チコとお招ばれ
2007年 05月 25日
というわけで,お向かいさんのバーベキューをチコと眺めていたら,c_Cさ〜ん,飲みませんか〜と声をかけて貰って,お招ばれに。
Canon EOS Kiss Digital N, Carl Zeiss Vario-Sonnar 1:3.5-4.5/28-70 T*
ノーファインダー,ノートリミング。夜間での野生動物を捕る経験の結果,標準AFレンズでは,シャッターチャンスは,外すことが多いのが分かっています。ヤシコン使っていて良かったと思うこの写り。
Canon EOS Kiss Digital N, Carl Zeiss Vario-Sonnar 1:3.5-4.5/28-70 T*
幼児組には,チコはニャンニャ〜ン!と受けてました。チコをだっこして,少しだけ触らせてサービス。ただ,大人が多いと,チコはやや警戒するようです。
君は,ガメラか。「子供の味方だ,大暴れ♪」って,唄がありました。
近くまで来くるのですが,そこで座って私が酒の無のを見ながら,焼いて貰ったシシャモを食べたり,1ブロック離れたところにお住まいの奥さんに撫でて貰ってました。そういえば,この子よく来てますって(汗)。
Canon EOS Kiss Digital N, Carl Zeiss Vario-Sonnar 1:3.5-4.5/28-70 T*
この宝山,美味しいです。
とりあえず,引き揚げ船のようなフェリーで港に着きました。なんと,自衛隊まで乗っていて,込むはずです。
Fujifilm FinPix F11
日本の軍事予算が現状なら,小隊の移動も民間のフェリーなんです。そこを狙われたりする可能性を警戒するようなことがないということで,ある意味,平和をかみしめると云うことでしょうか。空港までクルマを1時間以上かけて取りに云って帰宅。本日は,ワイフがPTAと担任との会食会で,息子達,食べさせて,これ以上は,何も出来ないと思ってましたが,いそいそと。
沖縄航路の船に久しぶりに乗りました。この航路については,学生時代ずいぶんお世話になりました。当時のクイーンコーラル2は,今は8に進化してます。残念ながらそちらの眷属ではありませんでした。そっちだったら,1等船室を確保できるつてもあったのですが。
ちなみに,日本のフェリーは,退役すると東南アジアなどで使われたりします。「さんふらわあ11」もマニラーセブ島に就航するフェリーとなってましたが,1998年9月19日、台風7号の嵐の中を航行中に沈没し、死者51名、行方不明者216名を出す海難事故でタイタニックしてしまいました。友人がクインコーラルと勘違いしていてその話を信じていたのですが,調べ直してみると,クインコーラルではなく,私が昔,バイク載っけて旅行に使っていた船の方でした。
船の通路や食堂に臨時に作った60cm幅の就寝スペースといっても,フィールド調査でテント生活の長かった私にとっては十分なスペースで・・・爆睡しました。人の看病で,病院の待合室の床にシュラフで半月以上泊まったこともあります。雨露しのげて,マットを敷いていても雨がしみてくる石だらけの地面の上に寝なくて済むので,全くなんてことありませんでしたが,病院関係者は,ブッシュマンを見るようにびっくりしてました。美人の看護婦さんの一人が,毎晩,安置所の死体のようにも見えるシュラフの私の姿を見て,泣いていたそうです。一度は,寝ている私の所に来て,毛布を掛けてくれたようで(実際はオールシーズンシュラフを室内で使えば,冬でも凄い暑いのよ)フィールド・ワーカーやっていて唯一得した場面です。
娘さんよく聞けよ,フィールドワーカーには騙されるなよ。
ちなみに,これは私が植物生態系の研究室で最初に研究生活を送っていた御陰で鍛えられたためです。植物生態では,いかに長い時間現地に滞在するかで得られるデータがどのくらい稼げるかわりと明確ですので,教授以下,全員,調査プロットの側でテント生活をするなんてスタイルは結構普通にありました。今時は,マクロ系生物の教官どころか学生さんも贅沢になってまともな宿泊施設に泊まらないと仕事にならんとか云う人たちもおいでですが,これは,どのくらいの投資に対してどのくらいまともなデータが取れるかが明確でないということになっている一部のヤクザな動物生態の研究室のエクスキューズで,軟弱の極みです。嘆かわしいことです。パソコン使えない〜なんてのも言い訳で,昼はテントの外に太陽電池パネル置いてチャージすれば,今時の高性能パソコンなら,夜,データ打ち込みぐらいの仕事するのは大したこと有りませんな。フィールド,ずっとこもらんかい! なんて,私が本気で指導教官やったら,学生さんは逃げ出すでしょうね。
Fujifilm FinPix F11
いいですね、チコやんとお招ばれ♪
猫と飲みに行く猫馬鹿も少ないと思います。
抱いた彼を少し触らせたこともあって,小さな女の子が,ずっと彼を呼んでいました。
また,よく一緒に山に入っていた教官が,ネパールなど,本格的な山行経験のある方で,その方からもいろいろ学ぶ機会がありました。日本ですし,特に生命の危険を感じなければ,ミッションさえなければ,何にも感じませんで,楽勝です。