究極の水商売
2007年 01月 21日

長男が,先週,先生から「悪い言葉をかけると氷の結晶が変な形になって,有り難うとか声をかけると綺麗な結晶になるんだよ」というお話をして貰ったそうである。
そのときは,また例の話かぐらいにしか考えていなかったのだ。そう,かなり前に,波動とかいう勝手な商品名を使って良く話題になっていた「水からの伝言」,そのものである。
画像は,そういった水ビジネスの方面で,良く引き合いに出される屋久島の水である。
しかし,水のクラスターが実際は虚像であるという話も含めて,水ビジネスの問題を科学者の視点から明確にした水商売ウォッチングとその関連サイトをつらつら見ているウチに,この本を書き上げた著者と彼の怪しい製品群を売る会社と,国連総会の会場で講演を行っていたりした経緯や,自然科学に弱い国連の高官を巻き込んで学校の教育教材にも普及させようという彼の行為の進捗状況を見て,やばいと思い出した。既に都会では,収束し始めているかもしれない。批判サイトのデータを見ると2005年あたりが多い。地方都市では,こういうのもタイムラグがあって,良いものも悪いものも生き残ったりすることが少なくない。
その問題については,ここや, ここなどに,ちゃんと纏められたものがある。
この先生などは,相当なリスクをかけて戦うという状況に身を置いておられれるようだ。
家族全員大好きな担任の先生なので,とりあえず,関連の資料を全部出力して,明日,長男に持っていって貰うことにする。
農学部の先生でも,下手しなくても「この水は多分クラスターが小さくなっている」なんてことを平気で言い出す方がおいでだ。忙しいだろうけれど,今時ネットでの情報を見て,その辺り,産学共同をやる場合の重要な瑕疵を含んでいることを理解しておいた方がよいと思う。企業側(もちろんベンチャーが多いけど)の商品イメージのわけの分からない素人テキストに振り回されて,波動とかクラスターとかを使っている内に,どこに立っているか分からなくなってしまう人は多い。
こういうのは,本当の専門家が,どこかでかなり徹底的にそのインチキを明確に否定する形でつぶしても,数年経つと,
1)特定のマスコミに(本当は,ほとんどのと書きたいが)科学情報を理解する能力がないこと(新聞の書評の科学分野を見ると実感する)と,
2)何度でも繰り返し番組作りに使えるネタとしての価値があること,更には,
3)そういった事実を知らない次の世代が数年単位でカモとして浮上することから,ゾンビのように生き返ってくる。どっかで聞いた話を,上手くアレンジ(偽装)して再び商品(TVコンテンツ)として売り出す。ネッシー,UFO,オーパーツ,東北のキリスト村などと同じである。
件の納豆の話も,そういった領域の問題と同じセオリーで生じている。要するに,お客さんに対して無い夢を売る水商売である。いや,別にそれでも勝手に騙されて納豆食べて喜んでいて本人は幸せという考え方もある。だったら,どうせならもう少し上手くウソ着けよと思う。実態は集金システムだけの新興宗教やネットワーク・ビジネス,催眠商法並みでは,やはり困るのである。
自分の関連だと,竹内久美子氏がそうである。彼女の動物行動学野心家生態学などに根ざしたエッセイは,天才竹内久美子の・・・と天声人語にも引用された。しかしながら,やがて現代生態学,行動学を誤解させるという意味で非常に害悪も大きいということが云われるようになった。1990年代に先鋭の研究者が,科学雑誌で明確な批判を行った。これは本当に息の根を止めるために動いたのである。私の友人などは,これで彼女はとどめを刺されて終わりだと言ったが,現在は廃刊した科学雑誌などの影響力などしれている。その後は,まぁ,日本では,いや,海外でも上述のこともあって,売れる本を書いた実績のある人間をほっておくはずがない。
基本的には,物理学における柳田理科男氏のそれと同様トンデモ本である(その土俵で扱われるべきものということが「と学会編(1995)トンデモ本の世界,p59-64., 洋泉社」に載っているということが如実に表している)。私の彼女に対する感想は,一つ。彼女の場合は,自分で苦労してまともなデータを取って,真に学問として悩んだことがないという研究者としてのキャリアの欠損が,致命的な役割を果たしていると言思っている。どのように文献読破能力があろうが,実戦で全く分野の科学的思考のトレーニングを行わずして,研究者としての考え方を身につけることが出来なかった人としか申し上げられない。どのような研究者も,その分野でデータを取って解析して,悩んでいないと,勘はどんどん鈍くなっていくものだ。多分,そのこと自体を彼女は知らない。生物をしっかり見つめたことがない人がマクロ生物系の学会や研究室のコンパで盛り上がるネタレベルの話を,ポピュラーサイエンスのレトリックだという理由だけで好き勝手書いて,分野の専門家の顔をするのは,贔屓目に見てもあまり良くないと思っている。ドーキンスを引用しようが,ドーキンスレベルどころか,地道にデータを取っているそこらの卒論生にも及ばないと云うことを,読み手が理解したら,どうだろうか。最近の先生は,前の手痛い目にあったことを学習したため,ある程度は慎重になっているが,彼女の売っているものはそうなると商品価値が落ちるのである。ファンの読者から,前のような破壊力が無くなったという声があるようだが,まぁ,しょうがないところである。彼女のよく使ったネタが配偶者選択における左右対称性のアドバンテイジだが,これは,最近は高等動物ではほとんど否定されている。実際にヒトで左右対称の顔を作ると,不気味にしか見えないのであるが,このあたりの論理の過剰一般化が,彼女の商品作りにいつも付随する欠陥である。生物を眺めていないのであると感じられるし,実際彼女がそれを好きとは到底思えない。彼女のエッセイには,その辺りの自分で見た話が話がほとんど登場しないからである。それは,実際に研究している人間には敵わないことを良く理解しているのである。苦労してデータを取るそういった,よほどの研究実績とセンスがないと,安楽椅子行動学者や安楽椅子生態学者は務まらないのだ。専門があって無いような彼女のところにはもちろん論文校閲は行かないだろうが,私のようなちんぴらのところには来るからしょうがないのである。
進化論に関する読み物を書いているということで,マスコミ関係者に彼女と混同されて困ったという話を伝え聞いたことがある長谷川真理子さんがレイプの進化史に関わるRndy & Palmerの日本語訳本の後書きで,そのことはやんわり否定されている。識者として,一言触れていただいているだけでもありがたい。
もちろん,個人がどのようにメシを食うか自由であるが,分野の人間に害悪が大きいと感じさせてしまうのは,商売としては,あまり良くないだろう。専売公社だってタバコを売る商売を前面には出さなくなったのだから。
少なくとも自然科学教育後進国の足を更に引っ張るような行為は,止めて貰いたいものだ。でも,専門家は,思いこみの激しい,最低限の知識もない人間相手に,それがいかに馬鹿馬鹿しい考え方だと云うことかを理解させるというのは,並大抵のエネルギーでは出来なかったりすることを知っているので,黙殺することが多い。柳田氏の一連の著作も,物理関係者が見たら,まともな部分がほとんどないホントいうことだが,そんなことをいちいち指摘する専門家は居ないのである。勝手に書いて,勝手に勘違いした人が評価しても関係ない世界なのである。勝手に利用されたり,虚業ビジネスの講演者が,あそこの先生はこんなに理解度が低いとかネタにされる危険もある。皆,そんなに暇じゃないのだ。だかから,件の水ビジネスに関するサイトは,研究者,教育公務員としての良心の賜と考えて良いと思う。
まぁ,予備知識も持たぬ学生が感化されたりすると面倒くさいことになるので,そういった教育的資料という意味もあるだろう。モグラたたきのように,いちいち勘違いした学生に答えるのも面倒と云うこともあるので,あそこ見ろというようなページを作って,状況に合わせて新しい内容を入れて行くのは,合理的な方法である。
追記ーこの本を最も鋭く風刺した傑作がこれではないかと思う。「大阪大、まん延するニセ科学を見分ける機器開発」
あっぱれである。本気でその水が凄いと考えている人は,その水で(実際氷結するのは空気中の水分であるにもかかわらず)結晶作って写真撮りかねないところが,今のこの商売に関わる人たちの危うさであると思う。
追記ーこの水を飲んで,癌が治った,だからこの水を売ることにした・・・そういうプロセスでただの自然治癒の結果でしかなかった事例を過剰一般化して身を持ち崩した人の話を今から40年近く前に,畑正憲(ムツゴロウ)氏が,自身のエッセイに書いている。件の水ビジネスの主催者たちのサイトに行くと同じような話が書いてある。現代ほどすさまじい勢いで過去の情報が欠損している時代はないのかもしれない。修正主義は一定の効果を現す場合が多い,修正有利である。
改良を施しつつより巧妙且つ多面的に展開する方補を模索しながら,何度でも使えるネタは美味しいのである。

理科系と文化系の違いがありますが、写真(評論など)の場合、レベルがひくいな~と感じてしまいます。
昨日もまた納豆事件に関しての記事の中に紹介しました。
どこから見つけてきたかと言えば、
↑に「ここ」と最初にご紹介されているサイトで、
怪しい怪しい水商売本と比較して、
確かな情報を得る為の本として紹介されていたので購入したものです。
何が正しくて何が正しくないのか、見極めるのは本当にむずかしぃ~!
中枢部に食い込んでなければ,何でも好きにやってと思うのですが。結構な金も流れているようですし。
自分たちの世界でも,一回の立ち会い(ディスカッション)で,相手の力量は分かります。それが分かるということが分からない人が,ある意味で危険な人ですけど,分野の根幹的な部分に食い込んでいる人,結構おいでで,頭が痛いです。
水関係では,○○水の営業の方に,フリーメーソンの陰謀から,終戦間際の天才科学者,放射能除去装置,カタカナム超古代文書まで絡ませた壮大な話を3時間,クルマの中で聞かされました。師の知り合いで長距離送っていったので,逃げられませんでした。それだけ大変な装置なので,凄いわけですよ。参りました。
地道にデータを積み重ねている研究者の努力や苦労が見えなさすぎなんですよね.ワタシには出来ない苦労だと思うので,それだけで尊敬に値するのですが,そういった苦労が評価されないとしたら,原因は評価しない社会ということなのか,それを伝えきれていない研究者なのか,どっちだろうと思っています.
教育問題であるとは思うので,初等から高等教育まで理科教育をどのように教えるかと云うことの問題もあると思います。増え続ける知見や分野の広がりに対して,理科教育の現状はそれについて行っているでしょうか。むしろ受験に関係ない分野として生物など医学部受験からも切られたりしております。
初心者に分かるように書かれた優れた著作も,今は数年経つと廃刊です。現代はもの凄い勢いで情報が欠落していっている時代にも見えます。