
動物好きの息子達を3人持ったことで,動物バラエティ番組を結構一緒に見ております。かつては,関係者のそのあまりに御粗末な生物理解とやらせばかりの編集の舞台裏に関わることもあったりして,番組が流れる前に瞬時にチャンネルを変えるとか,少なくとも間違っても視聴しないリーグの番組でした。
今でも,民放のそれは,お笑い芸人やグラビアアイドルの質疑応答の分だけ情報番組としては間延びするだけで,しばしば有害な擬人化,ペット化の視点でしか動物を見せないことで,害悪の方も決して少なくないと思っています。

この手の番組では,希少な野生動物は,希少だから大切にしようという同義反復以上の話が出てこないのです。一方で,野生動物を人間の経済活動の上に乗っけてしか存在価値を理解できない人たちを,決して減らすことには寄与しないだろうということも気になっています。愛される動物は,吉本系の芸人や亀田兄弟とは「芸風」が違うだけで,基本的にTV屋の金儲けの材料以上の存在ではありえないのかもしれまえん。そりゃあ,視聴率稼がないといかんですし,遊びや慈善事業でやってんじゃないそうですから。自然保護だって,野生動物保護管理だって,経済活動と切り離したら,確かに無理があります。実際の所,資金無しでは何も出来ないから経済的な部分と関わらないわけにはいきませんが,だからといって,金にならん,全てが人間の経済活動の上でいいじゃんという立ち位置では,決して大切なものは理解できないと思っているのですが,その違和感を上手く伝えられる言葉が見つけられませんでした。

繁殖用であるにもかかわらず,芸能活動させてしこたま稼いでいるとしか思えないような「飼育」環境にあるパン君を見ても, 「ヒトとわれわれの仲間〔チンパンジー〕とがおたがいにつながっていることを学び,あらゆる生命にたいして責任ある執事になることがいかに重要かを学ぶ(
どうぶつのこころー「ウォショウ逝く」)」なんて真摯で自分たちの成り立ちを顧みようというような意識を持つのは無理じゃないかと思うのです。パン君などをあのような形で使う動物番組は,見事に制作者の意識している以上の野生動物理解の役には立たないであろうと思います。
本当は,ちょっとしたフォローを親がやってやればすむのだと思いますが,制作側としては,自己否定になるので,無理でしょう。だから,親の役目だと思います。

研究者は自己満足のために研究していると云うことはある意味ではその通りですが,地元還元などという分かりやすい目先の利益と結びつくばかりの方向性には,かなり危険なものを感じます。自然科学研究は,商店街の活性化と同じレベルで,インスタントに地元産業界の役に立たないといけない研究しかするなという大学改革に,この国の自然科学分野への理解の歴史の浅さと幼さと,一方で高邁な学問というお約束にあぐらをかいて,外の世界を省みず,一般社会に対して存在価値を外にアピールする必要もない閉じた業績生産の世界の弊害のねじれを感じるのです。

本日は,息子達と久しぶりの動物園内散歩。息子達は,動物園の動物も昨日,友人宅に保護されたのを見に行った,ずっと威嚇行動をとっていたチビ助猫の大門君も,同じように好きという状況です。
Sonnar 180mmは,動物園においては,絶妙な距離で,私は割り切って使えるので好きなのですが,やはり,ズームレンズの方が使いやすいというのが,一般的な考え方なのでしょうね。