物の密猟とかの取り締まりも動物警察の重要な仕事になっていて,これも,日本では,環境省のレンジャーでは対応できない悪質な犯罪者対策に絶対必要です。逮捕権もなし,武器もなしで取り締まりなんてできるわけないですから,絶対,アニマルポリス,必要と思います。今の若い動物好きの人たちの人気職業になるでしょう。「め組の大悟」が消防士・レスキュー隊,「海猿」が海上保安庁の人気を押し上げたと,関連機関の実践の場に勤める友人が言っていました。正義感あふれる若い人たちに素敵な職業を与えられる雇用対策で最高じゃん。次の劇画のテーマも,これだな,うん。
私の存命中にアニマルポリスができるなら、志願したいと本気で思っています。
もしも日本でできたら,息子三人武技しっかりやらせて,全員就職させても良いかなと馬鹿親父は思ったりします。
高橋留美子の短編「Pの悲劇」に,マンションで動物を飼うことを異常に厳しく取り締まるお母さんが出てきます。やがて,彼女の息子は,自分の母が,有り余る愛情故,今のマンションで動物を飼うことが許せないのだと理解します。
本来の動物のことを考えられる方とは,そういうものだと思います。ただし,それが分かっている方にとっては,さらにその先の決断もありだと思いますが。
父親の方は,普通の方で娘さんにもまともな愛情を持っていたようですが,離婚後育児権問題は,女性に比重が置かれています。そうでなかったら悲劇は防げたかもしれません。DVの問題も絡むことが多いので,複雑ですが,米国では,離婚後の男性は逆差別からもっと悲惨な目に遭うことが多いようで,これも日本が訴訟社会になると輸入されることがあるかと思います。
善し悪しは別にして,与党の代議士や一流企業の役員の奥様方で,この分野理解をされている方々がかなり強力な論陣を張って動いたりされていますから法整備は案外進むかも知れませんが,日本では,検察庁,警視庁が余りぴんと来ていないでしょう。それやるなら,もっと他にやることがあるといったトーンで。人権問題などと相対化されて,先送りされるというのがこういった分野の問題です。
しかし,先進国中,最も悲惨な犬の飼い方をしている国が,日本だというのは間違いないので,早めに手を打つべきだと思います。
「マルコの東方犬聞録—日本の犬だけには生まれ変わりたくない! 」の著作のあるマルコ・ブルーノさんがこの問題,見事にまとめておられます。
http://www.nagaipro.com/kikaku.htm
実は、マルコさんの著作「マルコの東方犬聞録—日本の犬だけには生まれ変わりたくない! 」はいつか読もうと思って、買っておいたので、この機会に読み始めました。。。。
それから、いろいろ調べているうちに、マルコさんがおっしゃるような背筋の凍ることがわかりました。それから、ALIVEを主催していらっしゃる野上ふさ子さん著「新・動物実験を考える」を読んで本当に苦しくて悲しい気持ちになりました。なぜかというと、マルコさんの本に書いてあるように、「現代のペット問題をトータルで考えると、穴のあいたバケツで侵入してくる水をくみ出すような終わりなき戦い」だからです。それに食用家畜の問題も入れると本当にすごいことになります。でもあきらめるわけにはいきませんよね。。。
ニューヨークのアニマル警察が全米でも唯一、武器を携帯していると聞きます。でも所属はASPCA(The American Society for the Prevention of Cruelty to Animals動物虐待予防協会) というノンプロフィット機関で、すべて一般の方からの寄付に頼っており、行政から一切お金を受け取っていません。でもその機関の中にHumane Low Enforcementという部門があり、それがアニマル警察にあたる部門で、警察と全く同じ権限を持っています。そして、ニューヨーク警察と協力しながら活動しています。こういう、武器を携帯しているアニマル警察が、ノンプロフィット機関の中にあるということ、また、ニューヨークでしか実現していないということは、警察内にそういう部門をつくるという難しさが現れいてると思います。ASPCAという動物の権利を保護する大きな機関があって初めて、可能なのですね。日本ではどうでしょうか。検察庁や、警視庁が動物虐待に関して真剣になってくれる日がいつか来るのでしょうか。そこから動物警察を発展させるのは難しいですよね。ならば、ASPCAのように、行政から独立している強力な動物保護機関があったらどうでしょうか。
でも、器が出来ても、人間の心が荒れていれば、一番の皺寄せは、社会的に最も抵抗することの出来ない弱者に行きますよね。守れる人がもっと気づいてもっと積極的に守らないといけない時代なんですね。
マルコさんのテレビ番組、いっぱい話題になるといいですね!
長くなっちゃって本当にごめんなさい。これで終わりです!
私のような生態屋にとっては,いわゆる盲目的な動物愛玩に対しては,敵に回ることが多いです。先進国の動物警察が,近視的な愛玩支援でないことはよく分かります。日本では野生動物保護,動物愛護,そして動物愛玩,その当たりの区別が混乱していると思っております。日本の野生動物の保護管理に関わる問題では,無責任な愛玩行為が問題引き起こす場合が大半です。これは,欧米と違って犬猫でしか動物に関わったことがない方が圧倒的に多い,ということもあるのかと思います。犬猫への扱いの酷さと表裏一体です。
最近の犬猫関係の団体は,ようやくこの辺りの理屈を話してもすんなり理解してもらえる方が普通になってきました(もちろん内部的にはいろいろな方がおいでのようです)。もちろん人それぞれ守備範囲が違っていて構わないわけでしてそれが見識の狭さとは関係ないことも分かります。
上手くまとまりませんが,欧米のアニマルポリスの例では,野生動物保護とシームレスに扱っていると云うことがその健全性と問題意識の深さを感じさせてくれます。