家に帰るために
2007年 10月 24日
少女を刺したような輩が相手なら,習っている初級レベルにも成らない空手使って戦えなんて,ほとんど絶望的な話なのですが,全く話をしておかないわけにはいかないので,お風呂で,長男には空手少年なりに勘が働くようにいろいろ伝えました。
1)相手の挙動をよく見ること。手に持っているもの,懐,ポケットに手が伸びたら注意。自転車のすれ違いざまも,よく見てね。周りにどんな大人が居るか,時々で良いから観察してごらん。歩道橋などは,距離が取れないスペースだし,どんな人が歩いてくるか,人の動きをよく見よう。
2)相手の間合いの変化に注意すること。いきなり距離を詰めるなどおかしな動きをしたら,それに合わせて間合いをとろう。
3)気合いで培った大声を上げて助けを呼ぶこと。
4)練習で培った足で逃げること。逃げたらコンビニでも,人の家でも良いから,人気のあるところに飛び込むこと。
5)どうしても逃げられないときは,ともかく相手の動きをよく見ること。
6)前蹴り(金的難しいので間接蹴り)で,間合いをとること。上段蹴りはまだ駄目。大人には届かないし倒される可能性を最小化する。近づかせないようにして,大声を上げる。動きながら叫ぶなら2語が叫びやすいので「ひと」・「ごろ」・「しぃ」とか,なんでもいい。
7)組み伏せられそうになって,顔が近かったら,指でぱっと相手の眼をこすっても良い。眼球に突きを入れる。仲立ち一本拳。
8)ともかく距離をとること。
9)ランドセルでも給食袋でも何でも振り回して,時間を稼ぎ助けを呼ぶ。
本当の命がかかるピンチなら戦うしかない。抵抗するのが吉と出るか凶と出るか分からないけど,子供の心臓めがけて刃を上に向けていきなり刺すことが出来るような輩の場合,必死で抵抗するしかないだろうと私は思いますし,ともかく相手が仕掛ける間合いに不用意に立たないと云うことしかないでしょう。
あまり怖い話をしてはいけないね。まだまだ平和な日本では,そんなことは一生の間,無いと思って良いよ。でも,もしも,その瞬間が来たら,家族と自分のために戦いなさい。お前は空手を学ぶと云うことを選んだが,それは,武を学びながら生きると云うことだから,そこに立つことから逃げては,空手は理解できないのだよ。せっかくの機会を与えられたのだからね。武とは刃(本当は矛)を止める盾なんだよ。お父さんも,もしも襲われるようなことがあったら,どんなことをしてでも,お前たちの待つこの家に帰ってくるつもり。そんな話をしました。
空手を護身術として考えると,空手が得意とする戦い方で戦うのが一番です。カッターナイフで襲われてコンビニに逃げ込んだK-1選手が居ましたが,空手は本来は,護身術です。その違いは,格闘技に慣れた眼だと案外分からないものです。
武器を持った手自身に攻撃をかける。固める。この場合,防具を着けての組み手による戦闘法よりも,本当は型の方が役に立つけど,長男はまだそのレベルじゃないから上のリストになります。
やってみれば分かりますが,ナイフ持った相手には,回し蹴りを入れるというのは,さっとナイフで払われたりしたら相当なレベルじゃないと危険です。それと引きの早さも,手や足を切られたりするようなことを想定すると,絶対に必要です。直線的な蹴りで金的か膝。意識が下に行ったら,眼。金的も眼への加撃も相当な練習が要ります。もちろん通り魔が女性だったら金的は使えません。その時は鳩尾や下腹部,膝を砕くのが一番良いのです。会陰と肛門の間の急所に「釘脚」を入れる使い方もありますなんて,中国武術の本にはしらっと書いてありますが,これ,相手を一度,接触過程で崩さないと普通は無理っす。
次男以下は,無理なので,いかのおすしを確認。もちろんc_Cバージョンじゃないですよ。
加古川の事件も,猫が先に犠牲になって,警告を発していてくれたのに,その時点で徹底究明して,学校も警察も警戒レベルも上げていればなぁと思います。猫が殺されたぐらいで大騒ぎできないのはよく分かりますが,猫ぐらいという感覚は私にはありません。その時点で最も危険で,捕縛すべき人間が,徘徊しているのだと認識します。絶対にその時に犯人を見つけないといけないと思う。中型獣ぐらいになると,殺そういう場合,相当な抵抗に抗して凶刃をふるわねば成りません。
普通の大人では,実際,精神的にも,先ず無理です。獣医学科の学生さんに,麻酔も空気注射も無しで,ナイフ一本渡して猫を殺せと云われたら,みんなその場から逃げ出すでしょう。もし殺された猫が人間好きで,慣れていたとしたら,そういう無防備な愛情を表現してくれる存在を平気で殺せると云うことは,小さな子供などにも平気で凶刃を振るえる可能性が高いと云うことです。結果的にその人間が,その後,人間相手の事件を起こすかどうかは別問題ですが,本来なら警察は全力で猫殺しを追わないといけないというのが私の持論です。ちなみに,昔だったら,そういった今時信じられない悪さをする人間も,完全人格破綻者でなくても居ることは居ましたけど,農家で鶏締めたり,ブタを屠殺したり,という状況が一般的に珍しくなかった時代のことですので,今,猫をナイフで切り刻む人間の行為とは同列には扱えないと思います。命を頂いて食べるとか,生活するする行為とは無関係に,それなりの大きさの動物相手に殺生をするという行為が可能な人間は(まあ実験動物系や獣医系のカリキュラムに関わる型は例外ですが)どこか壊れていると私は思っています。
人間は学習とトレーニングによって,殺傷能力が明確に具体化します。実地練習をやっている人間は危険です。猫で殺害要求が止まるという保証がなければ,鳩や猫の次に襲うのが簡単な対象と来れば,次の攻撃対象は考えなくても分かります。もちろんいきなり,拳銃持った警察官がターゲットに選ばれたりすることもありますが,確率的に何が起こるかと考えれば,自ずと答えが出ます。
猫の無惨な死を無駄にしてはいけなかったのだと思っています。
本当に悔しい話です。後数歩だったのに少女は彼女を温かく待つ家に,無事な姿では帰ることが出来ませんでした。一刻も早く犯人が見つかり,少女の魂が安らかに眠ること,御遺族の悪夢に一つの終止符が打たれて,些少なりとも苦しみが薄らぎますことをお祈り申し上げます。
あんなに痛ましい事件に遭遇するとは絶対に許せません。
怒りでいっぱいです。 外的な脅威から我が子を守るために
こんな事も話しておかなければいけないとは今の世の中
どうなってるのでしょう。 人の命の重さがあまりにも軽んじられて
います。 強く立ち向かえない子には大きな声で泣きなさいというのも
一案と思うのですが。
強く立ち向かうのは最後の最後で良いのです。強い気持ちで大声で泣いて逃げて欲しいと思います。身につけて欲しいのは,危険を察知する観察力,逃げるタイミングを読む感のようなものです。大人でも身につけるのが難しいのに,勝手なことを云う父親です。
我慢する心、チャレンジする心、そういった心を育てやがて社会の一員としてわが子を送り出す。。親の役目、責任は重いですね。
それだけに人生でこれほどやりがいのある役目はそうありません。
人を危める人間はどこかで心が病んでしまったのですね。
どうしたら優しい心を取り戻せるのでしょう。