Curtagon 35mm with Kiss D N part2
2007年 03月 04日
Canon EOS Kiss D N, Schneider-Kreuznach Curtagon 1:2.8/35mm
おお,こいつにもハモグリバエが入るんだ。
Canon EOS Kiss Digital N, Schneider-Kreuznach Curtagon 1:2.8/35mm + Pentax Auto 110用クローズアップレンズ
Curtagon 35mmの口径が小さすぎて,いつも使うRaynoxのマクロコンバージョンレンズが填らず,代わりに持ってきたのがAuto 110用虫眼鏡レンズ。天の邪鬼のなせる技。
こういう忙しい状況で,犬と猫の保護に関するNGOの友人から依頼されていた原稿の締め切りが迫って,アイデア出ず。結構悩みました。
そういった会誌への文章は,書くのは嫌いじゃないので気楽に引き受けたのですが,500字という文字制限以内に納めるのが,これまた冗長な文章になってしまう私にはかなりの努力が必要。ここに書いてきたことの切り口を変えればと思ってタカをくくっていましたが,キーボード叩けず。ようやくやや文字数をオーバーで,メールでお送りしました。本業の分野の原稿書くときよりも悩みました。
ブログを拝見していると短い文章ですぱっと切って落とす,情報も正確で,意見も整理されている,そういった文才のほとばしるアーティクルを拝見すると,良いなぁと憧れるのです。しかし,私の場合,残渣のようなテキストを捨てられずに,まぁ最後は覚え書きだからということでこれでいいやと,終わるのです。
画像は,長男が通う小さな空手道場です。今時のリスキーな人たちに対応できるノウハウが身に付くかどうかは全く別問題です。
Canon EOS Kiss Digital N, Schneider-Kreuznach Curtagon 1:2.8/35mm
刑法三十九条に関わる話は,40年以上も前から問題視される一方で強力にタブー視されているのか,それとも,専門家から見ると大いなる勘違いを助長するから押さえられてきたのか,私には分からないところがありますが,ともあれ,弁護士の作戦の中に,この心神耗弱を主張するという戦略があるようです。最悪時間稼ぎして,その間に被告に有利な材料や突破口を探すと云うことなのでしょうか。弁護士の仕事は,方が適正に行われているかということを監視する目的としているなら,それで全くかまわないのですが,こじつけたりするような行為があれば,それはまずいとは思います。
「怪奇大作戦」復刻LDでもこれをテーマとした24話「狂鬼人間」は回収され,永久に葬られてました。愛する人を殺されたけれど心神耗弱で犯人は無罪となったことに怒りを感じた女性が意図的に心神耗弱を作り出せる機械を使って様々な人に復讐を遂げさせるという話です。
驚くべきことにYouTubeで見ることができるのに少し前に気がつきました1,2,3。物議を醸し出したため永久欠番となったウルトラセブンの第12話もYouTubeでは著作権違反ながら見られるので,ひょっとしたらと思いました。
内容は,昭和40年代,お世辞にも大人の鑑賞に堪えうるSFドラマとは言い難く,昔の円谷作品マニアのものですが,微妙な問題を描きながら,夢想されたことはよく分かる話です。
諸外国と違い,ずっと,タブー視されていると云うことの意味がなんなのか,法律音痴の私には分かりませんが,有責性を前提にしたEU諸外国の法律を考えると,日本では裁判の実務の流れが,そのレベルにあるというだけで,刑法三十九条を問題視すること自体が混乱を招くという考え方もあるのを知りました。難しい。
家族を襲ってくる人間が居たら,そいつが心神耗弱であろうと無かろうと全力で戦うのみです。守れなかった場合,後でそいつが死刑になろうが,どうしようもありません。自分の性格だと,後先考えずに仇討ちに飛び出そうですが,奪われた命は帰ってきません。そういう意味では,私は人を殺した人を国家が殺すという死刑に意味を見出せないので,積極的な賛成派にはなれない。ただ,そういった犯人が,累犯を重ねると云うことになるならば,徹底した拘束や管理がなされない今の状況は,法的に不整備なのかないうことかと思います。
追記-1
こう書くとミーガン法とかの絡みもでてきちゃうんですよね。昨今の状況を考えなくても,論議し尽くさずなんとなく決まっていく流れを感じる日本においては,その方がむしろ恐ろしさを感じます。
異常性は,日常の舞台でいきなり牙をむけるというところがミソで,そこは武術的な精神制御の理想に近いものがあります。「仏に遇えば仏を切り,神に遇えば神を切る」ということで,殺人の抑制が外れた人間相手には,仕掛けられるタイミングも含めて少々の心得があっても護身は簡単ではないと云うことは肝に銘じておかねば成りません。
暴力事故防止ケア―患者・看護者の安全を守るために
鈴木 啓子 / / 精神看護出版
ISBN : 4902099810
精神看護が必要な相手に対する一種の護身術,保定術についてのマニュアルです。以前精神科医の先生の書かれているブログで紹介されていたので購入して,何を護身術のベースとして使っているか見たら,やはり合気道でした。日本少林寺拳法≒八光流
件の女性修行者の話で言えば,使えば当時のそのまんま東氏に怪我を負わせると感じた部分でも動けなかったのではないかと思います。実戦で思いっきり使っても大丈夫だと思えないと使えませんので,そういう意味でも稽古のやり方は重要だと思います。
だから,相手を怪我させることなく制するという開祖の考え方は,人の国にあっては終局的には正しいのだと思います。他の武術本同様,多くの方が,この本を読むだけでちゃんと対処できるものとは思えませんが,それなりに工夫して対応する限界を感じた結果,武術の講師を招くなどの話に発展すれば,有益な本かもしれません。
中国武術の擒拿術,捕縛術も,古式の空手同様,各門派の体系の中に組み入れられています。一般にナイフなどを持った暴漢相手ではつかみかかると危険という考え方があってその通りなのですが,これは実は当たり前ですが,一方でニューヨークの治安回復に一役買ったNPOガーディアン・エンジェルが実戦では柔道が役に立つと言っています。実際は,武器への対処ノウハウは必要なものの,つかみ合いから相手を制御する戦闘体系がないと,相手が凶刃を持つような実戦ではとても危険なのです。鬼のようにナイフで突いてくるのに合わせてカウンターがとれるというのは,よほどの勝負度胸がないと少々打突系格闘技を囓っていても無理です。もの投げて様子を見ろと書いてあったりしますが,距離が0でいきなり始まる場合もあります。一点体が接触するか,その前の段階から相手が攻撃できなくなる状態に持っていくための崩しが必要です。剣道のような高次のレベルではない,ただのチャンバラのような棒を持ったたたき合いや銃の撃ち合いには,この崩しが存在しません。中国武術においてやがては発勁よりも化勁に重きを置くのは,合気道の目指した境地と同じです。それに,相手が心神耗弱であっても怪我をさせれば,面倒なのはやはりこちらなのですから。この化勁をきちんと教えてもらえる体系は,ほとんど公にされていません。私の場合,崩したり叩いたりして見せた後,ガチに固定した腕相撲などでは,驚くほど力がないので良く人に驚かれます。そのレベルで,ちゃんと使える人はいるのですが,井桁ではなく,蝶番モデルに封じ込まれて勝負しなければいけない場合,応用が利かない私にはどうして良いのか分からないのです。
ともあれ,異常を素早く察知して的確に反応できるか,そこから離れるか,あるいは有利な位置に移動するということが実際の日々の生活における護身術では一番重要なことかなと思います。自分が,その部分,ずーっと鈍ってきているのを自覚する日々です。
件の事件のように,親の観察が及ばないことが前提の学校や塾などでの子供への加害は,通り魔による街角での事件よりも責任の所在を深く求める必要がありますし,心神耗弱であろうが無かろうが,許されるものではないと思います。ここで心神猛弱という言葉が出てくることに,ある意味弁護士という仕事の大変さを感じますが,専門分野の方はどうお考えになるのか,私には分かりかねます。ある意味そこが焦点になってしまったことで,社会問題として見えなくなるものは多いと思います。
とりあえず,今の平和な風景が守られればと手裏剣ぐらい平気で打つかもしれませんが,そういうのは,変なものを呼び込むので師には止められております。でもね,いざとなれば,打ちます。それが,ささやかな覚悟。ただ,それは,一方では一生使わないようにするというのが,武の本懐だと思います。ややこしいけどそうなるのかなと。
怪奇大作戦、何となくしか知らない世代なのですが、YouTubeは凄いですね♪ 真面目な話ですが、私も何か護身術やっておけばよかったかなと思います。
ほうれん草買って、どの葉にもびっしりいて どうみてもこれはムシだ と気がついて、食べられなかったことがあります。
異常な気なんて 多分私はぜんぜんわかんないで日々街を歩いているんだろうなぁ…。
異常な気,一度だけ感じて難を逃れました。やはり稽古していないとダメですね。
変なものを呼び込まないように,どうか十分注意されてください。
こうやらないと撮れなかったのですが軸線がずれた結果です。
ただ、私はまったく心得がないので、ぞわっとして離れるといってもその際に「ヘンなもの」を挑発、誘発するような気は発していないでしょうが、なまじ心得のある方は、瞬時にして相手のアンテナにびびっと触れる「気」を発していそうに思います。
まぁ、私は多分今まで 非常にラッキーなことに、ホントに危ない輩の隣で座っていても、すれ違っても なーんも気付かずにやりすごし、危ないヒトも、たまたま私に対しての攻撃にスイッチが入らなかっただけだろうと思います。
…本、買ってみようっと。
私も青年期,性的なハラスメント対象に選ばれたことが3回ありましたが(多いですかね。2回は考えるまで忘れてました),何とか難を逃れました。というか,無防備の状態から怒りもろとも蹴りを急所に入れるのが順に上手くなりました。彼らは,やはり悪戯なんでしょうね。いきなり私のマックスの殺気をぶつけられるという反撃に,全く対応できませんでした。皆,大声で悲鳴を上げるのです。そうそう,あれでスイッチの入れ方が分かるようになりました。初対面で私が躊躇なく後ろ回し蹴りを仕掛けた師は,そういうのは才能だと,その部分だけは褒めて下さいました。下手すると,殺されますけど。
私の知っている格闘技3人集は,趣味で絶対に,誰も手を出さないってという見かけで「俺を襲え,襲ってくれ〜」ビームを発しながら歓楽街をうろうろしていましたが,そのような分かりやすい餌には,誰も引っかかりませんでした。襲う方も馬鹿じゃないということがよく分かりました(笑)。
はい、そのとおりですー(^^;
そう言うときには、犠牲者を見捨てるのも忍びないので、じいいいいいいいいいっと穴のあくほどその人を見つめます。大抵は気がついて手を引っ込めて次の駅で降りてゆきます。(隣の車両へ行くだけなんだけど)たまーにガンとばし返されることもあるんですけど、それでも怯まずじいいいいいっと、見つめつづけ(まるで痴漢さんがそこにいないかのように視線を受け止めずに見つめつづけるわけです)ていると、気味が悪いらしくやっぱりやめます。
だけど、最近はラッシュに乗らないし、そういう人も見つかったら人生終わりになっちゃいますから、もうかなり少ないのでは。
さっきを外しながら、相手の居心地を悪くするという高等技術ですね。最近のなにかの雑誌で見ましたが、アンケート結果では、女性の痴漢被害に関して、驚くべき高い数字を示していました。そういう輩は、そういった考え方をしないのでしょうね。
状況は変わっていないと思います。