F11の夏
2006年 08月 19日



この画もISO400で,普段から露光はマイナス1.25補正,f4.0なので,1/15secは間違いなく確保できていると思ったら,1/6secで切れてました。ナッチがぶれてしまった。

義理兄ちゃんたちがあまり楽しく遊んでくれないので,娘たちは,距離をとるようになってますが,寒くなればまた状況は変わるでしょう。
哺乳類にはSocial thermo-regulationという行動が知られていて,血縁が無くても密集して暖をとる行動がいろいろ観察されてます。もちろん,どんな種類でも可能というわけでないのですが,空間を共有できる段階にある猫については,寒くなればスキンシップが強まると踏んでます。




猫雑誌(ワイフの愛読雑誌の「猫日和」)を見ると,獣医さんは相変わらず独学の行動学を振り回しているだけで,去勢猫のバトルやスプレー行動が消失しない質問に対する説明がおかしかったりして気になりました。縄張りの意味も理解されていないようです。これで,原稿料いくらだろう。
実際,獣医師の学生さんのほとんどは,動物行動学について試験勉強以外まともにレクチャーを受けたりしないのですが,さらに,彼らの習うものは家畜行動学という分野しか習うことはありません。だから,多くの犬猫の行動に詳しい先生の行動学についての話は体系だった学問を習っていないが故の華氏が見受けられます。
家畜行動学の学生さんと話しているときに,気になったのは,生産性寄与という目的の応用科学には,究極要因(進化的な生存率に関わる要因)の概念がないので,行動の意味と特性を理解できない部分があるということです。これは,この分野の教官の多くがこのあたりのベースをもたれないので致しかたないのですが,すべて至近要因(生理,機能的な要因)だけでは,行動学的な理解に制約が生じます。今時ですから,基礎を学んでいるときに教科書では学ぶでしょうが,読み飛ばすか,覚えていても分野の論文研究では使わない概念なので忘れてしまうでしょう。
例えば,合鴨の成長スケジュールを学生さんが追ったとします。生産管理の問題からなので,何日目まで,保温が必要か,要するに自前で体温調節獲得がいつになったら可能か云うようなことを調べます。ただ,卒論生の観察日記は,そこで終わります。研究の興味が生理的な体温獲得脳に向く場合はありますが,雛を抱くこともない合鴨において,アヒルにせよマガモより家畜化されたもので,これともう一度マガモを掛け合わせたものが合鴨ですが,祖先系のマガモが,繁殖戦略上,いつまで抱卵をしていたのか,それにより決まっている成長スケジュールが家禽化によって,人為的な飼育環境における選択圧の結果,変化したのか,それとも変化していないのか,そう言った興味を,特に今時の学生さんが持つことはありません。
そうすると,そもそも,何故に,雛には体温獲得のタイムラグがあるかということを生理的には理解することができても,なぜ彼らがそのような生活し戦略を持つに至ったのかと云うことが理解されることはないわけです。進化的な概念をまさに説明するための共通祖先形質的な解析のまな板に動物行動を乗せるという偉業を達成したK・ローレンツの偉業は,同じ行動学という名前の学問を学んでいながら理解されることはありません。実際人為的選択圧で,本来の形質を変化させた動物を見る場合にも,進化的な制約を受けている部分については,野生動物についての行動学的解析の視点がないと,わけが分からんだろうにと思うのは私だけなんだろうか。
件の去勢猫の縄張りの話についても,猫を野生動物としての属性から見ると,採餌縄張りと繁殖縄張りの重複したものを普通の雄猫は持っているわけですが,去勢で消失するのは繁殖縄張りだけと考えて良いでしょう。もちろん,男性ホルモンは,攻撃行動に関与するホルモンではありますが,それがすべてコントロールしているわけではありません。性ホルモン以外のホルモン,例えば快楽を司るホルモンなどは,一夫一妻型の哺乳類では非常に重要な働きをします。それどころか大脳系そのものが,特定の行動を促す場合が圧倒的に多いのです。その当たりは高等動物である猫の場合は,人間に近いものがあると考えられます。
かつての漫才師の瀬戸てんやわんやの持ちネタに,「昨日大阪に行った」という話に「なんで?」という質問をされて,「だから,おばあちゃんが倒れて,内のかみさんがでれなくて・・・」という説明を長々とさせられて,そのあと「だから,なんでいったの?」と繰り返される質問に,泣きなら切れるというお話がありました。質問者の相方は最後には「だから,おれが言ってんのは新幹線で行ったのか,飛行機で行ったのか」と質問の主旨を述べるという,全然面白くもないオチなんですが,泣きながら一生懸命説明するところにこの掛け合いの真骨頂があるようです。漫才落語が大好きだった少年時代,彼らの漫才を面白いと思ったことはありませんでしたけど,究極要因と至近要因の答の噛み合わなさを思うと,いつもこのネタ少しアナロジーかと,思い出します。

