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狂気人間

始めにお断り申し上げますが,以下は,過去アーティクルのリサイクル料理です。
それらしい,事件がまた頻発したので,部分的に再エントリーしました。

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 画像は,長男が通う小さな空手道場です。今時の「狂鬼人間」に対応できるノウハウが身に付くかどうかは全く別問題です。
Canon EOS Kiss Digital N, Schneider-Kreuznach Curtagon 1:2.8/35mm





刑法三十九条に関わる話は,40年以上も前から問題視される一方で強力にタブー視されているのか,それとも,専門家から見ると大いなる勘違いを助長するから押さえられてきたのか,私には分からないところがありますが,ともあれ,酷い弁護士の最低の作戦の中に,この心神耗弱を主張するという戦略があるようです。最悪時間稼ぎして,その間に被告に有利な材料や突破口を探すと云うことなのでしょうか。

「怪奇大作戦」復刻LDでもこれをテーマとした24話「狂鬼人間」は回収され,永久に葬られてました。愛する人を殺されたけれど心神耗弱で犯人は無罪となったことに怒りを感じた女性が意図的に心神耗弱を作り出せる機械を使って様々な人に復讐を遂げさせるという話です。
 驚くべきことにYouTubeで見ることができるのに少し前に気がつきました。物議を醸し出したため永久欠番となったウルトラセブンの第12話もYouTubeでは著作権違反ながら見られるので,ひょっとしたらと思いました。
 内容は,昭和40年代,お世辞にも大人の鑑賞に堪えうるSFドラマとは言い難く,昔の円谷作品マニアのものですが,微妙な問題を描きながら,夢想されたことはよく分かる話です。
 諸外国と違い,ずっと,タブー視されていると云うことの意味がなんなのか,法律音痴の私には分かりませんが,有責性を前提にしたEU諸外国の法律を考えると,日本では裁判の実務の流れが,そのレベルにあるというだけで,刑法三十九条を問題視すること自体が混乱を招くという考え方もあるのを知りました。

 家族を襲ってくる人間が居たら,そいつが心神耗弱であろうと無かろうと全力で戦うのみです。守れなかった場合,後でそいつが死刑になろうが,どうしようもありません。自分の性格だと,後先考えずに仇討ちに飛び出そうですが,奪われた命は帰ってきません。ただ,そういった犯人が,累犯を重ねると云うことになるならば,徹底した拘束や管理がなされない今の状況は,甚だ法的に不整備だということかと思います。
 異常性は,日常の舞台でいきなり牙をむけるというところがミソで,そこは武術的な精神制御の理想に近いものがあります。「仏に遇えば仏を切り,神に遇えば神を切る」ということで,病的に抑制が外れた人間相手には,仕掛けられるタイミングも含めて少々の心得があっても護身は簡単ではないと云うことは肝に銘じておかねば成りません。
 暴力事故防止ケア―患者・看護者の安全を守るために
鈴木 啓子 / / 精神看護出版
ISBN : 4902099810
 精神看護が必要な相手に対する一種の護身術,保定術についてのマニュアルです。以前精神科医の先生の書かれているブログで紹介されていたので購入して,何を護身術のベースとして使っているか見たら,やはり合気道でした。日本少林寺拳法≒八光流古武術は,比較的修得が短時間で容易でありながら,逆手技をかけるので,上級者でないと相手の間接を破壊する可能性があり(もちろん制御できる方は普通においでです),これは治療の場における初心者が倣うべき武技には向かないと思うので,多分そうだろうと思いましたが案の定でした。合気道の母胎である大東流合気柔術は,本来はもの凄く剛猛な武技であり,自分は被爆せずに相手を黙々と屠るということについては見事に集約させられていますが,一般には当て身技を外して崩しだけにしているところで誤解を招く場合が多いです。使えるようにするには,ある意味特殊な変換作業が必要でそのままでは使えません。一度,たけし軍団が合気道の実習をやるというTVコーナーで,現東国原知事が半ば本気で女性修行者を襲っておりましたが,そうなるとあの体系では,かなり危ういもので,最後は師範が彼女に取って代わって,ぽんぽんと頭を叩いて要するに当て身技で戦意を削いでおりました。道場の約束組み手的な襲い方では,使えるかどうか本人も勘違いするので危ないので,良い修行になったかと思います。でも,アメリカのレイプ被害者支援NGOのプログラムのように本気で襲ってくる男性を撃退するプログラムも見た感じ,やはりちゃんと役に立つんかな?と疑問を持った覚えがあります。もちろん乗り越えることで本人の心のケアとしては有効かもしれないのですが,実戦は突発的,流動的で,何が起きるか分かりません。襲う側の論理として相手が最も困る状況,タイミングで仕掛けられるはずです。異常者の場合は,タイミングに関して躊躇がないというのがやっかいなところです。護身術など信じないで,交番に駆け込めと書いた武術本がありましたが,それが出来ないからこその護身術ではあります。
 件の女性修行者の話で言えば,使えば当時のそのまんま東氏に怪我を負わせると感じた部分でも動けなかったのだと思います。実戦で思いっきり使っても大丈夫だと思えないと使えませんので,そういう意味でも稽古のやり方は重要だと思います。
 だから,相手を怪我させることなく制するという開祖の考え方は,人の国にあっては終局的には正しいのだと思います。他の武術本同様,多くの方が,この本を読むだけでちゃんと対処できるものとは思えませんが,それなりに工夫して対応する限界を感じた結果,武術の講師を招くなどの話に発展すれば,有益な本かもしれません。
 中国武術の擒拿術,捕縛術も,古式の空手同様,各門派の体系の中に組み入れられています。一般にナイフなどを持った暴漢相手ではつかみかかると危険という考え方があってその通りなのですが,これは実は当たり前ですが,一方でニューヨークの治安回復に一役買ったNPOガーディアン・エンジェルが実戦では柔道が役に立つと言っています。実際は,武器への対処ノウハウは必要なものの,つかみ合いから相手を制御する戦闘体系がないと,相手が凶刃を持つような実戦ではとても危険なのです。鬼のようにナイフで突いてくるのに合わせてカウンターがとれるというのは,よほどの勝負度胸がないと少々打突系格闘技を囓っていても無理です。もの投げて様子を見ろと書いてあったりしますが,距離が0でいきなり始まる場合もあります。一点体が接触するか,その前の段階から相手が攻撃できなくなる状態に持っていくための崩しが必要です。剣道のような高次のレベルではない,ただのチャンバラのような棒を持ったたたき合いや銃の撃ち合いには,通常,この崩しが存在しません(誤解を承知で書くと,ゴルゴ13のガンファイトには崩しや化勁技に入るものがあります)。中国武術においてやがては発勁よりも化勁に重きを置くのは,合気道の目指した境地と同じです。それに,相手が心神耗弱であっても怪我をさせれば,面倒なのはやはりこちらなのですから。この化勁をきちんと教えてもらえる体系は,ほとんど公にされていません。私の場合,崩したり叩いたりして見せた後,ガチに固定した腕相撲などでは,驚くほど力がないので良く人に驚かれます。そのレベルで,ちゃんと使える人はいるのですが,井桁ではなく,蝶番モデルに封じ込まれて勝負しなければいけない場合,応用が利かない私にはどうして良いのか分からないのです。
 ともあれ,異常を素早く察知して的確に反応できるか,そこから離れるか,あるいは有利な位置に移動するということが実際の日々の生活における護身術では一番重要なことかなと思います。自分が,その部分,ずーっと鈍ってきているのを自覚する日々です。
 件の事件のように,親の観察が及ばないことが前提の学校や塾などでの子供への加害は,通り魔による街角での事件よりも責任の所在を深く求める必要がありますし,心神耗弱であろうが無かろうが,許されるものではないと思います。ここで心神猛弱という言葉が出てくることに,ある意味弁護士という仕事の業の深さを感じますが,専門分野の方はどうお考えになるのか,私には分かりかねます。結果として,そこが焦点になってしまったことで,社会問題として見えなくなるものは多いと思います。

 とりあえず,今の平和な風景が守られればと手裏剣ぐらい平気で打つかもしれませんが,そういうのは,変なものを呼び込むので師には止められております。でもね,いざとなれば,打ちます。それが,ささやかな覚悟。
 それと,誰にでも打てます。一日に1,000本通していれば,誰にでも。

追記ー奇しくも,首への刃物による加撃とプラットフォームからの突き落としという,人を殺す上で最も防ぎようのない方法を,二人の青年が選択しているのを見て,ある意味ショックを受けています。彼らは,本当に,最も手早い方法を躊躇無くとっています。こういうのは,後手に回ると本気で抵抗しても,間に合わないので,防ぐ確率はかなり低いです。だからこそ,普通は,無警戒の相手に対しては,その選択自身に躊躇するのですが。子供を襲うのと変わらない共通性を感じます。
 突き落とし未成年は自暴自棄のコピーキャットのようにも見えます。情報がまだ出てくるでしょうから,ここでは8人殺傷青年についてのみの話ですが,彼は,実際,そうするつもりでした。人を殺せるなら誰でも良かったという二人ですが,その前提として「効率よく自分が傷つくことなく」というのが,隠されています。誰でもいいなら,暴力団事務所に殴り込んでもいいと思うのですが,そこはへたれ過激派が,武闘派右翼本部に乗り込んだりせずに,無垢な市民を巻き込むのと同じ病理です。自己憐憫の固まりの彼らには,一方的に敵を殲滅できるゲームボードの選択が働いています。もしも,暴力団事務所や在日米軍基地に刃物を持って飛び込んでいたら,正常な判断が出来なかったと判断してあげても反対者は出ないかもしれません。不遜ですが,ある意味暴力が商売の両方の方々には,日頃の戦闘訓練が出来て良かったのではないでしょうか。彼らが生きている保証はありませんが。

 突き落としの未成年の方は,事情も何となく自暴自棄型というのが見えないこともないので,以下の話は,8人殺傷の彼について気になっていることです。
 何も,グロゲーが原因だとは思いませんが(むしろ,結果かもしれない),そのゲーム画面が披瀝されているのを見て,少なからず引きました。彼の持っていたのは別プラットホームのもので,ここまでリアルじゃないとのことですが,かなりのものです。
 一応出版社としての顔や社会的責任が存在する雑誌上でのコミックの残酷シーンは,微妙にコントロールされています。インディーズなグロゲーではそのコントロールが外れているのが,一つの成果物としての特徴で,クリエイターの矜持なのでしょうけれど,「ゲーマー」とひとくくりでくくるのは,少々無茶なカテゴライズだと思います。
 私もゲームぐらいは持っているからと,彼との共通性を主張されている30代後半からの方は,是非とも画像で見られることを。
 ちなみに,実は,昔アーケードゲームでやった「影の伝説」が携帯ゲームになっていて,末っ子が気に入ったのPC版のバッタものみたいなフリーウェア(実はアメリカ版)を落としたのですが,本家,カムイ外伝(この作品からは,インスパイアされていると思います。走り抜きざまの逆手居合いはカムイの霞切りそのものです)の血の飛び方とは異質の,嫌らしいリアリティを感じて,ああ,時代が流れてこういう演出をするのが少なからず当たり前なのかなと思いました。

 人間は,攻撃行動については,性行動と同じで,学習しないと実は何も出来なかったりする動物です。ややこしいのは,処理能力が高いので,ある状況に置かれれば,その場,その場で,リアルタイムに学習してしまうことも出来るので,事前の履歴は関係ないように見えたりすることです。しかし,繰り返し,繰り返し何者かをリアルに斬撃する「練習」シミュレーターに,グロゲーがなるのかならないのかは一応はっきりさせておいた方がよいと思ったりしています。もちろん個体(個人)の性質と切り離して,その効果は語ることは出来ません。ゲーム原因説が意味をなさないのは,まさにその点による部分が大きいと思います。
 ゲーム上ではなく,何度も何度も,人を刺すイメージを作っていったと思われる青年に,グロゲーが役に立ったかどうか,私は,聞いてみたいと思います。逆説的ですが,善悪関係ないとしたら,惨殺ゲームで「人殺しに役に立たないようなレベル」をクリエイターが目指しているのならば,グロゲーのクリエイターとしての志は低いでしょうし,今時のゲームのレベルも,微妙な世代の私などはパッケージの画とのあまりの乖離に脱力して手を出さなかった,ドット画のファミコンのゲームと同じレベルということです。だって,フライとシュミレーターなら,作り手は本当に飛行機の操縦桿を握っている気分になるレベルを目指すわけですよね。少なくとも,グロゲー派,そちらの指向が無い人間が,手を出すのに躊躇するレベルではあるのかないのか。良くできていると,褒めるべきかどうなのか。どうなんでしょう。
 まぁ,それこそ,原因ではなく,結果であるということなのかもしれませんが,このグロゲーを楽しんでいる健全な?青年もいるとして(なにを健全とするかという定義が曖昧ですが)ここは,冷静にそのあたり,確認したい事象でありと感じます。ゲームとひとくくりにできる状況は,既に違ってきているのかどうか,見たことやったこともないレベルで,関係あるとか無いとか言っている人たちは置いておいて,ゲーム世界に詳しくない私は教えてほしいところです。

 格闘ゲームなら,本人が空手学んでいても,そう簡単に一方的に人を屠るバトルはできないし,やれるとしたら,一種のいじめ状態(そうやって,無抵抗の女子部員を植物人間にした柔道部の馬鹿ガキ主将が居ましたな)。抵抗されて殴られれば自分も痛いわけですし,生きて家族の元に返りたいと思ったら,相手の眼球に指を潜り込ませるなど必死で抵抗する人もいるでしょう。でも,刃物や銃器を使った暴力は,ゲームを人を惨殺するシミュレーションとして見た場合,肉弾戦のバトルよりも僅かな補正で対応できる部分があると思います。例え,層だとしても,その世界に乗ってしまって実際に犯罪を犯すかどうかは,もちろん本人の資質でしょうし,今の社会の出口のなさが,選択肢を狭めているだとしたら,何をすればいいのでしょうか。
 彼は,人を殺したかったけれど,リスクは出来るだけ取りたくない,自分が痛い思いするのも嫌。だから,自分が死ねよ,傭兵部隊にでも入ってみれば,とか云うのは,即座に拒絶されるでしょう。損得一瞬の判断により,自分がダメージを受けることは最小にして相手を一方的に殺しまくる。殺人実行を行うべく選んだ設定は,やっぱりゲームの世界じゃないかと私は思うのです。

 彼らにとっての現実は,それより,おもしろい世界がなかったのだと思います。較差が固定される中,子供育てる上で,特に男の子には,正しい欲望の持たせ方というのが,これからますます必要かなと思います。
Commented by 鍛錬 at 2008-03-27 15:28 x
単に肉体の鍛錬と言うより、常に周囲の「気」を感じ取れるような精神修行をした方がいいのでしょうか。
Commented by complex_cat at 2008-03-27 17:05
鍛錬さん,達人でもないのに偉そうなことは言えませんが,武術的な肉体鍛錬は,凡人でも聴勁的(攻撃の発動を読む能力)なものもある程度は身につきます。その人のセンスの問題なので,これも,あまりセンスの無かった私は(酔漢に寝室の枕元まで侵入を許し,襲われる直前に目が覚めて蹴りをたたき込むのがぎりぎり)偉そうなことは言えませんが。こういうのがシステマティックに教える方法論を持った方は,ほとんどおられません。達人は,勝手に出来ちゃうから。軸外しや崩し,コントロールされた転倒などはとっさには役に立つと思いますが使えるレベルになるかどうかはやってみないと分かりません。発勁・聴勁,両輪でしょうね。それと,気を感じるためのトレーニングには,身体を動かしましょう。
Commented by 鍛錬 at 2008-03-31 13:52 x
なるほど。現代社会の中で知らずのうちに本能的なものが薄れているのかもしれませんね。人も本来持っている動物的な部分のバランスをうまく保たねば駄目ですね。あまり機械とかに頼り過ぎないようにします。
Commented by complex_cat at 2008-03-31 18:23
鍛錬さん,何度も有り難うございます。
「山ごもり」というのも,原初的な人間の能力を呼び覚ます上では,馬鹿にしたものではないのかもと思ったりします。今時,流行りませんけど。
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by complex_cat | 2008-03-27 11:00 | Cat Kick Dragon Fist | Trackback | Comments(4)

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