過度の搾取 「不都合なモデル」
2007年 03月 01日
Canon EOS Kiss D N, Schneider-Kreuznach Curtagon 1:2.8/35mm
Canon EOS Kiss D N, Schneider-Kreuznach Curtagon 1:2.8/35mm
下の画もそうですが,クリックしていただくとこのレンズの細密感のある画質のイメージが伝わると思います。
Canon EOS Kiss D N, Schneider-Kreuznach Curtagon 1:2.8/35mm
現在の温暖とは少し異なる話ですが,自由競争社会では,技術革新を行うことで,地球の資源を有効に活用していけるのだという幻想がありました。そのままでも話を聞けば嘘や〜という感じですが,今から30年以上前に,その幻想が完全な幻想であるということをモデルで証明した仕事があります。
“The Economics of Overexploitation”/ Colin W. Clark。「過度の搾取」というキーワードを生み出したコリン・W・クラーク博士の手による,生態学と経済学のクロスオーバー領域を埋める,サイエンスに載った画期的なペーパーは,その後の特に長い歴史を持つEUではその社会や国家戦略,経済のあり方に影響を深く与えました。
Canon EOS Kiss D N, Schneider-Kreuznach Curtagon 1:2.8/35mm
このままでは人類は地球の資源をむさぼり尽くして消える。持続可能という言葉どおりのシステムを実現するために何をしないと人類が滅びるのか真剣に考えるための論理的根拠を与えたのです。多くの歴史ある国は、「歴史あるはずの日本」がバブルに浮かれる10年以上も前に,ある意味方針転換をしたのです。そして,彼の理論を無視し続けて平気なのは,先進国では皮肉なことに世界的に影響を与えた20世紀最大級の生態学者の一人といえる彼を生み出したアメリカという国の統治機構と,そのパンツを頭に被って走り回ることも時には平気な日本ぐらいでしょうか。いやこれに中国もロシアも加わってくるわけですね。
彼のモデルは,既に反証不可能という評価で,「不都合なモデル」とも言うべきものかもしれません。
でもね,アメリカでは,E・O・ウィルソンの「社会生物学」がどんな政治家の書棚にもあると言われたのと同様,
Natural Resource Economics: Notes and Problems
Jon M. Conrad, Colin W. Clark / / Cambridge Univ Pr (Txp)
ISBN : 0521337690
コリンの著作は,少なくともゴア元アメリカ副大統領の書棚ならずとも,上院下院の政治家の書棚にはあると思います。少なくとも,日本の政治家のそれよりはずっと高い確立で。
ちなみに,ゴアさんがエコロジストかというと,もちろんそんなことはないはずです。お勉強は出来るでしょうけど,アメリカの成功者において温水プール付の家がないはずはないわけで,我が家のような小さな風呂でも,湯張りするのも最小にして,家族で一度にどっと入るなんてことは,理解の外でしょう。有り難う。御陰で,胸が張れるよ。地球の神さまに跳び後ろ回し蹴り食らう順番にしても,私はゴアさんよりは後ろに並んでいても大丈夫なようです。
まぁ私も含めて,地球環境破壊を前にすれば,少なからず罪深い嘘つきでありますが,嘘つくなら,もうちょっと上手くつけよ。あの映像だけでも見事で,大したドキュメンタリーですが,自己の価値上げ,ピーアール以外の目的があるとは,およそ信じられない。ナレーションだけでとか,考えないところが凄い。
あの国では,多少なりとも環境政策の修正について影響を与えるには,彼を担ぎ上げるしか手がないのかな。
彼の発するものとあの映画のテーマは相容れないものがあります。彼自身が,大いなる矛盾を抱えた存在というのが,今のかの国の現状を如実に表しているでしょう。
政治屋は,学者は自分の説で勝手なことを云うと言いますが,日本では,いまだかつて科学的な論証に基づいて,政治家が何かのアクションを起こしたことはないような気がします。登用されるのは,首をかしげるような提灯の方が多いように感じます。そうでない方が諮問委員会などに入って正論を述べられるとその委員会が消滅させられたり,科学的根拠に基づき政策が進められる例の方は,ほとんどないのではというのが,私の個人的な印象です。このまま資源を使い続けても大丈夫だと言い張るならば,Colinのモデルを反証してからでないと,本当は理屈としては嘘なのですが,そうはならない。
そして,EUのいくつかの国は,彼のモデルを前提に国の進め方を考えるようになった,今から30年以上も前,日本が万博の景気浮かれていたけれど,公害問題が深刻になって,当時ガキだった私たちのほとんどが自由研究で公害をテーマに選んでいた,それでも,何となくバラ色の未来が予想できた,「20世紀少年」の時代に。
Canon EOS Kiss D N, Schneider-Kreuznach Curtagon 1:2.8/35mm
このレンズ,平凡なスペックの広角にして,古いレンズですが,大変気持ちよく撮れます。給餌された鰯のかけらを探してトビが低空で飛んでいたり,その向こうのトビにはカラスがモビングというか,からかって突いた後,「ピンポン・ダッシュ」しているのもちゃんと写っております。
もちろんマナヅルも。
Canon EOS Kiss D X, Sigma 3.4-5.6/18-200 APO
Webを拝見していると温暖化否定論者というのがあるようですが,基本的に,温暖化が人間の産業活動を基本とする二酸化炭素放出によるかどうかということについては,実際まだ結論は出ていません。というか,「調べれば調べるだけ未知の要素の存在とその挙動が未知であることが分かってくるだけ」という状態のようです。ここでも理由はともかく,温暖化は間違い無い話というスタンスで,私としては扱わせていただきます。個人的には二酸化炭素を犯人としないけれども,人間の活動とは無縁の完全自然現象だという考え方は,やはり無理があるのではないかと思います。で,1000歩ぐらい譲って,いや全く人類が何をしようと関係ないよ,ということになっても,資源をどんどん使ってエネルギーをどんどん使って人間が自由競争の果て,何をやっても良いという考え方の先に未来があるか無いかと云うことに対する価値観の違いかなと思います。あるいはそういったことでブレーキをかけられると利益が得られなくなるという恐怖が強い立場か,そこまでして,富の蓄積,乱獲進めたくない,それはやばいのではないかという立場かという違いとして,考えてみると,二酸化炭素が全く関係ないとしても,今の方向では,そういった未知の現象であっても,それに対応できるようには人類は進んでいないという判断から,温暖化対策に価値を見いだす立場です。
自分の体がやばそうだったら,とりあえず,徹夜して深酒しない,生活習慣を改めるという庶民的な発想ですが,それが全く別の要因,例えば近くに放射能発生源があったとか,アスベスト毎日吸わされていたとか,自分の性ではない外的要因のせいである場合もあるので,科学的根拠がないということになれば,無意味だという考え方は,ある程度は理解しましょう。
しかし,無意味かどうか判別が着けられるのは,とりあえずやれることをやってからというものでしょう。そのための手順の中に,今の温暖化対策が不必要であると証明できねばいけません。科学者の実験ったって,あらゆる可能性を調べ,時間を無限に使えるわけではありません。最初の仮説と実験デザインの方向性を決めるのは,その時点では科学者のセンスというべき一種の直観ですが,その直観は得られている情報から有機コンピュータにより結果が導き出されるもので,更に間違っていても,それによって修正可能な情報が得られるかどうかということが検証の手順におけるデザインには重要になります。で,とりあえず,排出量を減らしてみんとどうしようもないと云うことではないかと思います。
もちろんそのアプローチに関しては,莫大な研究費への配分と被害対策への配分などとのバランスもあるでしょう。温暖化対策と銘打てば金が流れ込む仕掛けができてしまっていることも確かです。温暖化問題は,くくりやすいし政府・行政が目標値を設定して,仕事しているように見せやすい(可能である目標値であるかどうかはここで無関係)局面であるけれど,環境問題の一面でしかないことも確かだと思います。
爺婆や,良い年したおっさん,おばさんのことなど考えません。子供達のことを考えます。そんな二酸化炭素がどうこう言ったって,原因説が怪しいのなら,今まで通り,なんにも考えずに暮らそうぜなんてことは,親としては口に出来ません。二酸化炭素犯人説に目的化してしまった研究もあるでしょうけれど,やはり,最終的には自己否定になっても原因を追及するためには必要な作業も現在の研究には含まれているでしょう。温室効果ガスはべらぼうに種類が多いですから,それらを全て消す勢いで,同等のエネルギーをかけていく必要もあるでしょう。それで,間違っていたらごめんなさいですよ。私が子供なら許すよ。病因が分からなくて必死で親が探し求めて戦ってくれて,とんちんかんな方向であったとしても,結果的に間に合わなくてもね。そのときは子供が許してくれないかもしれないけど,懺悔だよ。でも,懺悔できるのは,多分違うからと可能性の検証を行う行為から逃げる人間には出来ませんな。
神ではないので,京都議定書にある温暖化対策の方法論がおかしいとは,私としては思えないのですよ。もちろん,二酸化炭素が主原因ではないということを証明できるような素晴らしい仕事が出てくれば,それは最高です。いや,いっぱい既にありそうな勢いだというのも,理解できます。しかし,地球温暖化の主原因について温室効果ガスとしての二酸化炭素を前提にした研究そのものが,嘘と言い張るのであるならば,科学者としては,それ以外の要因により,温暖化が生じていること(現在これについては否定する人は少なくなりました)を証明するのが,科学者の戦い方だと思いますが,いかがでしょうか。二酸化炭素ビジネスに金が取られすぎて,廻ってこないって?
それを確実に治せるかどうかという医者は分からず,苦しがっている子供を見て,いろいろ考えるだけの手を尽くすしかない親を理解できない人が,「ああ,そんなんじゃダメだ,それやっても無駄無駄,この子供死ぬな」とか,横目で見ながら偉そうなことを云ってないか,と思ったりする今日この頃。だったら,貴方,治してみませんか,どうすりゃいいのか貴方に提案できるとは思えませんが,治せる方向をちゃんと探索できる方法論でも良いから示せないのかな,その努力をする気もないの。あるいは,地球温暖化が人類にはどうしようもない不治の病であることをちゃんと証明して,その場合にどうすべきかという方向に早めにエネルギーをかけられるように動いてみてはいかがでしょうか。そういった提案が何一つ無い温暖化否定論者というものを,私は信用しないというのが,私の考え方です。お前(地球)は病気じゃない。人類がつがつ資源を使ってがつがつ二酸化炭素を吐き出しても大丈夫というのなら,やはり所見の相違かもしれませんので,そこのところが違ったらこれは物別れですね。
それを示せる素晴らしい温暖化否定論者を見つけたら,ちゃんとここで取り上げたいと思います。名医かもしれないと思いますよ。ひょっとしてターミナル・ケア(終末医療)に近いかもしれませんけどね。それが真実なら,それと面と向かってつきあわねばならないと思います。
今は環境問題=地球温暖化に振りすぎという気がするので,あえて話が微妙にずれることを承知の上で「過度の搾取」のアーティクルとしました。もちろん環境問題は,多面的且つ相互に関係していますので,例えば温暖化と生物多様性の減少や資源問題とを切り離すことも難しいのですが,Colinのモデルは温暖化など端末な問題と思えるものです。さし迫った問題として,氷河が崩れ落ちるシーンはとても効果的でスペクタクルですが,二酸化炭素さえ出さなきゃ,人類はとりあえず何しても良いという考え方への誘導がここで生じるなら,危険であるし,一種のカルトだと思います。コンクリートで固めて,無計画にクルマやオフィスビルを建ててエアコンバンバンかけている街の熱波を,温暖化のせいにするのは,私も許し難いことだと思っている今日この頃です。