書き初め
2007年 01月 01日
Sony DCR-HC90, Carl Zeiss Vario-Sonnar 1.8/5.1-51 T*+RAYNOX 0.5X SUPER WIDE ANGEL LENS ATTACHMENT for Camcorder Mod. QC-505 動画よりスティルに変換。
Canon EOS Kiss Digital N, Sigma 3.5-6.3/18-200
Canon EOS Kiss Digital N, Sigma 3.5-6.3/18-200
某ネーチャーフォトグラファーが,アフリカで,勝負となる作品の撮影をされていたとき,1ヶ月あたり,1千万円近いサポートが必要であったそうで,一族の威信をかけての作品作りであったということを知りました。どの世界も甘い話はないわけですね。
私の生きてきた学問分野は,かなりリベラルな方で,一夜にして一修士学士が学会でスーパースターになることもあり得ます。ベースとなる教育や情報は必要ですが,基礎さえ与えられれば(というかみんな勝手に自分で勉強するものでした),自分で学会に行って発表して,権威とも直接自由にディスカッションできて,しかも,教授先生や特定の大学だけが持ち得るインフラに依存せず,海外での学会発表や論文製作に必要な語学力とパソコンをそれなりに扱える能力,専門書や論文コピーに投じるお金(これも,いざとなれば研究室のコピーという手もある。貧乏研究室でもそこまでは制限される部分は少ないでしょう)さえあれば,誰だって研究者として戦えるわけです。まぁ,鍛えてくれる刺激や図書館などの環境は,明らかにハンディはありますが。それも,一度経験していれば,今の世の中,niftyのbiosisとJOISの文献コピーサービスの組み合わせで,大学のインフラに依存しなくても分野で手に入らない論文は,ほとんどありません。ただ,コピー代だけというわけにはいきませんけど。
もちろん,遠く離れたフィールドに調査に出るにはお金がかかりますが,これは,現地にボロ屋でも借りて生活してしまえば,どこで生きても飯は食うし糞を放るのも変わらないわけですから,海外でのフィールドなどを考えなければ,教授先生が潤沢に研究費を握っている研究室に所属しなくても,ハンディは思ったよりは無いわけです(本当はガソリン代などは,かなり大きいですけど)。
この辺りが,研究室に所属するインフラや資料を使わねば,一行たりとも論文が書けないとか,教授先生の意向に沿わねば,その方の一言で学会発表が中止させられるなどと云う他の自然科学や某学会とは,決定的に異なるところで,学問分野それ自体がある意味健全である根幹部分です。最近は工学系など,ネタ探しに入り込んできていますし,遺伝解析などラボ・ワークも増えて徒弟制度が混ざりつつありますが,採材するだけの「フィールドワーク」とは違って,自分の足で這いまわるしかデータが取れない非効率的な分野は,文字通り,フィールドが自分の意志とは全く無関係にデザインされたラボになるわけで,ソフィティスケイトとされた研究分野の人間が誰でも入り込もうと考える世界では無いのかも知れません。まぁ海域は,センサー満載の研究室である船を使えるので,工学系分野にもなじむわけで,そっちは結構進んでおりますが,陸域では,メーベがあってもダメでしょう。要するに森林の中の任意の場所に移動して,そこで,生態的情報についてパラメトリックに測る方法が無くてはなりません。
海洋生物なら,プランクトンネットやトローリングなど,センサスにも近い定量化する方法がありますが,地中なども含めて,3次元的にどのような生物についても個体数をサンプリングする方法さえありません。人が歩き回って目視カウントするとか原始的な罠をかけるとかしかないのです。すなわち,人間がセンシングを担う分野であり,他の自然科学と圧倒的に違う部分です。シカやカモシカを熱赤外線によるカウントなどなど,技術革新を求めて研究者も手をこまねいているだけではないのですが,まともな論文レベルのデータが得られるところを見たことはありません。手法開発のネタ作りレベルです。
お金,人員の問題であると考える人たちが居るようですが,研究の意匠を十分理解した人間でなければ,ノイズになるだけですし,多くの場合,人海戦術を使ったデータでは,観察者自体が明確な撹乱源になっているものさえあります。
そう,年を取って体力が衰えればフィールドワークには限界も出てきます。安楽椅子生態学者を目指す場合は,数理生態分野か遺伝系などラボに走るという方法がありますが,フィールドでしかデータを取れないというテーマとなれば,老教授まで,テントで染み入ってくる雨に濡れながら,食事をするという生活です。少なくとも,私の恩師はそうでした。
勝手な偏見ですが,誠に健全だと思います。御陰で,こんな私のところにも,未だに英文の論文校閲が回ってきます。これこそが,分野のリベラルさを示す一番の証拠かも知れません。
書の世界も,そういった意味で,紙と筆だけの世界,似たような部分があるかと思っていたのですが,余人には分からぬ芸の深い部分を差し引いても,もう少し何とかならぬかなと素人考えをするのです。
分野の権威に一人は義理母の書の理解者がおられたわけなのですが,その方もお亡くなりになったということで,私としては,大変に残念な気持ちでおります。義理母の書にどれほどのものを見いだしてくださったのか,私ごときには想像も出来ませんが,経歴から拝察するに,創造の羽により自由にアートの世界を飛び回っておられた方のようで,その方の魂に義理母の神(しん)となるべき何かが触れたのでしょう。
飽くまで,私自身素人ですので,作品やその評論家の方の情報に関わることは,ご迷惑になると思いますし,ブログでは匿名としております私自身にも関わることですので,ここには記しません。勝手ながら,お名前なども秘したままにて,深く哀悼の意を表します。
ケロロ巧くかけてますね~♪ ホント実に特徴をうまくつかんでいますよ♪ どの世界も努力が必要なのは勿論ですが、資金が必要なジャンルって意外とあるものなのですね...若い頃録音機材等にすべて所持金を注いでいたので何となく判りますが、お金+それをサポートする人間がすぐその場にいるっているっていうシチュエーションも必要なのですね。
本年もよろしくお願いします。
昨年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。年賀状は昨日完成現在宛名書き中です。長~い目で見てやってください。そのうち届きます(笑)。
今年もよろぴくです。
本年もよろしくお願い申し上げます。