人殺し,猫殺し 1
2006年 09月 22日
ぼろが出るのですが,消化不良のウンコのようなアーティクルを吐き出さずにはいられない。そんな気分で書きます。
人の場合,プリミティブな社会であっても,高次社会性動物ですから,ルールがないとその社会は維持できません。
投獄や島流しは,ルールを犯すものに対しての社会グループからの排除手段ですが,一方で個人の自由を認めている人間の社会的システムのように,好きなところに好きなように暮らすことができるということを許している動物の社会は存在しません。タブーを犯すものへのグループからの排除は,高次社会性動物においては,必然のような気がします。そして,これは厳しい自然条件で生きている動物において,グループの行動圏からの追放は,その個体を許したようでいて,実際は排除されれば,利用資源にありつけるかどうか,一匹で探さねばなりませんし,ひ弱なサルならば,天敵から身を守るにも一匹というのは分が悪いでしょう。ねぐらも新たに探さなければなりませんし,生存率は限りなく下がり次世代を残す可能性も下がります。ある意味,高い確率での個体群からの抹殺です。そしてそれをいくつかの個体が乗り越え,出会って繁殖すれば,生息地の拡大と言うことになりますが,いずれにせよ,同族殺しの個体の排除はグループ社会の維持のために不可欠です。
サル社会でいきなりグループ内の個体を殺すような個体が出現すれば,進化的な時間のテストの中で,そのグループは消滅しますし,グループの属性や機能がその個体の生存率に深く関わるような種では,そのような変異個体を排除できないグループは存続できないかもしれません。
ここで注意しないといけないのは,このように個体ではなく,グループに淘汰圧がかかるという考え方は,現代進化理論では例外であり,非常に特殊なケースにおける考え方だということです。グループセレクション(群淘汰)を考えることがヒトのタブーや属性の理解において避けて通ることはできそうもないので,用いておりますが,飽くまで,進化の単位は種ではなく個体ですのでお間違えの無いように。種のため何ぞのために生きている生物は,地球上に存在しません。今では利他的行動も,種の保存を引っ張り出さなくても個体の利益もしくは共通遺伝子を持った個体の生存率アップ(包括適応度)など,個々の事例で説明できるのです。
ここで淘汰圧と言っているのは,特定の資質を持ったものの適応度(次世代の子の数)がそうでないものの適応度を上回るような環境からの圧力のことです。適応度は,通常は次世代の仔の数という意味ですが,生存率を上げると云うことも次世代の仔の数に寄与しますので,両者を総合的に持ち上げる場合適応度が上がったということになりますが,どんなにサバイバルに長けていても,次世代の仔を残せないと進化生態学的にはゼロを乗することになって,すなわち適応度は0(ゼロ)ということになります。だから,1秒間しか生きられない個体であってもたった1個体の子供を確実に残せるとすると,1000年の寿命を持っていても,子供を1個体も残せない個体よりも遙かに適応度が高いと云うことになります。なぜかというと,1000年後に,地上に存続している生物はすべて前者の子孫と云うことになりますから。
以上の淘汰圧は,基本的には種にかかるわけではなく,個体にかかります。だからこそ現在の生物の繁栄や様々な適応を成功させた生物の存在が説明できるのです。
さて身内殺しですが,チンパンジーでも知られるようになり,人類=愚かな汚い生き物,野生動物=無垢で純粋な生き物と感じる向きには更に混乱を招く話も少なくありませんが,とりあえず,高等な類人猿において同族殺しはいわば適応的な戦略として内在していると云うことはありえそうです。恐るべきことですが,これは高次の社会性を持つことと不可分であるかもしれません。
いわゆる戦争をするサルグループの出現です。他のグループのサルを殺して食べる,そこまで行かなくても他のグループのサルを襲ってその場から逃走させ資源を奪う。テリトリーを奪う。一見,泥棒と同じで合理的です。しかし,この殺戮能力がむやみやたらに同族に向けられた場合,個体が恩恵を受けているグループそのものの崩壊を意味しますから,グループ内の戒律はより厳しくなります。そうでない集団が出現したら,たちまち消滅したでしょう。
同族殺しの遺伝子は,厳しいグループ内での戒律と一緒にならないと,進化的に固定されません。あるいは同族であってもグループ内というかなり曖昧な識別システムとセットでないと機能しません。曖昧というのは,グループからの離脱(追放ではない)や移入というのが,グループが大きくなれば生じる可能性があるからです。一定のルール(グループ内の同族殺しをタブーとする)に従わない個体が出現した場合,それを排除するシステムがなかったなら,グループは崩壊して,戦争好きのサルは生き残ることはなかったでしょう。
他のグループへの同族殺しをグループの適応度を上げるために手に入れた一団において,それを同じグループ内の身内に向けるような個体を排除するシステムも同時に手に入れる必要があります。この戦争好きのサルのシステムでは,タブーを犯した個体を排除する機能を何らかの形で存続させないと,グループの崩壊を意味すると云うことです。
パラドキシカルですが,同族殺しを可能とする種の社会システムでは,殺しをタブーにしないと存続できないのです。あるいは,集団が十分大きくなったら,そういった殺しにタブーを持たない集団も一定数は残るかも知れませんが,家族という最小のグループ内にまで攻撃が向けられない保証がないので,やはり無理かも知れません。人間が交尾して子供を産み落とせば,そのまま育つ生き物なら,あり得ますが。
ある高専での話。
「センセイ,なぜ,人を殺してはいけないのですか?」
「(お,来たな。美味しいやつ)戦争で,ということではなくてだね」
「進化生態学的には,人殺しをしてはいけないかどうかは,君には決めることはできない」
「???」
「それを理屈抜きに駄目としてきたコミュニティだけが生き残ってきたということだ。内部に向けた殺戮者がうようよ居るコミュニティは存在しない。それを上手く説明できないからと大人が首をひねっている間に若い奴らが,『良いか悪いか,大人も良くわかんないらしいぞ』と若い殺戮者が増えたコミュニティも消滅しただろう。」
「でも,戦争はなくなりません。」
「そう,戦争をするサルの段階で覚えた。他のコミュニティに属するものを殺して資源を奪うのは,ある条件下では一つの戦略として進化する。チンパンジーもやっている。他の集団に属する雌を囲い込むものというのが,行動の目的だ。」
「へ〜,へ〜」
「外交の一つのオプションだなんんて偉そうに言える代物ではない。肉食する社会性を持つサルの戦略の一つだ。同種個体への殺しを可能にした遺伝子は,攻撃を同じコミュニティの個体に向いてもおかしくない。」
「自分の利害のために同種を殺すことを目的とするという発想自体が,サルのものかもしれない。」
「ライオンもやる。」
「知ってます,テレビで見ました」
「この場合の同族殺しの奪うべき資源は,発情した雌だ。同じタイプのものにハヌマンラングーンやチンパンジーのそれがある。最初に観察した日本の霊長類学者は,海外の研究者に観察時ストレスを与えたために異常行動を引き起こしたと揶揄された。その後淘汰圧が遺伝子や個体にかかるという考え方から進化的な適応戦略だと説明がされた。これは,同じ同族殺しでも子殺しというカテゴリーで,一種の個体の繁殖戦略だ。これを人間のような群れで他の群れを遅う同族殺しや資源を奪うための子殺しと一緒に考えるやつは素人だ」
「素人ですか。」
「素人だ。動物生態学の『ど』の『 ゛』すら分かってない」
「ライオンやの子殺しは,カテゴリーから云えば,雌側の流産と同じ,親の繁殖成功度を上げるための行動一行動に過ぎない。事実,雌ライオンは,群れを乗っ取った雄が自分の仔を殺すのをほとんど無抵抗で受け入れる。」
「人間の場合は,利益享受の仕組みが複雑で,また同族の死≒自己の適応度の増加ということではなかったりする。」
「だんだん,難しくなって,よく分かりません。」
ペイ・フォワードという社会的な実験の映画がありましたが,キル・アザーズという実験結果は,やらなくても分かりそうなもので,それで,答えに詰まるな,大人たち。
質問した少年は,ゲームの主人公よろしく,飽くまで自分は殺す側に立てると思って聞いているのだから,その聞いた本人の首がはねとばされるようなショックを与えるような答をなぜ教えてやらないのだろう。
もう一度やりましょう。
「戦争になれば人は平気で人殺しをするのに,なぜ人殺しがいけないのか?」
「そう決めないと,君はここにいないかもしれないよ。シミュレーションで良いなら試してみるかい?」ってね。
「簡単だよ。君が『今日は大人を質問でへこませたぞ,これってなにか凄い真理を突いたのかも知れない』って,意気揚々と家に帰るだろ。
『ただいま』って家に入ったら,お母さんが『お帰り』って。次の瞬間,『あんた余計な理屈こねて面倒な子供だ。馬鹿なへ理屈のまま私を殺すかも知れないから』って,いきなり包丁で君を刺して1回目のシミュレーションはおしまいだな。どう? もう一回やるかい?」
「で,そういう同族殺しのサルは,排除できなきゃいけなかったんだよ。身内殺しのサル自体も常に現れるけれど,人は産み落としたままで子供が育つ生物ではないから,進化的に安定した戦略として子孫を作り出すことはできない。」
「その人間が死んだかどうなったか誰にも分からない。二度とその社会には戻ってこられない。そういう刑があれば,それが,生物学的には同族殺しをするサルにおいて同胞殺しに相当する最も良い刑だと思う。今の世に生きる人間にとっては,無理な話だけれど。」
私の進化生態学的な頭では,「共同体グループ間で平気で同族殺しをする能力を身につけたサルは,グループ内では同族殺しをタブーとするルールを構築しなければ存続できない」からとしか答えようがありません。
ともあれ,社会性を基本とする動物における「追放」は自然界では基本的に死刑とは違うかもしれませんが,死亡率は高い刑のように思えます。現代に生きる我々では,村から追放してもマカオのカジノで大もうけして大金持って凱旋して戻るなんてことがあり得ますけど。そうなっちゃ困るから,一定の場所に隔離するということがされるようにするしかないわけです。カインのように永久追放されて再び戻ることは普通は許されないのです。彼は妻を娶ったとしらっと書いてありますが,何となく同族殺しをするサルグループを想定すれば,きっと起きるであろう事象と余り違わないような気がします。
人は,我慢しきれずにグループ内の仲間を襲ってしまったがために,戦争をするサルのグループから捨てられたどうしようもないミトコンドリア・イブをオリジンとしていないことを願うばかりです。まぁ,これは,いささかお話が過ぎますから信じないでくださいね。
人間は戦争好きのサルではありますが,それに負けないぐらい,共同体内は秩序が維持されて方が好きなサルではあると思います。問題は,この共同体意識を地球規模に広げることに成功しないと,人類全体の未来はかなりやばいということかと思います。そしてそのために,コーラを飲んでハンバーグを頬張って,ヒットチャートを聞いてという自分たちと同じ価値観・想定の範囲のなかに全ての人々を押し込まねば共同体意識をもてないというのであれば,まぁ成功する確率は余り高くないだろうと思えるのです。
ペットと暮らす住まいの話
http://blog.smatch.jp/drbutler/category_5/
念のためですが、ペットと暮らす住まいの悩みカテゴリの9/8、8/28、8/27です。
掘り返すなよ…とも言われそうですが、私には一番しっくりくる意見でした。