公陳丸物語
2006年 12月 04日
彼は,少し焦っていた。彼にかまおうと伸びてくる4つの手が,うっとうしさを増したのである。本日の塒と餌を探すため,公園を移動中,その大学生のカップルにぶつかったのだ。
南九州では,秋が短い。この後,急激な気温低下を,怜悧な彼は足裏の感覚から予想していた。放射冷却により,いきなり冬のフェイズに入りそうな南九州の夕暮れだった。
餌をくれることもなく,自分に暖かい寝床を用意する気もない,ただ,彼らの可愛いという無責任な感情の発露による時間つぶしの相手にされるだけだ。それは寛容な彼にとっても,少し耐え難いものになりつつあった。
もちろん,彼が探している庇護者に化ける可能性はゼロではないし,彼らがその庇護者のところに連れて行ってくれる可能性もゼロではない。
でも・・・と彼は,思った。彼らの目を見て,自分の反応を見て,無礼な触りかたのその手の動きが変わらないということが,自分の庇護者となる人間と繋がるチャンネルではないことを理解していた。
「ああ〜,可愛い。こんな毛色見たことな〜い。」
「俺の婆ちゃんちで,昔,飼ってた猫が,こんな色だった。」
「本当?」
「うん・・・ちょっと無い色だから覚えてる。親からはぐれたのかなぁ,こいつ。」
「可愛い〜。すっごく毛が柔らかい」
彼の毛色の不思議は,彼の母親が持っていたインヒビター(色減衰)遺伝子と,彼の父親であるアメリカンショートヘヤーにも似たグレイ・タビーとの組み合わせの妙で,時々出る毛色なのだが,もちろんそんなことはそのカップルには分かるはずもない。
彼の腹を満たす事のない,とりとめのない会話を聞き流しながら,彼は,どうしたら,この面倒な障害から抜けられるか一生懸命考えていた。本格的な冬が来る前に,いや,飢えて乾いて動けなくなる前に,自分は選ばれし庇護者を見つけなければならない。そんな庇護者がいるなんて保証ももちろん無い。見つからないときは,それまでだ。
冬期に離乳間もない子猫が自力で生きていけるほど,地方都市の市街地周辺のリソースは豊かではない。生存の確率は限りなく低い。そのまま動けなくなって,カラスに持ち去られて,死体を曝す時間すら碌にないだろう。
彼が,ヒト語を口に出来たら,すかさず言っただろう。
「同情するなら,メシをくれ。いや,やっぱりいい。それより,移動をじゃましないでくれないか。」,そして「どうか,縫いぐるみと一緒にしないで。」と。
ふと,その彼の四肢の小さな肉球は,公園に侵入した,別の存在の振動を探知した。薄暮の中,公園を斜めに横切る存在を,その黄色い光彩を持つ透明な目が捉えた瞬間,彼の内部の声は,既にタイムラグ無しで,彼に命じていた。
「行け。そうだ,行くんだ。まっすぐだ。」
彼は,カップルの4本の手のディフェンス・ラインをかわすと,小さな足をフル回転させて,まっすぐにその人影に向かって走り出した。
母親の元から離されて,まるで生ゴミのように捨てられた,まさにそのときから,彼にアドバイスをくれるようになった内なる声が,そこを通り過ぎようとしている者を「そうだ」と告げていた。
傍目には彼の動きは,全く唐突に映ったろう。カップルにも小さな彼にも目を向けることなく,早足で公園を抜けようとしていたその人影は,彼の動きに気がつくと,初めとまどったように,歩みを止めていただけだった。
「違うのか? いや,違わない。」
小さな彼が必死に縮めようとする距離に合わせて,彼を迎え入れようとするその暖かそうな二つの腕(かいな)を見たときに,彼の思いは確信へと変わった。
その時点から時空は移動する。20年以上前のとある漁港。一人の幼女が,船着き場の中を自転車に乗って走っていた。補助輪は取れていたが,彼女にその船着き場のコンクリートが拡がる先に海が控えているのは見えていない。自転車を制御するのに手元を見て,足でペダルを漕ぐので精一杯だった。彼女が自分の足で走る移動速度より,遙かに早い動きで,彼女は波止場の縁に向かっていた。こんなにスピードが出たのは初めてだった。ちょっと自慢できそうで嬉しかったが・・・ブレーキ?
大人だったら,何を考えて居るんだというような信じられないコースのまま,まっすぐに少女は自転車毎,漁船が数艘停泊する海に落ちた。もとより,彼女は泳げるはずもないどころか水に浮かぶ術すら知らない。瞬間,息を止めたのは単なる反射的な行動だった。でも,それが彼女が水に抗って出来る全てだった。
あたりに人影はなく,幼女が落ちたことに両親も含めて気がつくのは,数時間後,そうなって当然の状態だった。当時は,まだまだ親も子供ものんびりした時間の中で生きていたが,事故は普通に足音を立てずにやってきては,小さな命を奪っていくことについては,今も昔も変わらない。落ちた黒潮の暗蒼色の海面の下,そのまま自転車もろとも沈んでいった少女がやがて変わり果てた姿で発見される,そんな事件が小さな漁村で起きたとしても,何ら不思議はなかったのだ。
時間は,一瞬だったのか,それとも,とうに限界を超えていたのか彼女には分からなかった。でも,彼女は声を聞いた気がする。
「君だよね。そうだ。君にしよう・・・・」
気がつくとずぶ濡れの状態で,漁港の縁に立って,幼女は泣いていた。養殖餌による汚染が進んだ今の港と違って,潮の香りと呼んでも良い匂いに全身包まれたまま。
周囲には,ずぶ濡れの彼女を見て驚くような漁船の漁師の姿すら,なかった。
だれが・・・どうやって,彼女を見つけて引き揚げたのか。誰も知らない。
かすかに聞いた声の主は,『ネコダケから来た』と言っていた。‘ネコダケ’が何を意味するのか,分かるはずもない彼女だったが,泣きじゃくりながら家路に向かう途中で,ぼんやり,自分の人生に与えられた役割が,一つ増えたことを理解した。
そして尋常でないずぶ濡れの我が娘の姿に驚愕する彼女の両親の顔を見た次の瞬間,幼女は先ほど聞いた声もその台詞も,何もかも忘れていた。
でも,それは,それから20数年後のある日,託された義務ではなく,彼女に許された権利であったのだということを,その暖かい不思議な毛色の固まりを抱き上げたときに,一瞬のサイコ・トラベルの後,彼女は思い出したのだ。
彼女は,当然のごとく権利を行使した。
彼は,今も彼女の側にいる。彼女に伴侶が現れ,彼女の3人の息子達が生まれ,さらには,父も母も異なる彼と同族の兄弟姉妹が家族に加わっても。
あのときから,ずっと。
正確には分からない公陳丸の誕生日、そして妻のそれを祝って。
10年前に出会った公陳丸とワイフに捧げる。
久しくお見限りだった夢吉君の最新画像です。 まーりっぱな若猫になったこと。 道端に「落ちてた」時には、異臭を放ち、目も鼻もぐじゅぐじゅに塞がっていて、ヨレヨレのクタクタだったんですけどねー まー 立派になったこと、ねぇー。(どっかのおばちゃんモードに入ってしまった)。わんぱくな大食漢だという話です。 どんな猫であれ、おそらくはショーケースの中で、人々に見つめられ、大枚はたいて買い求められていく猫であっても、暮らすパートナーを選んでいるのは実は猫たちの側なのだろうと思います。C_Cさんのお...... more
彼は微睡んでいた。油と黴の臭いが充満した半地下のガレージの中だった。小さな窓から弱い光が差し込み彼の鼻先を照らしていた。 ふとした偶然から,ここに閉じこめられるという状況に陥ってから,3日目になる。切っ掛けは中で活動していたクマネズミの気配を追ってのことだったが,今では,鼠を狩る猫という天然記念物級の活動は,既に終了して,脱出口も見つからず,彼には,寝て状況の変化を待つ以外にやることがなかった。閉じこめられた夜は,遊びで転がしていた鼠たちは多少はひもじさを紛らわすのに必要な栄養源となったが,そ...... more
ウチで暮らしてたネコさんもほぼ拾いネコでした.
よく通学時に遭遇しちゃったってんで,そのまま授業をブッチしたこともあったなぁ...
ペット不可の賃貸暮らしが長くなった今も,(自己満足ですが)かばんの底にペットフードをしのばせています.
最近は遭遇しないのですがねぇ...
公陳丸くん,お誕生日おめでとー!いつまでもお幸せに!
公陳くんと同じく捨て猫だった君、僕と出会うまでの時間にどのようなことがあったのかな。
体育の授業をサボった罰として学校周りの草むしりをさせられたことで見つけた新しい家族、それは必然の出会いだったのかもしれない。
「君は、僕に連れられて帰ってから15年の間、幸せだったかい」
最初に抱え上げてから20年、もう君を直接抱き上げたりできないけれど、いつも近くにいる気がするよ
平井和正調だなんていっても,分からない世代ですよね。
ご飯を仕込んでいるとは,流石です。寒いシーズン,庇護者を見つけられた子は良いのですが。チコは元気いっぱい遊びに行ってます。餌食い放題の飼い猫の強みです。
皆様, COMPLEX CAT,初のフィクションはいかがでしたでしょうか。公陳が拾われた状況,ワイフが海に落ちて,正体不明の人に助けられたこと,この二つは,基本的に事実ですが,後は私の創作部分です。ただ,海に飛び込んで,彼女を助け上げたた方に,ワイフは,二度と遇うことが出来ませんでした。どのような方であったのかも謎です。
猫岳に棲む猫王の話など,普通の人は知らないので,なんだろうと思うでしょうけれど,分かる人にだけ分かればよい部分ということで,説明は無しです。
ワイフは泣いたりもせずに,けろっと家に戻ったそうなので,ちょっと話を変えすぎて失敗しました。そういう流れでも,別におかしくないし,彼女のキャラと少し乖離してしまいました。
去年から書いては消して作っていて,これを絵本にして,クリスマスプレゼントにしようと思っていたのですが,果たしておりません。本人には,アップする前に見せました。だから,公陳丸の年を一年繰り上げるのを忘れておりました。
彼は今,11歳です。
本日、カレンダー届きました。ありがとうございます。
なにより母親が喜んでいました。「これミーコ?そっくりじゃないのよ!」と繰り返し見ていました。ウチのはミューという名前だったのですが、いつの間にか両親の間ではミーコになってました。
12枚全てを机の前に貼って眺めています。
本当にありがとうございました。
無事について良かったです。