田中一村終焉の家
2008年 08月 03日
よくいえば欲がない,悪くいえば観光商売や観光地としての演出には無頓着(というかビジネスモデルが古いというべきでしょうか)な南九州において,ここが寧ろそういった観光ツールとして上手く使われるなんてこととは無縁の状況は,私にとっては願ったり叶ったりで,他の誰にも会わずに,汗ばんだ軀に蝉とアオバトの声を感じながら,ぼーっとすることが出来ました。
画像は,全て,その終焉の家の敷地内で撮ったものです。彼が住んでおられた時代からあったモノとは,ちょっと思えないものもありましたが,樹木は,多分,そのままでしょう。
熱い奄美の昼間,田中一村終焉の家の庭で,ひとり,スズメバチとダンスを踊っているようで,とてもシュールです。
しかし,彼の偉業を紹介するという名目で,無自覚に彼の芸術的資産にぶら下がって食っていこうとするノー・ワーキング・リッチを含む人たちを見て,彼が生きていたら,一体何を感じるでしょうか。ああ,お世話になった地元に少しでも還元できて良かったと思ってくれるでしょうか。それとも・・・いや,余人は余計なことを考えてはいけないかも知れませんね。
それだけは,確信しています。
田中一村については,お金のかかった記念館が奄美空港近くに出来ていて,彼の作品にはそちらで逢えます。ちなみに,法学畑からのキャスターで有名となった宮崎緑氏が館長。こういった地方の施設の常で,常駐ではもちろんありません。美術分野よりも,多面的な分野への人脈と云うことで,それも館長選任において理解できます。
氏が国土審議会半島振興対策分科会特別委員をされているのは,原因か結果かは分かりませんが,お出でになるときは,精力的に館長職をこなされておられると伺っております。
スキャンダルには興味はありませんが,宮崎氏について関連Webを見ていて,もと夫君であった椿康雄氏は失踪中,逮捕状が出ており,初めてOHT Inc.に関わる事件を知りました。
調子ッぱずれの尺八のようなアオバトの声が,多分,一村が済んでいた頃と変わらぬ調子で響いています。アオバトが調子よく啼いてくれていたのに録音機も動画用カメラも持たなかったので,F31fdの動画撮影機能にて。
バベルの塔に棲もうが,200年も経てば,骨も残るかどうか怪しいのに,何かを得るためにわけの分からないものを生き方をしたところで,せんなきことかもしれません。
空の空は空。
さらに風雨にさらされる事で朽ちるのは時間の問題でしょうか。
それもよしと一村氏なら思うでしょう。
この生き方の他に彼が望んだものがあるとは思えません。
ここで,蝉や鳥の声を聞いていると,時間が止まったかのようです。
ものがあったとは思えませんが、同じ道を生きるものとしてはどういった背景でその絵が描かれたものか、知りたいと思うのです。
けれど、氏にとってはそんなものは必要ないものかもしれません。
ただ、集大成である絵を観て貰えさえすれば…。
それでも氏が見ていた変わらぬ風景は拝見したいですね。